きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.7.11 玉原高原 |
2008.8.10(日)
この秋、地元の西さがみ文芸愛好会が刊行する『文芸作品に描かれた西さがみ』の原稿書きに追われていました。小部数とはいえ市販もされますから、商品としての文章になるかどうかも試されていると思っています。だから真剣(^^; だからと云って同人雑誌にはテキトーに書いてるというつもりはありませんけど、見ず知らずの人がお金を出して買ってくれるかと思うと身が細る思いですね。本当は腹だけ細ってほしいのですが(^^;;;
ま、冗談はさて措いて、まじめに書いてますということだけをご報告しておきます。
○展覧会解説書 『ヴォルプスヴェーデにおける リルケとフォーゲラー』 |
2008.8.5 山梨県北杜市 ギャラリー譚詩舎刊 1300円 |
<目次>
ごあいさつ
6.リルケとロダン・そしてヴォルプスヴェーデ素描/田中清光
10.フォーゲラーとリルケ/神品芳夫
14.回想――R・M から学んだ事柄/尾花仙朔
18.リルケとフォーゲラー展に寄せて――安息の「家」への帰還/富田 裕
26.立原道造の問い/吉田文憲
29.立原道造とフォーゲラー/近藤晴彦
39.不可解なカザフ追放について/鈴木 俊
43.激動の時代を生きた美術家――「ハインリッヒ・フォーゲラー伝」書評より/相沢史郎
50.リルケとフォーゲラー年譜
フォーゲラーとリルケ/神品芳夫
二十世紀前半は史上希にみる激動の時代だった。とりわけドイツ語圏は、第二帝政興隆期、第一次世界大戦、ワイマル共和国時代、そしてナチ独裁制時代、第二次世界大戦と、社会はほとんど十年単位で目まぐるしく、しかも根こそぎ変化するというありさまだったから、この時期を生きてゆく詩人や芸術家はだれしも社会の激流に翻弄されて苦しみ悩んだ。たいていの人は5年ないし10年ぐらい表舞台で活躍すると消えてゆくというふうに、文学・芸術の担い手も激しく交代した。その間にあって、時代の変化に対応して自らも変貌しながら自分の存在を貫いたのは小説家トーマス・マンと演劇人ベルトルト・ブレヒトだけといってよい。詩人にはそういう存在は見当たらないが、さしずめリルケが長生きしたとすれば、その二人と肩を並べる仕事をしたかもしれない。しかし反ナチズム色の弱い、壮大な内面世界の構築を推し進める方向のものとなったであろうと想像される。ところでフォーゲラーについてはどうだろう。彼は時代の変化に対応して自らも変貌しながら自分の存在を貫いた人だったといえるのか。あるいは、フォーゲラーの人生は錯誤の連続だったのだろうか。
リルケとフォーゲラーがフィレンツェで出会ったとき、リルケ22歳フォーゲラー25歳であった。ドイツではエーゲントシュティールの開花期に当たり、文学(文芸書)と美術との共同作業が華やかに展開していた。詩集『わが祝いのために』の成功により、リルケとフォーゲラーは詩人と画家との絶好のコンビと見られた。しかしリルケは文学・美術の共同作業では結局美術が主体となり、詩文は絵模様に包み込まれてしまうことを知り、リルケは自分の詩集に挿絵を入れることを拒むようになる。すでにヴォルプスヴェーデ滞在のときから、詩のテキストを美術で飾ってもらうのではなくて、詩のテキストそのものが造形美術が創り出す物と等価なものでありたいと願うようになった。オーギュスト・ロダンのもとでその願いは確信となり、リルケは彫刻のような質量と表面を持った詩を書こうと修練を重ねた。彼のいわゆる「事物詩」はこうして確立された。それは言葉による造形であり、美術からの詩の独立を意味していた。『マリアの生涯』で再度の共同作業を望んだフォーゲラーの提案をリルケが拒否したのは当然のなりゆきだった。しかしフォーゲラーもこれをきっかけにエーゲントシュティールの挿絵画家から抜け出して、変貌をとげてゆくことになる。(以下略)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
2008年8月8日から9月27日まで清里のギャラリー譚詩舎で開催された「リルケとフォーゲラー展」の解説書です(この文章は11月17日に書いていますので、過去形となります)。解説書≠ニ呼ぶにはあまりにも立派なので躊躇するのですが、他に適当な言葉が思い浮かびません。普通の展覧会では図録として販売されているものに該当しますが、絵が主体ではありませんので解説書としました。
ここではリルケとフォーゲラーの関係について簡単明瞭に述べられている神品先生の冒頭の部分を紹介してみました。このあとリルケの詩「受胎告知」を中心に論が進められていきますが、それは是非手に取って読んでみてください。〈詩のテキストそのものが造形美術が創り出す物と等価なもの〉である具体例として述べられています。私はリルケについてもフォーゲラーについても詳しくはないのですが、〈フォーゲラーの人生は錯誤の連続だったのだろうか〉という問いかけは、フォーゲラー研究の大きなポイントだろうと思いました。
○詩誌『二行詩』25号 |
2008.8.11
埼玉県所沢市 非売品 伊藤雄一郎氏方連絡先・二行詩の会発行 |
<目次>
哲学する二行詩(3)風に吹かれて/伊藤雄一郎
五月/高木秋尾
身震い 他/布谷 裕 不眠症/濱條智里
ハングル・イン・ザ・通話記録/全 美恵 能面写真展/渡辺 洋
恋路/渡辺 洋 友 他/小林妙子
竹節虫(ななふし)/佐藤暁美 「木陰集」/青柳 悠・岸田たつ子・永野健二
先人の二行詩を訪ねて/伊藤雄一郎 お便りコーナー(1)(2)
あとがき
小林妙子
友
元気かと聞いている 元気だと応える
手紙の筆跡をなぞりながら
網
インターネットの検索をクリック
世界一小さな「窓」が開く
数
クローバーを見つけると
とっさに幸福の四つ葉をさがしている
朝
向い側のマンションの壁
陽がジャムを塗るようにひろがってゆく
音
ブルドーザーが一日中 口の端から
ぽとぽと土をこぼして働いている
「朝」と「音」が良いですね。「朝」は〈ジャムを塗るように〉という直喩が絵のように浮かんできます。「音」は〈口の端から/ぽとぽと土をこぼして〉いるという観察に驚きました。〈ブルドーザー〉もシャベルカーも、常に〈口の端から/ぽとぽと土をこぼして働いてい〉るのを見ていますが、それを詩的に捉えることは出来ませんでした。お見事!
○個人詩誌『進化論』9号 |
2008.8.10
大阪市浪速区 佐相憲一氏発行 非売品 |
<目次>
詩 放浪者のうた 1
藤井貞和著『言葉と戦争』評 3
下村和子詩集『弱さという特性』評 4
中村花木詩集『ぶらんこ』評 4
特別ゲスト 詩 白いニキビが俺を刺す/豊原清明 5
特別ゲスト エッセイ 足を踏み続けられる者達/新井豊吉 6
詩論 二十一世紀、太陽系第三惑星にて/佐相憲一 7
詩 文学−じゆう−/佐相憲一 10
受贈詩誌等紹介 11
受贈詩集等紹介 13
地球論・文学論 第三回 常夏のアヴァンギャルド 〜あるいは、鬼さん、こちら〜 15
第42回小熊秀雄賞公募要綱 17
詩 代打 18
代打
究極のサービス業だってことは知っている
誰の代わりか
〈時代〉の代わりか変わり目か
大変なんてもんじゃない
天才打者でも三割そこそこが
一回限りの土壇場で
十割を期待されている
矛盾は文学だと言うから
いま自分は文豪か
緊張なんて通り越したね
開き直りってやつかな
満ちる声援が
コロッと心無いヤジに
そんなものだ世間なんて
それでも腐らず流れと願いを背負うんだから
かんべんしてくれよな
不思議と静かな瞬間だ
ピッチャー ガチガチじゃん
おーい しっかりしろよ
かわいそうに
いっそこっちに移籍したらどうだ
ますます矛盾の文学だ
カキーン
そうして歴史はすすむらしい
本当に打った人物は名前さえ忘れられて
〈代打〉は確かに〈一回限りの土壇場で/十割を期待されている〉んですから、〈大変なんてもんじゃない〉と思いますね。それを〈文学〉と絡ませたところが見事です。ところで、代打=ピンチヒッターではない、と言った詩人がいます。ピンチのときに打席に立つのではなく、チャンスのときに打つのだから、チャンスヒッターではないか、と。文学もチャンスのときに打ちたいですね。そんなことを考えさせられた作品です。
← 前の頁 次の頁 →
(8月の部屋へ戻る)