きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.5.3 前橋文学館




2008.7.29(火)


 夕方から日本詩人クラブ事務所で雑誌『詩界』の編集委員会がありました。その前に、ちょっと早めに家を出て銀座に行きました。第14回日本詩人クラブ詩書画展が昨日から開催されていますので、顔を出しておこうと思ったのです。15分ほどしかいませんでしたから、内部の写真は次回にして表の写真だけを携帯で撮りました。

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 写真も見難いし、看板も小さいですね。2年前の前回、第13回のときはもっと大きな、両面が使えるものだったのですが、ギャラリー側で変えてしまったようです。
 会期は8月3日(日)までです。午前11時から午後6時半まで。最終日は午後2時までですが、お近くにお寄りの節はどうぞお立ち寄りください。私は2日と3日にいます。


 夕方6時からの『詩界』編集委員会は、次回253号原稿の査読をやりました。10人で手分けして読みましたから、意外と早く終わりました。時間的には逆になりますが、その前には254号の執筆依頼者の選定を行いました。これが、おもしろいと言うと語弊がありますけど、なかなか楽しい議論なんです。この項目にはあの人がいい、いや、こっちの人の方が専門家だ、などと選定していくのですが、対象になった人の意外な側面が出てきたりして、皆さん、よく人物を見ているなと感心します。60年近くの歴史を持つクラブですからね、古くから入会している人はそれだけ知られているということなのでしょう。それにしても詩誌や著作の文章、委員の皆さんはよく読んでいます。モノを書くときは、知らないところでそういう対象になっているということを、ちょっと頭の隅に置いておくとよいかもしれません。

 対象となった人には、これから執筆依頼が行くと思います。いろいろご都合もあるでしょうが、編集する側としては快諾していただけると助かります。よろしくお願いいたします。



進一男氏短編集『十代浪漫派』
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2008.9.1 宮崎県宮崎市 本多企画刊 非売品

<目次>
青春 9        幻影 31        白い火の玉 55
長谷川 77       一郎と二郎 99     夢より 113
弱い心 141      幽霊 169       むらさき 187
春 199        雨の日 211      死者の言葉 227
典雅なる花の感情 233 面皰 241       冷たき抒情 273
ある一日 285
小品二つ 313      理想郷 315      オルガンの音 324
優しい恋女 329    反射鏡 353      十八歳の断章 359
作品年譜 371
出版にあたって 375



 オルガンの音 昭和十九年二月九日の夢より

 四、五人の友達と一緒に本屋へ行った。しかし気に入るものはなかった。主人と何か問答したあと、友達は帰って行った。けれども私だけは帰る気になれなかった。一人だけ残った。それから二、三時間待った。しばらくのあいだ本屋には一人の客もいなくなった。その時、主人は私を呼んで言った。
 「どんなのが入用なのですか?」
 「川端康成さんのがほしいんだが」
 主人は奥から川端康成氏の著書を五、六冊持ってきた。私はそれを皆ゆずってもらった。その時は実際嬉しかった。しかしまた、客が誰もいなくなってから私にだけこっそり売ってくれる主人の親切が何だか嫌にもなった。
 私が読んでいないのも沢山あった。全然聞いたことすらないものもあった。例えば「天」だとか……
 「天」には川端康成氏の写真が載っていた。若い頃のものらしく――三十歳くらい――草原で数人の女学生と笑いざわめいている写真だった。その次には「エミーの父百十五歳」と記された写真があった。それは私もどこかで見たことのある写真だったが思い出せなかった。
 (川端さんと、この方とはどのような関係なのかしら?)
 私は考えた。
 その次に「天」が載っている。短編である。
 私は、それらの本を携えて帰りかけた。ある二階家の近くまで来たときに、そこから漏れるパイプオルガンの音を聞いた。同時に私は「天」の中の一節を思い出した。


 ……父は私を音楽家にしようと思っていたらしい。私も音楽――楽器をいじるのが好きだった。高等学校時代に体の都合でよく学校を休んだ。父は私を夏の間は軽井沢に、冬になると鎌倉に住まわせることにした。私は学校には、もうほとんど行かなくなった。終日、楽器ばかりいじっていた。そして得意になって、試験に苦しめられている友達のところへ、「もうベートーベンの交響楽が引けるようになったぞ」と書いて送ったりした。
 私の鎌倉の家にはピアノを置いてあった。軽井沢にはパイプオルガンを置いてあった。しかし私は、どちらかと言えばパイプオルガンの方が好きだった。その音が何とも言えず心地よかった。


 ――私は、いつか夏の来るのを待つようになった――
 私は側の電柱に寄りかかって、二階より流れてくるパイプオルガンの音を聞いた。習いたてのようだった。しかし、オルガンの音はよかった。螢の光だった。
 オルガンの音と一緒に主の歌声が聞こえだした。私は、それを聞きながら、こう呟いた。
 「惜しいかな、声は耳ざわりだ」

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 80歳を過ぎた著者の17歳から18歳に書き溜めた短編が収録されています。短編とは言っても比較的長い作品が多いので、ここでは短めの「小品二つ」から「オルガンの音」を紹介してみました。「昭和十九年」といえばまだ戦時中です。その9月に書かれた作品であることが「作品年譜」から判りますが、とても戦時中とは思えませんし、17〜18歳の少年が書いたとは信じられないほどです。川端康成の作品と〈私〉の体験している〈パイプオルガン〉の重なりが見事です。最後の「惜しいかな、声は耳ざわりだ」という締めも良いですね。生まれつきの文才を見せられた思いです。



文芸雑誌『修羅』57号
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2008.7.20 埼玉県桶川市
修羅社・松本鶴雄氏発行 1000円

<目次>
高麗烏――逝く母へ―― 仁科  理 2   さようなら――加藤秀さん 松本 鶴雄 6
あなたに何か      二宮 清隆 8   トンネル         吉野 富夫 28
方丈のうた       永杉 徹夫 38   山葡萄のねじれ      篠原しのぶ 53
モンクタレスター    片岡 虎二 70   月と白梅         高橋 秀同 76
山門のブタ       冬野  良 105   俺たちの終戦       岡谷 公雄 136
シンポジウム特集    編 集 部 168   ムラブアのトカゲ物語   高 テレサ 171
歳月のあしおと     茂神 四郎 204
●規約・同人名簿 37/●合評会案内 203/●編集後記 238
●表紙装画・吉野光



 あなたに何か/二宮清隆

 昭和から平成に年号が変わって、二年目のことだった。井上陽水の『少年時代』が流行り、流行語大賞に「ファジィ」が選ばれた、まだ時代にやさしさが残っていたころのことだ。しかし、まだ多くの国民が気づいていなかったが、バブル経済の崩壊が始まろうとしていた時のことでもあった。
 須永由紀夫、三十二歳は札幌で四度目の冬を迎えていた。真夏には軍隊の迷彩服を思わせた並木のプラタナスの木肌も十二月に入ってすっかり白っぽくなっていた。秋に葉を落とし、剪定された跡の残った剥きだしの枝が抗うように冬空に向かって握り拳をつくっている。どんなに冷たい北風が裸になった街並木を揺すろうと雪がなければ冬らしさは感じられない。だが、北海道の冬は降雪と共にそれは恐いくらい、ある日突然やってくる。
 十二月に入って二週目が過ぎても根雪にならず、このままでは雪なしのクリスマスかと思わせ始めた頃、その期待とも失望ともつかぬ不安定で無防備な気分の隙を衝くように冬はやってきた。陽射しも暖かな朝が嘘のように消え昼を境に俄かに空は重い鉛色に変わり、気づかないほどに舞い降りてきた雪が夕方にはもう札幌の街を粉糖をまぶしたように真っ白にした。
 地下鉄大通駅の改札を通り抜け外へと続く階段を昇り、須永は濃紺のトレンチコートの襟を立てた。白い花びらのような、やわらかな雪がゆっくりと途切れることなく降り落ちていた。午後四時半には早々と陽は落ちて、街は雪降る夜に変わっていた。デパートの外装に飾られていた大きなクリスマスツリーやサンタクロースのネオン、目抜き通りの並木に括りつけられてあったイルミネーションの灯りがやっとそれらしく見えるようになった。あちこちの店先から流れてくるクリスマスソングも異和感なく聞くことができた。須永はこれほどの雪が降ると思っていなかったので傘を持たずに外勤していた。ショルダー型のビジネスバッグを左肩に掛け、両手をコートのポケットに入れ髪もコートの肩も雪の降り積もるままにして会社へ戻る道を急ぐでもなく歩いた。
 街灯の下や店先の明かりのところだけ雪が降りしきるように見えた。会社帰りの人々が歩道に溢れていた。雪を避けて地下街への入口に急ぐ人々が蟻のようにせわしなく黒い人影の行列をつくり吸い込まれていた。睫毛についた雪を払うように何度か瞬きをしながら、降る雪とすれちがう人々の白い吐息に本当の冬が来たと須永は感じた。そして三年前の唐突にやってきた不幸な冬、妻の早智子を交通事故で失った不幸な冬を今年もまた思い出さないわけにはいかなかった。妻の早智子とは東京で暮らしていたが、出産のため早智子は札幌の実家に戻っていた。十一月未に札幌の総合病院で女の子を出産、退院して実家で静養していた。お産には須永も休みをもらって病院で立ち会い、わが子を胸に抱き、安心して東京の仕事に戻っていた。それから二週間後に事故は起きた。この日と同じような雪降る夕方、どのドライバーもワイパーを激しく作動させながら前が何も見えない恐怖を抱きながら運転をする。歩くほうも運転するほうも気をつけていても、持っている運、不運のバランスが崩れるように買い物帰りの早智子は車に撥ねられた。実家に近い信号機のない交差点だった。搬送された救急病院で翌朝、早智子は息を引き取った。内臓破裂が致命的であった。早智子を撥ねた運転者は小さな家屋改修業に勤める気の弱そうな中年の営業マンであった。自宅を訪ねて来て玄関で土下座をし、額を床に打ち付けながら泣きに泣いて謝り続けたと早智子の母親から聞いた。その後、男は逮捕され交通刑務所に服役し謝罪の手紙が毎月、月初めに届いた。それは半年で止めてもらったが、須永にはいつまでも忘れられないほど心に深く食い込んだ嫌な冬であった。何度謝られてもどうしようもない、過失であろうと故意であろうと、どうにも埋められない不条理な喪失感。最愛の妻を失って生きていくことの虚しさは手のひらで溶けていくこの日の雪の結晶のようだった。

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 60枚ほどの中篇小説の、冒頭4枚ほどを紹介してみました。〈まだ時代にやさしさが残っていたころ〉、〈軍隊の迷彩服を思わせた並木のプラタナスの木肌〉、〈その期待とも失望ともつかぬ不安定で無防備な気分の隙を衝くように〉、〈持っている運、不運のバランスが崩れるように〉などの言葉にも魅了されますが、〈須永由紀夫〉の性格が〈コートの肩も雪の降り積もるままにして会社へ戻る道を急ぐでもなく歩いた〉というところによく表現されていると思います。このあと須永は同年輩の同僚女性に強引に誘われて、彼女の行き着けのカウンターバーに行きます。バーのママとその女性は同人雑誌の仲間という設定で、バツイチ。女性と須永の性格の対比がおもしろく、バーでの会話も洒落ている割りにはドン臭いところもあって楽しめます。小説は人間を描くことだと私は思っているのですが、その期待にたがわない小説でした。そろそろ中年を迎えようかという男女の心理が見事に描かれていると思います。機会のある方はぜひご一読を。お薦めです。
 なお、本文は27字23行ですが、あらゆるパソコン画面での読みやすさを考慮してベタとしてあります。ご了承ください。



詩誌『青い階段』87号
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2008.7.25 横浜市西区 浅野章子氏発行
500円

<目次>
応えてほしい/荒船健次 2         傘/鈴木どるかす 4
今日為残
(しのこ)したこと/森口祥子 6    ニッキ/坂多瑩子 8
たうら/福井すみ代 10           階段/小沢千恵  12
山なみ/廣野弘子  14           つるが折れない/浅野章子  16
ピロティ 坂多瑩子・森口祥子・廣野弘子
編集後記                  表紙 水橋 晋



 傘/鈴木どるかす

雨が 音をたてている
止みそうもない
私の傘は錆びついている
義母は頭痛だから どうせ寝ている
それに ビニール傘だから
黙って借りちゃおう

透明な傘の 雨は
天空で跳ねて 光って
ツッーと 粒になる

雨がシャワーのように降りだした
かつてないほど降って
傘は破れそうになる

ああ とうとう傘の骨は 曲がってしまった

玄関で その骨を直そうとするけれども
いうことをきかない
よれよれのまま びしょ濡れになっている

義母の部屋から喉をつまらせているような声がした
起きあがりそうな気配がする
そのうち廊下に出てくるだろう

義母に見つかったら
頭痛の原因も 私のせいにされそうだから
コンビニまで走って行ってビニール傘を買わないわけにはいかない

私は玄関口で やっと開いたビニール傘をさした……

ちぇっ!
また雨が激しく勇ましくなってきた

 〈ビニール傘〉を仲立ちとして〈義母〉と〈私〉の関係がよく判る詩だと思います。〈義母〉については〈頭痛だから どうせ寝ている〉、〈喉をつまらせているような声がした〉、〈頭痛の原因も 私のせいにされそう〉と3点しか出てきませんが、これだけで性格が判ってしまいますね。〈私〉の性格も直接的には〈黙って借りちゃおう〉、〈ちぇっ!〉の2点だけですけど、これまたよく判るように思います。たったこれだけで二人の人格を出してしまう作品! 驚きです。



   
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