きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.7.11 玉原高原




2008.8.1(金)


 清里のギャラリー「譚詩舎」から下記の案内状が届きました。興味のある方はぜひご参加ください。

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  ワークショップ「都市の美しさの行方」へのご参加の呼びかけ

 厳暑の侯、いかがお過ごしでしょうか。突然、お便りをさせていただきます。
 私は現在、福島大学共生システム理工学類・環境システムマネジメント専攻で、地域計画・都市計画・住宅政策などを担当しています。
 実は最近のわが国の都市変貌の姿に触れるにつけ、私たちは都市にどのような意志を吹き込んでいるのか、次世代に何を伝えていこうとしているのか、色々と考えさせられることが多くなってきました。
 そんな折、詩人であり、昨年山梨県の清里に芸術家たちの出会いの空間を意図して、ギャラリーを開いた布川鴇さんから、建築家ダニエル・リべスキンドの作品や彼の著作について紹介していただく機会がありました。詩人の方々にも建築に深く関心を寄せておられる方々がおられることも知りました。昔、学生のころに、「シカゴ詩集」で、詩人サンドバーグの都市に対する熱い想いに大いに触発させられたことを思い出しました。
 さらに建築の仲間達にも話しているうちに、今日の都市が、何か人間としての意志ではないものによって形成されてきており、そのことに対する疑問や不安のようなものが多くの人々の間に横たわっているのではないかと感じるようになってきました。
 今回はそういう都市の行方について話し合う機会をつくりたいと考え、詩人の方々にも参加していただいて、下記のようなワークショップを開くことに致しました。

 前述の八ヶ岳の山々を背景にした清里の森の中にある、ギャラリー譚詩舎を会場にお借りして開催しますので、ご関心のある方にはぜひご参加いただきたいと思います。   (福島大学 鈴木浩)

 ご参加、あるいはご聴講いただける方は譚詩舎までご一報下さい。


□日程
  2008年9月13日(土)14:00〜17:30
  (1)趣旨説明
  (2)話題提供
     a.建築家の立場から(長尾重武/武蔵美大教授)
     b.建築史の立場から(河東義之/建築史家)
     c.都市計画の立場から、(鈴木浩/都市計画研究者)
     d.詩人の立場から(溝口章/詩人)
  (3)意見交換 詩の朗読
    18:00〜20:00懇親会 於 羽村市自然休暇材

口会場
  譚詩舎ギャラリー
   山梨県北杜市高根町清里3545-1 杜のプラザ202

□宿泊など
  歩いて10分ほどのところ、豊かな自然の中に下記のような施設があります。
   ■羽村市自然休暇材(清里3545-3877)(TEL 0551-48-4143〉
   ■(譚詩舎を通して予約すると、下記の料金のうちの「宿泊費」が一人2000円割り引きになります)
    「宿泊費」5600円(3600円)(一部屋二人以上)、一人の場合 7400円(5400円)
    「夕食」 2500円
    「朝食」  900円



季刊詩誌『タルタ』6号
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2008.8.20 埼玉県坂戸市
千木貢氏方・タルタの会発行 非売品

<目次>
米川 征…曇り日 2            柳生じゅん子…帰郷(2) 4
田中裕子…仕上げ 7            峰岸了子…かけ 11
伊藤眞理子…七月のいさめ 12        千木 貢…剪定鋏 15
 *
現代詩のいま
米川 征…言葉/解釈 18          柳生じゅん子…眼差しは尊厳を回復させる 20
 *
峰岸了子…わたしは――大空に舞う 25    伊藤眞理子…黙契 28
田中裕子…人魚 30             柳生じゅん子…缶けり 33
 *
詩論
千木 貢…日常性を超えることば 36



 曇り日/米川征

船に乗っていた男が死のうと思って甲板から海に身を投げた
男は落下するその間にやはり生きていたほうがいい 死にたくないと思い直すのだった
そんな文学作品をめぐって数人で茶を喫みながら感想を述べ合っていた

夫が外出して誰もいなくなった家では 掃除や洗濯を済ませた妻がテレビを見ている
大学を出ても定職に就けず将来を悲観した孤独な若者が都会の繁華街で自爆テロをした
巻き添えの死傷者も出て テレビはそればかり報じている

近くの空港を自衛隊と民間で共同使用するようになってから
轟音が思い出したように近づいては 屋根の上を一気に通過して行くようになった
テレビの前に座った妻の気分は時おり踏みつけにされる

降り出しそうな空模様 それでも庭に持ち出したテーブルを囲んでいた
小さな池の水草を見たり 植え込みの風情を眺めたりして話は続いた
身を投げてしまった男は もうどうしようもなく 海に落ちていくしかないのだった

携帯が間違いのようにかかってきて 話が中断した トイレに立つ人もいた
雨が降り出しているけれど 傘を忘れたでしょう あなたダイジョウブ
途惑うように早口で話して 携帯は切れた

水草の池の一部に水の輪が描かれ 続かずに消えた
雨粒が落ち始めているようには見えない
先ほどから 黒いものがこちらを覗き見して水面のすぐ下にいる

   文学作品=夏目漱石『夢十夜』第七話。

 〈降り出しそうな空模様〉の〈曇り日〉に〈文学作品をめぐって数人で茶を喫みながら感想を述べ合っていた〉というだけの描写ですが、その裏には〈大学を出ても定職に就けず将来を悲観した孤独な若者が都会の繁華街で自爆テロをした〉事件があり、〈轟音が思い出したように近づいては 屋根の上を一気に通過して行くようになった〉現実があります。そして〈小さな池〉では〈黒いものがこちらを覗き見して水面のすぐ下にいる〉。21世紀の日本のある日、ある場所での情景をそのまま読者は受け取ればよいのだと思います。そこにこそ詩≠ェあるのだと思った作品です。



詩誌『さちや』140号
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2008.7.6 岐阜県岐阜市  非売品
篠田康彦氏方編集室・さちやの会発行

<目次>
<詩>
さくら模様   鬼頭 武子 2       新樹       天木三枝子 3
波       河原 修吾 4       ぼくのトンネル  河原 修吾 4
柿       内藤 文雄 6       金魚       小山 智子 6
味噌汁     水島 睦枝 7       もったいない   水島 睦枝 7
しゃぼん玉刑  竹腰  素 8       和蝋燭      松下のりを 12
川       井手ひとみ 13       がらくた     山崎  啓 14
天使の梯子   佐藤 暁美 15       煮豆       斉藤なつみ 16
ことば     斉藤なつみ 16       ギフチョウを思う 大熊 春一 18
新聞      大川 康晴 20       田舎       大川 康晴 22
短い物語(旧作)篠田 康彦 23
<エッセイ>
午後のシネマクラブ(9)井手ひとみ 24    回游する青春の氾濫 藤吉秀彦 26
「こくばん」(斉藤・小山・内藤・水島・今井・山崎) 30
編集後記 33                表紙画・渡辺 力〈スケッチ帖から〉



 川/井手ひとみ

夏の日の午後いつもひとりだった
そうして川はいつも沈黙を守っていたのだ
温かい水がやさしくわたしを守っていたのだ

少しむこうで泳ぎを習うおとうとの
白い足が跳ねて跳ねて
それだけがわたしのまわりの動きだったので
ゆるい眠りがいつのまにかやってきていて

紺色の水着はきょうも乾く間もなく
肩のあたりから藻のにおいがする

わたしは少し呻いてみる
舌をまるめた甘い音が漏れる

部屋の中にはさあさあと川が流れる音がする
それはわたしの左の肩辺りから右の足もとまで
流れていく

年輪のような波紋が
体のまわりで崩れていく

眼を瞑ったままで泳ぐ
耳が温かい水に覆われたまま

流れが少し早くなる
午後の予定はもうたたない
閉ざされた窓が
いつのまにか開いていて
そこから川が
果てしない海へとわたしを運んでいく
きょうは少し饒舌で

 少女時代に〈川〉で泳いだ記憶でしょうが、〈おとうと〉が登場したことで作品に膨らみが出たように思います。詩語としては〈舌をまるめた甘い音〉や〈年輪のような波紋〉などが魅力ですけど、それ以上に最終連が佳いですね。〈果てしない海へとわたしを運んでいく〉川は人生そのものなのでしょう。そして〈きょうは少し饒舌で〉というフレーズが、これまで生きてきた波≠フうち、良かった日を表しているようで見事だと思いました。



詩誌19号
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2008.7.31 千葉県山武市  500円
いちぢ・よしあき氏方 濤の会発行

<目次>
広告 川奈静詩集『ひもの屋さんの空』 2
訳詩 守銭奴の物語 他/フイリップ・ジャコテ 後藤信幸訳 4
作品 チューリップの悲劇/川奈 静 6
   マイバッグ/鈴木建子 8
   ライト・ヴァース/伊地知 元 10
論壇 おしゃべりな奴ら(1)/村田 譲 12
作品 メロポエム・ルウマ 他/いちぢ・よしあき 16
詩誌・詩集等受贈御礼(訂正とお詫び) 20
濤雪 吾が家の事情(8)/いちぢ・よしあき 21
編集後記 22
広告 山口惣司詩集『天の花』 25
表紙 林 一人



 守銭奴の物語/フイリップ・ジャコテ 後藤信幸訳

ある男の価値を いかに称賛しようと
死者たちから 指一本離すことも不可能であろう、
もし その者がおのれの人生や言葉を宝と取り違えるならば、
生涯 泥棒を怖れて過ごすことになろう。

ここはこの男の庭だ。強いて庭を愛そうと努め、
一瞬 歓びで胸が膨らみ、
快闊になり、慎重さを欠いてくる
と不意に 埋めてある財産のことを考える、
いつか分からぬ、決して来ない時のために
蓄えてあるかの財産のことを。ただ一人のひとが
いつも、必ず不意にやって来る、泥棒だ。庭では
夜に紛れ 主人が一人待つ、
電光石火 泥棒が彼に襲いかかる、翌朝、
残った者たちは 太陽のもと 死者の才能の数々を誉めそやす。

   *「泥棒は死の微表(シーニュ)である」(原作者による)。
     詩集『無知なる者』より

 注釈で
「泥棒は死の微表である」とありますから、ここでの〈泥棒〉は死神≠フように考えてよさそうです。そうするとタイトルの〈守銭奴〉は自分の命に固執する者ということでしょうか。第1連で〈おのれの人生や言葉を宝と取り違え〉てはならないと言っており、第2連の〈決して来ない時のために/蓄えてあるかの財産〉は命の無意味さを諭しているように思います。
 浅学にしてフィリップ・ジャコテについてほとんど知りませんでしたので、ネットで調べてみますと1925年スイス生まれ、現在は南仏在住とありました。フランスの中では古典的な手法を使う詩人として評価されているようです。



   
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