きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.4.25 柿田川




2008.6.26(木)


 この8月に清里で開催される、芸術文化教育研究会主催ワークショップのご案内です。私は日本詩人クラブの詩書画展と重なっているため参加できませんが、芸術文化教育研究会興味のある方は申込先にご連絡の上、おでかけください。


   ワークショップ in 清里 2008
                           主宰 芸術文化教育研究会                           後援 ギャラリー譚詩舎

 夏の高原で、ひとときを芸術・文化・教育についての思索とともにすごしませんか。

 日 時 2008年8月1日(金)〜3日(日)
 会 場 ギャラリー譚詩舎 〒407-0301 山梨県北杜市高根町清里3545-1
                    090-1049-8412
 宿泊所 羽村市自然休暇村 〒407-0301 北杜市高根町清里3545-3877
                    TEL. 0551-48-4017
 参加費 23000円(1室1名ご使用の場合は別料金です)
 申込先 
cfj84000@par.odn.ne.jp またはFAX.046-253-7462(または葉書で下記研究所へ)
    (施設が繁忙期のためできるだけ6月中に申し込んでください。)

 日 程
 8月1日(金)15:00     受付
        16:00〜17:30 「李朝の徳利」(青柳恵介氏)
        18:00〜    夕食
 8月2日(土)10:00〜11:30 「詩の魅力」(豊岡史朗氏)
        12:00〜17:00  フリータイム(散策など)
               (オプション 陶芸 4000円)
        18:00〜21:00  夕食・懇親会
 8月3日(日)10:00〜11:30 「画家・堀内規次の世界」(影山恒男氏)
        12:00     解散

                   企画 芸術文化教育研究所
                   〒228-0003 座間市ひばりが丘1-70-23
                         FAX.Tel 046-253-7462
                         Mobile 090-3437-3914
                                   E-mail 
cfj84000@par.odn.ne.jp



月刊詩誌『歴程』551号
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2008.6.30 静岡県熱海市
歴程社・新藤涼子氏発行 476円+税

<目次>
第二回歴程・春の朗読フェスティバル 〜朗読詩特集〜
てのひらの風景/那珂太郎 3        散骨の場所/朝倉 勇 4
伝言/山口眞理子 5            世間の思い、重い世間/八木幹夫 6
a she-wolf/柴田恭子 7          (そしてディープフィールド)/野村喜和夫 8
はんなり/三井葉子 10           きしゃのきてき/相沢正一郎 12
三月の線/嵯峨恵子 12           指の火/北畑光男 13
糸(Forgive)/荒川純子 14         冬茜/黒岩 隆 16
羽翼の骨/関富士子 17           黒門町/粕谷栄市 18
かならず/北爪満喜 19           ま昼――藤井貞和に/鈴村和成 20
姉夜/川口晴美 21             そして船は行く/井川博年 22
くり返されるオレンジという出来事/芦田みゆき 24
旋風/浜田 優 24             虚言。あるいは、遠吠え/伊武トーマ 25
自由参加詩 繋ぐひと 新藤涼子
写真…芦田みゆき・北爪満喜



 三月の線/嵯峨恵子

あやふやな決意のまま
ウサギは走り出すだろう
まるい鼻をひくつかせ
気づく暇もない
時は私たちを待たないが
ねじれた空間の
ある地点では
時もまた逆流する場所があると
気が遠くなるほど遠く
ありがたいことに
ここからは見えない
が感じる
天使の髪の毛ほどの細い線
にそって
急がず
止らず
ひたすら進み続けることだけが
私の勤めだと
誰がささやくのだろう
記憶すら薄れた三月のはじまりの寒さの中で
何者であるかを知らず
淵かけた意味は肥大
生かしつづけ
殺しつづける
線の先にあるだろう緑の点
ために
傾き
よろめき
笑われ
嘲られても
公平な雨に濡れ
ウサギは走りだすだろう
わずかな線に導かれ
歩みだす者もいて

 今号は、3月に自由が丘の大塚文庫で行われた「第二回歴程・春の朗読フェスティバル」の朗読詩特集となっていました。テーマは「天」。紹介したのはその中の1編ですが、「天」を時間と捉えているのではないかと思われます。「ウサギ」に象徴されるものは私たち自身でしょうか。「ねじれた空間の/ある地点では/時もまた逆流する場所がある」というフレーズと「線」との関係がおもしろいと思いました。「線」はおそらく直線的な時間的な線と採ってよいかと思います。「三月」は年度末という特殊な月であると同時に「第二回歴程・春の朗読フェスティバル」の開催された月もイメージしましたけど、それは考え過ぎでしょうね。「線の先にあるだろう緑の点」も消滅点のようでおもしろいと感じました。



個人誌『犯』32号
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2008.6 さいたま市浦和区
山岡遊氏発行 非売品

<目次>
蠢く国(人という国) 02           爆破言語人体実験 06
ケの日記 11                リズム 19
あとがき 24



 ケの日記

一月一日
ケ とハレの繰り返しが始まる
ハレ のない ケは地獄である

一月七日
「夢から覚めるのではなく現実から覚めよ」といっていたのは寺山修司である。現実はひとつというか一枚岩でもない。一枚剥いでもまた現実がびっしり敷き詰められている。政治経済宗教的なものが何層も何層も。覚める事は不可能か。すべては死につつ抜けである。

二月十一日
 南北朝動乱とは、天皇家の大覚寺派(南朝)と持明院(北朝)派の権力争いに、武士が恩賞と勢力争いのために奔走するというおどろおどろしい殺し合いの様だった。南朝の後醍醐天皇は、北朝側についた北条や後に袂を分かつ足利一族との合戦に勝つ為に山賊、海賊、寺社勢力、そして囚人まで掻き集めた。楠正成も山賊の長の一人だろう。結局、南朝は破れ、北朝の南朝狩りが始まるのだが、南朝に仕えたものたちを処刑し集め隔離する過程で被差別部落が誕生してゆく。約七百年前の人間をなじっても仕方ないが、結局、天皇家が権力争いをしなければ、被差別部落は生まれていなかった。この歴史が生んだ差別という邪悪な凶器の出自も知らずに振り回しているものたちがいる、串刺しにされているものたちがいる。

二月十九日
 ボーっとした1400億円の海上自衛隊のイージス艦が、漁に出かける父と息子を乗せたマグロはえ縄漁船に乗り上げ、真っ二つに撃沈した。挙句ボーっとした海上自衛隊員たちは、ボーっとしたままやっと二時間後にボーっとしていた総理大臣に報告を上げた。国家のチームとは、ボーっとするだけでこれだけの罪を犯すのである。

三月七日
 詩をつくることによって、わたしが詩につくられる。どんな詩を書くかということは、どんな自己をつくるかということである。しょぼい詩を書くことはしょぼい自分をつくる。体裁つけた詩を作れば体裁つけた自己を作る。この頃詩ができないのはこのことを意識しすぎるせいかも知れない。時々正夢を見ることがあるので、詩が自分の未来を支配してしまうのではないかという恐怖を少し感じることがある。だから、自分が死ぬ詩は書かない。それでもひりひり痛む臀部になじられながら毎日何かを考えていたいし、追っていたい。それが競馬の順位でもよい。土日祭日にどれどれ詩でも書こうか、と腰を上げる休日詩人にはなれない。そんな安定した生活と精神は持ち合わせてはいない。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 今号では詩ではなく「ケの日記」という散文の一部を紹介してみましたが、これも充分に詩だと思います。「夢から覚めるのではなく現実から覚めよ」とう寺山修司の言葉はもとより、「南朝に仕えたものたちを処刑し集め隔離する過程で被差別部落が誕生してゆく」という指摘はそのまま日本の裏面史であり、実は日本人の叙情の根底にあるものではないかとも考えられます。「国家のチームとは、ボーっとするだけでこれだけの罪を犯すのである」という視点も卓見です。「詩をつくることによって、わたしが詩につくられる」はそのまま詩語であり、詩を書く誰もが気づいていながら言葉に表出させ得なかったものでしょう。
 なお、原文は38字改行となっていますが、パソコンのあらゆる画面での見やすさを考慮してベタとしてあります。また、一部脱字を修正してあります。合わせてご了承ください。



季刊詩誌『佃』5号
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2008.6.15 埼玉県所沢市
北野丘氏発行 非売品

<目次>
山岡遊 
Yamaoka Yu
 兆(うらかた)<詩>…2 戦前詩遊び<エッセイ>…14
  ◆
村田マチネ 
Murata Machine
 いつかあなたは(平成歌謡)<詩>…8
  ◆
北野丘 
Kitano kyu
 遡上の市<詩>…12 開裂する花、真夏の夜明け<エッセイ>…19



 遡上の市/北野丘

法と月光を 踏み分けて
岩と星 
(けもの)たちの市に
人買いはやってくる
クローバーの群落ごとに
あるいは、はやの背に揺られ
誰もまだ触れぬ児は
もぐらの仔らの上にいびきかく

木を組んで人買いは、櫓のてっぺんで
ごろり一晩中、酒をのんだり
手で頭を掻いたりしている
あたたかい海霧
(ガス)の匂いをかいだり
貨物列車のコンテナがガタン
タタン、遠ざかる音を聴いたりしている
ここへくると、男は心がやすらぐ
あの児らも、大きくなれば人買いになると思うと

人買いは、こうして
人買いを増やしていこうと眠った
とつとつと
ほら、やわらかい足が集まってくる
森からお母さんが集まってくる

貨物列車が着く町で、サイレンが鳴り
町の犬どもが次々に喉を天に向けると
一人の男が、むくりと起きあがり
森から、七寸五分
開いた舞扇のように走ってくる

 ここでの「人買い」とはなんだろうな、と思います。「もぐらの仔らの上にいびきかく」、つまり土の上に眠る「誰もまだ触れぬ児」。「あの児らも、大きくなれば人買いになると思うと」「男は心がやすらぐ」のですから、人間そのものと採ってもよいのでしょう。タイトルが「遡上の市」ですから、川を遡った所にある市で「人買いは、こうして/人買いを増やしてい」くわけです。人間の経済活動そのもものように私は感じます。最終連の「森から、七寸五分/開いた舞扇のように走ってくる」という喩の解釈は難しいのですが、そのまま言葉のおもしろさとして味わってみました。



   
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