きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.4.25 柿田川




2008.6.16(月)


  その2



○アンソロジー『山梨の詩』2007
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2008.4.30 山梨県甲斐市      1000円+税
安藤一宏氏方事務局・山梨県詩人会編・古屋久昭氏発行

<目次>
『山梨の詩2007』発刊に当たって 古屋久昭…1
会員の詩
病める指 曾津 皖…6           秋の潮どき 青井 茫…8
舎密 秋山捨雄…10             愛しき日々・ひぐらし 浅木 萌…12
お陰・母のうたごころ-誕生日に-穴水公一…14 「大安」 荒井初枝…16
トイレの場合 安藤一宏…18         語る 9 辞書を引く いいだかずひこ…20
区切り・ひとり遊び 井関真由美…22     魔女たちの戦い 井上 隆…24
秋風が・秋果 遠藤静江…26         渡る風のように 大原 渉…28
失踪 長田好輝…30             万年筆 小沢邦子…32
暗い夜に 小沢啓子…34           紫陽花 小野 卓…36
待つ・雷 小俣みよ子…38          歩く・鬼灯 柿沼美智子…40
傘寿記念同級会 笠井忠文…42        傲慢 橘田活子…44
ぷりん・かあさん 椚原好子…46       醗酵 窪田サエ…48
地球のいまの こまつ かん…50       薪ストーブ 桜井 節…52
セミ一族 澤フジ子…54           甲南野球部によせて 志村 宗…56
棚・かくれんぼ せきぐちさちえ…58     文学館まえで 返田 満…60
青嵐の夜 竹居正穂…62           雲 内藤 進…64
初秋の雲 中川和江…66           骨の帰還 濃野初美…68
天意・愛の形 花里鬼童…70         鼻唄 古屋久昭…72
九条讃歌 前島正吾…74           麦わら帽子 まき の のぶ…76
春愁・鏡 丸山 環…78           かえり道 三井美代子…80
身辺感懐 W 宮川逸雄…82         光と共に 目黒容子…84
尾瀬・カナダからの手紙 横打みえ子…86   二人の空 わたなべ政之助…88
賛助会員作品
(エッセイ)「信玄さんとおみゆきさん」のふるさと 中村吾郎…92
(エッセイ)自然と歴史のふるさと 向田若子…94
(詩)あらう手 岡島弘子…96         (詩)朱夏 佐野千穂子…98
(詩)シチリアの崖の上で 中川 敏…100   (詩)猫で 犬の庄左−信玄史外伝− 中村吾郎…102
(詩)春の雪 向田若子…104         (詩)静かな夕ベ・旅 安永圭子…106

山梨の詩集・詩誌・詩団体活動年表 古屋久昭…110
平成19年 山梨県詩人会名簿…124
編集後記…127               (表紙 いいだかずひこ)



 トイレの場合/安藤一宏

「トイレ」は
「はばかり」と呼ばれる
人目をはばかって用を足すので
まさにその通り

別称に「便所」がある
字の通り 便利なところ
仏教でもそう呼んでいたのです

昔の言葉に
「雪隠
(せっちん)」がある
「せっちん」と打ち込むと
「雪隠」に自動変換される

中国霊隠寺
(れいいんじ)の雪套(せっとう)和尚
トイレ掃除の好きなお坊さん
それからトイレを「雪隠」と呼ぶ
本当です・・・

「かわや」

川の中に突き出したトイレ
合理的なトイレ

用足しした汚物は
川を流れてしまうので
自分の居場所は
綺麗なままだし臭くないし・・・

下流はどうであれ
自分だけは良いというスタンス
中国人のもう一つの顔

WC ダブルシー
Water Closet・・・水洗便所
由来は分かりません
(ワールドカップもWCだよ)

東司(とうす)
禅寺の東側のトイレ
ちなみに
北側を「雪隠」
南側を「登司」
西側を「西浄」と呼ぶ
禅宗のなんと素晴らしい表現

ところで 昔
十二単を着た女性の
「用足し」は
どうしたのだろう

使いの者が周りを固め
着物を持ち上げて
立ったまま用足した
想像するだけで面白いが・・・

太宰治は彼の小説の中で
やはり立っておしっこをする
貴族の女性を描いた
勿論当時の女性は
パンツははいていなかった・・・らしい
興味深かったのだろうか
太宰も

 隔年の予定だったアンソロジーも毎年出すことになっそうで、その2号目です。2005年に再スタートを切った山梨県詩人会の勢いを感じさせる『山梨の詩』2007です。その勢いの最たるものが古屋久昭会長による「山梨の詩集・詩誌・詩団体活動年表」でしょう。1916(大正5)年から2007年までの、実に91年に渡る年表です。まだ未定稿と断りはあるものの13頁もの年表は山梨詩壇始まって以来の労作ではないかと思います。

 今号の作品は理事長・安藤一宏氏の作品「トイレの場合」を紹介してみました。毎日お世話になっているトイレですが、なかなか詩作品にはできないものです。すぐに思い出せるのは濱口國雄の名作「便所掃除」ぐらいでしょうか。
 この作品では第7連の「下流はどうであれ/自分だけは良いというスタンス」というフレーズに瞠目しました。なるほど、そうも考えられるのですね。第9連の「東司」は、拙宅の近くの禅寺にもその文字があり、何かなと思っていましたので教えられました。東のみならず西南北にも固有の名詞があることも初めて知りました。楽しく拝読しながらも教えられることの多い作品でした。



『山梨県詩人会会報』4号
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2008.5.20 山梨県甲斐市
安藤一宏氏方・山梨県詩人会事務局発行 非売品

<目次>
2007年山梨の詩祭 1            軽井沢文学散歩 1
「山梨の詩2006」合評会開催 2        2008山梨県詩人会新春の集い 2
本の散歩道 2               会員の受賞 2
会員の著書/出版 3            国民文化祭開催内定 3
会員の作品が掲載! 3           事務局・編集室に届いた詩誌等 3
「あゆか」が自作詩朗読会を開催 3      会員消息 4
県立文学館情報 4             『山梨の詩2007』発刊なる!!
会員募集 4



 今号では山梨県詩界のこの1年をコンパクトにまとめられていましたが、県外の者として興味を引いたのは「国民文化祭開催内定」という記事です。まだ内定ですから決定ではありませんけど、2013(平成25)年の国民文化祭が山梨県になるとのことでした。とうぜん詩の分野、特に山梨県詩人会の果たす役割は大きくなるでしょう。日本詩人クラブも国民文化祭に協力していますので、それなりの役割が回ってくることと思います。みんなで盛り上げていきたいものですね。



詩誌『堅香子』3号
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2008.6.15 岩手県岩手郡滝沢村
吉野重雄氏方・「堅香子」の会発行 800円

<目次>

上斗米隆夫 小さな葬列 2         朝倉 宏哉 初恋 4
かしわばらくみこ 窓越しの写真 6     長尾  登 治らぬ病い 9
長尾  登 とある疑念 11         藤野なほ子 峠 13
八重樫 哲 樺山 16            松崎みき子 渚まで 18
松崎みき子 西日 20            松崎みき子 ふたり 22
澤田 鎮子 竹取物語考 23         金野 清人 庭の蛙 26
金野 清人 カダッケァの里 28       藤森 重紀 かたかご 30
渡邊 眞吾 追信 堅香子の花 33
エッセイ〈詩とその原風景〉
斉藤駿一郎 私の詩の原風景 36       糠塚  玲 幼い日の記憶 38

千葉 祐子 ドア 40            千葉 祐子 充ちる 42
佐藤 康二 夏茶碗 44           佐藤 康二 雨は緑に 45
佐藤 康二 祭りの夜は 46         黒川  純 原っぱの神さま 47
佐々木光子 電子音 50           佐々木光子 惑い 52
永田  豊 Kの肖像 54          森  三紗 豆柿 57
斎藤 彰吾 鬼さんのうた 59        糠塚  玲 白い舟 61
斉藤駿一郎 四月の奔馬 64         斉藤駿一郎 帰る・・・ 66
大村 孝子 白鳥がクークー鳴きながら 68  吉野 重雄 お節介やき 71
吉野 重雄 セピア色の記憶 73

寄せ書き 75                伝言板〈かたかご・らんど〉 79
読者からのお便り 80            受贈詩誌の紹介 81
紙上合評会 82               編集後記 84
同人名簿  85
表紙題字・岩手墨滴会会長 阿部宏行     装丁・田村晴樹



 セピア色の記憶/吉野重雄

東京市 杉並区 井萩三丁目
満開の桜並木の下で
得意げに三輪車に跨る姉の横に
ゆで卵を握って立つ僕の写真
疎開して岩手に帰る前に
記念に父が撮ったものだ
あの三輪車は
僕のものになるはずだった

のんのんと雪が降る年の暮れ
橇で運ばれて来た米俵が
どーんと土間に積まれる
今年で終わりだなぁ
言い残して小作人は帰って行った
来春からは
自力で耕作できない地主の父は
田んぼを手放さなければならない
連合軍総司令部・GHQ
農地改革・農地解放などという
厳しく容赦のない言葉を知って
僕は
新制中学に入った

黒沢尻の女学校を終えた姉は
一人で東京に出て行った
貧乏学生の姉は
アルバイトに勉強の無理が崇って
胸を病んで入院した
病院の費用と
東京までの汽車賃の工面で
父と母は
三日三晩
暗い顔をして相談していた

セピア色になった記憶を
姉と僕は いま
何度もメールして確かめ合っている

 「農地改革・農地解放」という言葉を久しく聞かなくなったと思いましたが、あれから60年も経ちますから、忘れていて当然なのかもしれません。私は「連合軍総司令部・GHQ」を体験していない世代ですので、このような作品は歴史的にも大事にしなければならないものだろうと感じます。この詩は最終連がよく効いていると思いました。幾多の苦労を乗り越えて「いま/何度もメールして確かめ合っている」「姉と僕」に思わず拍手を送りたくなった作品です。



   
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