きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.5.3 前橋文学館




2008.7.4(金)


  その1

 15時に日本詩人クラブの事務所に行って、「詩の学校」の冊子『世界の詩を愉しむ夕べ』の原稿チェックを行いました。版下は私のパソコンから出力しますので、同じパソコンを持って行った方がいいだろうということになって、このノートパソコンになって初めて鞄に詰めました。以前はよく持ち歩いたものですが、今はインターネットカフェもありますし、ビジネスホテルではロビーに置いてあるのが普通ですから、久しぶりの経験です。重かった(^^;

 事務所では担当理事と二人で紙の原稿と画面を見比べ、結局、21時まで掛かってしまいました。もうこれ以上直す処は無い!というところまでやったつもりで、完璧だろうと思います。しかし、それでも誤字脱字があるのが印刷物の怖いところ。版下として出力しても見直しは何度でもやろうと思っています。
 出版はこの9月の予定です。「詩の学校」第T期の6人の先生方の講義録が網羅されています。受講者には無料で配布され、一般にも500円という安価で頒布することになると思います。どうぞお楽しみに!



斉藤なつみ氏詩集『私のいた場所』
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2008.7.26 東京都千代田区 砂子屋書房刊 2500円+税

<目次>
馬 10        田螺 14       浜辺 18
文字 22       思い出 26      罅 28
画廊にて 32     黄揚げ羽 36     森 38
私のいた場所 42   鳥 46        木槿 50
金魚の話 52     散歩 57       木 60
謎 64        時 66        誕生 70
駅 72        泣き声 76      歩いた 80
かぶら鮨 84     産声 88       さくらんぼ 92
留守 96       一揆 100       自転車 104
あとがき 106
装本・倉本 修



 私のいた場所

荷物をトラックに積み込み
ふりむくと
人のいない空っぽの部屋はいつも
がらんと広い荒野にかわっていた

カーテンをとりはずした窓
食器も何ものっていない流し台
床も 壁も……
私の暮らしていたのは
ほんとうは風の吹く荒野だったのだ

つかのまの住居を私のために装い
与えてくれていたその場所
カーテンのないガラス窓から
見知らぬ町の景色が見えた
ひっこすたびに
私がトラックに積み込んできたのは
いったい何だったのか

空っぽの部屋に
裏の林の梢に見えた星空をのこしてきた
坂道の上にしゃがみこんで眺めた
遠い町の灯ものこしてきた
そこが 私のいた場所だとわかるように

そして
いつかここを立ち去るときにも
私の小さな生命に与えられた場所を
もとの荒野にもどし
その場所に
やさしい風を吹かせ
木を植え
ほの明るい灯火のような花を植えて
しずかに去っていこう
そこが 私のいた場所だと
暗闇のなかでもわかるように

 著者の第1詩集です。ご出版おめでとうございます。ここではタイトルポエムを紹介してみましたが、「私の暮らしていたのは/ほんとうは風の吹く荒野だったのだ」という視点が新鮮です。「私のいた場所だとわかるように」「星空をのこしてきた」、「遠い町の灯ものこしてきた」というフレーズも佳いのでが、最終連の「暗闇のなかでもわかるように」「ほの明るい灯火のような花を植え」たというところにこの詩人の平凡ではない感性を感じます。今後のご活躍を祈念しています。




詩と評論『操車場』14号
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2008.8.1 川崎市川崎区 田川紀久雄氏発行 500円

<目次>
■詩作品
渇きと眠り ――1/坂井信夫 1      愛にひきあげられ/大木重雄 2
愛の歓び/田川紀久雄 3          旅/長谷川 忍 4
■エッセイ
新・裏町文庫閑話/井原 修 6       アリストテレス先生/坂井のぶこ 7
弱音を吐く人/野間明子 8         イマージュについて−つれづれベルクソン草(4)−/高橋 馨 10
末期癌日記・六月/田川紀久雄 13
■後記・住所録 26



 愛にひきあげられ/大木重雄

いつか わたしは
ユリのいる虚空のどこかへ
どこか見知らぬ処へ
ひきあげられて
青い星を見おろすだろう
ユリは微笑んで言う
――やっと一緒になれたわね
木霊する声
百光年もはなれた声
下方の青い星ではひとり息子が天を仰いでいる
彼もしばしば見守ってやらなければならない
わたしは反転して星に跳び込む
宙にとどろくユリの悲鳴
――ほんのすこし時間をくれ
  束の間でよいのだ ユリよ
静けさが燃える
燃えつきないうちに
またわたしをひきあげてくれ
仄めく雙子星になろう
光は更に上から差す
果てぬ天上から
クレーの「忘れっぽい天使」のほうから

  *詩集『愛にひきあげられて』より
   大木重雄氏は平成二十年六月七日に永眠されました。

 註釈にもありますように、作者はこの6月に亡くなられているようです。「ユリ」は先立たれた奥様でしょうか。
詩集『愛にひきあげられて』がいつ頃のものか分かりませんけど、作者自身の死も予感させる作品です。いまは「仄めく雙子星にな」っているのでしょう。死後も勁い絆で結ばれる夫婦のありようを考えさせられます。最後の「光は更に上から差す/果てぬ天上から」というフレーズに、作者の純粋な精神を見たように思った作品です。



会報『新しい風』11号
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2008.7.1 川崎市川崎区
川崎詩人会・金子秀夫氏発行 非売品

<目次>
詩 すずらんに寄せて/藤田 博 1     生命/地 隆 1
  水色の国/地 隆 2
埋め草人生/丸山あつし 2         私的川崎雑記(2)/長谷川忍 3
詩と死めぐり その(1)/金子秀夫 4     新会員紹介 6
読者の詩募集 7              会員名簿 8



 生命/地 隆

私に娘役の療法士が
あてがわれた
或る女性に恋人役の療法士が
あてがわれた
母のいない子に
母役の看護師があてがわれた

病院はその人が
一番求めている役割の人を
それぞれあてがい
その人の生命力を
治癒力を引き出すのだ

私は娘を恋人のように
可愛がる父親を演じた

娘が可愛い
だから動かない足を
激痛に耐え一歩踏み出すのだ

いつも優しく体を
拭いていてくれていた
娘役の看護師が病床を去る時
意識の全くない男性の
目から止めどなく涙が流れた

意識はなくても感情はあるのだ
意識はなくても生命はあるのだ
意識によって足が動く時が来るのだ

私の娘役の女性も
病院を去る時が来た

何枚も何枚も
思い出の写真を撮ってもらった
大きな花束を贈って見送った

冬枯れした森に囲まれた
リハビリ病院
私は人の親というものを
味わわせてもらった

そして
この病院から
幾つもの生命が蘇って行った

 「その人の生命力を/治癒力を引き出す」という医療の役割を見事に表現した作品だと思います。私はオートバイでの交通事故と、胃潰瘍で入院したことがありますが、いずれも若い頃でしたので「リハビリ病院」のように「一番求めている役割の人」を「あてがわれた」という認識はありませんでした。しかし「激痛に耐え一歩踏み出す」必要があったり、「意識の全くない」状態になれば、「療法士」や「看護師」のありがたみを感じることでしょうね。最終連の「幾つもの生命が蘇って行った」というフレーズの重みを感じる作品でした。



   
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