きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.4.25 柿田川 |
2008.6.5(木)
特に外出予定のない日。一日中、皆さんからいただいた本を読んで過ごしました。
○方喰あい子氏詩集『砂浜の象』 第6次ネプチューンシリーズZ |
2008.6.1 横浜市西区 横浜詩人会刊 1200円 |
<目次>
Part T
砂山 8 大晦日の浜 10 砂浜の象 12
挽歌 14 初夏 17
Part U
古希を迎える母 22 母と子 24 雨 27
ゴールデンウィーク29 七草 32 マッチ箱 34
晩夏 36 夏の旅 38 霜降 41
潮風 43 ハマナスの花 45 家を離れる時 48
里芋 51 蕗 53 山羊とおじいさん 56
小暑 59 娘 62
Part V
夕暮れる 66 仕草 68 キャンパスの銀杏 70
桜の季節に 73 小春日 75 草花の話 77
旅情 79 羊 82 テ・アナウ湖 85
アケビの花 87 書棚 89 春雨の降る街 91
砂浜の象
砂浜が汚れている
土に返ることのない物質が
砂浜に転がり
打ち捨てられ
砂に埋もれ
晒されている
誰かが
どこかで捨てた
波の上を漂い
流れ着いた砂浜で
ひとの心を曇らせる
流木や海草
くるみの実が流れ着き
裸足であるき
漁師や子どもの足跡のある砂浜は
瞼の奥で陽の光を浴びている
海に向かって築かれた堤防を歩く
海は荒れて
牙のような波頭が散る
西暦二〇〇〇年は明日
今年5月刊行の詩集『キャヴェンディッシュの海』に続く第4詩集です。ここではタイトルポエムの「砂浜の象」を紹介してみましたが、「象」はかたち≠ニ読みます。「裸足であるき/漁師や子どもの足跡のある砂浜」はもう無く、「瞼の奥で陽の光を浴びている」だけになってしまって、高度成長期から続く「土に返ることのない物質」で汚された砂浜を告発する作品と採ってよいでしょう。最終連の「西暦二〇〇〇年は明日」がよく効いている作品だと思いました。
○詩誌『裳』101号 |
2008.5.31 群馬県前橋市 曽根ヨシ氏編集・裳の会発行 500円 |
目次
<エッセイ>
詩誌「裳」100号発行に寄せて −暖色系の詩人たち− 2 川島 完
「裳」100号記念特集号への各氏の手紙 4
<詩>
迷宮都市 6 房内はるみ 土地の名 8 須田芳枝
姉ちゃんだから 10 篠木登志枝 五月を待ちながら 12 神保武子
しずく 14 鶴田初江 あすなろの銅鑼(どら) 16 金 善慶
<随筆>
火事場見物の思い出と後日譚 18 佐藤恵子 作者として入試問題に挑む 23 曽根ヨシ
<詩>
ゴールデンウィーク 24 黒河節子 香り 26 宮前利保子
言葉 28 宇佐美俊子 親密な外出 30 志村喜代子
チヨばあちゃん 32 真下宏子 月見草がひらく瞬間(とき) 34 曽根ヨシ
後記
表紙「さくらんぼ」 中林三恵 詩 ピアス 中林三恵
チヨばあちゃん/真下宏子
生後間もない末娘を実家の母に預けた
母はチヨばあちゃんと呼ばれた
チヨばあちゃんは末娘を慈しんでくれた
赤い頬をした末娘は歌うことが大好きだった
幼椎園に入るまで
チヨばあちゃんが育ててくれた
川辺の桜が咲き初めた日
チヨばあちゃんとの別れに
末娘は大粒の涙をこぼした
日曜毎に 末娘を連れて
チヨばあちゃんに会いに行った
末娘はチヨばあちゃんにたずねた
チヨばあちゃんに会いたくて仕方ないときは
どうすればいいの?
お空を見てごらん チヨばあちゃんは言った
お空は大きくてはてしなく広がっているでしょ
お空を見ていると自分が小さく見えてくるの
なんて小さなことで
悩んでるんだろうと思えてくるの
チヨばあちゃんは末娘を抱きしめて言った
いつもいっしょよ
そこには あの時の横顔があった
父戦死の報を受けて間もないころだった
疎開先の庭に立って
母と二人 空を見上げていた
母の横顔は凛として美しかった
「チヨばあちゃんに会いたくて仕方ないときは/どうすればいいの?」という問に対する答が良いですね。私は、空が「チヨばあちゃん」と「末娘」との間でつながっている、とでも答えるのかと思っていましたけど、違っていました。「お空を見ていると自分が小さく見えてくるの/なんて小さなことで/悩んでるんだろうと思えてくるの」という回答は素晴らしいです。しかもそれが最終連につながって、「母と二人 空を見上げていた」と同質なのが判ります。「チヨばあちゃん」の人間性が小さなエピソードを通じても伝わってくる佳品だと思いました。
○詩・仲間『ZERO』19号 |
2008.6.10 北海道千歳市 綾部清隆氏方・「ZERO」の会発行 非売品 |
<目次>
斉藤征義 春の晴着
森 れい 号令
綾部清隆 北の浜辺にて
春の晴着/斉藤征義
川のへりに木幣のでてるの なあんだ
川のへりに木幣のでてるの なあんだ
嗄声やわらぐフチのなぞなぞ
川べりの陽ざしにもぐり
子どもたちの膕にまつわり
川のへりに木幣のでてるの なあんだ
マ カ ヨ
マカヨ マカヨと子どもたちの声
フチをとりまき フチはうたう
何枚も晴着をかさねて帯びをしめ うきうきと
人の国へ おりてきた女神の話を
うかれて踊ったあとの草地は荒れて
女神は湿地の国へ追放されたとも
エゾマツが雲に睫毛をつける春
髪ぼうぼうにみだれた子がひとり
フチのうしろに立つ
ゆらゆら しすいえすいえ れらすいえ
ルペシペ神社の裏に住みついたあいつが
荒れた川べりをとびはねだした
ゆらゆら しすいえすいえ れらすいえ
幡でこしらえたシャツの背に
泥のついた神の文字
おもしろく、春を喜んでいることが伝わってくる作品ですが、見慣れない文字があって戸惑いました。ネットや辞書の助けを借りながら調べてみますと…。
「木幣」はもくへい≠ニ読み、アイヌ語ではイナウ=B神への贈り物で、神と人間との間の伝達者だそうです。材料はヤナギやミズキ、通常は長さ五十センチ前後、皮をはぎ、白い木肌を薄く細く削り、巻き毛の束のようにするそうですから、神社で使う紙幣の木材版と呼んでもよいのかもしれません。
「フチ」はアイヌ語のおばあさん≠ナはないかと思います。
「膕」はひかがみ≠ニ読み、膝の裏のくぼんでいる所のことです。
「マカヨ」はフキノトウのことのようです。
「しすいえすいえ れらすいえ」は判りませんでした。アイヌ語のおまじないの言葉のように受け止められます。
「ルペシペ」は虻田郡にある地名です。
「幡」ははん、のぼり≠ニ読みますが、ここでは幡の木・ハンノキ≠フことでよいと思います。
多少、間違いはあるかもしれませんが、それらを基礎知識として読むと「春の晴着」を「かさねて帯びをしめ うきうきと」している様子が伝わってきますね。アイヌの風俗を取り入れた詩と云ってよいと思いますが、北海道でも珍しい作品なのではないでしょうか。最終連の「泥のついた神の文字」もよく効いていると思いました。
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