きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.4.25 柿田川




2008.6.19(木)


 午前中は父親の通院付き添い。午後からはいただいた本を読んで過ごしました。



佐久間郁子氏エッセイ集
『パンのおミミ』
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2006.9 東京都杉並区 私家版 非売品

<目次>
本の虫
本の虫…1      雛の日に…3     手旗の練習…3
奇禍…10       大人になる日…12   一眼二足…15
赤チンのハンコ…19  李香蘭になりたい…22 柿…25
オイナリサン…28   父の願い…31
パンのおミミ
パンのおミミ…37   シニンセイとオスケカン…40
可愛そうな欅…42   カラマンジュウ…45  茱萸の実…47
前途多難…50     我が家の最長老…53  トト脱出…55
トトとの暮らし…57  甘橿の丘で…60    白内障…63
流し目指南…66    虫の居所 一…69   虫の居所 二…73
あとがき…76
表紙・「見つめ合う、遠い日の私と今の私」 石原真澄



 李香蘭になりたい

 太平洋戦争前の我が家の夜は、ラジオを聞きながら、父は新聞や本を読むか書類のような物を見ていた。母は編み物をしたり繕い物をし、私は本を読んでいた。北京では近所隣りが中国人の家なので夕涼みや立ち話、おかずのお裾分けというような近所付き合いはない。母が日本人とお付き合いをするには、父の勤めている会社の社宅に行くか、わざわざ人力車を呼んで友人の家へ遊びに行くか、何かの会に入るしかなかった。父は勤めに行けば日本人ばかりだが、母は一人ぽつんと家で洋裁などしていた。私が小学校へ行くようになると、羽仁もと子さん主催の友の会に入会して、二週間に一度出掛けていき、帰宅すると嬉々として新しい料理やお菓子を作ってくれた。

 母が編み物をしながら小声で歌うと、私や父がそれに合わせて歌った。父は興にのると「流浪の民」を歌う。(汝し故郷を放たれて)と歌う所を、わざと(郁子は今日は鼻たれて)とふざけて歌う。私は(なでしこのような子も今日は寒いから鼻をたらしている)と思っていた。両親は「女心の歌」を歌っては、心が変わるのは女の方だとか、いや男心だとかつまらない事を論争していた。母と二人きりの時は、「故郷を離るる歌」や「朧月夜」などを私がソプラノ、母がアルトで二重唱をした。「ソルベーグ・ソング」や「野バラ」「ドリーゴのセレナーデ」「浜辺の歌」などは母が歌うのを聞いて覚えた。父の愛唱歌は「故郷の廢家」だった。
 母が「この道」を歌うのを聞いた時に、私は大連(中国東北部)の歌だと思った。「アカシアの花が咲いてる」大連、「御母様と馬車で行ったよ」。

 母と私は母方の祖父母が住んでいる大連で夏休みを過ごす。北京から汽車で伯父の家がある天津に行き、そこから船で一泊二日、大連の埠頭に着く。街には市電もタクシーもあるのだが、私は母にせがんで必ず馬車に乗った。中国人の駁者も車体も埃臭く、馬は獣の特有の匂いがするので母は嫌がったが、私は馬のひずめの音と、幌を架けない座席からあちこち眺めるのが好きだった。大連州庁の建物には、時計台もあった。
 大連の往復には、天津から船を利用する。天津にはその時の都合で伯父の(母の兄)の家に一泊か二泊するのが慣例だった。伯父の所には従姉妹が三人いて、一番上が私より半歳年下で、四歳まで北京で一緒に育ったので「アズチャン」「イチュチュ」と呼び合って遊び仲間だ。他の二人はまだチビで相手にならない。

 私が二年生の夏休みに天津で産業博覧会があり、伯父と母とアズチャンと観にいった。野外劇場で大スターの李香蘭のショウが催されていた。ショウなどは普段は子どもが観るる物ではないとされていた。野外なので大勢の人の後から、初めて李香蘭を観た。ラジオではたびたび聞いていた。本物の李香蘭は目にも眩いチャイナドレスを着て手には大きな羽根扇子を持って歌った。
 私はその姿と声にすっかり魅了された。それからずっと夢見心地で過ごした。
 大連に行って祖父母の前で、母の扇子を持って「支那の夜」や「夜来香」を歌ってみせた。いつもなら子供が流行歌など歌ってはいけないと叱る祖父たちも目を細めて聞いてくれた。おおいに得意になり、北京に帰ってから父の前でも歌った。
 「私、大きくなったら李香蘭になるの」
 「あんたはリコウランにはなれないよ。バカランですよ」
父のこの一言で全てが終わった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 詩人である著者初のエッセイ集ですが、戦争前に大連に生まれて北京で育った幼少の記憶に優れた作品が多くありました。植民地時代の記録としても貴重なものでしょう。
 紹介したのは北京時代の小学生の頃を回想したもので、和やかな家族が生き生きと描かれています。特に父上の描写が良いですね。「放たれて」を「鼻たれて」に読み変えてしまうセンス、「リコウラン」を「バカラン」に置き換えるところなどは言葉に敏感な人なのだなという印象を持ちました。最後の締めも良く、楽しませてもらったエッセイ集です。
 なお、原文は40字改行となっていましたが、パソコンのどのサイズの画面での見やすいようにベタとし、同様の理由で適宜空白行を入れてあります。合わせてご了承ください。



詩誌『仙人掌』15号
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2008.6.15 名古屋市中区
中村登氏代表・「仙人掌の会」発行 非売品

<目次>
つばめのくる頃・孫の入学/伊藤早苗 2   指紋・六月の花/近藤起久子 6
友を送る・春日遅し/島田順一 10      五月に寄せて/藤崎 綾 14
たそがれ・呼子鳥/峰岸英子 18       すぷーんと反抗期/吉澤友絵 22
黒い鳥の歌/若見政宏 26          鉄道旅行するなら・秋色の深いある日/渡辺慶子 30
詩をつくる授業の詳細記/渡辺正也 34

後記 38
会員名簿
●表紙〈絵・題字〉小酒井久子



 指紋/近藤起久子

封を閉じようとしたら
セロテープに指紋がついてしまった

もういちどテープを切る
気をつけても また指紋

こんなところに残ったスタンプ
わたしのスタンプ

渦巻き
切り株

自分の指先に
海のもの
山のものに
似たものがある

     ○

「拒否をしたら、国外退去になりますよ」
と言われ
悔しい思いで両手の人差し指を
機械にかざした

と、王くんの記事

     ○

納品に行くと
領収証には拇印でいいです、と言っていたお店
先月からは
三文判でもいいですから
とのことで少し残念

印肉を触るとき
ねっとりした朱肉に指先が沈むとき

ちょっと動物的になる

サインより はんこより
拇印が好き

だれもまねできない
どこにも売っていない
わたしのスタンプ

     ○

王くんが人差し指でスタンプしたのは
「罪を犯しました」
という仮領収証

サインでも はんこでもなく
じぶんのからだにある
海を山を
動物的な指先を
ねじふせられて
押したスタンプ

 「サインより はんこより/拇印が好き」という人には何ということはない「指紋」ですが、在日外国人にとっては「『罪を犯しました』/という仮領収証」になる、という大きな問題を表出させた作品だと思います。「わたし」にとっては「ちょっと動物的になる」程度のことでも「王くん」たちには「ねじふせられて/押したスタンプ」だという認識も見逃すことはできないでしょう。やさしい語り口ですが、その意味するところは深く、考えさせられる作品だと思いました。



詩誌『シーラカンス』創刊号
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2008.5.30 茨城県土浦市
戸浦幸氏方・茨城詩壇研究会発行 非売品

<目次>
*作品*
シーラカンス/戸浦 幸 2         童のように/黒羽翔子 4
風の中に/石原知枝 6           童謡詩人へ・百合/鴨志田美津子 8
春・若草色/清野正子 10          仮面/紺野喜美子 12
運動と思考/大畠大作 14          拘り/福富眞澄 16
さくらは群れて咲く花だ/川澄敬子 18    靴ひも/大久保まり子 20
あの八月/片岡美沙保 24          真夜中バス・香典返し・金魚ばちに泳がされる/渡邉由記 26
逆光線・花は乱れる/谷垣恵美子 28     青い鳥/粟屋トク 30
おばあちゃん/大金経昇 32         覚悟/茂木伴美 34
三世代の絆/青柳芳子 36          タンポポ/斎藤れい子 38
プラネタリウム/石橋 充 40        マミ/岩間喜義 42
孔雀/山中和江 44
*エッセイ*
柳田国男−その詩心のありか/戸浦 幸 22  「校歌」について思うことそしてちょっぴり「君が代」/岩間喜義 46
*挿画* 武子 泉



 シーラカンス/戸浦 幸

白亜紀層の海岸をひとりで歩いた
きょうも私は
街で
顔の歪んだ女や
声を無くした男たちを見たのだ
綯われてゆく悲哀に
ひなたに咲く浜アザミの花も
摘む気になれない

偏西風がひとしきり砂塵を巻き上げた
岩陰に一群れの
花があえいでいた
追憶の頁をめくる
トモシリソウ リュウキュウコケリンドウ レブンソウ………
加速する赤の点滅
逆巻く髪
身体が分裂しマントルめざし疾走する

地の底に辿り着くと
魚の影が見えた
シーラカンス
その血に染まった魚の眼
無言のうちに私は片眼をさしだす

仰ぎ見る空は
昼の星さえもなまめかしい
シーラカンス
私の中のなつかしい心性
炸裂せよ
言葉が化石となるまえに

 茨城新聞の「詩壇」投稿者有志による「
茨城詩壇研究会」が、発足して20回も合評会やってきたそうで、その一環として詩誌を創刊したとのことでした。ご刊行おめでとうございます。
 紹介した作品は巻頭詩で、誌名の「シーラカンス」を意識したものと思いますが、最終連の「炸裂せよ/言葉が化石となるまえに」というフレーズがよく効いています。編集後記では詩誌名「シーラカンス」は、生きた化石の謂いではあるが、それはわたしでもあり、あなたでもある≠ニありました。しかし、この詩には言葉の「化石」を感じません。生きた℃高セと云えましょう。
 今後も長く発刊されることを祈念しています。



   
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