きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.4.25 柿田川




2008.6.16(月)


  その1

 午前中は父親の通院の付き添いで実家から病院へ行って、そのあとは印刷所に向かいました。日本詩人クラブの7月研究会・例会の案内状で出来上がって、それを受け取りに行きました。発送は今度の土曜日の予定です。
 それで午前中は終わってしまい、午後からはいただいた本を読んで過ごしました。



浜田知章氏詩集『海のスフィンクス』
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2008.5.30 東京都板橋区 コールサック社刊 2000円+税

<目次>
 第T章 海の墓
海のスフィンクス 8            ヒロシマから鷺宮まで 14
「町医者」三題 22              かぎろいの 日々 38
拉致 42                  真贋 48
「アメリカン・バイオレンス」 52       滞留記 58
海の墓 62                 いちまいの「赤イ カミ」 68
 第U章 戦場の臭い
戦場の臭い 76               営門を出て 80
嫌悪感 82                 センチメンタルな古いふるいバラード 86
夢殿の救世観音 90             雪が……。 92
沈黙の時のながれの中で 98         「エントツ男」の話 100
昔日懐古録 104               決断の丘 108
佐久間ダムで 110              むかしも今も 114
人間であること 118             日本の哲学者について 120
美しい笑い顔 124
 跋文にかえて 大崎二郎 126



 海のスフィンクス

歌集「踟
(ちちゅう)」を
出版した茨木在のK・Oと
戦中派同士の好
(よし)みか
予科練から帰還後、病死した弟と思う日もあった
「踟

彼によれば、海軍用語でランデブーという
K・Oが海軍兵学校の制服を着たのは
昭和19年10月広島・呉だというから
入学式かで航空母艦「雲龍」を見て
その壮大さに磐石の重さ、雲のようにひろがった感動に涙したことだろう
海軍将校のスマートさは
神戸元町通りでみた
その晩の夢で、
短剣を吊った俺自身を見たのだが、お笑い草だ、
戦艦も航空母艦も見たこともなく
実物に接見したことも
生れてから一度も俺にはないのだ
一度たりとも。

 砲身に長き藻靡き樓折れて横たわる長門
 魚数多棲まわず
 海底の戦艦大和の「御紋章」をまざまざと
 映す少し青ずめり       (『踟
』)

テレビを俺もみたが
戦艦大和が藻屑、鋼鉄の断片の無残さ
泥の乱舞が静まると
鉄屑が藻のように揺れ
御紋章が口の泡のように見えたが、
さだかでない。
僅かに
駆潜艇2隻に護衛され
夜のオホーツク海をヂグザク
さまよっていたのだ……

遠い遠い
エジプト・クレオパトラ王宮跡から
スフィンクス像二体が発見された
1997年10月フランス・エジプトチームの発表、写真も同時に、
アレクサンドリア港でのことである。
二千年前
の古く遠い世の人間のドラマが
あざやかによみがえり
厚いベールを剥
()いで現前性を持ったのだ。
調査発掘に秀
()い出ている
日本考古学のチームは
太平洋で撃沈された
無数の艦船を把握し、曳き揚げているか
忘れッぽいこの国の習性
突出した戦病死の若もの
の中の
ひとりの息子の死
に号泣した
一人の母が
真命
(まいのち)のかぎり
祈っていたことを君は知っているね、その
つよい思いを
人魂のような、と
藻のゆらぎに見ないで
壮大な沈黙の海底に

若もののスフィンクスをつくろう
若ものの兵馬俑をつくろう

 今年5月16日に88歳で亡くなった浜田知章さんの第10詩集です。ペンが持てなくなり、口述筆記の作品も含まれている壮絶な詩集と云えましょう。ここではタイトルポエムでもある巻頭作品を紹介してみました。自身の戦中体験と「長門」、「戦艦大和」と「スフィンクス」を絡ませた秀作だと思います。最終連の2行もよく効いている作品と云えましょう。
 なお、「踟
」の「」は足偏に厨です。JISコードでは表現できないのでこのようにしてあります。また、第4連9行目「剥」は本字となっていますが略字を使用し、同じく13行目の「曳き揚げているか」は「曳き揚げているが」かもしれませんがママとしてあります。合わせてご了承ください。



○季刊・詩の雑誌『鮫』114号
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2008.6.10 東京都千代田区 鮫の会発行
500円

<目次>
鮫の座 いわたにあきら−表紙裏
[作品]
作文練習(U) 芳賀章内−2         かくれんぼ 芳賀稔幸−5
獅子の嘆き 松浦成友−6          裏声で唄え“春の夕暮” 飯島研一−8
狐付き 岸本マチ子−10
[特集・高橋次夫詩集『雪一尺』]
独り、背骨を立て続ける詩人 禿慶子−12   支えを拒否した男の孤独と流離 清水榮一−14
闇に吃立するもの 原田麗子−16
[作品]
もしもの話 瓜生幸三郎−18         移動するビル 井崎外枝子−20
ぼくは ぼくの時間を冬の夜明けにしてしまった いわたにあきら−23
[詩書紹介]
葛原りょう・詩集『魂の場所』 高橋次夫−26 石村柳三・詩集『晩秋雨』芳賀章内−26
藤井貞和『言葉と戦争』 原田道子−26
[謝肉祭]
遊びたい・む 前田美智子−28        随想−たはれの詞あり 芳賀章内−29
[作品]
帰郷 原田麗子−30             ゆめスクリーン 前田美智子−35
ウォー・シュライン 仁科龍−35       かろやかに 高橋次夫−37
森ノニホヒ 原田道子−39          詩を書くことは野蛮か 大河原巌−41
[詩誌探訪] 原田道子−43
編集後記  表紙・馬面俊之



 かくれんぼ/芳賀稔幸

食べ残すとわたしが叱るので
ヘルパーさんの言うことを素直に聞いた代わりに
冷蔵庫をいっぱいにさせてから
隠れるように
いなくなった
掃除機で吸い込めなかったほど
どうしてもわたしのことが心配で心配でならなかったらしい
片付けたはずの所をころがっていく
最後の最後まで、心配してもらったあかしだ
舞い上がっては逃げるので
追いかけるが
軽々と、かわされた
消えてゆこうとする畳の上に
息を吹き戻して

 詩作品ですから現実と切り離して読んで構わないと思いますが、「ヘルパーさん」が出てくることから母上、「隠れるように/いなくなった」というフレーズから、亡くなったのではないかと読み取れます。「わたし」の淡々と現実を受け止める姿が見えますけど、「最後の最後まで、心配してもらったあかしだ」や「消えてゆこうとする畳の上に/息を吹き戻して」などのフレーズからは抑えきれないものが湧き出ているように思います。タイトルがよく効いている作品だと思いました。



隔月刊詩誌『石の森』145号
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2008.6.1 大阪府交野市    非売品
金堀則夫氏方・交野が原ポエムKの会発行

<目次>
型抜きクッキー/石晴香 1        嵐のまえに/石晴香 2
ストロボ/石晴香 2           なぞる/夏山なおみ 3
自/佐藤 梓 4              クエーサー/西岡彩乃 5
創造者/西岡彩乃 5            《石の声》 夏山なおみ 6
幕間/大薮直美 7             波と山/大薮直美 7
BOKU−mate/山田春香 8      乾/金堀則夫 9
《交野が原通信》第二六〇号 金堀記 10   第31回『交野が原賞』詩作品募集 10
あとがき 美濃



 型抜きクッキー/石晴香

星型にも
ハート型にもなりましょう
あなたがそれを望むなら
こんがり焼けたとこを
どうぞ召し上がって
下さいな

型のはじめは
人間の手によって
作られた
星もハートも最初は
この世になかったもの

でも
みんながそれを素敵だとか
可愛いと言い出した
あっと言う間に
同じ型だらけ

一つ一つの
不格好なカタチは
忘れられてしまった

型から少しはみ出していた私
入りきると自分がなくなるみたいで
嫌だから
でも
あなたは入ることを
私にすすめたいなら
いくらでもなってあげる
すっぽり入ってあげる

でも
たくさんの同じ型が
転がっている中で
あなたは私のこと
見つけられるかしら?

 今号の巻頭詩です。男というものは相手の女性を何らかの「型」は「入ることを」「すすめたい」ものなのかもしれません。恋人らしく主婦らしく、そして母親らしく…。そこを上手に「いくらでもなってあげる/すっぽり入ってあげる」と引き下がっているように見せた作品ですが、最終連がいいですね。「あなたは私のこと/見つけられるかしら?」と問われて答えられる男は意外に少ないかもしれないなと考えさせられました。



   
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