きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.7.11 玉原高原




2008.8.7(木)


 岐阜県から富山県へ足を延ばしました。九頭竜湖、九頭竜峡を見ながら西進して福井ICから北陸自動車道に乗りました。九頭竜峡は期待しながら国道158号線を通ったのですが、正直なところあまり面白くありませんでした。クルマを降りて遊歩道でも歩けば良さを発見できたのでしょうが、運転しながらではダメなんでしょうね。地元の名誉のために、あくまでも車窓からの眺めでは、と限定しておきます。
 北陸道を走るのもずいぶん久しぶりな気がします。10年は走っていなかったでしょう。北陸道から名神・東名と東進して帰宅。思った以上に早く着いて驚きました。高速道路の発達で日本はますます狭くなったように思います。一般国道をひたすら走った時代がなつかしい気もしますけど、これはこれで楽しめたドライブです。この夏は東北旅行を計画していますから、8月は日本の半分近くを走ることになるでしょう。各地の風景を愉しみたいと思っています。



なんば・みちこ氏詩集『下弦の月』
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2008.8.1 埼玉県所沢市 書肆青樹社刊 2477円+税

<目次>
T 脱皮
こども 12      脱皮 16       犬 20
一匹の 24      木 28        銀杏のトルソー 32
幼年の頃 36     雨上がり 40     かあさん おはよう 44
どじょう 48
U ビロード服の男
満月の夜 54     屹立する 58     トマト 62
下弦の月 66     星座 70       脱走 74
眼を洗う 84     ビロード服の男 84
V 猫とわたし
古い家 90      人形 94       藁人形 98
誰なのか 102     ご用心 106      大野の桜 110
流木と月 114     白い鳥 黒い鳥 118  手をつないでいるのは 122
猫とわたし 126
あとがき 130     初出一覧 132



 下弦の月

何を求めて激しく
音を立てているのだろう
覗いて見ると
一匹のギンヤンマが
飛び退
(すさ)り 飛び込み
頭をまっすぐ
ガラス戸に打ち付けている
暮れてしまった廊下に
灯りをつけて間もなくのことだ

ガラスの内側が
その複眼に
どのように映っているか
花園のように見えるか
恋人がそこにいるとでも?

それは突撃を強いられた
特攻隊の兵士にも
見える姿

カーテンを引き灯りを消したら
やがて音は消えた
彼は半月に向かって
美しく飛んでいったのだろう

だが翌朝
若い兵士は
羽を広げたまま 乾いた地面に
静まっていた
緑の複眼に何を焼き付けて
逝ってしまったのか
はやくも蟻の群れが
取り巻き始めている

 4年ぶりの第10詩集になると思います。今回は20年ほど前の作品も何篇か収録したとありましたが、いずれも古さを感じさせませんでした。基本的な視線にブレはないということでしょう。ここではタイトルポエムを紹介してみましたが、〈暮れてしまった廊下〉の〈灯り〉と〈半月〉とが同列で扱われていることに驚きます。この感覚はおそらく詩でしか現せないものだろうと思います。〈下弦の月〉と〈ギンヤンマ〉の組み合わせを誰が考え得るでしょうか。ベテランの味に酔い痴れた詩集です。



飯島章氏詩集『陽なた坂』
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2008.8.5 群馬県北群馬郡榛東村
榛名まほろば出版刊 1600円+税

<目次>
陽なた坂 3
*註 104
あとがき 110



 陽なた坂

  街ぜんたいがひとつの
  曲がった坂になって あなたの
  記憶のなかに沈んでゆく      吉本隆明『記号の森の伝説歌』「叙景歌」


陽なた坂を見上げ
みんなで歩いていく
わたしは自転車の荷台に手を添え
(あっちを見、こっちを見の、みちくさ気分で)
後ろから押していく

さわさわと梢をわたる風をとおく感じながら
上に上に息をつめて登ると
そこは逢魔が時の静けさ

そこは陽の涯
そして共に夢を見、共に生きている内なる
世界の果て

そこから上には行ってはいけない

許された春の一日
その涯の 桜の老木の下
ねじりはちまきの人たちが飲み 歌っていた

バカボンのパパと昭和の花見かな *

わたしは妹と「おさるのかごや」を踊る
おだわらちょうちんとはどんなものであったろう
囃し立てられ踊るいっときの にぎやかさと
ゴザの上 大の字に寝転んで見上げる青空のふしぎな静けさ
頬をほてらせ
サイダーひとくち口に含んで *
妹が笑う

  えっさえっさ えっさほいさっさ
   おさるのかごやだ ほいさっさ
    日暮れの山道 細い道
     小田原ちょうちん ぶらさげて *

近くに
渓流が急に足下に迫る場所があって
恐れた
腹ばいになって
こわごわと覗き込み また
青空の果てのないことを ぼんやりと
悲しんで
わたしは ふっと飛んでいった

    日暮れの山道 細い道
     小田原ちょうちん ぶらさげて

春の闇はだれのものか
風に舞う数限りないさくらの花びらが
飛び跳ね 踊る幼な子たちのように
日暮れの坂を 細い道を 淡いあかりとなって
逃げていく
わたしは眼を閉じ逃げる幼いサル
深い闇をおそれ、そして
あこがれる
その思いの矢のような、青葉のひかりまで駈けて行く

桜の老木の下では
忘れられたリンゴがひとつ 孤独を嘆く
艶々とした硬い頬を月が掠め
風がそっと寄ってリンゴにささやく
「孤独、その冷たいひかり、いっしゅんの甘いかおりをこそ分け合おう」

その声に下草がいっせいにそよぎはじめ、
不安が生繁る
暗いみどりのやわらかな子供たちが 目覚め
息を継ぐかすかな気配に
リンゴは風もろとも さようなら

「もうみんな夢見る時間だ」
あきらめたように 陽だまりだった斜面を 転がっていく
それから 断崖を
鳥さえ降りていかない、という
「ならく」
と呼ばれた もっと
もっと先まで 不服そうに

夜明け前の数十分
お父さん、お母さん
わたしは知らない
その息つめて待つひととき
渓流もまだ霧の深々とした褥のなかにあって
くねくねと下る長いみちのりの途上で
花嫁のように
眼をつむって ぐずぐずと
かすかなつぶやきをもらす「時」のあることを
そして知らず識らず「ならく」の声に
うなずいていくことを

 *註 「いま、ここ」を「彼方」と繋ぐ風のように
「街ぜんたいがひとつの…」吉本隆明「叙景歌」。一九八六年・詩集『記号の森の伝説歌』(角川書店)より。詩のレイアウトは二〇〇七年『吉本隆明詩全集6』(思潮社)版による。
「バカボン」赤塚不二夫「天才バカボン」。一九六九年『週刊少年マガジン』(講談社)連載開始。一九五〇年代の花見、思い出すもの、茣蓙、一升瓶、焼き饅頭、サイダーのすぐ消えてしまうキラキラの泡、ビール瓶の栓の裏のコルク。栓を抜いたばかりの泡のついたコルクをなめると苦く、大人というのは実に不思議だと思った。そして、まつぼっくり、松葉、松葉に刺した桜の花かんざしなど。
「サイダー」一九五〇年代は「全糖シャンペンサイダー」と呼ばれていたようだ。「三ツ矢サイダー」への改称は一九六八年(フリー百科事典『ウイキペディア』)と、ある。
「おさるのかごや」一九三八年・作詞 山上武夫。以前、テレビで一度だけ漫画家の楳図かずおが踊る「おさるのかごや」を見た。実に、楽しそうで。あんなふうにわたしも踊ったのだろうか。

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 目次を見ていただければ判りますように、100頁近い1編の詩です。本著に目次はありませんでしたが、便宜上つけておきました。〈*註〉も、これ自体が詩のようにも思えて、該当部分のみ載せています。タイトルの〈陽なた坂〉は群馬県前橋市に実際にある名前だそうで、それに魅せられて、1年以上かけて創作したとのことでした。
 長い作品ですので、ここでは冒頭の部分のみを紹介しました。〈そこから上には行ってはいけない〉〈世界の果て〉を感じた〈わたし〉は、〈知らず識らず「ならく」の声に/うなずいていくこと〉になるのでしょう。筋立てもおもしろい1冊の、いや、1編の詩集です。



詩誌Void18号
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2008.7.30 東京都八王子市
松方俊氏方発行所 500円

<目次>
『詩』
酒田は雛の街道に、お上人様の対話が降る 他一篇…中田昭太郎 2
陶酔と、弛緩と、…原田道子 8
変える力…浦田フミ子 10
熊野抄…小島昭男 12
『小論』寄贈詩誌から…中田昭太郎 17
『詩』
大自然手繰り寄せ…森田タカ子 18
白布の宿 他一篇…松方 俊 20
後記…森田タカ子、中田昭太郎、小島昭男、松方 俊 24



 変える力/浦田フミ子

裏山が 削られ
赤土と 砂利、そして粘土の地層が
ここに在ってから はじめて
太陽の 光を浴びて いる

削りとられた 全面に
ただ一本の 柿の木が
根をひろげる
―地上は 切り株

()わ根を おもいっきり 両手いっぱい
 押しひろげ
底根は 数もしれぬ 長く白い髪の毛
祈りのように 垂れ下がり
岩盤の かすかにうごく ひび割れに
水を もとめて はいり込む。        (〇八・七・三)

 この作品はタイトルが重要だと思います。この場面での〈変える力〉は2通りに考えられ、一つは〈全面に〉〈削りとられた〉〈変える力〉、もう一つは〈岩盤の かすかにうごく ひび割れに/水を もとめて はいり込む〉ような〈変える力〉が考えられます。もちろん〈太陽の 光〉も削り取られた裏山の状態を変える力になりますが、ここでは〈はいり込む〉力を採った方が良いでしょう。〈ただ一本の 柿の木〉の〈上わ根〉、そして〈祈りのように 垂れ下が〉る〈底根〉の、現状を変えようという力が読み取れた作品です。



   
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