きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.5.3 前橋文学館




2008.7.2(水)


  その1

 昨日に引き続き、日本詩人クラブ「詩の学校」講義録の版下作り。その合間を縫って、いただいた本を拝読していました。詩を読むのに疲れたら講義録の散文を読んで、散文に疲れたら詩を読んで…。結局、一日中文字を追っていたことになります。本当はBGMを流して、ついでに聴いておきたい曲もこなせたら一石二鳥なんでしょうが、私の頭は音楽が聞えるとそちらだけに行ってしまうようで、活字が頭に入らなくなります。なんとも不便でしょうがないんですけど、この回路は40年も前から直っていませんので打つ手なし。一日10分でも音楽の時間!とやればいいんでしょうが、10分が10時間になってしまいます(^^; で、やっぱり活字主体の生活ですね。



詩誌『回游』30集
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2008.7.1 神奈川県相模原市
南川隆雄氏方・回游詩人会発行 非売品

<目次>
詩作品とエッセイ「私に詩が芽生えたころ」
なかまほし/「なかまほし」に誘われて 市川 つた 2
潮騒/すずらん            伊藤 冬留 4
花と人七草/風の音がしている     臼田登尾留 6
今年の桜/セーラー服を着ていた頃   大山 久子 8
午前三時/詩歌に出会ったころ     折山 正武 10
一匹の蛾によせて/私と詩       神津 歌子 12
確かなものは/「新詩人」との出会い  鈴木 珠子 14
上野のヨゼフ/茫々半世紀       多田 f三 16
私信/回想−私を詩に向かわせたもの− 富田 庸子 18
郷土/一回り上の先輩たちと弟の死   中村 節子 20
神聖な緑の聖火を/私の詩心の芽生え  牧  豊子 22
鳩/謄写版刷りの詩文集        南川 隆雄 24
カラス/ぼくが詩を感じるとき     柳原 省三 26
呼ぶ声/チセイさんのことなど     横山 宏子 28
風の吹く日/五十年日の出合い     吉原 君枝 30
無窮片々               江田 重信 32
退職                 松本秀三郎 33
◆回游表紙画あれこれ         露木 惠子 34
  露木惠子さんのご紹介       折山 正武 35
◆詩集を読む
 棹見拓史詩集『かげろうの森で』   柳原 省三 36
 加瀬 昭詩集『霊異』        南川 隆雄 37
◆受贈詩誌・詩集                 38
◆あとがき                    39
◆住所録                     40
              ◆表紙絵 露木 惠子



 一匹の蛾によせて/神津歌子

いつか古書店で求めた
古い詩の本の間から
その一匹の蛾は見つかった

まるで標本のように美しく
そこに残されていた
限りないもの

なぜか勿体なくてそのままにしておくと
秘かに灯りのともる頃
いのちをかけて飛んで来る

蛾の正体
そこにありあり見えてくるのは
死の予感

手垢のついた詩の本の間から
この一匹は見つかった
見よこの一途さを

灯りを消すと
夜はふたたび沈黙のなかへ
帰って行く

そしてひとりの詩人
ひとつの人生が
浮かび上がってくる

 今号は30号記念として各同人の詩とエッセイが載せられていました。詩を読み、エッセイを読むことで一人ひとりの詩人の内面により近づけたように思います。
 紹介した作品は「古い詩の本の間から」「一匹の蛾」が見つかり、「秘かに灯りのともる頃/いのちをかけて飛んで来」たが、「そこにありあり見えてくるのは/死の予感」であったという詩ですが、着想のおもしろさに惹かれました。最終連の「ひとりの詩人/ひとつの人生が/浮かび上がってくる」というフレーズは、蛾の「一途さ」と「手垢のついた詩の本」の著者とがダブルイメージになっていて、見事に締めたと思います。この作者のエッセイ「私と詩」も合わせて拝読し、この詩の鑑賞の一助となったことも付け加えておきます。



会報
『ヒロシマ・ナガサキを考える』
92号
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2008.8.1 東京都葛飾区 石川逸子氏編集 200円

<目次>
第五福竜丸のことを忘れない(長沼士朗)P2  詩・ロンゲラップの海(石川逸子) P17
香港からの手紙 P24            終戦前後悔悟(野際康夫) P28
詩・六月のアキバに(朴才暎) P36



 ロンゲラップの海/石川逸子

 1

一枚の写真、

車椅子に腰かけ
浜辺で 黙然と寄せてくる波をながめている
白髪の老人一人

もし振り向いたら
その目にはきっと
半世紀溜めこんできた あれこれが
夕焼けのように かあっと燃えているだろう

海の青さ 波の白さは
変わらぬまま
二度と住めなくなってしまった 島
ロンゲラップ

波の音に混じって
囲いこみ漁の どよめき が
祭りの日の さざめき が
老人だけには 聞こえているのだろうか
それとも
水爆ブラボー爆発少しまえに 不意にあらわれ
「お前たちの命は小指の先ほどのものだ」
と笑った 米兵の声が 耳元で鳴っているのか

火ぶくれし 嘔吐して 呻く 島民たちに
連行先の島で
「海水をかけて洗え」とだけ言った
米兵の声も 耳元で鳴っているのか

ビキニから百八十キロ離れた
ロンゲラップに
さらさら 雪のように降りつづけた
白い粉
死の粉ともしらず その粉を競って集め
無心に あそんでいた 子どもたち

退去命令は五十八時間後だった
おれたちは人間モルモットにされていたのだ
いや 三年後
「安全宣言」されての帰還も
その一環だったとは!

ようやく故郷の島にもどって
はしゃぎ 踊った ひとびとの姿が
昨日のことのように甦る
「なんといってもおれらのヤシガニは最高さ」

あのとき ようやく
先祖伝来の暮らしにもどれた! と安堵した
まさか 魚も ヤシの実も
死の魚 死の実に変わっていようとは!

体内にとりこんだ放射能によって
ひとびとは やがて つぎつぎ 死んでいった
老人の息子 レコジも
ジョージも 妻のミチュワも 死んでいった

一九八五年 ついに ひとびとは
ロンゲラップを脱出する
先祖伝来の暮らしを捨て 墓を捨て
思い出を捨てて

脱出先は 元無人の小さな島
植えたヤシ パンの実は育つだろうか
新しい世代は
ヤシの汁の味をしらず インスタントラーメンが朝食だ

老人は 海を見つめる
寄せてくる波を見つめる
ロンゲラップの元村長
ジョン・アンジャイン

巨大な米国家を相手に闘いつづけてきた
頼もしい島の かしら も
八十一歳
写真に写る背中は 痩せてみえる

 2

海に向う老人を
カメラにおさめたのは
大石又七
同じく 水爆ブラボーのヒバクシャだ

二十歳の大石が乗った 第五福竜丸は
一九五四年三月一日 マグロ取りの操業中
突如 真っ赤に染まった海にかこまれ
巨大なキノコ雲が西から立ち上がるのを見た

二時間後には
白いみぞれのようなものが どっと降る
風とともに 雨に混じって
ざんざんと 吹きつけて止まない
デッキの上に積もり
頭に 耳に、鼻に 口に
下着のうちがわにまで 入りこみ
ジャリジャリと刺さって 痛い
「なんだ これは?」舐めるものもいる

その日 めまい 頭痛 吐き気に おそわれたのを
だれもだまっていた
海の男は辛抱強い
少々のことで弱音がはけようか

二日目 あちこちが火傷したように
ふくらみ 中に水が溜まる
皮がむけたところが塩水にあたると
痛い

一週間目
だれもかれも 髪の毛が抜けだす
引っ張っただけで ずるっと抜ける
だが だれも 死の灰とはしらない

無線長・久保山愛吉の死は
被爆から約七ヶ月後の 九月二三日
あらゆる治療も甲斐なかった

 3

二〇〇四年六月
すでに乗組員十一人をつぎつぎ失い
自らも ガン手術を受けた 大石又七が
元村長ジョンと 訪れた ロンゲラップ島

被爆から半世紀
その間 さまざまなことがあった
次は自分か
久保山愛吉の死におびえた日々

スパイと疑われ
CIA・公安調査庁から身元調査されたこともあった
あの日 どこにもふしぎを打電せず
焼津へとのがれた久保山の判断は正しかったのだ

漁師が 仲買人が 魚屋が すし屋が
損害をこうむり 廃業に追いこまれるものも出るなか
列島にもえあがっていった
水爆反対ののろし

秋雨にも 日本近海のマグロにも
ガイガー管ははげしく鳴った
あいつぐ核実験による放射能が
太平洋にばらまかれてしまったのだ

その間に
日米両政府のたがいの思惑から
バーターになった 見舞金と 原子炉導入
事件から九ヶ月後のすばやく ひそかな 手打ちだ

「ジョンさん
おれたちは日本の原発の人柱にされたんです」
〈原子力の平和利用〉〈原子力時代の到来〉
大新聞はうたいあげ 世論を誘導する

「ジョンさん
見舞金七億二千万円の八一%は
日かつ連に行って
自民党本部の隣に かつおまぐろ会館が建ちましたよ」

「退院しても おれたちの居場所はなかった
〈害をもちこみやがって 元気じゃねえか
おれらも 灰をかぶったほうがよかったな〉
零細漁業関係者から妬まれ
焼津にはいられなくなりました」

不安な体をかかえ 下痢もつづくまま
「アカ」と目され
ちりぢりになっていった 第五福竜丸のヒバクシャたち
東京の片隅で クリーニング屋になった 大石又七
結婚しても 生まれくる子が無事であるかどうか 怯えた

 4

身をひそめるように暮らしてきた
大石又七が
声をあげたのは一九八〇年前後

待ちのぞんだ 子 は
死産だった
悲しい姿だから「見ないほうがよい」と医師に言われ
水爆ブラボーの灰を浴びたことを 話した

それから 次にさずかった子が 無事に生まれるまでの
どうしようもない 不安
なぜ こんな思いをせねばならない

 川島正義  甲板長 一九七五年没 肝硬変 肝機能障害 四十歳
 増田三次郎 甲板員 一九七九年没 肝臓ガン(原発性)敗血症 五十四歳
 鈴木鎮三  機関員 一九八二年没 肝硬変 交通事故 五十歳

そのときはまだ わからなかった
被爆時の輸血で C型肝炎ウイルスに感染していることを
退院後 年一回の検査をした 千葉の放射線医学研究所は
一切 大石たちに知らせなかった
自分たちは〈標本〉に過ぎなかったのか

一九七六年 開館した 第五福竜丸展示館を
そっと 仲間と見に行ったのも そのころだ
放っておいてほしい 事件をほじくりださずにいてほしい
と 願っていたはずなのに

水産大学の練習船となったのち
四百発の砲弾を投げこんで海底にしずめられていた
かつての漁船は
様変わりしながらも やはり あの第五福竜丸だ

船内をのぞけば よみがえる
操業中の たわいない 団欒
白いみぞれのようなものを 体中に 船一面に 浴びた
被爆時の 得体知れない 不安

次々 死んでいった 仲間の
助けをもとめる声が
船底から かすかに 聞こえてくるような気がする・・・

「一九八四年 和光中学の生徒たちに
はじめて あのときの話をしました
まだ汚れていない目が真剣に おれを見つめていて
はじめて 伝えねば とおもいました」

「生徒たちのなかに 目の見えない少女がいて
一心に聞いている
それで思ったのです
話だけで この子にどれだけわかるだろう」

このときから
大石又七の 第五福竜丸模型造りが はじまる
長さ五十センチの模型船を 手にすると
当時の記憶が あざやかによみがえり
話が苦手だったことも忘れた

 5

「ジョンさん それからですよ
クリーニング業をつづけながら
模型船をもって 話をしに行くようになったのです」

その間にもつぎつぎ 死んでいった
仲間たち

 山太忠司 機関長 一九八七年没 肝臓ガン(多発性)肺ガン・結腸ガン 五十九歳
 鈴木隆  甲板員 一九八九年没 肝肺ガン 五十九歳
 高木兼茂 機関員 一九八九年没 肝臓ガン(原発性)六十六歳
 久保山志郎 機関員一九九六年没 肝臓ガン(原発性)六十五歳
 服部竹治 賄係  一九九七年没 肝臓ガン(心不全)六十六歳
 安藤二郎 甲板員 一九九七年没 肝臓ガン(原発性)七十一歳
 平井勇  冷凍長 二〇〇三年没 肝臓ガン(原発性)七十一歳

「大石さん
わたしもたくさんの島人の死を見てきました
あの日 近くのアイリングナエ島にコプラ作りに行っていた
屈強の若者 ジャヌワリが まず血を吐いて 死に
魚とりの達人だった セエランも
もだえ苦しんで死んだ
でも ジャヌワリは 心臓病 セエランは糖尿病だと
AEC(米原子力委員会)の医師は決めつける
毎日 わしらの血液と尿を検査しつづけながら
薬一つくれなかったのに」

波を見つめたまま 老人はつぶやく
「一九五九年 わしらの帰郷について書いた
奴らのレポートを読んだとき
どんなにおどろいたことか」

「レポートには書いてあったんです
『その島に これらの人間が住んでいることは
人体への放射線の研究に関し 生態上もっと貴重なものを得る機
会を提供している』
奴らはあの日 島にいなかったもの 百数十人を
『研究用の理想的な比較集団』として
島に送りこんだのですよ」

「ジョンさん
放射線医学研究所のおれらへの
毎年の検査も同じことでしたよ
肝機能障害も
染色体に異常があることをつかんでいても
一切 教えはしなかった」

海を見つめている老人の目に 浮かんでくる
赤ん坊のとき被爆したばかりに
成長を止めてしまった アレット アイク
投網を肩に 浜辺で被爆 ありとあらゆる病に苦しみ
のたうって死んだ 筋骨たくましかった ナポータリ
そして 何より愛しい 未息子 レコジ
暴れるため 最後は手足をしばられて 死んでいった
レコジ

「ああ 久保山局長も 最後はそうでした
大声で暴れる叫びが 隣の病室にいる おれたちのところに
ぴんぴん 響いてきた
いつ おれたちもああなるのか ただ 怯えておりました」

 6

ロンゲラップの浜辺で
二人は
だまって 海を見る
だまって 心の内側を語り合う

(捨てられたマグロが 哀れでね
 マグロ塚を建てましたよ)
(故郷の島を捨てる苦しさ でも 三世まで
内臓の障害をもって生まれてきたからねえ)

毒の島となってしまった浜辺で
二人は
ほんものの 真っ赤な夕焼けを見た
「ジョンさん あのときもこんな色でしたね」

老人はもう この世にはいない
核兵器一万発を所有する
核帝国と闘いつづけた
元ロンゲラップ村長は
写真から一ヶ月後には 静かに去っていってしまった

老人の骨は
廃墟のロンゲラップに埋まらないだろう
二度と訪れることのない 故郷を
その目に焼きつけよう と 浜辺で 波を みつづけたのか

肝臓ガンの手術から生環した 大石又七
飛べずにいたメジロを 慈しみ
砂糖水で養って空に返した 大石又七の
あたたかな目が 撮った
ジョン・アンジャインの後ろ姿
太古から 浜辺に寄せる
白い波 青い海

 参考文献
 ・大石又七『ビキニ事件の表と裏』(かもがわ出版)
 ・豊崎博光・安田和也『水爆ブラボー』(草の根出版)
 ・前田哲男『非核太平洋 被爆太平洋』(筑摩書房)

 かなり長い作品ですが全行を紹介してみました。「一九五四年三月一日」に「第五福竜丸」で「水爆ブラボーの灰を浴びた」「大石又七」と、同じ「水爆ブラボーのヒバクシャ」の「元ロンゲラップ村長」との、現在までを描いていますが、分かり難いところは何一つないと思います。私も昔、3・1ビキニデーで焼津まで行った記憶がありますけど、正直なところは忘れていました。この詩の前にある「第五福竜丸のことを忘れない」を含めて、大石又七さんが現在でも被爆体験を語り、反核運動を進めていることを知りました。焼津まで行った者としては、それを知らずにいたことを恥じますが、この会報の役割を改めて感じていることも事実です。5の「ああ 久保山局長も 最後はそうでした」ということも世間には知られていないのではないかと思います。事件は風化どころか、21世紀になってますます危険な状況になっていることも認識させられた作品です。



『関西詩人協会会報』50号
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2008.7.1 大阪市北区
左子真由美氏編集・杉山平一氏発行 非売品

<本号の主な記事>
1面 会報50号記念代表エッセイ・第7回『詩で遊ぼう会』inなにわ
2面 関西詩人協会賞募集・改選投票のお願い・第17回詩画展のお知らせ・運営委員会の模様
3面 ポエム・セミナー「自作を語る[」・ホームページ情報
4面 小熊秀雄賞受賞 竹田朔歩氏・新入会員紹介
5面 文学散歩と講演会報告
6面 会員活動・イベント



会報50号記念代表エッセイ

 生活第一、芸術第二/杉山平一
 かねてから尊敬していた菊池寛の女性関係を書いた原作が映画化された。(丘を越えて)
 眼をかけていた「モダン日本」の編集をさせていた在日の馬(マ)という人に秘書の女性を奪われる哀しい物語だが、その中に菊池の座右の銘「生活第一、芸術第二」についても、秀れた芸術作品の感動のなかに、感動を引き起こす点に生活がある事の意味を述べる個所がある。漱石の小説にある高等遊民を描く事への批判をしたり、また島崎藤村の「破戒」が妻子の病死を犠牲にしている事への批判も菊池寛ではなかったかと思う。
 芥川賞直木賞を分断して創設し、文壇に活気を呼び込んだりした菊池の現実的叡智は見事である。「忠直卿行状記」や「恩讐の彼方に」に見られるように「何を言いたいのか」がはっきりしているのは近頃珍しく、その点、菊池寛は随一の作家である。
 また「破戒無残な僧侶が仏を作ったとて、その心が写って夜叉の顔になるだろうと言うが、事実はその反対で奈良で名高いその薬師如来は、善男善女をひきつけるという点では随一である。」と「心形問答」にある。
 魂とか極楽とかあいまいなものに手厳しく、ことばを変えれば詩人の敵でもある。
 逆説的に私はそれにひかれてやまない。

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 今号では会報50号記念として巻頭に杉山平一代表のエッセイが載せられていました。全文を紹介してみましたが、菊池寛の「心形問答」はおもしろそうですね。最後の「魂とか極楽とかあいまいなものに手厳しく、ことばを変えれば詩人の敵でもある。/逆説的に私はそれにひかれてやまない。」というフレーズは、「魂とか極楽とかあいまいなもの」は、「逆説的に」とありますから、それらは詩人の味方であると採れるでしょう。菊池寛の生きていた時代と現代との差異を考えさせられました。
 会報も今後60号、70号、そして100号と、今まで以上に楽しませてくれるものになることを祈念しています。



   
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