きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.4.25 柿田川 |
2008.6.11(水)
特に何もない日で、一日中いただいた本を読んでいました。
○一人詩誌『雲の戸』4号 |
2008.7 埼玉県所沢市 山本萠氏発行 200円 |
<目次>
<雲の時間だったこと>
ばらの花帽子
私にかわって立ち上がる彼ら
あとがき
ふたりで雲を眺めたことがあった
自分たちがそのとき
雲の端っこに坐っていたのを 忘れていたのだ
いつのまにか零(こぼ)れて行ってしまう
渇いた砂みたいな不思議な雲だった
掻きまぜてはいけないよ まだめいっぱい雲なんだから
そう言ったのに
ひとりは銀のスプンで掬って舐めた
わたしはうっとりと雲にのぼせて
明日から光りにまみれるコトバのこととか
孤独のヒトミの絞り方についてとか
雲の時間だったことは全部小箱に仕舞った
それからどこまでも透き通った雲を眺めるふりをした
<雲の時間だったこと>
「自分たちがそのとき/雲の端っこに坐っていたのを 忘れていたのだ」というフレーズは、日常の何気ない時間、当たり前だと思っていた生活が、実は雲に座っているような輝かしい日々だったがそれと気づかずにいた、ということではないかと感じました。「明日から光りにまみれるコトバのこととか/孤独のヒトミの絞り方についてとか」というフレーズには、詩人らしい日々が垣間見えます。短い詩ですが凝縮された佳品だと思いました。
○詩誌『きんぐさり』5号 |
2008.6.1 埼玉県南埼玉郡宮代町 向井千代子氏発行 500円 |
<目次>
詩
水の匂い さとうますみ 2 冬の朝 金親尚子 4
物語り 高山真木子 6 世間/狂人の言葉 安川登紀子 8
口笛 神石諸人 10 坂道の途中に 滝 和子 12
鎮魂歌/坂 河上小枝子 14 ベンチ/反映/ある日 向井千代子 20
何もできなかった日/花影 鎌田庸子 26
創作 我が街(4) 鎌田庸子 30
エッセイ
小田実さんのこと(2)
三井愛子 38
強盗物語 河上小枝子 42 うさぎ山(5) 向井千代子 44
メルヘン散歩(5) 向井千代子 47
表紙絵 三石 玄
世間/安川登紀子
(一)
そんなに
キョトキョト
するんじゃない
自分が恐い人間だから
まわりが皆
敵だなんて
(二)
極端に生きなければ
認められない
だから
真剣に
付き合えば
付き合う程
「私を馬鹿にしているんですか」
と
ひとの言う
(一)(二)とも「自分」から見た「世間」を云っているわけですが、逆に「世間」から見られている「自分」をも考えさせられます。人間は社会的な動物ですから、どうしても「世間」との関係を断ち切れません。それだからこそ人間らしいと云えるのかもしれませんね。そんなことを感じさせられた作品です。
○詩誌『詩区 かつしか』106号 |
2008.6.20 東京都葛飾区 池澤秀和氏連絡先 非売品 |
<目次>
海容/小林徳明 デモ/小林徳明
だましのビタミン/しま・ようこ 五霞(十六)−九条の会ごか−/みゆき杏子
青い鳥/工藤憲治 ロックンロールでグッドバイ/工藤憲治
ポーラ美術館にて/内藤セツコ 第五福竜丸・二〇〇八/石川逸子
耳鳴りの奥から/池沢京子 石/森村孝吉
風圧/池澤秀和 川辺のスケッチ/青山晴江
パレスチナの鍵/青山晴江 人間108
ケロイド(6)/まつだひでお
人間109
癌の妻/まつだひでお 刀/小川哲史
わかれ/小川哲史
海容/小林徳明
海と我が家との中間に
巨大マンションが建ち
海が
すっかり
見えなくなった
のどかな
眠くなるような
春の海
鮮やかに
冴えわたる
秋の海
四季折々
海を見て
暮らして来た
沖待ちの貨物船も
行きかう
ヨッ卜も
もう
見えない
今では
海風が吹く時に
海の匂いを
感じるだけ
残念だが
これも
時代の流れと
私は
受け容れている
この作品はタイトルが全てと云っても過言ではないでしょう。若い人はあまり使わないかもしれませんが、私はよく使います。ご容赦ください≠フ代わりにご海容ください≠ネどと使うのですが、意味は<海のような広く大きな心で、人の罪やあやまちを許すこと>です。
作品では「海と我が家との中間に/巨大マンションが建ち/海が/すっかり/見えなくなっ」て、「残念だが/これも/時代の流れと」「受け容れている」わけです。森や山が見えなくなったのではなく、「海が/すっかり/見えなくなった」から成り立つタイトルで、作者の言語感覚も素晴らしいですね。
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