きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.5.3 前橋文学館




2008.7.18(金)


 夕方から秦野市で「NPO法人 日本子守唄協会 相模支部設立準備会」というものが開かれて、行ってきました。本部理事長の西舘好子さんは、前日本ペンクラブ会長井上ひさしさんの元妻だし、先日亡くなった名誉理事の松永伍一さんとは何回かお会いしているし、何より推進役のKさんは「アリキアの街」でお世話になっているし、とそんな理由でズルズルとおつき合いしてきましたが、正直なところまだよく把握していません。運動の趣旨は、この荒廃した日本でもう一度母親の子守唄まで立ち返ろう、ということだと理解しています。パンフレットには童謡・唱歌・わらべ唄と子守唄との違いも明記されていて、これはこれでよく判ります。
 集まった人たちは西舘理事長以下、小田急線沿線の都市から40名ほど。幼稚園や小学校の先生が多くいました。いちおう相模支部設立発起人会というものに移行して、近々その集会を持って、支部会長・副会長を決めようというところまで合意されました。

 で、支部を立ち上げて何をやるかというと、直接的にはイベントなんでしょうね。過去の他支部のイベント内容を見ると、「地球の子守唄」(2005年、愛・地球博会場で)、「我が子へのララバイ」(2006年、台東区生涯学習センターホールにて)など、全国を舞台に年2〜3回のイベントをやっているようです。出演者がスゴイ! 小林千登勢、松永伍一、なぎら健壱、常田富士男、藤村志保、森喜朗、山谷初男、川口京子、、、なんなんだ、このメンバーは!と思ってしまいますね。
 書籍やCDも発売していますから、そんなこともやるのかなぁ?

 というわけで、まだよく判らないことばかりですが、追々ここでも報告していきたいと思っています。私の興味はイベントもさることながら、日本各地、あるいは世界各地の子守唄の発掘です。詩や文学とどこかでつながっているはずで、そこを分析できればなと、これは獲らぬ狸かもしれません。子守唄協会のHPはこちら
http://www.komoriuta.jp/cover.html 。興味がある方は覗いてみてください。



水崎野里子氏詩論集『多元文化の実践詩考』
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2008.8.6 東京都板橋区 コールサック社刊 2000円+税

<目次>
第1章 多元文化の実践詩考
多元文化受容とポスト・モダニズム 12
「現代詩は」難解か 16
堀田孝一『匂う土』とボルヘス 21
韓国の詩と日本の詩 27
「抵抗する叙情」――尹東柱と日本の詩人 32
沖縄からのメッセージ 36
沖縄旅行の思い出――多元性と独自性そして独立への道 41
マイノリティの詩観と「女と国家」 47
私の現代アイルランド詩の翻訳について 51
二〇〇六年度イェイツ・サマー・スクールに参加して 53
火の国の女の情熱――清岳こう『ウェディング・ベルを鳴らせ』 55
あるネパールの詩とホイットマン 60
ネパールの旅から――日本・ネパール詩人交流会報告 64
日本におけるポストモダンヘのワン・モア・ステップ――ネパール・日本合同アンソロジーの刊行『花束W』 68
ロマン主義的ホイットマンと日本の前衛詩 73
二〇〇五年度世界詩人会議報告(於・ロサンジェルス)――マイノリティと愛と平和とそしてダンスと 78
リトル・トーキョーへの道 84
アメリカインディアン博物館訪問 88
現在の日本の詩とドリン・ポーパの詩 93
三・一の会公演・李盤作『その日、その日にこそ』 98
短詩の可能性と若く跳ねる詩譜 101
『在日コリアン詩選集』受賞の意味――カルチャー・ギャップと日本のアカデミズム 105
ソウル第二回「韓・日詩の祝祭」報告 110
「第三回日・韓詩の祝祭」報告――「アリラン」と「ふるさと」の大合唱 114
台湾での印象記――多元文化とその詩的可能性 119
多元文化とマイノリティヘのまなざし――二〇〇六年度アメリカ翻訳者会議に出席して(於・シアトル) 121
日本人による英語の短詩――俳句・川柳「ポエトリ・ニッポン」会員の作品 126
スペイン・ヴィゴでの「カストロ記念国際女性文学者会議」報告――パッションの解放と日本の女流短歌 130
スイス「文学者の家」での一ヶ月――西欧の中の「マイノリティ」・その視野と固執 135
二〇〇七年度ALTA・アメリカ翻訳者協会での短歌の歌唱 139
『続現代日本生活語詩集』について――マイノリティの主張と詩語の可能性  142
イタリアからの平和のメッセージ――「ビルマの竪琴」 146
第2章 理想の自然と異郷のふるさと
へルダーリンとハイデッガー――へルダーリンにおける「ギリシア的自然」と「ドイツ的自然」 154
ドイツでの思い出 160
「伝統」と「革新」――ドイツ旅行の思い出と中山直子『春の星』 161
ワーズワース『叙情民謡集』における叙情 166
「故郷喪失」と「ふるさとハンティング」――佐藤亨氏『異郷のふるさと「アイルランド」 国境を越えて』について 170
テロと愛と平和とナショナリズム――二〇〇六年度イェイツ・サマー・スクール参加(於・アイルランド・スライゴー) 171
「イニスフリー湖島」の思い出 176
自然と生命と美と喜び――現代のインド詩と日本の英語の俳句に見る「平和」 178
「宇宙と自然と生命の歌」――現代インド詩人V・S・スカンダ・プラサッドの詩・続 183
種まきと緑と収穫の詩――岡隆夫に見る「農耕詩」の可能性 188
偉大なる国家の栄光と遊牧民の伝統と――二〇〇六年度世界詩人会議報告 193
モンゴルでの思い出 197
風と草木と鳥と空と――山村暮鳥の晩年の詩 200
柿の実の赤――村野四郎と私 202
花のコルドバ 204
反逆としての「朦朧詩」――北島の詩の評価をめぐって 205
スイスと自然と薔薇と詩と 210
第3章 周辺
(フリンジ)の詩人たち
インドの詩人 アフターブ・セットの詩(1) 216
インドの詩人 アフターブ・セットの詩(2) 218
インドの詩人 アフターブ・セットの詩(3) 221
インドの詩人 アフターブ・セットの詩(4) 222
インドの詩人 アフターブ・セットの詩(5) 225
インドの詩人 アフターブ・セットの詩(6) 227
インドの詩人 アフターブ・セットの詩(7) 228
インドの詩人 アフターブ・セットの詩(8) 229
アイルランドの詩人 ジェイムズ・フェントン(1) 231
アイルランドの詩人 ジェイムズ・フェントン(2) 234
アイルランドの詩人 ジェイムズ・フェントン(3) 238
オーストラリアの詩 へンリー・ローソン 241
オーストラリアの詩 モリー・ケネリー 245
オーストラリアの詩 A・B・パターソン 246
第4章 多元的な日本文化
鳴海英吉と演歌的叙情 252
「歌」の復権 255
追悼――木島始とその仕事 257
木島始編・野村修訳『プレヒト詩集』について 261
口語会話体とライト・ポエムの可能性――木島始の翻訳言語について 266
マイノリティとしての私の詩 270
岡本かの子の印象――『老妓抄』のことなど 272
樋口一葉の短歌と『たけくらべ』について 275
日本の短歌と「狂」の思想 279
ジャック・ケルアックの俳句 281
木津川昭夫『詩と遊行』 283
日常性と想像力――島田万里子詩集『緋の器』 284
太宰治『ヴィヨンの妻』について――あはれとをかしの叙情 285
井上靖「風に鳴りたい」について 287
信濃町教会と石原吉郎――「世のための教会」の狭間で 290
老人問題と日本の現代詩 293
酒井力『白い記憶』を俯瞰して――「死」をいかに詩にとどめるか 297
エドワード・ムーア脚本・文化座上演『たつのおとしご亭』について 301
串田和美演出・サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』 304
情熱を失った現在の日本への挑戦――三島由紀夫作・平幹二郎と佐久間良子主演『鹿鳴館』 306
第5章 平和と原爆詩運動
芸術としての戦争詩 316
日本初の完全英語版アンソロジー『戦争と平和詩集』――対訳方式から完全英語版詩集への道 321
核廃絶に向けて・内と外からの「ヒロシマ・ナガサキ」――高炯烈『長詩リトルボーイ』と多喜百合子、エルネスト・カーン共著『大量虐殺』325
池山吉彬『都市の記憶』――詩人の仕事と使命をめぐって 331
長津功三良『影たちの墓碑銘』――歴史意識とコミュニティへの努力 336
御庄博実『原郷』――告発する美しい精神 340
スイスにおける「原爆体験」――浦上天主堂「黒いマリア像」との出会い 345
『原爆詩一八一人集』について――英語版を中心に 349
東大闘争四十周年・「開かれた大学」への道――東京大学と東洋大学に於ける「原爆詩」イヴェント 355
御庄博実氏「核と人間は共存出来ない」――ヒロシマ再訪・ヒロシマの詩人との出会い 359
テレシンカ女史からの手紙と詩――『原爆詩一八一人集』英語版の反響 364
 あとがき 368
 初出一覧 372
 略歴 376



 ドイツでの思い出

 昨年三月に実父が逝去、その後の処理も終わり、現在やっと余裕が出来た。それやこれやで、本年(二〇〇五年)七月十四日から二十四日まで、夫の国際学会に同行してドイツへ行って来た。ドイツは二度目であるが、今回は小川圭二先生の読書会でH・E・テイトの『ヒトラー政権の共犯者、犠牲者、反対者』などを読んだりしていて、何とはなく近い国、としてドイツを身近に感じていた矢先である。滞在目的は夫の専門の学会関係であり、特にキリスト教の関係者とお目にかかったりするわけではなかったのだが、それはそれで有効な旅であった。最初はギーセンという大学町に滞在、夫に同行して当地の大学内を見学したり、ドイツの教授の方々と御一緒に木の下でビールや豚足ステーキなどドイツ料理に大喜び、平和の中に友好、このすばらしさを神に感謝した。ギーセンの町は小さな町で、大学町という他に特に特色のない普通の町だったが、ギーセンの駅にあるキオスクの書店で、ふと『
GEO EPOCHE』という雑誌を見つけた。Kriegsende1945:Das Finale des Weltenbrandesと表紙の下に書いてある。そして表紙の写真は、若い兵士が両手を上に挙げている写真である。一度目は通り過ぎたのだが、翌日、決意して買って来た。内容は、一九四五年時期の文字通り焼け野原のベルリンや人々の様子、そして講和条約調印の様子などが写真入りで説明されている。そして、日本のヒロシマやナガサキの原爆の写真、そして一九三七−一九四九年に亘る中国の戦乱の写真もある。そして「南京虐殺」の写真も。日本では今このような写真集を駅のキオスクで売っているとは、ちょっと考えられないのではないか? さすがドイツだと思った。

 続いて行ったバーデン・バーデンというリゾート地(学会開催地)では、緑の美しさに目を見張った。あるドイツ人の教授に、「日本ではこんなに緑はないです」と、半ばお世辞にて申し上げたら、「日本では雨が多いでしょ」とおっしゃって下さった。この先生は、私が、訪れたフランクフルトの町の広場で歌手が勝手にオペラの歌をすごいテノールで歌っていたことを御報告したら、ライプチッヒの教会での宗教音楽について話して下さったように記憶する。音楽が近い、さすがドイツ、と感じた。また文豪ゲーテの像は、フランクフルトの空港内にもあり。
 有名なシュワルツ・バルト(黒い森)にも行った。遠くから見るとなるほど黒ずんで見えるが、完全な「黒」ではない。これを「黒」と言うは、いかに? ガイドさんのお話によると、昔ローマ人が来て、この森を見て、黒いと言ったそうである。ゲルマンの黒い森。ヘンゼルやグレーテルや魔法使いや白雪姫の民話の森。人々が素朴な生活を頼った、森。だが、戦災で焼けこげたそうでもある。「黒」は、ある意味を我々に提示しているのかもしれない。

 いろいろな経験をしたドイツ滞在。だが、今忘れられないことの一つに、ドイツの若い学生たちの姿がある。大学内で、迷った我々に、教授の部屋への道を教えてくれた若い学生に、なぜか私の同年輩の息子と、「きけわだつみの声」、「ドイツ戦没学生の手記」が重なった。また、私に翌日の観光を考えてくれた学生は、私が「日本の旧憲法はドイツから学んだ。ストリクトで曖昧性がない」と言ったら、「イエス」と言った。彼の青い大きな目が印象に残った。(二〇〇五年冬)

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 副題に(2000−2008)とあり、この8年間に様々な詩誌や会報に発表した評論をまとめたものでした。詩論が中心になりますが、世界各国に旅行した紀行文も収録されており、ここでは日本キリスト教団信濃町教会「婦人会通信」(2005年12月)に投稿した「ドイツでの思い出」を紹介してみました。『
GEO EPOCHE』という雑誌の内容に触れながら〈日本では今このような写真集を駅のキオスクで売っているとは、ちょっと考えられないのではないか?〉という言葉は慧眼だと思います。日本とドイツの敗戦後の処理の違いが問題になることがありますけど、2005年になってもキオスクでそのような本が売れるドイツは、まさに〈さすがドイツ〉ですね。
 長文が多いので引用し切れませんが、詩論も世界中を飛び回る詩人らしく大らかで斬新なものが多々あります。お薦めの一冊です。



詩とエッセイ『異神』102号
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2008.7.10 福岡市中央区 各務章氏発行 500円

<目次>
「小詩集」
滄波を渡る/金子秀俊
獲得・出勤/田中裕子            音のない海・一枚の絵・道/各務 章
ユウレイだって/田中圭介          破文
(はもん)・奪われた言葉たち・影絵(シルエット)/麻田春太
長生きの手本・長生きしたいわけ/小澤清實
「エッセイ」
閻魔大王の哀しみ−鎌倉・円応寺−/田中裕子 魂の叫び/田中圭介
溺れる/麻田春太              土に生き土に死ぬ・季節を取り戻す/各務 章
「報告」故山本哲也さんを偲ぶ会/各務 章
「編集後記」 各務 章



 出勤/田中裕子

やわらかな靴底で地面を鳴らし
細い体の芯に
帽子に被られた子を背負って
大きな袋をゴミ置き場に置いていく
倒れかかってくる日常を
きれいに掃いて 持ち出してきたのだ
結い上げた髪に
すでに一日の大半をつめこんである
トーストのにおいと
キラキラ光るほこりを静かに沈ませて
カチリと鍵をかけた真新しい家は
昼日中 眠り続ける

職場が
しなやかに水を吸い上げては葉を繁らせる
一本の木のようで
ありますように

大きな未来を
重いです と笑った人
ふたつの背中のうしろで
地表も風も
一気に蒸発をはじめる
梅雨晴れの朝が
確かな一日になろうとしている

 〈梅雨晴れの朝〉の〈出勤〉風景ですが、〈倒れかかってくる日常を/きれいに掃いて 持ち出してきた〉という〈大きな袋をゴミ置き場に置いていく〉様子にすがすがしさを感じます。これから向かう〈職場〉についても〈しなやかに水を吸い上げては葉を繁らせる/一本の木のようで/ありますように〉と、あくまでも前向きです。現代詩には職場や仕事の不満を題材にしたものも少なくないのですが、ここではそれらとは違う真摯さを読み取ることができます。最終連の〈確かな一日になろうとしている〉というフレーズからも従来とは違う感性を感じさせる作品だと思いました。



館報『詩歌の森』53号
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2008.7.13 岩手県北上市
日本現代詩歌文学館発行 非売品

<目次>
歌人番付のこと/三枝昂之
文学館活動時評19 俳句に親しんでもらうために/藤原波光
詩との出会い20 カオスからの目覚め/香川紘子
シリーズ 詩歌の舞台裏1 宇宙連詩−宇宙に紡がれる詩歌誕生の舞台裏/山中 勉
連載 現代川柳時評U あれも川柳これも川柳/今川乱魚
資料情報 2008.2〜5
詩歌関係の文学賞 2008.2〜5発表分
第23回詩歌文学館賞贈賞式
日本現代詩歌文学館振興会 評議員動向 2008.2〜5
日録 2008.2〜5



 詩との出会い20
 カオスからの目覚め/香川紘子

 重度障害児だった私は就学免除という形で義務教育からシャットアウトされた世代の一人である。十五歳の六月、生まれて初めて投稿した散文詩が、大阪毎日中学生新聞詩壇(杉山平一選)に第一席で入選した。私にも詩が書けるという自己発見は、神がカオスの海に向かって光りあれと呼び掛けられたあの創世期第一章にも似て、私の夜明けを告げるものとなった。その後も度々入選したが、杉山先生の評には「うますぎる」とか「子どもらしくない飾りが気になる」とかいう言葉が添えられていた。同世代の中学生に比べて、テストや受験勉強と無縁だった私は、有り余る時間を手当たり次第の乱読に費やした、頭でっかちの少女だったのである。

 私が投稿を初めてから三ヶ月ほど経った頃、父は杉山先生宛に「自分は文学には暗いので、ただ娘の言葉をそのまま代筆してやっているだけです」といった内容の手紙を差し出した。先生から折り返しお返事をいただき「新しい詩を読むことと、もっとレベルの高い雑誌に投稿するように」と勧めてくださった。兄が市内の書店から買ってきてくれた現代詩講座第二巻『詩の技法』のなかに引用されていた北川冬彦、安西冬衛、丸山薫の短詩を読んだのが、私の現代詩との衝撃的な出会いとなった。それまで島崎藤村、北原白秋、ゲーテなどの近代詩しか読んだことのなかった私にとって、昭和初期のシャープで感覚的な短詩や新散文詩は、まさに晴天の霹靂だった。これが現代詩なら、今まで私が書いてきたものは詩ではない。言わば、のどかなキャベツ畑で、ロマンチックな夢を見ていた青虫の私が、ある日突然現代詩という大都会の公園に連れ出されて、スリムな蝶に変身するためのトレーニングに汗を流したと言えるのかもしれない。大阪毎日中学生新聞時代からのよきライバルだったYさんから、当時詩壇の公器といわれた「詩学」を教えられたのは一年後の十六歳の七月だった。私の短詩三篇が、「詩学研究会(村野四郎選)」に佳作入選したのはその年の十二月、二回目の投稿の時だった。

 「詩学研究会」に半年投稿を続けた後、北川冬彦監修の詩誌「時間」に、最年少の同人として参加した。三年後の十九歳の五月、第一回「時間」新人賞を受賞した。「時間」には五年間在席したが、そこで出会ったカトリック者の詩人・評論家澤村光博氏とは、詩誌「想像」「言葉」を通して、氏が亡くなられるまで行を共にしたことを、今も誇りに思っている。 (かがわ・ひろこ 詩人)

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 「詩との出会い20」から香川紘子さんの文章を紹介してみました。〈私にも詩が書けるという自己発見は、神がカオスの海に向かって光りあれと呼び掛けられたあの創世期第一章にも似て、私の夜明けを告げるものとなった〉というフレーズに香川さんの喜びが凝縮されているように思います。その上で杉山平一さんの〈新しい詩を読むことと、もっとレベルの高い雑誌に投稿するように〉という言葉があったわけですから、詩人としての将来が約束されたも同然でしょう。しかし、そこに留まることなく〈昭和初期のシャープで感覚的な短詩や新散文詩〉の本質を見抜いたところに香川さんの慧眼があったように思います。香川さんの飛躍を〈ある日突然現代詩という大都会の公園に連れ出されて、スリムな蝶に変身するためのトレーニングに汗を流した〉結果だと私は読み取りましたが、これも詩的な佳い文章だと思いました。



   
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