きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.5.3 前橋文学館




2008.7.14(月)


 夕方から東京會舘で開かれた日本ペンクラブの7月例会に行ってきました。私の出番がないイベントですから欠席の通知を出していたのですが、新しく電子文藝館委員会の委員になった人も出席するというので、急遽メールで出席に変更しました。行って良かったです。その人の他にも新しい委員が見えて、少しお話しできました。日本詩人クラブの会員でもある人からは電子文藝館への出稿の約束も取り付けましたし、思った以上の成果がありました。そして、何より、これです!

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 まともなカメラを持って行かず携帯の撮影だったのは残念ですが、一番左は愛川欣也(この字で良かったっけ?)さん、マイクの前は松本幸四郎さんです。新入会員の挨拶の場面ですが、まさか超有名なお二人が出席とは思っていませんでしたから、会場も少しざわめきましたね。ただし、少し、です。日本ペンクラブには有名人が多いので、皆さん慣れていらっしゃる(^^;
 松本幸四郎さんのスピーチはさすが!でした。歌舞伎と文学の共通点は間の取り方、なんて、なかなか言えるものじゃありません、、、って、ちょっとエコ贔屓かな? 音楽も絵も間、ぐらいは誰でも言えるか…。詩も間の取り方が分からない人の作品はつまらないですしね。
 ま(洒落ではありません)、そんな感じで楽しく過ごさせてもらいました。今夜は疲れていたようで、二次会に行く気もなく直帰。お陰でこうやってその日のうちにその日の日記を書いています。やれば出来るジャン!



詩と音楽のための『洪水』2号
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2008.7.15 東京都世田谷区   800円+税
洪水企画・池田康氏発行 草場書房発売

<目次>
…02
 高月弘也/渡邊十絲子/渡辺めぐみ/浜田優/竹田朔歩
音楽の詩学 特集 生の蕊にふれる音楽
 インタビュー…「音楽、生を貫くエロスの穂」竹田青嗣…20
 エッセイ 至高の楽、秘奥の響き…30
 吉田義昭/有働 薫/安芸光男/小沼純一/伊武トーマ/小笠原鳥類/一色真理/田中浩一/高岡 修
 音の刻印 演奏会実録…52
 奥成 達「PLAYS 北園克衛・ERIK SATIE」
 座談会 音楽・日常・空間 〜枠を破壊する〜…54
 河崎 純・神田晋一郎・青木純一
音楽あやおり機…66 小笠原鳥類
Crazy Bard Airing…82 池田 康
論&文
 玉城入野 YMOのエチカ…72
 海埜今日子 重なる虫の灯 ガレとジャポニズム …76
 池田 康 詩のための〈転〉の論理(2)…85
書評 南原充士 谷川俊太郎詩集『私』…80
雲遊泥泳 津田於斗彦…86



 詩のための〈転〉の論理(2)/池田 康

 てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた (安西冬衛「春」)

 時には一匹の蝶も世界の中心になりうる。世界が茫漠たるのっペらぽうの広がりである限り、世界は捉えようがない。中心が定まり、縁
(へり)が見えてくることで、世界はようやく目鼻立ちを得て、我々に姿を示す。その中心とは、時には、頂点に「神」があり、その下に人間社会があるという図をとるかもしれない。宗教が世界を描くとき、大抵はそうなる。まかりまちがっても蝶を中心に置く宗教などないだろう。では、蝶が中心であってはいけないのか。いけないはずがないではないか。詩はそう考える。そして「てふてふが一匹……」と、いきなり語り出す。すると世界の中心は蝶となる。詩篇は一個の世界をなすのであり、いまやその中心に蝶が君臨するのである。そして韃靼海峡の彼方が世界の縁となり、世界の形が確定する。それにしても蝶が中心とは。神をいただく宗教に比べて、任意と言えばあまりにも任意、気まぐれと言えばあまりにも気まぐれである。なんの必然性もない。この任意さ、気まぐれさ、必然性のなさは、詩の思考の本性を非常によく証言している。いきなりこと(2文字傍点:村山註)を始める。とんでもない場所から歩き出す。いわば「無からの転」である。ここに、詩の骰子が転がる音が聞こえる。もちろん、なにかが賭けられている。もしかしたら途方もないなにかが。

 「春」の詩のモチーフが、本当になんの必然性もないかというと、そうとも言えない部分もある。この詩篇が北東アジアを強烈に意識した『軍艦茉莉』という詩集に収録されている事実からすると、「韃靼海峡」(=間宮海峡)は出るべくして出てきた部分は多少はあるだろう。それにしても、鴎やアホウドリならともかく、「てふてふ」が登場に及ばなければならない理由はなにもないのである。
 蝶が世界の中心であり韃靼海峡の彼方が世界の縁である――この絵図こそ世界にほかならないとすると、詩の思考はそう主張しているようなのだが、そうすると、この世界において人間の居場所はないようである。抒情もへったくれもない。人間の影も形もない。見事に消されている。我々が普段慣れ親しんでいる、人間が中心付近にいる世界像が見事に転覆されている。人間は怒るだろうか。これでいいのか、と当惑するだろうか。無論、これが世界であって悪いわけがない。荒野の藪に巣を張る一匹の蜘蛛が世界の中心であるかもしれないし、山の奥の高い木の枝に鴉が砲く一個の卵が世界の中心であるかもしれない。世界の在り方の可能性は無限である。世界は私が司るものでもなければ、どこかの「王」が司るものでもない。詩は、世界の中心に蝶を置く。この世界地図は「人間の常識」という強権の眼差しによって瞬時に破られる。しかしこの、あっという間の破綻も、「無への転」として、詩の一部である。はじけることがシャボン玉の一部であるように。

 思想の歴史は、素朴杜撰な論が思考の積み重ねにより真理に近づいていくというよりも、思想のヘゲモニーの交代劇である部分がかなりある。まったくでたらめのドタバタ劇ではなく、なんらかの必然性をふくむ経緯があっての変化ではあろうが、真直ぐの坂道を登るようなものではない。テーゼは覇権を争う。覇権を得たテーゼはあらゆる意見をたぐり寄せる。人々は知らず識らずのうちにそのテーゼに向けて思考を働かせる。現在声高く唱えられる「環境を守れ」という主張は、それほど深遠な哲学から出てきたわけではないかもしれない、むしろ科学的調査の結果自然に切実な形で現れてきたところが大きいだろうが、いま世界世論のかなり高い位置に来たって相当の共通了解を得ているようで、このテーゼの覇権は、成り行きによっては、資本主義の在り方、国というものの在り方をなんらかの方向に変えてゆくこともありうる。あるテーゼが覇権を得るということは、思想世界での表面的な流行といった冗談事ではなく、その時代の人間の生活を根本的に決定するだけの力を備えている。

 詩作品におけるテーゼの覇権は、それに比べると、他愛ないものだ。「てふてふ」が海峡を渡る。なるほど、そうですか、ふ−ん、といった具合の、冗談事に近いものだ。この詩篇のなかで、「てふてふ」は瞬時に覇権を得る。そして瞬時に崩れ去る。読むのは一瞬。しかしこの一瞬の覇権に、詩はなにかを賭け、言葉の生命を質すのである。

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 今号では発行人・池田康さんの論を紹介してみました。正直なところ、かの有名な〈てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた〉から、ここまで深められるのかと驚いています。〈蝶が中心であってはいけないのか。いけないはずがないではないか。詩はそう考える〉という冒頭から詩の本質を突いていると思いますし、〈人間が中心付近にいる世界像が見事に転覆されている〉という読み方には納得させられました。そこから環境問題にまで発展させ、〈それほど深遠な哲学から出てきたわけではないかもしれない〉と捉え、〈資本主義の在り方、国というものの在り方をなんらかの方向に変えてゆく〉ことにまで言及しています。詩の読み方を教えられたエッセイです。



詩誌『軸』92号
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2008.7.15 大阪市浪速区    500円
佐相憲一氏事務局代表・大阪詩人会議発行

<目次>

昨日
(きのう)の僕と明日(あした)の僕 畑中暁来雄 1 壊れ果てた歯車 中井多賀宏 2
毎日仕事/凍る四月 幽閉無夢 4      夕暮れの幻想 和比古 5
抜去された点滴 田島廣子 6
特別ゲスト 旭川より 沓澤章俊 7

助けて いしだひでこ 8          おほさか暮色−夜そして朝 玉置恭介 8
よっぱらい詩人さん 原 圭治 9      スポーツ考「聖火」 竹島 修 9
ひまわり みくもさちこ 10         平常 迫田智代 10
詞詩舞のできない私 必守行男 11      ともだち 椛島恭子 12
短歌(五)「裏もありけり」考 清沢桂太郎 13
報告 大阪詩人会議六・一朗読会 佐相憲一 13

サクラだより/ギフナョウ 浅田斗四路 14  リリカルな夜 佐古祐二 15
僕ちゃんわかんない 山本しげひろ 16    えみ曼荼羅 猫だましい 18
開業二周年 やまそみつお 19
漢詩意訳 杜甫「石濠の吏」 畑中暁来雄 20
共作詩 ふぁみりぃ みくもさちこ&幽閉無夢 22

怒らない 清沢桂太郎 23          春 脇 彬樹 24
未来
(ふるさと) 佐相憲一 25
『軸』91号感想集 26            受贈誌・詩集等紹介 30
詩人会議案内 33              編集後記 34
お知らせ 『軸』93号原稿募集・カンパ募集  表紙絵 山中たけし



 スポーツ考「聖火」/竹島 修

良く見ると
聖火はいつも政治の下にあった
その灯りは周辺をそのままに照らし出した
進行を阻もうとする者
その進路を護ろうとする者
そしてそれらを煽る者
聖火が照らし出す灯りにそれぞれが期待し
思惑や企ても混入した
それらによって取り囲まれた聖火は
人目を避けて裏道を細々と進行した
それは
護られているようでもあり
囚われているようでもあった

 何かと問題の多いオリンピックの〈聖火〉ですが、〈聖火はいつも政治の下にあった〉という視点は卓見です。〈進行を阻もうとする者/その進路を護ろうとする者〉という対比も見事で、この作品ではそれをさらに〈それは/護られているようでもあり/囚われているようでもあった〉と深めています。短い詩ですけど見るべきものは見、言うべきことはきちんと言った佳品だと思いました。



個人詩誌『魚信旗』49号
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2008.7.15 埼玉県入間市 平野敏氏発行 非売品

<目次>
未完の悲劇 1    日捲り 4      神さま 6
新茶 7       天国 8       後書きエッセー 10



 神さま

死んでいく人から取り残されて生きている
まだお招きが来ないので
それまでの時間は暇つぶしといっちゃ怒られるが
まじめに「生きる」という定めにしたがい
惑いながらも「いのちの基調」に心をかたむけ
ひらめきや感懐にふけりながら
やがて失われてしまうもののかたちや香りを整理している
世直しなんて簡単にできやしないのだから
順応しながら己を変え
必要ならば姿さえ変えて普通は世渡りする

やりきれない事件が多い
神さまが留守だからか
誰もが止められない犯罪も起こる
社会や自分に順応できなくなると
陽の光りや人の笑い声も視野から消えて
(くら)い街で遠吠えする
憎悪が罪を生み殺人は罰を生む
有が無を産み
無は滅びすら産まない
滅びは遥かに遠い無慈悲な仕返し
君は滅びに連ならない大きな誤謬のなかで
意思に叛
(そむ)いて死に瀕している

君の祈願は何であったか
神さまはみんなの祈願を聞き入れるために存在する
聞く耳ばかり大きくして門戸をあけて耳を澄ましている
ちょっと神さまの留守の間にか
君が大罪を犯したのは神さまの罪だと謗
(そし)るというのか

 〈神さまの留守〉というのは私にとっても大きなテーマです。〈神さまが留守だからか/誰もが止められない犯罪も起こる〉と私も考えてきましたが、ここでは人間の側の〈有が無を産み/無は滅びすら産まない〉と、一歩も二歩も深めた思考で、勉強させられました。翻って、〈滅びに連ならない大きな誤謬のなかで/意思に叛いて死に瀕している〉のは私自身かもしれないなとも感じています。〈大罪を犯したのは神さまの罪だと謗る〉つもりはありませんけど、突き詰めれば〈神さまの留守〉を嘆くことは、それに近いことなのかもしれません。大いに考えさせられた作品です。



   
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