きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.7.11 玉原高原 |
2008.8.5(火)
特に予定のない日。終日いただいた本を読んで過ごしました。
○結城文氏訳・竹山広氏歌集 『とこしえの川』百首抄 |
2008.7.14
東京都千代田区 ながらみ書房刊 2000円+税 |
<目次>
謝辞 結城 文 4
序文 Ernesto Kahan 6−18
はじめに 結城 文 20−22
とこしへの川 竹山 広 結城 文訳
海に向く日日 25
悶絶の街 25−81
相向ふ死者 83−89
黄に透る尿 91−97
薄明の坂 99
爆心園 99−100
原爆忌 101−107
不明の死 109−110
一年のうちのいち日 111−133
念念の生 135−137
手記「歴史の彼方のことか−長崎原爆」竹山 広 結城 文訳 138−148
略年譜−竹山広全歌集の年譜に基づく 結城文 150−154
Acknowledgements Aya Yuhki 5
PROLOGUE Ernesto Kahan 7−19
Introduction Aya Yuhki 21−23
Everlasting River Hiroshi Takeyama Translated by Aya Yuhki
Days Facing the Sea 25
Town in Agony 25−81
The Dead I Faced 83−89
Clear Yellow Urine 91−97
The Slope at Twilight 99
The Groud Zero Park 99−100
The Atomic Bomb Anniversary 101−107
Unknown Death 109−110
One Day Within a Year 111−133
The Momentary Life 135−137
Memoir:Is it Long Ago Histor?−Nagasaki Atomic Bomb−
Hiroshi Takeyama Translated by Aya Yuhki 139−149
A Personal History of Hiroshi Takeyama−based on A Personal History of
The Tanka Collection of Hiroshi Takeyama Aya Yuhki 151−155
海に向く日日
Days Facing
the Sea
悶絶の街
Town in Agony
昭和二十年八月九日、長崎市、浦上第一病院に入院中、一四〇〇メートルを隔てた松山町上空にて原子爆弾炸裂す。
August 9th in the twentieth year of Showa,While being in the First Urakami Hospital in Nagasaki,
the Atomic Bomb exploded above Matsuyama machi located 1,400 meter away.
なにものの重みつくばひし背にささへ塞がれし息必死に吸ひぬ
Supporting something heavy
on my bent back
I draw in
choked breath
for my life
血だるまとなりて縋りつく看護婦を曳きずり走る暗き廊下を
along the dark corridor
I run dragging a nurse
who clings to me――
her blood
all over
逃げよ逃げよと声あららぐる主治医の前咳き入りざまに走り過ぎたり
coughing,
I run by
my doctor
who is shouting furiously
“Escape! Escape!”
這伏(はふふく)の四肢ひらき打つ裸身あり踏みまたがむとすれば喚きつ
a naked body
crawling flat hitting with
outstretched limbs――
it screams when I tread on it
then stepped over it
血まみれの友つぎつぎに負はれきてわがかたはらに呻きうめかず
one blood−Stained friend
after another
were being carried――
one groans with pain
another is silent,beside me
鼻梁削がれし友もわが手に起きあがる街のほろびを見とどけむため
with my hands
I support my friend whose nose
is cut off
to see the destruction
of our town
〈浦上第一病院に入院中、一四〇〇メートルを隔てた松山町上空にて原子爆弾炸裂〉したことにより被爆した、歌人・竹山広氏の第1歌集『とこしへの川』が出版されたのは、36年後の1981年だそうです。本著はその和英対訳歌集です。1985年にノーベル平和賞を受賞した核戦争阻止国際医師団のエルネスト・カーン博士も長い序文を寄せていました。
ここでは冒頭の「海に向く日日」から「悶絶の街」の6首を紹介してみました。原本には和英の他に日本語のローマ字読みも掲載されていますが、割愛させていただいております。英文短歌では5行に分けるのが作法だそうです。
短歌も英語もダメな私には紹介の任が重いのですが、それでも〈血だるまとなりて縋りつく看護婦を曳きずり走る暗き廊下を〉や〈鼻梁削がれし友もわが手に起きあがる街のほろびを見とどけむため〉の歌には被爆直後の凄惨さを感じ取ることが出来ます。原爆文学としては第1級の歌集でしょうし、英訳されたことの意義は大きいと思います。ぜひお求めになって読んでみてください。お薦めです。
○詩誌『ONL』98号 |
2008.7.30
高知県四万十市 山本衞氏発行 350円 |
<目次>
現代詩作品 *五十音順に掲載
大森ちさと 蛍 1 大山 喬二 意味 2
河内 良澄 フランス人形 5 北代 佳子 紫陽花 6
小松二三子 テリトリー 7 土居 廣之 夜の父親 9
土志田英介 コスモス 10 徳廣 早苗 茫々として 12
西森 茂 眠られぬままに 14 浜田 啓 らっきょうの音 16
福本 明美 昼さがり 17 文月 奈津 キュウリ 18
水口 里子 ワン・カット 21 宮崎真理子 年長けて 22
森崎 昭生 千年たっても 23 柳原 省三 流れる(改) 24
山本 衞 わらう 26 山本 歳巳 昔、人は/他 28
岩合 秋 長く遠い道 31
俳句作品 瀬戸谷はるか 送り梅雨 33
寄稿評論 村上利雄 詩盲の目線から 35
随想作品
秋山田鶴子 はじめての植樹 37 芝野 晴男 人生の花 38
山本 衞 こだわり 39
評 論 谷口平八郎 幸徳秋水事件と文学者たち(十一) 34
後書き 41
執筆者名簿 42 表紙 田辺陶豊《湊》
流れる(改)/柳原省三
ぼくはめっきり酒に弱くなったが
人の流れにも酔いやすくなった
おびただしい人のかたまりが
どっと流れゆく内に混じっていると
酪酎状態になってくらくらするのだ
こんな時はつい理性も失いかねず
とんでもない失敗をしでかしそうになる
たぶん国を挙げての戦争が起こり
人々がいっせいに流れ始めると
ぼくはすっかり酔っぱらって
威勢よくはしゃいでいるのだろうと思う
潮の速い来島海峡の渦のように
老いの意固地でつむじを曲げていることが
最も大切なのかもしれない
素直なものは酔って流され
歌い踊りながら導かれてゆく
流れから離れ
冷静に眺めている奴がいるのだ
他人を食って生きている肉食獣の輩である
食われる前に食えなんて
もっともらしことをいう奴もいるが
短い限られた一生
まずいものなど食べたくはない
〈たぶん国を挙げての戦争が起こり/人々がいっせいに流れ始めると/ぼくはすっかり酔っぱらって/威勢よくはしゃいでいるのだろうと思う〉というのは卓見です。群集心理を見事に表出させています。関西詩人協会会長の杉山平一さんという詩人が、お祭りか何かの流れを目の前にして、向こう側に渡れなかったことがあったそうです。隣にいた人にまるで戦争のようだ≠ニ語ったことを漏れ伺っていますが、それと同質のものを感じます。最終連の〈短い限られた一生/まずいものなど食べたくはない〉というフレーズも佳いですね。詩人の面目躍如と云える作品だと思いました。
○詩誌『鰐組』229号 |
2008.8.1 茨城県龍ヶ崎市 ワニ・プロダクション発行 350円 |
<目次>
論稿 高橋 馨 真間川、夢の道 永井荷風論 18
連載エッセイ 村嶋正浩 俳人摂津幸彦の生きた時代(8)最終回 11
詩篇
根本 明 たま 02 平田好輝 ある見合い 04
相生葉留実 棕櫚の花 06 坂多瑩子 ゆうぐれ08
草野早苗 訪問者 03 小林尹夫 棲息37 10
白井恵子 夢 34 佐藤真里子 息の帽子 36
山佐木 進 非連続の連続 38 福原恒雄 記憶を咥えて地名的 12
執筆者住所録/原稿募集 40
記憶を咥えて地名的/福原恒雄
そんな
時を得て
子どもの頃の振りをして降り立ったからか
越後滝谷は
「えちごたきや」と駅の表示板は明瞭なのに
駅前からして
地名は均され
狭いがアスファルトの自転車置き場になって
五台をかぞえる
無人駅の時刻表では一時間余に一本の運行
深閑とした時間を眺める
隣家との隙間の空地が目につくこぢんまりの家はいつの改築だろう
木の表札には墨が滲んでいるのだが
遊びも食べる声も洩れてこない
1
山裾は乱れていた
名のあった構えの屋敷跡とおぼしい残る石垣の部分を
見つけて
手を当てる
乾いた湿気は
舗装されたこの集落に到る田んぼのなかの一本道ほどに
あたたかいが
ふゆを抜けても崩落の傷はまだ痛むか
名まえの混じり合った草がさわさわと鳴る山みちは
どこに窄まったか
凝らしても
行き止まり
倒木もある杉木立の一隅に「涅槃城」と刻んだ墓石があった
花が供えられまだ萎んではいない
2
足を向ける方向がなくなって
焚きつけにしていた杉落葉を踏む足もとに
六十余年も現れなければ 変わる変わると
目をあけたままの言い訳が這う
3
光りが影をつくるさいわいの昼を眠っている
ぽつりぽつりの家は
新建材の他人の住む静けさ。迎えられているのか拒まれているのか
日射しが投げかえす記憶は毯栗頭と藁草履の素足。ないものはない
と笑うしかない空腹をズボンのバンドできりり。山へ上る小道の傍
らの流れの石に当たる音と屈んで手を柄杓にして掬った朝の透明な
におい。それだけの健康でしかない疎開家族には敗戦よりも空襲被
災からの復興が火急の用。頼み込んでの借間はそれなりの謝志では
無期限滞留は疎まれる。町衆の腕力では土を掘り起こす経済は叶わ
なかったし。山で伐採した杉の生木を発動機で丸刃鋸が轟音で建材
に刻んだ作業所が田なかの一本道をたどるこの村落への入口にあっ
たのに。いま空地。いや隅っこに小さな民家にくっついた物置小屋。
入り口の板戸は閉まっていてその前に植栽のような土筆の群。すで
に杉菜のみどりを交えて町の川土手のものとは異種と紛うほど真っ
直ぐの三十糎丈で密生。虚ろな仮病のように揺れるとどんどん青空
が寄ってくる。記憶が風ににおう。
もう後ろ姿だけになるか。ああ。惜別の辞は浮かばない。それでい
いと喉が痛む。さっきは気づかなかった民家のハナミズキがほんに
光った。われら何者になったか。
4
トイレにいって
ホームのベンチに掛けてたがいに黙りこくってそんな
時の真ん中に
扉手動の電車が来る
5
まわりに無色無臭の視線を投げながらも
通学の制服たちのなまぐさい鞄がぶつかりあい
ケータイは携行禁止なのか電磁波への礼法かちらつきもしない
言葉から言葉へ笑みをくっつけている声のなかで子どもの頃の振りは眠い
長岡まではふた駅
地名の中にいる生地は
陽が赤くふくらんできた 夕刻だね
記憶じまいの暗色に
あの駅舎の傍らでも枝を張っていたハナミズキの明るさがよぎる
明日のことはわからない とへいきで思えるぜいたく
広報用希望に堪えて
またにぎやかに記憶を騙る者になるだろう
夜昼の別なく定型の灯を積み上げている高層マンションの群れの外れで
さりげなく椀を置いて
ほんに どこまでも
隠れることのない地の糧よ
〈六十余年〉ぶりに訪れた〈越後滝谷〉のことだろうと思います。上越線で東京方面から行くと、越後堀之内、北堀之内、越後川口、小千谷、〈越後滝谷〉、宮内、〈長岡〉と続きます。私は越後川口に親戚つき合いをしている家族がいますので、何度か訪れたことがありますが、なかなか良い処です。有名な魚沼のコシヒカリの産地で、人情も篤く、住んでみたいと思う土地の一つです。
しかし、それは現在のこと。〈疎開家族〉として住んだ者としては〈無期限滞留は疎まれる〉状態だったのでしょうね。4の〈ホームのベンチに掛けてたがいに黙りこくって〉というフレーズにその心境も出ているように思います。おそらく〈われら何者になったか〉をも尋ねる旅でもあったのでしょう。〈明日のことはわからない とへいきで思えるぜいたく〉を確認しながらも〈記憶じまい〉になったものと思われます。しかし、戦争の影を引き摺る疎開世代の代弁となったことは確かだと思った作品です。
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