きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.5.3 前橋文学館




2008.7.5(土)


 日本詩人クラブの詩論研究会が東大駒場で開かれました。講師は元『現代詩手帖』編集長の八木忠栄氏。講義内容は「詩における地名の輝き」。日本の市町村名から始まって、落語の中の地名、大岡信の「地名論」、西脇順三郎・北原白秋・宮澤賢治・萩原朔太郎・小熊秀雄・小野十三郎の詩における地名の考え方など、資料も8枚に及び、幅広くかつ内容の深いものでした。
 講義を聴きながら、そういえば私も地名をあえて出さないものの、詩の背景には常に土地というもの、地名というものがあったなと思い至りました。北海道に生まれて福島県、静岡県、そして今は神奈川県と、各地を転々として経歴があるからかもしれませんが、詩の背景となる土地について意識的にしろ無意識にしろ考えていたように思います。

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 さらに思い至ったのは、北海道の地名です。ご存知のように北海道の地名はアイヌ語を元にしたものが多いです。八木さんの論点のひとつが、最近の安直な地名変更への意義申し立てでした。たしかに平成の大合併で安易なひらがな地名になったり、地番変更で○○村字○○9812番地など由緒正しい地名が、○○町○○1-2-3なんて味も素っ気もないものになっていますよね。それに比べると北海道に入植した先人たちはアイヌの言葉を尊重して地名にしたことになります。地名は文化、記号ではない、という受け止め方をしました。

 写真は会場の一部です。総勢33名。詩論研究会としては、まあ、通常の入りでした。講義録はいずれ『詩界』に載せられますので、おいでになれなかった会員・会友の皆さんはそちらでお勉強してください。

 懇親会はいつも通り神泉の「からから」。二次会は私の好きな獺祭が置いてある「天空の月」に行こうということになって、13名ほどで向かいました。今までは神泉駅に戻って、井の頭線で渋谷に出て、それから歩いて「天空の月」に行っていたのですが、なんと「からから」と「天空の月」はほとんど背中合わせでした。東大教授の会員にそれを教わって「からから」から(洒落ではありません(^^;)歩いて行きましたけど、ものの2〜3分で着いてしまいました。これじゃあ今後、お定まりのコースになりそうです。
 今夜は比較的早めに、新宿21時半発の特急で帰りました。帰宅は0時前、これが普通なんでしょうね。
 遅くまでお付き合いいただいた皆さん、ありがとうございました。来週は例会になりますので、こちらもよろしくお願いいたします。



詩誌19995号
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2007.11.30 沖縄県沖縄市
宮城隆尋氏方事務局・1999同人発行 500円

<目次>
詩 ヤングメン 伊汲泰志 六
おきなわ文学賞特集 一〇
詩 君の祈りの物語。 東じゅんペい 一二  受験抄 大城望美 一八
  世代のおわりに 大城望美 二一     ガリレオの空 富山雄功 二五
  ないしょ話 垣花譲二 三一       左側の人 トーマ・ヒロコ 三五

権利 宮城隆尋 三八            ヴォイスオブダークネス 松永朋哉 四〇
詩時評 1981の所感 第5回 伊汲泰志 四二
『1999』VOL4 メール合評会 四八
同人プロフィール・近況報告・告知 六〇   表紙イラスト・松永朋哉



 権利/宮城隆尋

君たちには自由にふるまう権利がある
例外を除いて自由に行動する権利があり
例外を除いて自由に発言する権利がある

命令に従う権利がある
許しを請う権利がある
裏切り者を密告する権利がある

君たちは一歩遅れて人並みになったが
生まれ持った特質は維持している
権利を主張することはやぶさかでない

本体の消費活動に貢献する権利は否定しない
本体から金銭の貸与を受ける権利は否定しない
本体から情報を受信する権利は否定しない

君たちはすばらしい特質を有している
君たちは体制と構造について疑問を抱かない
君たちの望みはすべて知っている

財産を差し出す権利もある
心身を差し出す権利もある
命を差し出す権利もある

君たちにはすべてが与えられている
君たちは可能性に満ちている
この世界の自由を完全に保有している
わたしはまた来る
質問は受けない
いつでも門戸は開かれている

 この詩を読んで有馬敲詩・高田渡作曲の「値上げ」(有馬敲原詩のタイトルは「変化」)をすぐに想起しました。値上げは全然考えていない、という最初の言葉が、この1年での値上げはない、場合によっては考える、今すぐ値上げをするわけではない、止むをえない場合は値上げはあり得る、値上げは最小限にしようと思う、やむなく値上げをせざるを得ない、と変化≠オていくもので、1970年代フォークソングの傑作といえるものです。作者は1980年代の生まれですから、ナマで「値上げ」を聞いていたわけはなく、有馬敲さん(たしか1930年代生まれ)の血脈が50年を経て出現したような感慨に襲われました。

 この作品中の「君」は国民、「わたし」は国家権力、「本体」は大企業と読んでよいでしょう。ここでの「権利」は義務≠ニ読み替えられるところも多々ありますけど、あくまでも「権利」だとしたところが重要です。「命を差し出す権利もある」などの権利≠ヘ願い下げですね。しかし後期高齢者医療制度などを見ると、本気でそう思っているのだなと改めて感じます。高田渡の「値上げ」から40年、新しい後継者を見たように思った作品です。



詩誌19996号
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2008.5.31 沖縄県那覇市
宮城隆尋氏方連絡先・1999同人発行 500円

<目次>
詩 運命論者  松永朋哉 四
詩 脱出ゲーム 松永朋哉 六
【同人特集(4) 伊波泰志】 九
 詩 寝転がる人々   伊波泰志 一〇
 詩 ロンサム・キング 伊波泰志 一五
 伊波泰志メールインタビュー(聞き手・宮城隆尋) 一七
 評論 電池切れの神 宮城隆尋 二一
詩 雪 宮城隆尋 二七
詩 川 宮城隆尋 二九
詩 いじめ 内聞武 三〇
詩 借金  内間武 三一
【現役の小部屋】第三回 三三
 詩 一方通行 しょこら 三四
【報告】第三回おきなわ文学賞を振り返る 宮城隆尋 三六
【投稿欄】 つぎの琉球詩壇 第一回 (評・宮城隆尋) 四三
 詩 低く低く唸るんです。そう、低く。 赤いサボテン
 詩 はくとう 下門鮎子
【前号批評】詩を前面に 宮城隆尋 四七
お知らせ・編集後記 五二
表紙・ケモリン



 寝転がる人々/伊波泰志

散歩をしていたら広い
歩道の路上男女が数十
人思い思いの格好で寝
転がっていて、先に進
みづらくて一番近くに
いた若い女に「これは
どうしたんですか」と
尋ねると「流行ってん
の」と言い、隣で寝転
がっていた男が「知ら
ないの、遅れてるね」
と大笑いして、なるほ
どよく見れば制服姿の
女子高生やピアスだら
けのスキンヘッド男、
ミニスカートの女、ラ
ンドセル背負った男の
子、寝転がっているの
は若者ばかり、思わず
「邪魔になると思わな
いの」と重ねて尋ねる
と「それなんだよ、わ
かってないな」とさっ
きの男が答えて、大の
字になったりわざと荷
物を散らばせたりして
道を塞いで通り過ぎる
人を観察するんだと、
また時々歩行者になっ
て寝転がるさまを観察
したりいかに上手に避
けたか競ったりするん
だと興奮混じりに説き
「人の醜さが見えたり
やさしさが見えたりし
てチョー感動するよ」
とさっきの女が楽しそ
うに言うので試しに寝
転がってみたら
まるいたいよう
まるいそら
まるいとり
せかいは
ひとつの
まる
だと
きづいた
ぼくらは
きょだいな
まるのなか
まるくなってる
わざわざ角を作ってそ
れでようやく確かめら
れるまるまるまるまる
ぼんやりまるを眺めて
いたら足を踏まれ大声
をあげたら踏んでいっ
たやつがそそくさと逃
げていくのが見えて急
に白けた気分になって
ぼくも何もなかったよ
うに立ち上がりその場
から逃げるように去る

ぼくもまた

まるを知らずにいる

 【同人特集(4) 伊波泰志】の中の作品です。現実には「寝転がっている」のではなく、電車の中でもコンビニの前でもしゃがみこんでいる「若者」がいますけど、この作品はその拡大版と言ってよいかもしれません。なぜ寝転がったりしゃがんだりするのか、の一つの回答がここにはあるように思います。「試しに寝/転がってみたら/まるいたいよう/まるいそら/まるいとり/せかいは/ひとつの/まる/だと/きづいた」というのがその部分ですが、実際にはもっと複雑な理由があるのかもしれませんね。
 ここで突然、子ども会の役員時代の光景を思い出しました。大勢の小学生を静かにさせたり把握したりするのに、彼らをしゃがませるのです。その後、気をつけて見ていると、修学旅行の中学生たちもしゃがませられていましたから、全国的に同じことをやっているのでしょう。この詩のヒントがそんなところにもあるようにも思いました。



詩誌Contralto19号
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2008.7.1 兵庫県西宮市 坂東里美氏発行 80円

<目次>
夜のおとぎばなし・遠い里/三室 翔
隠しているもの・土筆・「シ・マムタ」/関はるみ
灯台へ・個時記・香川紘子−壁画の中のわたし/坂東里美



 夜のおとぎばなし/三室 翔 
Mimuro Sho

灯りを消した部屋はかすかな
蛍火も喪失する
ぎゅっと目をとじても
ますます見開くものがある
ねむくなれ
ねむくなれ
うたまろの女の細い眉が
闇の中でくるくる回る

カーテンをすこし開けると
道をへだてて
 「建築中
  階数45」
夜空をぬぅぅと突き刺すものの
泡立つ誘導灯から
怖いおはなしがこぼれおち
夜ごと 夜ごと
 ひつじが一っぴき…ひつじが二ひき…
 ひつじが三びき…ひつじが…ひつじが…
……行進するクローン…
まわりがぼぅぅと 滲んでいき
やがてはげしく交じりあい
上下左右もつかめぬまま
眠りのなかに
投げこまれる

 「ぎゅっと目をとじても/ますます見開くものがあ」って、なかなか眠れないという詩で、定石通り「ひつじが一っぴき…ひつじが二ひき…」と始めます。しかし、羊はとうとう「……行進するクローン…」になってしまいました。まさに現代の「夜のおとぎばなし」と云えるでしょう。「やがてはげしく交じりあい/上下左右もつかめぬまま」「投げこまれる」のは、「眠りのなか」ならぬ現実の世なのかもしれません。やさしい口調の詩ですが、実は「怖いおはなし」だと思いました。



   
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