きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.5.3 前橋文学館 |
2008.7.25(金)
夕方から昔の職場の仲間と市内で呑むことになっていました。しかし指定された店に行くと、予約は受けてない!とのこと。えーっ!? 店の間違いか予約をしてくれた女性の間違いかは分かりませんでしたが、その後の店の対応には素晴らしいものがありました。同じ店の系列店にすぐに電話を入れて予約を取ってくれました。そればかりかタクシーを呼んで送ってくれたのです。歩いても15分ぐらい離れた系列店ですから、予約を取りました、行ってください、それでも私たちは納得したでしょう。思わずみんなで感謝の声。以前から市内では好きな店だったのですが、これでさらに好感度アップですね。
結局、店と客のどちらに非があるのかは分からず仕舞い。それにも関わらず店側の非として対応してくれたことに、客商売のあり方を考えさせられました。客として図に乗るつもりはありませんけど、この対応は詩や文学の団体を預かる側の一員としては肝に銘じておこうと思います。
呑み会はもちろん楽しかったです。その楽しさの一因に店の対応が大きな比重を占めていたことは言うまでもありません。ちなみに店は南足柄市に2店舗を営業している「雄美(たけび)」です。南足柄市の誇り!とは大袈裟ですけど、機会のある方は訪れてみてください。おいしいお酒も揃っていますよ(^^;
○石田邦夫氏著 『戦場に散った兄に守られて』 |
2008.8.15 東京都板橋区 コールサック社刊 2000円+税 |
<目次>
青春を捧げた戦争(その一) 9
<少年時代から戦争に突入した激動を思う>
一、生命軽視の世界大戦時代に育って 10
二、玉砕・総力戦に向かう学徒兵たち 18
青春を捧げた戦争(その二) 31
<レイテ戦における兄の戦死を偲ぶ>
一、兄をはじめ多くの戦死者を出した南方の島々 32
二、白骨街道を作りだす無謀な作戦 54
三、情報戦・兵器開発力に差をつけられて 65
四、神風(じんぷう)特別攻撃隊を命令した大西中将 73
五、世界的恒久平和を願って 107
青春を捧げた戦争(その三) 115
<徴兵により関東軍の一員となり復員までのこと>
一、満州第五二六部隊に入隊して 116
二、終戦の詔勅を聞いて 124
思い出の写真 141
後記 142
参考資料 147
私は源小学校から県立成東中学校(旧制)を卒業してより一年程農業に従事した。兄が茨城県の多賀高等工業を卒業して富士通信機株式会社に勤めレーダーの研究等の開発を行っていたので、農業は私に託された。しかし耕す農地は少なく、戦争の激化で出征する人も多く、不便な水田は返還される時節であり、農産加工にて収入を得なければ経済的自立は出来ないと思い、成岡高等農林学校農村工業実科に一年間の勉学に励んだ。卒業後全国味噌統制株式会社に勤め、講習生として農林省食糧研究所に派遣され昭和十九年の四月より翌年の二月二十五日迄勤め、昭和二十年三月三日より兵役に服した。
昭和二十一年十月二十七日郷里の自宅に帰還してからは食糧不足の世情のため会社を辞め、農業を致さねば食べられない状態であった。昭和期には我が家は小地主であったが、農地解放の嵐の中、農業で自立出来る農家ではなかった。そしてまた不便な山を越えての水田を耕さねばならなかった。畑はほとんどが桑畑であり、桑の株を掘ってさつま芋の畑にして供出等に対応しなければならなかった。それぞれの離れた農地を合わせ一・一ヘクタールで生活するには充分でなく、昭和二十五年に乳牛一頭を求め酪農を始めた。時代の進展にともない増頭してゆき、一番多く飼育した時で三十六〜三十七頭の乳牛を飼育した。息子は県庁に勤め、同じく県庁に勤めていた女性と結婚し、生活にも余裕が出来て来たので七十七歳にて酪農を止め、時間に縛られない生活になったので、戦場に散った兄に涙し自分達の過ごして来た激動の時代の記録を残しておこうと思い、ペンを執った次第である。
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〈〜軍国主義時代に青春を送りし〜〉と副題のある自伝で、著者は歌人でもあり現在82歳です。私の父とほぼ同年輩になりますが、記憶力の確かさ、文章の巧みさに敬服しました。特に「青春を捧げた戦争(その二)<レイテ戦における兄の戦死を偲ぶ>」の章は感動的です。ここでは本文には触れず〈後記〉の一部の紹介に留めましたが、機会のある方はぜひ読んでみてください。戦争に翻弄された家族、特に戦死した兄上への思いが胸を打ちます。著者の誠実なお人柄は紹介した〈後記〉からも読み取ってもらえると思います。
なお、お名前の〈邦〉は本字ですが、表現できないので表記のようにさせていただきました。ご了承ください。
○詩とエッセイ『すてむ』41号 |
2008.7.25 東京都大田区 甲田四郎氏方・すてむの会発行 500円 |
<目次>
【詩】
繋がって■閤田真太郎 2 二人目の義父■坂本つや子 4
世界は名づけを……■川島 洋 8 早春/風の家■田中 郁子 10
ベネチア■赤地ヒロ子 14 瑣事/赤い笑顔■井口幻太郎 16
ヘルプ■水島 英己 20 旧道の彼■甲田 四郎 23
散歩■長嶋 南子 26 夏■青山かつ子 28
辺地の夕まぐれ■松岡 政則 30
【エッセイ】
否定について(2)◆川島 洋 32 『茶の本』再読◆水島 英己 36
疎外/とうどのとり◆閤田真太郎 38 サブプライム・ローンから始まって◆松尾 茂夫 40
すてむ・らんだむ 43
同人名簿 52 表紙画:GONGON
繋がって/閤田真太郎
ひらひら ひらひらと
手をふる笑顔
行き交う車やひとを
見下ろしながら
低い塀に倚り掛かり
ひらひら ひらひら
笑顔が‥‥
手をふる
極たまに
挨拶を返されると
満面の笑顔が崩れて
その白い掌は
一層はげしく振られる
奇異の思いで
無心で 微笑んで
いちにちどれほどの人間が
車のなかから見るだろう
歩道を歩きながら
仰ぎ見るだろう その子を
そのサインを
精一杯の交信を
受けてやっているのだろう
だれかが
連れに来るまでの
ひらひらのとき
笑顔のとき
繋がって‥‥
いるとき
幸せの
とき
〈ひらひら ひらひらと/手をふる笑顔〉の〈その子〉の思いとは何だろうと考えましたが、〈繋がって〉いることの〈幸せ〉なんだと最終連で教えられました。〈その子〉が具体的に〈繋がって〉いることが分かるのは〈極たまに/挨拶を返され〉たときなのだとも教えられて、同じように〈精一杯の交信を/受けてやっているのだろう〉かと考えさせられます。〈満面の笑顔〉で〈サイン〉を送ってくる者たちは、実は世の中に多いのではないでしょうか。それを見逃すなと伝えている作品なのかもしれません。
○総合文芸誌『中央文學』476号 |
2008.7.25 東京都品川区 日本中央文学会・鳥居章氏発行 500円 |
<目次>
◆小説◆
テニスと春乃/柳沢京子/2 酔だら節/曾根 聖/13
帽子の島/寄田恭子/21
◆詩作品◆
あなたに続く道/田島三男/18 最終列車/佐々木義勝/19
●編集後記● 58 ●表紙写真●オーストリア/ハルシュタット市●
あなたに続く道/田島三男
目を閉じて歩くと
耳にあたる風の音が大きい
二つ並んだ自動販売機の一方は
ブーンといい
一方はブウンブウンという
向かってくる車は通り過ぎると
優しい音に変わる
歩道にはみ出した木の葉に
手を差し出し額をあげると
生まれたばかりの陽光が
瞼をオレンジ色に染める
目を閉じて歩くと
膝の痛みを忘れる
歩くことよりも
感じることに一生懸命だ
庭先から聞こえるラジオの音
(誰かが土いじりをしている)
ふいに何かが飛び立ち
そして後を追う羽音
私を追い越すジョギングの足音
何処かのベランダからだろうか
タバコのにおい
何処かの仏壇からだろうか
お香のにおい
こんなふうに目を閉じて
何かを感じて歩くように
目に映るもの以外の
あなたを感じていたい
〈あなた〉をどう採るかでこの詩の読み方は違ってくるように思います。異性と採れば恋愛詩ですし、例えば神と採ると宗教詩になるでしょう。哲学や詩の先達と採ると人生詩と言えるかもしれません。あるいはそれら全てを含めたものであるなら、自己と相対するものをうたった詩となるでしょうか。この詩の中で特筆すべきものは、本来なら恐怖の対象である〈向かってくる車〉さえ〈通り過ぎると/優しい音に変わる〉というフレーズです。ここに作者の心境が突出しているように感じます。様々な読みに耐えられる作品だと思いました。
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