きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.4.25 柿田川 |
2008.6.8(日)
日本詩人クラブの24時間に渡るオンライン作品研究会は、予定通り午前10時で終了しました。参加の皆さん、ご協力ありがとうございました。
終わったあとは終日いただいた本を読んで過ごしました。
○会報『ヒロシマ・ナガサキを考える』 復刻版T(創刊号〜第45号) |
2008.8.6 東京都葛飾区 ヒロシマ・ナガサキを考える会 石川逸子氏発行 2500円 |
<目次>
各号のおもな内容
創刊号(1982・4)証言(鈴木つる) 正田篠枝ノート 東海寺原爆慰霊碑
第2号(1982・7)証言(福島勝男) 正田篠枝ノート 滝野公園・江戸川原爆慰霊碑 詩・吉岡満子
第3号(1982・10)証言(長尾当代) 正田篠枝ノート 広島県立二中慰霊碑 詩・吉岡満子
第4号(1983・1)証言(佐々木明) 正田篠枝ノート 桜隊原爆殉難碑
第5号(1983・5)証言(松下ハマノ)正田篠枝ノート 基本懇のまやかし 広島市立高女慰霊碑 詩・大平数子
第6号(1983・7)証言(高木留男) 正田篠枝ノート 基本懇のまやかし 大船・神奈川原爆碑 詩・田熊健
第7号(1983・10)証言(季実根) 正田篠枝ノート 馬込・関東大東災朝鮮人犠牲者慰霊碑 詩・文益煥 詩・石川逸子
第8号(1984・1)証言(広瀬清) 正田篠枝ノート 夢の島・第五福竜丸展示館 詩・大原三八雄
第9号(1984・4)証言(図未守) 正田篠枝ノート 魂を忘れた復興(玉置淳三) アジア文学者ヒロシマ会義(黒古一夫)
江東区役所母子像 詩・佐藤祝子
第10号(1984・7)証言(永田瀧久・鉄村豪・水埜公冶) 正田篠枝ノート 似島慰霊碑 詩・斉藤まもる
第11号(1984・9)追悼・吉岡清子詩抄 追悼(高田敏子ほか) 進徳学園慰霊碑
第12号(1984・12)証言(館野正盛) 東京のヒロシマ(石川逸子) 原爆民話(大平数子) 正田篠枝ノート 足尾中国人慰霊碑
詩・林信夫 短歌・李正子
第13号(1985・1)証言(沼田鈴子) 骨の語る声(北川省吾) 丸木美術館 詩・犬塚昭夫 津田芳太郎
第14号(1985・3)熱い雲(佐々木明) 千鳥ヶ淵墓苑 詩・郷田郷基
第15号(1985・5)証言(山根操) 長編詩(山口国雄) 正田篠枝ノート 長崎原爆朝鮮人慰霊碑
第16号(1985・8)証言(中村イネ)『広島第二県女二年西組』書評(黒古一夫) 正田篠枝ノート 短歌・松田雪枝
詩・野上礼子 大橋町慰霊碑
第17号(1985・10)手記(平川清) 正田篠枝ノート 荒神堂境内慰霊碑 詩・郷田郷基
第18号(1986・1)被爆韓国人の声 エッセー(古浦千穂子) 正田篠枝ノート かにた婦人村従軍慰安婦慰霊碑 詩・栗原貞子
第19号(1986・4)証言(辛福守) 故大村敬子の手紙 正田篠枝ノート 前橋嶺公園原爆慰霊碑 詩・姜恩喬・茨木のり子訳
第20号(1986・7)証言(畠中国三)(安月嬋) 正田篠枝ノート 広島女学院慰霊碑 詩・鳴海英吉
第21号(1986・10)証言(許鐘順・鄭登明)(粟野佳子) 原爆童話の原語・大平数子 正田篠枝ノート 詩・雷石楡
短歌・石井清太郎 原爆供養塔
第22号(1987・1)証言(野鼎)(劉世銀・朴奉仙) 正田篠枝ノート 義勇隊慰霊碑 詩・金明植
第23号(1987・4)証言(園田ミワ)(塚越正男) 手記・綿谷末子 二十四童子慰霊碑 詩・剛田郷基
第24号(1987・7)証言(小山撃) 指紋押捺裁判陳述・金重明 正田篠枝ノート 外国人戦争犠牲者追悼碑 詩・趙南哲
短歌・永井弘子
第25号(1987・10)証言(宮田芳子)(アントニオ・ニネヴァ)正田篠枝ノート 京都・草内の平和の塔 詩・水田九八二郎・入江昭三
第26号(1988・1)証言(永坂昭) メッセージ・郭貴勲 正田篠枝ノート 常寂光寺の女の碑 短歌・桃原邑子 詩・石川逸子
第27号(1988・4)証言(本田孝夫・堤晶子)(越定男)(林英植・李国柱) 堤定吉追悼 正田篠枝ノート 韓国人慰霊碑
詩・栗原貞子・鳴海英吉
第28号(1988・7)証言(吉川生美)(金分順)(盛次幸一) 正田篠枝ノート 天神町北組の碑 詩・菅原克己・石川逸子
第29号(1988・10)証言(李貞秀)(小田松枝) 那覇地裁陳述書・知花昌一 正田篠枝ノート 浅川正子追悼 大阪空襲慰霊碑
詩・金良植・森田進訳
第30号(1989・1)沖縄・心の旅 証言(島袋善祐・阿波根昌鴻) 文・詩(石川逸子)
第31号(1989・4)証言(渡辺美代子) マレーシアの住民虐殺(呉旺・張友・揚振華・蕭矯) 正田篠枝ノート
広島・小屋浦の慰霊碑 詩・嶋博美
第32号(1989・7)証言(大畠優)(裴澄子) 南京大虐殺(夏淑琴)(陳徳貴)(陳光秀) 童話(石川逸子) 正田篠枝ノート
大久野毒ガス慰霊碑 詩・寺澤正
第33号(1989・10)証言(江口保) 大東亜共栄圏被害者(チャン・ロイ、アスセナ・オカンポ、ディオニシオ・プラス)
広島通信復刻に寄せて(大原三八雄・橋本福恵) 高津観音寺の鎮魂の梵鐘 歌集「さんげ」(水田九八二郎)
第34号(1990・1)証言(山岡美智子)(白東鉉・金文泰・鄭龍分・李基浩) 朝、あざやかな国(亀澤深雪) 幟町公園の慰霊碑
第35号(1990・4)証言(巌粉連)(山田寿美子) 四国直登の月記 正田篠枝ノート パゴダ公園の三一独立運動記念碑 詩・大沢栄
第36号(1990・7)証言(銀林美恵子)(李喜奉) ヒロシマの熱い日(水田九八二郎) 国民義勇隊追悼碑 詩・崔龍源
第37号(1990・10)証言(山根昌子)(崔小岩)(ニキ・グラタウァー) 上野動物園慰霊碑 詩・菊地貞三、石川逸子
第38号(1991・1)証言(趙寿玉)(金敏経)(細波幌彦) ゲルニカを描いた子どもたち 正田篠枝ノート 詩・瑞穂町の万国慰霊塔
詩・坂本つや子
第39号(1991・3)証言(小松清興)(鄭聖胎) チェルノブリ事故(石川逸子) 竹内浩三の詩碑
第40号(1991・7)朝鮮人従軍慰安婦問題(尹貞玉ほか) 朝鮮挺身隊の少女たち(河合志ん) 東南海地震犠牲者追悼碑
第41号(1991・10)証言(呉益興) 正田篠枝ノート 韓国・堤巌里慰霊碑 詩・山田澄江、佐川亜紀
第42号(1992・1)証言(張弼生)(野村剛) 石井清太郎『いのちの戦記』紹介 詩・香山末子 原爆の子の像
第43号(1992・5)証言(井上良侯)(金学順) 金夏日『点字と共に』受賞式 山田澄江『原爆その日から』以後二石川逸子)
三滝墓苑のかえらぬ鶴の碑 詩・チャン・ジョンイム
第44号(1992・9)証言(江原道の遺族たち) PKO公聴会(松井義子・栗原貞子) 木村久夫の遺書(五十嵐顕)
園光寺のオマールの墓 詩・柏木清子
第45号(1993・1)証言(豊永ツヤ子)(金基柏) 日本の戦争責任(今井啓子) 原民喜詩碑 詩・チャン・ジョンイム
復刻版あとがきに代えて
一九八二年四月、本誌を編集・発行してから、二六年の歳月が経ってしまいました。
おもえば、長崎の被爆者、亡き江口保さんの已みがたい思いによって始まった一九七六年のヒロシマ修学旅行(葛飾区立上平井中学校)で、いたいけない子を奪われた父母の、かけがえない肉親を失った遺族の、せつない胸の内にふれてから、私のヒロシマへの旅は始まったのでした。
どなたもが、「あのときは・・・」と絶句され、それから見てしまった地獄の体験を、噴き出すように語られる。日ごろ、(どうせ話してもわかってはもらえない。政治に利用されたらたまらない!)と強いて押さえてきた蓋が、(子どもたちなら、まっさらな気持ちで聞いてくれる!)と、外れたとたん、細かい記憶の一つひとつが、とめどなく立ち上がってきて止まないのでありましょう。
「いま話したことは、何一つ偽りはないけん、どうか、少しでも多くのひとに話してつかあさい。二度と原爆が使われたらいけん。戦争をしてはいけん!」と言われる方々に報いるため、一冊の大学ノートに「ヒロシマ・ナガサキを考える会」と記し、会の活動、と次に書いて、〈会報を出す〉と記したのが、始まりでした。
私の勝手で、会といっても、結局、会員は募らず、編集・発送作業なべて、おおかた一人でやって参りましたものの、毎号、多くの方たちが、励ましの手紙やカンパ・切手カンパなどで支えてくださったゆえに続けられたのでした。有難く、嬉しく、ただただ感謝です。
気がつけば、九〇号(〇八・一刊)になっていました。
そろそろ打ち止めにしなければ、と思いつつ、米国がおこなう侵略戦争の片棒を、ますます担ごうと躍起な昨今の国家政策を見ていると、ヒロシマで死んだ同世代の少女たちが、(まだ懲りないのね)と言っている気がして、なかなか止められないでいます。
本誌に、貴重な話をしてくださった方たちも、多く逝かれてしまっており、ここらで合本を出しておかねば、せっかくのお話が埋もれていってしまう、と気づきました。
幸い、亡き畏友、本誌に途中から題字を書いてくれた高福子さん(合本表紙の題字の書家)から、遺言により小誌に寄贈を頂いたため、印刷費の一部に充当できます。
そこで、とりあえず七〇号まで、二冊に分けて合本にすることにいたしました。
この地域から戦火が一切、絶えることを願いつつ。
−二〇〇八年草萌える季節に(石川逸子)
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大変な復刻版をいただいてしまいました。拙HPで「ヒロシマ・ナガサキを考える」を紹介し始めたのは2007年1月発行の87号からですが、これで創刊号から70号(Uは次に紹介します)までの内容が分かることになりました。日本の、いや、世界の原爆詩、そして現代史の貴重に資料となりましょう。
復刻版にノンブルは振られていませんが、総ページ数は650頁を超えています。それが2冊ですから1300頁ほどの大冊! 各号のページ数も創刊号の8頁立てから始まって、途中、24頁立てになったものもあり、34号からはほぼ20頁立てで、内容が年を追うごとにさらに充実しているのが分かります。とくに各号載せられている「証言」は貴重な資料と云えましょう。
ここでは「復刻版あとがきに代えて」を紹介してみましたが、なぜこのような活動を始めたかが述べられていて興味深いところです。そして26年の継続には敬意を表しても余りあるものを感じます。
なお、原文では目次の号数は漢数字になっていますが、画面での見やすさ等を考慮して算用数字としました。ご了承ください。
○会報『ヒロシマ・ナガサキを考える』 復刻版U(第46号〜第70号) |
2008.8.6 東京都葛飾区 ヒロシマ・ナガサキを考える会 石川逸子氏発行 2500円 |
<目次>
各号のおもな内容
第46号(1993・5)証言(文玉珠)(西本宗一) 私の観察(小川岩雄) 原民喜補遺 大田洋子詩碑 詩・島本幸昭
第47号(1993・9)証言(木村靖子)(李有彩) 詩・島本幸昭 南信雄 西大門刑務所記念館 江原道遺族の陳述
第48号(1994・1)証言(松田雪美)(金信煥)(砂田明) ふりかえりの塔 短歌・金夏日 中野十中の慰霊の言葉
第49号(1994・5)アイヌモシリ・心の旅(葛野辰次郎、佐藤カナ、萱野茂、貝沢耕一、富樫利一) 違星北斗の歌碑
詩・桜井勝美、石川逸子
第50号(1994・9)証言(李順玉)(森寅雄) 荒井覚の上着(石川逸子) 荒川河川敷の鳳仙花 詩・渡辺富子
第51号(1995・1)証言(須藤叔彦) 七三一部隊遺族の証言 浅川巧の碑(田口友勇) 詩・ユ・ミョダル
第52号(1995・5)手記(見澤清子) IIC最終報告書 チビチリガマ(島袋陽子) 詩・水谷なりこ
第53号(1995・9)証言(張文彬)(前川雅美) 安重根記念館 詩・草野信子
第54号(1996・1)証言(関千枝子)(金子きみ子) 追慕・尹東柱(石川逸子) 福田須磨子詩碑 詩・難波律郎
第55号(1996・5)「しらうめ」雑感 大久野島を訪ねて 証言(アモニタ・バラハディア) 良寛の墓 詩・趙南哲
第56号(1996・9)浜口国雄「便所掃除考」(石川逸子) 「しらうめ」に寄せて(関千枝子) 樺美智子を偲ぶ 詩・武内辰郎
第57号(1997・1)島本幸昭「轍」
第58号(1997・5)江戸川原爆追悼碑 五人の韓国被爆女性の証言 瑞穂町からの便り
第59号(1997・8)小詩集「もっと生きていたかった」(表紙のみ)
第60号(1998・1)中国人強制連行シンポジュームより 詩・フイ・カーン、遠藤恒吉 斗六の帰順式(石川逸子)東海地震と浜岡原発
第61号(1998・5)亀沢深雪「アメリカで被爆体験を語り継ぐ メリーさん」 手記(横山洋子) 金順吉追悼
詩・デべリアク、田所良信、石川逸子
第62号(1998・8)証言(新谷君江) 江口保さん追悼 いま、桃原邑子歌集を読む 中国東北部「慰安婦」被害者たち
詩・李折東、小宮隆弘
第63号(1999・1)証言(米田チヨノ) 安重根・千葉十七追悼会 短歌・松村敏子、松田雪美
第64号(1999・1)李姓教「広島恋歌」 在韓基督教会記念誌より 手記・藤田恭雄 詩・河合俊郎 松井義子さん追悼
第65号(1999・7)詩人・原口喜久也 三一独立宣言を読む 詩・花崎皋平、柏木清子
第66号(2000・1)在韓被爆者の証言 日本軍政下のインドネシア 昔 戦争があった(更科和) 手記・天野泰茂
詩・神田さよ 徐京植『プリーモ・レーヴィの旅』
第67号(2000・5)ブラジルの被爆者 雷石楡追悼 周喜香陳述 詩・仲嶺真武
第68号(2000・8)証言(倉本寛司) 軍隊のない国コスタリカ 訴え・金順徳 詩・萩ルイ子、桜井哲夫 沖縄と天皇外交
第69号(2001・1)壁の伝言・関千枝子 台湾被害者の証言 陳千武『猟女犯』 夕茜の詩人、鈴木初江
第70号(2001・5)手記・川本晃ほか 群友会「炎の詩」より 丸八橋巡礼 女性国際法廷 詩・今村欣史
小さな家/石川逸子
川に沿って
沈みこむように
小さな家は立っていた
右腕のない父親は
(ダム工事で失くしたのだ)
こまめに行商をして歩き
おなかの大きな母親は
缶詰工場ではたらき
六歳の女の子 四歳の男の子は
川でアサリや小魚をとって
家に運び
(父親は月を見ながら故郷の山を思い)
八月六日
小さな家は消えてしまった
四人の家族はどうなったか
ほんの少しの消息も聞かない
わたしみたく たった一人も生き残らんだか
かなしい目をして 金ばあさんが言った
小さな家がそこにあるように
アボジ! 幼くはずんだ声が聞こえてくるように
金ばあさんは 川べりに立ちつくしている
−御庄博実・石川逸子『ぼくは小さな灰になって・・・』所収
こちらは巻頭に置かれていた詩を紹介してみました。「右腕のない父親」、「おなかの大きな母親」、「六歳の女の子 四歳の男の子」という「四人の家族」が忽然と「消えてしまった」「八月六日」。日本人にとっても悲劇だったように、強制連行されて来日しただろう家族にとっては、それ以上に理不尽な原爆投下だったろうと想像されます。詩の生命のひとつは想像力。その想像力をかきたてられるような作品だと思いました。
このUでは、46号の「私の観察(小川岩雄)」が圧巻でした。小川氏は物理学者で、広島原爆投下時は、爆心より16キロ離れた江田島の海軍兵学校教官として、爆風を感じ、きのこ雲を目撃しています。その思い出を「日本物理学学会誌」に投稿されたそうで、それが転載されたものです。当時、すでに核爆弾を予想していた、数少ない物理学者としての洞察に驚きます。理工学部出身の教官たちの現地調査、その後の報告会など、学徒らしい冷静さが読み取れる好エッセイでした。
○詩誌『梢』47号 |
2008.6.20
東京都西東京市 300円 山岡和範氏方事務局・井上賢治氏発行 |
<目次>
寄稿 「友よ」志摩ひかる…2
「あたらしい浦島のはなし」他1編
山岡和範…7 「いのち」山田典子…14
「大雪の日から」他1編 井上賢治…16 「空想」他1編 上原章三…20
「花やしきかなあ」他1編 北村愛子…22 「迷子札」他6編 日高のぼる…25
「私は六十年安保っ子」藤田紀…41 「共通一次マークシート」他1編 牧葉りひろ…46
「山萌える」宮崎由紀…50
寄稿・追悼 「翁草」真実井房子…55
「梢」46号感想紹介…57 事務局だより…62
表紙 イラスト−ヘビイチゴ 山田典子 15ページ 絵手紙 甲州市塩山 田辺好子
空想/上原章三
あのとき妻の病気が好転して
よくなって行ったら、どうなるだろう。
――よくそんな空想をする――
もう妻は病院にいる用はなくなり、
あの堤防沿いの道を
私の運転する車で家に帰るだろう。
そんな空想が
ふさぎきった私の心を慰める。
妻はまた生きて
私に語りかける。
そうだ、妻はこの部屋にいるのだ。
かたちこそ見えぬが
妻はこの椅子に座って
私の作る夕食を待っているのだ。
空想――空想こそが
死を超えて
人の心を慰めてくれる。
「空想」というものは人間らしい心の働きのひとつだと思います。「私」は「妻」を亡くして「ふさぎきっ」ていますが、「かたちこそ見えぬが/妻はこの椅子に座って/私の作る夕食を待っているのだ」と空想します。それが「死を超えて/人の心を慰めてくれる」と最終連のように語ることができるまでには、幾多の「ふさぎ」があったことだろうと想像してしまいます。時間が忘れさせてくれる、という言い方をしますが、実はどれだけ数多い「空想」の時間を持ったかではないかと、この作品を読んで思いました。何気なくやっていることを詩に高めた佳品と云えましょう。
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