きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.4.25 柿田川




2008.6.18(水)


 特に予定のない日。いただいた本を読んで過ごしました。



○弘井正氏詩集無意識の線塊は朝日のごとく
立ち上がり、夕陽のように詩に沈む
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2008.6.13 高知県高知市 ふたば工房刊 1500円+税

<目次> 詩・弘井正×絵・前田建彦
春…6                   さよならと信仰…8
言葉と細胞…10               男と女…12
信頼…14                  井の中の蛙…16
雲消し…18                 届いている…20
僕らの未来は終わりました…24        おじいちゃんの位置…26
あかごの荷…28               パパさん…30
おばあちゃんの死…32            崇拝…35
まる まわる…36              自由…38
姿勢…40                  傷…42
顔…44                   祈りの温度…46
幼年時代の創造…48             表と裏T…51
表と裏U…52
あとがき…56



 僕らの未来は終わりました

「僕らの未来は終わりました」というバーで「海の底では新しい命が上陸をね
らっています」という日本酒を飲んでいる。そうか洋酒は手に入らなくなるの
だと、なじみの「海に散る命は天に咲くら」ちゃんと二酸化炭素排出規制につ
いて話していたら、言葉がブクブクの泡になって消えていく。

あはははとわらっていたら
目がさめた

死んでいた

 2冊目の詩集のようですが、ほとんどの頁に線画が添えられていて、詩画集と呼んでもおかしくない詩集です。詩集タイトルのキーワード「
線塊」はそこから来ているのでしょう。表紙のような佳い絵です。
 紹介した詩は「日本酒」の名前、「洋酒」の名前、そして「なじみ」の(おそらく女性の)のネーミングが良いですね。最終連にたった1行置かれた「死んでいた」というフレーズは「僕」のことだと思いますが、意表を突かれました。おそらく若い人なんでしょう。自由な柔らかい感覚が楽しめた詩集です。



詩誌SPACE80号
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2008.7.1 高知県高知市
大家氏方・SPACEの会発行 非売品

<目次>

坂のある町で/中上哲夫 2         初春/舒ティン・内田紀久子訳 4
日々/内田紀久子 6            夜逃げと完全燃焼/利岡正人 7
曼珠沙華の夜/ヤマモトリツコ 12      カエルを/中口秀樹 14
老人は荒海をめざす/安田藤次郎 17     カタフリ日記/中原繁博 18
おまえにはっきり言ってやる/弘井 正 20  砂浜(三)/指田 一 22
『人間蘇生プロジェクト』/南原充士 24   火をつける/葛原りょう 28
前を振り向くことよりも/葛原りょう 30
 §
櫻の森/秋田律子 48            白雪姫/秋田律子 50
記号として−女と男−/秋田律子 53     カード/秋田律子 55
ハンガー/山川久三 58           残響/かわじまさよ 60
ヒロエニムス・ボッシュのいる街/近澤有孝 62 映画的ポエム抄(1)ニュースをズボンのように脱ぐ/豊原清明 64
青い炎リュンガーへ捧ぐ/あきかわ真夕 66  此の世の久客/さかいたもつ 72
回り燈籠の絵のように/澤田智恵 74     雨の日の幻想/山下千恵子 80
ほら/大家正志 81             望郷/萱野笛子 84

俳句 秋田律子 46
詩記 山崎詩織 43
エッセイ 記憶の稜線/山沖素子 32
リレーシナリオ 『SPACE・泣き声あげる』大家正志 34・38 豊原清明 36・40
評論 
連載XV『<個我意識と詩>の様相』〜日本人の自我意識と詩(13)〜 三好達治と西脇順三郎/内田収省 86
編集後記・大家 108
表紙写真 無題(制作・指田一)2007年 自転車部品、枝、着物地、桧 ほか 60×130×45



 日々/内田紀久子

物事の九十パーセントはとるに足らないどうでもよいことである
このたった一行を知るために
私はずいぶんと生きてきたものだ
    *
「もう老人の知恵などは聞きたくない。むしろ
 老人の愚行が聞きたい」
英国の詩人T・S・エリオットの言葉だ

いま私は私の愚さを見ているのが楽しい
下らないことをしている自分が愛おしい
    *
カラスがパンをくわえて
うれしそうに飛んでゆき
屋根にほっと止まった

こんななにげないことがひどくまぶしい
この世の見納めのように見つめている

 「物事の九十パーセントはとるに足らないどうでもよいことである」というのは、言われてみるとその通りかもしれませんね。特に私などは大事なものは後回しにして「とるに足らないどうでもよい」ものを大事に大事にしてきたように思います。そこを気づかされました。「T・S・エリオットの言葉」もおもしろく、これなら負けないゾと思いました(^^; 最終連もよく効いています。「老人」の域に片足を突っ込みはじめたらしい昨今、身に沁みるフレーズです。



個人詩誌PoToRi10号
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2008.6.15 和歌山県岩出市
ランニング社・武西良和氏発行 300円

<目次>
特集=働く=について 1
詩作品
ワイパー 2     後かたづけ 3    掃除とボール 4
草刈り機 5     蜘蛛の巣 6     泥田 7
繭のなか 8     藁縄 9       農夫 10
犬の手術 11     耳 12        カーナビ 13
ポトリの本棚 14   受贈詩集・詩誌等 15



 掃除とボール

掃除の時間
運動場にはボールが転がっている
それは遊びの
切れ端

掃除していた子が三人
ほうきを置いてボールを拾いに
走る
拾い上げたボールを
体育倉庫にボールをついていく
時折
両手からこぼれて
転がるボール

ベランダや玄関を
掃除している子どもたちは
その様子を
うらやましく見ている
ほうきの
子どもたちは
チラチラするうらやましさを
掃き集めている

 学校での掃除の時間のことなのでしょう。掃除をするよりは「体育倉庫にボールをついて」持って行くほうがよっぽど楽しいという雰囲気が「うらやましく見ている」というフレーズに出ていると思います。それを「チラチラするうらやましさを/掃き集めている」とした最終連が見事です。小学校でのことなのでしょうが、小学生たちの生き生きした姿が浮かんでくる佳品だと思いました。



   
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