きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.7.11 玉原高原




2008.8.6(水)


 長良川の上流が見たくなって、岐阜県郡上市白鳥という処に行ってみました。郡上八幡の踊りは有名なのですが、ここでは白鳥おどりというイベントを8月の1カ月をかけてやっているようです。今日はあいにく開催日ではなかったのですが、今回はそれが目的ではありませんから特に不満も感じませんでした。それより、夕方すごい夕立が襲って来て、久しぶりの豪雨を体験しました。喫茶店の窓から雨を眺め、稲光にも驚いていましたけど、1時間ほどでパタリと止んで、ずいぶん男性的な雨なんだなと思いました。目的の長良川は、雨の影響まで間があったようで、何事もなかったかのようにとうとうと流れていました。川を見つめる時間というのも良いものです。

 夕食で見つけた呑み屋さんには炉辺がありましたが、大衆的な店らしく値段も手ごろ。岐阜といえば三千盛。残念ながらそれは置いてありませんでしたけど、まあ、そこそのお酒は楽しめました。国道のバイパスに面した店ですので、地元の人以外にも通りすがりの客らしい人も多く、店の対応も良かったです。詩を書くのは下手ですけど、佳い呑み屋さんを探すのは、我ながら上手いもんだと思いましたね(^^;



詩誌『展』72号
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2008.7 東京都杉並区 菊池敏子氏発行 非売品

<目次>
●さなぎ:山田隆昭              ●この色:河野明子
●リセット:名木田恵子            ●ことば:五十嵐順子
●拝啓 故ルチアーノ パバロッティ様:菊池敏子
●みんなでひとこと



 この色/河野明子

婦人服の売場で
−如何ですか−と
ジャケットを薦める私に
その人は きつい口調で言い切った

この色は嫌いなの
見たくない色だわ

−おしゃれな色ですが−

昔はこの色が 国中に溢れていたのよ
思い出したくもないわ

−今年 流行の色ですけれど−

この色はとても恐い色なの
二度と溢れて欲しくないの

−カーキ色 国防色 陸軍の制服の色−

この色を着るなんて とんでもない
平和が するっと逃げないように
華やかな色を身に着けたい

去りぎわのひとことが 胸に迫る

 迷彩色は嫌いなのですが、実は私、〈カーキ色〉が好きなのです。〈国防色 陸軍の制服の色〉とはちょっと色味が違って〈おしゃれな色〉だと思っています。正確にはオリーブ・ドラブという色で、若いときには米軍払い下げのジープをその色で塗装し、米軍の軍服を着て遊んでいました。
 しかし、ある年齢以上の人には〈とても恐い色〉と写るのでしょう。その感覚は尊重しなければならないと思います。〈平和が するっと逃げないように/華やかな色を身に着けたい〉という気持ちも理解できるつもりです。色には何の責任もないのに、それを利用した人間によって、嫌われる色もあるのだなと考えさせられました。



二人誌『すぴんくす』6号
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2008.8.1 東京都板橋区 海埜今日子氏発行
250円

<目次>
寄稿 棒状の/岩佐なを…2
書評 想像=物語が共鳴する――
Ian McEwan Atonement/海埜今日子…6
  時のねむり 静かに(グリム童話「いばら姫」のための)/佐伯多美子…10
   果肉祭(ハテルニクノマツリ)/海埜今日子…13
Bastet's Room



 時のねむり 静かに
グリム童話「いばら姫」のための)/佐伯多美子

ねむりに入っていくと
決まって
背骨をひとすじの冷水がながれる
百年の記憶の
ひとすじの冷水

それは
招かれなかった十三番目の占い女の呪い

いばらに閉ざされた
百年のねむりは
十五の少女のねむり
(兵士のねむり 馬のねむり 蝿のねむり 花のねむり)
時のねむり

時がねむり
そして
記憶する
背骨をながれるひとすじの冷水は
少女の肉色の骨を
凍らす

凍りながら
堕ちもせず
浮いている
百年の時を
浮いている
宙に
硬直して
浮いている

(地上では今日もいばらに刺されからみつかれみじめに死んだ命の数が伝えられる)

ねむりつづけながら
夢は
見ない

宙に
凍りながら浮いている

静かに

 〈ねむり〉とは何だろうなと改めて考えます。体験的には眠ることによって再生の活力を得ていると云えるのでしょうが、〈百年のねむり〉には〈百年の記憶〉が無かったことになるでしょう。8時間の記憶がないことと100年の記憶がないことを同列に考えること自体無謀なのかもしれませんが、起きていたからと云ってそれもまた記憶することとは違うように思います。人類は100年の歴史を記憶し、何かを学んだかと云うと、はなはだ怪しいものです。(地上では今日もいばらに刺されからみつかれみじめに死んだ命の数が伝えられる)というフレーズはそれを謂っているのではないでしょうか。〈招かれなかった十三番目の占い女の呪い〉は今も続いているように感じた作品です。



詩&エッセイ『む』10号
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2008.5.30 山形県山形市
芝春也氏方・詩工房S発行 非売品

<目次>
芝  春也 P ナマナマ〈スナップ15〉2   E 青猪と大怪魚 4
いであつし P 言の端(ことのは)8     E 詩人の戦争責任(4) 11
いとう柚子 P となり1−集合住宅の日々−14 E ポエトリー・リーディング・ライブを覗く 16
安達 敏史 P 顔 18            E 悪態日記 20
阿部 栄子 P 花 22            E 明暗 24
あとがき・同人名簿 26



 顔/安達敏史

この顔と付き合ってきて五十年
ひげを剃る

髭そりに失敗して
ティッシュの切れ端などあごに貼った
情けない朝
疲れた象のように
開いているのか閉じているのか 判然としない目がある

どれほどのモノを見たのか この目
どれくらいの匂いを嗅いできたのか この鼻
どれほどのモノを食べ 毒を吐いてきたのか この口

ホクロに伸びた一本の髭は 敗残兵の墓標のように
目尻の皺の深い渓谷には 流れる涙も枯れあがり
砂ぼこりのような目やにが堆積している

五十年
この顔が 僕であったか
お前が 僕であったか

この顔と付き会ってきて五十年
ひげを剃る
春の


 〈春の/朝〉の〈ひげを剃る〉光景だけを描いた作品ですが、味わい深いものがあります。〈この顔〉を自虐的に書いたことが奏功していると云えるでしょう。特に〈どれほどのモノを食べ 毒を吐いてきたのか この口〉が秀逸です。第5連の〈この顔が 僕であったか/お前が 僕であったか〉という視点もおもしろいですね。この発想はなかなか出来るものではないと思います。男の〈顔〉の〈五十年〉、私も思わず鏡を見たくなった作品です。



   
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