きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.5.3 前橋文学館




2008.7.3(木)


 以前から行ってみたいと思っていた「尾崎咢堂記念館」を見学してきました。少し前まではたしか津久井町立だったと思うのですが、行ってみると相模原市立になっていて、これは平成の大合併≠ノよるもののようです。
 咢堂は号で、本名は尾崎行雄。憲政の神様と呼ばれたことは広く知られているところでしょう。明治を遡ること10年前、1958(安政5)年に津久井で生まれて、1954(昭和29)年に逗子で亡くなったときは96歳という長命の政治家でした。1885(明治18)年に立憲改進党から東京府議会議員になったのを手始めに、衆議院議員当選25回、在職63年間、東京市長、文部大臣、司法大臣を歴任したという経歴で、亡くなる1年前の1953(昭和28)年には第1号の東京都名誉都民となっています。

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 写真は記念館のほぼ全景です。それほど大きな建物ではありませんが、咢堂が贈ったワシントン・ポトマック公園から里帰りした桜(咢堂桜)や、尾崎家の井戸などがある庭が印象的です。神奈川の宝、日本の誇りの咢堂ゆかりの記念館を訪ねてみてはいかがでしょうか。学芸員さんも丁寧に説明してくれて、咢堂の功績を詳しく知ることができます。



詩と散文『同時代』第3次24号
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2008.6.20 東京都豊島区「黒の会」発行 1500円

<目次>
エデンの園の出口についてのヴァリアント…イヴ・ボヌフォワ/清水 茂訳 6
特集 創作者の最後の仕事
『カラマーゾフの兄弟』続編は可能か 川崎 浹 12
フォークナーの場合 大橋健三郎 18
R・K・ナラヤンの最後の仕事――『英語教師』をめぐって―― 森本素世子 23
サン=ジョン・ペルス『時を編む
(クロニック)』 有田忠郎 29
<星の王子さま> とは誰か 清水 茂 36
「南国の空青けれど」−漂泊とメルヘンに散った詩人・立原道造 布川 鴇 46
高村光太郎 詩集『典型』 豊岡史朗 49
遠藤周作『深い河』、同伴者イエスとその転生者たち 谷口正子 59
ハンス・メムリンクの祭壇画「最後の審判」――受難節の瞑想「静かな細い声」を聴くために―― 富田 裕 65
レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の作品――《大洪水、破局の幻想》 長尾重武 74
サグラダ・ファミリア――ガウディの最後の仕事とその継承 神谷光信 80
哀惜 谷山豊 頌 古志秋彦 84

変容 布川 鴇 98             乱反射考――牛による七つの断章 丸地 守 101
踊場の歎語 原 子朗 104          早春――Nに 豊岡史朗 108
壺は 鈴木哲雄 110             還暦と唱歌 春の点火 大重徳洋 112
野 吉田章子 116              漂流譜T 安田雅文 119
散文
《伝統論》から《四重奏曲》へ――T・S・エリオットの詩的彷徨 和田 旦 125
癒しと和解の音楽――堀辰雄「曠野」における落魄のベクトル―― 影山恒男 152
情報の記号学 アブラハムとイサクおよびエディプス問題について 森 常治 158
鈴木省三の魅惑 大川公一 167
短編小説 モスクワ行き特急列車 大月裕司 177
C・S・ルーイスの『ナーニア国年代記』――その最終巻へ向かう―― 齋藤和明 200
 
SOURIRE NOIR 谷口正子 206
 編集後記 208



 壺は/鈴木哲雄

壺は
どの壺もみな
守りのかたちをしている

窓際の
秋の飾り棚に置かれて
その内側に
深い空を満たしている壺も

厨房の
暖かい暮らしの棚に置かれて
その内側に
いのちの水を湛え育んでいる壺も

襟元を締め
かなめの腰を低く落とし
まろやかな防壁をめぐらして
構えにゆるみがない

壺は
どの壺もみな
母のかたちをしている

 「どの壺もみな/守りのかたちをしている」のだという視点にハッとさせられました。「秋の飾り棚に置かれて」あっても、「暖かい暮らしの棚に置かれて」いても、「襟元を締め/かなめの腰を低く落とし」ているというのは、壺という物の本質を見事に言い当てていると思います。それが「みな/母のかたちをしている」と締めたのは、もちろん「守りのかたち」へ回帰させる言葉ですが、子宮をも連想させるものでしょう。短い作品ですけれど、見るべきものは見、言うべきことは言った佳品だと思いました。



会報『黒の会通信』31号
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2008.6 東京都豊島区「黒の会」発行 非売品

<目次>
詩 「八月の惑星」/早川ゆいこ 1      書誌の魅力/黒沢義輝 2
「美しい都市」は可能か/鈴木 浩 2    「ハムレット役者」の微笑み/武田弘子 3
「黒の会」に参加して/田中史子 3      パリ国立図書館におけるジャコメッティ版画展/岡村嘉子 4
パリの孤独/豊岡史朗 4          鎌倉通信(10)芸術とは何か(1)/和田 旦 5
<新同人紹介> 6              あとがき 7



 「美しい都市」は可能か/鈴木 浩

 「美しい」という言葉が急に空疎な響きをもってしまったのはこの2、3年。突風のように吹き過ぎていった「美しい国」などは、どんな未来を描かせてくれたのだろうか。“うつくしいくに”を逆さに読んで“憎いし苦痛”などと、私は茶化してきた。
 ところで、私たちが日ごろ目にしている街並みや都市の姿も、美しくなっているという実感がない。都市計画や建築を専門としている者として心許ない限りであるが、そういわざるを得ない。それにはいくつかの原因や背景があることは、これまでもさまざまに明らかにされてきているが、最近、世界的に活躍する建築家ダニエル・リベスキンドの著作を読んでハッとさせられた。あの9・11テロ攻撃を受けた世界貿易センター跡地計画の国際コンペで彼の応募作品が一位になり、実施案に採用されたのだが、それからの数年間、彼はその設計作品を巡って、ニューヨークを中心に、さまざまな形でタウンミーティングを繰り返してきたのだった。例えコンペで一位だからといって、そのまま建設を進めるのではなく、その後も賛否両論を巡る議論の中で、幾度も設計意図を伝えたり、修正することを余儀なくされた。それに比べわが国では、都市計画法や建築基準法さえクリアできれば、後は粛々と建設が行われ、忽然と人々の前に巨大な建築物が姿をさらけ出す。その建築プロジェクトが、予め多くの市民の議論に付されることは、まずない。市民の判断やイマジネーション以前に、法制度が決断を下してしまうからである。それらの法制度には、都市の美しさを判断する視点などないので、日本ではこのような惨めな都市の巨大化が進んでしまう結果になるのではないかと考えるようになった。欧米における、建築物や街並みの美しさに対する市民の眼や地域の判断を重視する設計の、仕掛け、プロセスに改めて気づかされている。 (福島県・福島市)

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 前出、
『同時代』誌の通信誌ですが、ここでは建築専門家・鈴木浩氏のエッセイを紹介してみました。たしかに「“うつくしいくに”を逆さに読んで“憎いし苦痛”などと」「茶化して」みたくなる「この2、3年」でしたね。なぜ「美しくなっているという実感がない」のかという考察では、「市民の判断やイマジネーション以前に、法制度が決断を下してしまうからである」と説明してくれて、納得です。しかも「それらの法制度には、都市の美しさを判断する視点などない」という指摘は重要でしょう。感性と法という問題に一歩踏み込んだエッセイだと思いました。



個人通信『萌』24号
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2008.夏 山形県山形市 伊藤啓子氏発行
非売品

<目次>
棚田のひとびと
終幕
夏庭の子ども



 終幕

舞台の上では
喉を掻いて自害した女が倒れている
死んだはずなのに
太腿がもぞもぞ動いている

台詞も動作も
おそろしくたどたどしい
木戸銭返せと
腹立たしく思えばいいものを
あまりに度を越していて
はらはら胃が痛む
トチってしまわぬか
つんのめってしまわぬか
娘の演技を観に来た母親の気分
まだ死にきれていない気もするが
どうか そこで転がっていて

崩れた足の力を抜いたのか
太腿の揺れが止まった
嘆き哀しむ男に抱かれて
腕がだらりと垂れた
だんだん死人に見えてくる
と 突然の
暗転
ここは黄泉の国
女がむくりと起きあがる
死んでもまだ
台詞が残っているのだった

 素人劇、田舎芝居の類なのでしょう。「木戸銭返せと/腹立たしく思えばいいものを/あまりに度を越していて/はらはら胃が痛む」というフレーズに、日常接している役者と観客との一体感も感じることができます。最終連が佳いですね。「暗転」して、「死んでもまだ/台詞が残っているのだった」というところに劇作家の意図も見えて、ほほえましく思いました。タイトルの「終幕」も奏功している作品と云えましょう。



   
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