きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.4.25 柿田川 |
2008.6.9(月)
午前中に市内の印刷所に行って、日本詩人クラブ7月研究会・例会案内状の原稿を渡してきました。来週早々には出来上がるでしょうから、来週土曜日に発送します。
それ以外はいただいた本を拝読して過ごしました。
○詩・エッセイ『サンカーン・テ・アン』4号 |
2008.5.27 東京都小金井市 よしかわつねこ氏発行 525円 |
<目次>
☆訳詩(招待作品)
●あいつは俺にぞっこんさ/チャールズ・ブコウスキー 中島 登訳 1
●涼しい顔で (1)〜(6)/よしかわつねこ 6
●里山が消える/岡 隆夫 11
☆エッセイ
●大漢詩人・阿藤伯海の現代詩/岡 隆夫 14
●ドン・Qの今は昔物語/よしかわつねこ 16
後書き −日本未来派・南川周三のことなど− 17
あいつは俺にぞっこんさ/チャールズ・ブコウスキー 中島登・訳
暗がりで寝袋にくるまって横になっている
何日も飲みつづけて気分が悪い
頭はずきずき痛み
舌は厚ぼったくこわばっている
俺はテレビを見っぱなしだ
受話器ははずれている
女とうまく折り合いをつけようとして疲れた
俺はテレビを見ている
壁は俺の廻りに盾のように立ちはだかる
俺はあの奴らが
自前の自動軽機関銃で
人間に風穴をあけるのを見ている
奴らは金が要るんだ
奴らは情婦と面倒なことになっている
成りゆきはそのままだ
人の気持ちをやきもきさせやがる
俺はうんざりするコマーシャルの間に
小便をしようと起き上がる
戻ってくると
親分は情婦と原っぱで寝そべっている
下手には小川が流れている
あたりは穏やかだ
だが彼は葉巻を口に銜え
革の肩帯には357マグナム拳銃が納まっている
情婦は彼にもたれかかる
小さく無造作に束ねた彼女の金髪が
風になびいている
「ジョニーどうしてあんたは
あれを止めないの?」と彼女は言う
「何を止めろってんだよ」と彼は聞き返す
「わかってるでしょうジョニー
人殺しよ それからあれよ…」と彼女は言う
「なあ おいよく聞けよ
俺はただうまく切り抜けようとしてるんだぜ」と彼
「あんたは何もかもみんな止めることだって出来たのよ
ジョニー
あたしたち坑垣のあるちょっとした小綺麗な住いに
落ち着くことだって出来たのよ
何人も子どもを産んでさ…」
「ああ 何だって
そんな暮らしは俺の性分に合わねえよ」
「わかったわ ジョニー
あんたが足を洗うかさもなければあたしが出ていくわ…」
彼女は微笑を浮かべる
彼は立ち上がって彼女を押し退けた
「お前まさか本気じゃないだろうな?」
「いいえ あたし本気よジョニー!」と彼女は言った
「俺はなお前なしで生きていく積りはないぜ」と彼は言った
彼は357拳銃を手にとった
彼は彼女の両脚の間に拳銃を無理矢理押し込んだ
そして引金を引いた
俺は起き上がって
冷蔵庫のところへいってビールをとりだす
戻ってくるとシェーヴィング・クリームの
コマーシャルが流れている
俺はビールを一気に飲み干すと
罐を屑籠に投げ捨てる
それから受話器をとってダイヤルを回した
彼女は応答する そして俺は言う
「おい よく聞けよベイビー
俺はもう金輪際お前の面倒なんか見ないよ
おまえは人の邪魔になるだけさ あばよ」
俺は電話を切って受話器を外しておいた
もう一本ビールを飲む時だ
俺はギャング映画が好きで好きでたまらない
「俺」の現実と「テレビ」の内容とが綯い交ぜになっているような感覚に襲われるおもしろい詩です。もちろん、ちょっと注意して読むとその区別は分かりますが、それを分かりながら綯い交ぜを意識して読むのがこの詩の魅力なのかもしれません。「彼女」に対する「俺」の電話も、TVとごちゃ交ぜにした感覚で掛けているのでしょう。そして最終連では「俺はギャング映画が好きで好きでたまらない」というフレーズ。ここで読者はこの詩をすべて把握するという仕掛けです。日本ではちょっと見られない詩で、楽しみました。
○季刊詩誌『詩話』62号 |
2008.6.5 神奈川県海老名市 林壌氏方・第三次詩話の会発行 非売品 |
<目次>
詩 水無月の蜻蛉 吉崎輝美 1
快晴の日曜日 林 壌 4
エッセイ 二編 両角道子・小山 弓 6
詩 静かな時間 小山 弓 9
約束 両角道子10
題字 遠藤香葉
水無月の蜻蛉/吉崎輝美
−ここからは、こないほうがいいよ−
坊主刈りで色黒 鋭いまなざしを妹に向ける兄
強く拒否の首をふる妹
=一緒についていく ここまできたのに=
おちる寸前の涙を堪えて かむ唇
兄とその仲間のうしろから土手を這い登る
妹のことはもう気にとめていない兄たち
湿った空の下 むっとする空気 青くさい雑草
品鶴線 貨物列車が通る立橋の土手
他から目につきにくい場所
曲線のない線路がつづく 列車はまだこない
土手下に赤い旗をたてた操業停止の自動車工場がみえる
線路に耳をあてる兄たち
這い登りおそるおそるまねて耳をあてる
土手下から聞こえた列車の音じゃあない
ゴーゴーゴットン 姿のない巨大な生き物が耳を通り
頭・胸・腹・太ももと伝わりせまってくる
ふるえる 風邪のひきはじめそっくり
ブルブルと手足が冷たい
みつかればお巡りさんにつれていかれる
=ついてこなければよかった=
いわれた通りでくやしい 後悔してもおそい
一人では帰れない
線路の上に五寸クギをおく兄たち
土手の中途の背高アワダチ草 すすき 紫苑などの影に
身をひそめる その素早さ
ふるえる手で一本のクギを線路におく
草かげから鋭い目がのろま≠ニ背中にささる
脱線したらどうするのだろう
あせる足が土手をずり落ちる
だれかの手がシャツをつかむ
草のなかへ身体がおしこめられる
雨が降るのか不穏な空が広がっている
列車の音だ
音が 音が 胸苦しい
草をつかむ手がぬけそうだ
=おしっこにいきたい=
ドックン ゴーゴットン 音がまじりあう
ドッキン ドッキン身体中が心臓になる
目をつぶる
おばあちゃんの目をつぶった顔がうかぶ
口ぐせのなんまいだぶつ≠ネんまいだぶつをまねしよう
鼻から息をすいなんまいだぶつ≠ネんまいだぶつとはく
ナントカ石油 ナントカガス 材木を積んだ貨車が
頭の上を通っていく
音が遠のく 脱線しなかった たすかった
土手をいっせいに 登る兄たちの後ろ姿
クギを拾い集め 土手をかけ下りている
−だれかくるぞ− にげろ−さけぶ声
=クギが クギが拾えない=
兄たちをおいかけて土手をお尻ですべりおち走る
ころぶ妹
引きかえし手をひっぱり走る兄たち
自動車工場の裏手 赤い旗がだらりとたれている
たどりついた だれにもつかまらなかった
カタでする息だけがきこえる
−うまくいったな−兄たちの声
=クギが クギがない=
すりむけたひざ頭 すすきで切れた手も痛い
不覚にも バタバタバタバタと涙がおちる
−なくんじゃねえ−
独り言のような兄のつぶやき
−やるよ−
ぶっきらぼうな兄の友
さし出された一本の光るぺたんこのクギ
小さな小さな小刀
線路でつぶされた五寸のクギ
にぎりしめる今日の宝物
=ありがとう=もいわなかった
涙と恥ずかしさを泥の手でふり払い
水無月の空の下でうつむいていただけだ
雨があがれば胸がザワザワする夏がくる
クギをみせあう不思議な眼をした兄と仲間たち
背にすきとおる銀の羽
雲と光のあわいにまぶしく飛ぶ
水無月の銀やんま
今の子ども達には無理なことですが、私たちの子どもの頃は「線路の上に五寸クギをお」いて「小さな小さな小刀」を作るという遊びをやったものです。その頃の情景を思い出しました。「湿った空の下 むっとする空気 青くさい雑草」、「雨が降るのか不穏な空が広がっている」、「雨があがれば胸がザワザワする夏がくる」などの情景描写が巧いですね。それより何より、この遊びを「妹」の立場から描いたことに新鮮さを感じます。「兄」の立場であった私には、当時の妹の気持ちなど分かりようもありませんでしたから、改めてそれを提出されたようで、軽いショックを覚えます。
最終部の「クギをみせあう不思議な眼をした兄と仲間たち」も良い観察だと思いますし、「水無月の銀やんま」もきれいに収まった作品だと思いました。
○詩誌『ONL』97号 |
2008.5.30 高知県四万十市 山本衞氏発行 350円 |
<目次>
現代詩作品
岩合 秋 いかがなもので 2 大森ちさと すみれ 5
大山 喬二 橡の木の森へ/他 6 河内 良澄 カラげんきで 10
北代 佳子 今は感謝で 12 土居 廣之 認識 13
土志田英介 赤い蟹 14 徳廣 早苗 母の音水の音木々に 16
西森 茂 兆(きざし) 18 浜田 啓 エレベーター 20
福本 明美 つちのなかに 21 文月 奈津 寸評(スケッチ) 22
丸山 全友 春 23 水口 里子 伝言 24
宮崎真理子 後期高齢者 25 森崎 昭生 奇跡の街 26
柳原 省三 心について 28 山本 衞 岡山/他 30
山本 歳巳 りんご 33 *五十音順に掲載
俳句 作品 瀬戸谷はるか「暫」 34
寄稿 評論 村上利雄 ONL九十六号に心癒されて 35
随想 作品
小松二三子 気になる木 37 芝野 晴男 大奥 38
秋山田鶴子 花一期一会 39
評 論 谷口平八郎 幸徳秋水事件と文学者たち(十) 41
後書き 42
執筆者名簿 43 表紙 田辺陶豊《壷》
つちのなかに/福本明美
かつて生きていたものが土になり
育む力が土に溢れる そんな春の日
自分自身も耕しながら
草を刈る 土を掘り起こす
暗闇の温もりの中から せわしく
這い出てくる虫を踏み潰す
匂いも色も感じないまま土に還る
ヒトは宇宙を征服する時代になっても
ヒトは人と争う
ヒトの天敵は人自身だろうか
宇宙(そら)からの風をうけている
先立った父の堆肥の横に
母を埋め 私も沈めたいと
春の風にくすぐられる
私もたまに畑仕事をやりますので「自分自身も耕しながら」というフレーズがよく分かります。そして、いつも「這い出てくる虫を踏み潰」しながら、これでいいのかなと思うのですが、やはり作者もそれを感じているようですね。第3連の「ヒトの天敵は人自身だろうか」という言葉の重さも噛み締めています。最終連は「春の風にくすぐられる」というフレーズがうまく作品を収束させていると思いました。
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