きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.7.11 玉原高原




2008.8.12(火)


 上野の国立西洋美術館で開催されている「コロー展」を観てきました。〈光と追憶の変奏曲〉と銘打つだけあって、詩情豊かな作品が溢れていました。ルーヴル美術館やオルセー美術館蔵の作品も多く展示されていましたから、今後、日本でこれだけの規模のコロー展は開催できないだろうなと思ったほどです。19世紀のフランスの印象派へ与えた影響も大きいという解説にも納得しました。会場も「初期の作品とイタリア」、「フランス各地の田園風景とアトリエでの制作」、「ミューズとニンフたち、そして音楽」などテーマ別に分けられていて見やすいものでした。
 しかし、展示方法には少し疑問を持ちました。突然、他の作家、例えばセザンヌやシスレーなどの作品が出てくるのです。コローの意識で観ていますから、えぇーっ?と思って説明札を見るとルノワールだったりして驚きました。テーマに沿った作品であるとは思いますけど、今日はしっかりコローを観るぞ!と思って田舎からやって来た者としては興醒めでしたね。コローだけでも充分な量の作品があっただけに残念です。
 ま、それは措いても、やはり絵を観る時間は楽しいものです。小説や詩とは違って、一瞬で観られてしまう絵描きさんには大変申し訳ないのですが、30秒や1分で一つの絵が鑑賞できるというのも美術館を訪れる愉しみなのです。



季刊詩誌『新怪魚』107号
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2008.4.1 和歌山県和歌山市
くりすたきじ氏方・新怪魚の会発行 500円

<目次>
 水間敦隆(2)断崖の風U         前河正子(4)湖辺の弦
 上田 清(6)水の歴史(二十八)   佐々木佳容子(8)水仙の花束
 井本正彦(10)夢から醒めたように…    今 猿人(12)『
sixteen's』より
五十嵐節子(14)闇に帰る        くりすたきじ(16)雨宿り
 林 一晶(18)老人は           外山洋子(24)生の証し
 寺中ゆり(26)ランボーの詩        エッセイ(27)山田 博
     (28)編集後記         表紙イラスト/くりすたきじ



 雨宿り/くりすたきじ

傘とり虫がやってきて
ぼくの傘をとって逃げた
ナメクジみたいな顔と
手と 足してさ
ノロノロと逃げた
ぼくの足が動かなかったのは
たぶん
夢のと中だったから

すごい雨が手をつないで落ちてくる
ぼくは空にむかって
とんでゆく
ロケットみたいだ
傘たて雲がやってきて
雨はやんだ
でも 川のように雨水が流れてくる
どこかで まだ降っている
たぶん どこかで

雨宿りの季節が過ぎるまで
ぼくはそこに立っていた
星があふれた空の下で
風が舟のように近づいては
ぼくを呼ぶ
もう 雨はこないと
たぶん こないと

夜明け前
ぼくは舟にのった
まっ黒い地平線がみえた
どこまでも
どこまでも 続く
ポリプロピレンの渇いた草原だった

 〈すごい雨が手をつないで落ちてくる〉、〈雨宿りの季節が過ぎるまで〉などのフレーズが佳いですね。特に〈雨宿りの季節〉という言葉は詩語としても充分通用すると思います。最終連の〈ポリプロピレンの渇いた草原〉は科学文明への警鐘とも採れます。やさしい言葉で〈雨〉と〈ぼく〉との関係を描きながら、その奥では文明批評もちゃんとやっている佳品だと思いました。



季刊詩誌『新怪魚』108号
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2008.7.1 和歌山県和歌山市
くりすたきじ氏方・新怪魚の会発行 500円

<目次>
  前河正子(2)対話          上田 清(4)水の歴史(二十九)
 五十嵐節子(6)幻売り通りを抜けて  曽我部昭美(9)変化
(へんげ)
  今 猿人(10)『
sixteen's』より  佐々木佳容子(12)リターン
 中川タツ子(14)かえりたい人      水間敦隆(16)断崖の風V
くりすたきじ(18)北の亡者U       北山りら(20)存在
  エッセイ(21)山田 博            (22)編集後記
 表紙イラスト/くりすたきじ



 かえりたい人/中川タツ子

かえりたい人は
くつをさがす
かえりたい人は
カバンをさがす
カギとサイフ
二八十円のバス代
おい!でんわ でんわ
これからかえるって
コレカラカエルっていってくれ
かえりたい人は
上衣をさがす
帽子…つえ
かえりたい人は
さあ!という
何べんも
さあ!
あとのことばはカエロ
かえりたい人は
大きなまどから
夕やけをみるたび
うれしそうにゆう
さあ! かえって
ふろいって さけのんで
ねよ!
カエロカエロカエロ
いまなんじ
かえりたい人の体は
病院のベッドのなか…。
かえしてあげられないわたしは
ベッドのそばで
途方にくれてたってます

 〈かえりたい人〉は今どこにいるのかが最後で判って、効果的な作品です。〈かえしてあげられないわたし〉の〈途方にくれ〉た様子も痛いほど伝わってきますね。〈おい!でんわ でんわ〉、〈さあ! かえって/ふろいって さけのんで/ねよ!〉などのフレーズからは、〈かえりたい人〉の性格や普段の生活まで見えるようです。短い詩の中に〈かえりたい人〉という人間をうまく形象化させた作品だと思いました。



個人詩誌『魚信旗』50号
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2008.8.15 埼玉県入間市 平野敏氏発行 非売品

<目次>
空 1        体重 2       かげ 4
一生の傷 5     母の日 6      過ぎる 7
幻夏 8       人生の総量 9    祈 10
大欅 11       熱い視線 12     反骨 13
後書きエッセー 14



 人生の総量

若者が追い越していく
自分は老いの姿を実感する
自分はゆっくりと歩いているわけではないのに
つぎつぎと若者たちに追い越されていく
こうして老いは取り残され無視され
いつしか歩道橋の上から流れる車の勢いを見下ろしている
世の移ろいをまんじりと眺める
はじめて人生に託
(かこ)ち顔する
忘れていた幸福の量を思い出してみる
不幸の量も思い出してみる
差し引きなんてできないのに
何となく幸福の量の方がすこし多いみたいだと
いままでの人生を満足する
今更に不幸の方が多かったなんて思わないほうがよい
自分に同意して満足したほうが身が軽い
世界はいま不幸に満ちていると思い込んでいる人が多い
それでは自分も不幸になるのに
何となく他人
(ひと)の所為にしている
幸福や不幸は他人
(ひと)が作るものではないのに
自分の不幸を他人
(ひと)の所為にしようとしている
殺し合うことの不毛
人はみなその火種を持っているのに使わないだけだ
幸福も不幸も人生の総量
不幸が少ない分だけ幸福が多いということだ
若者たちが軽快に老いの自分を追い越していくのは
幸福の量が老いの自分よりも多いからだろう
るんるん めでたいことだ

 今号は50号記念の作品特集と銘打たれていました。おめでとうございます。5年で50号だそうですから、ほぼ毎月発行してきたことになります。今後も長くお続けになられますよう祈念しています。
 紹介した作品は、まず、タイトルが佳いと思いました。そして、〈差し引きなんてできないのに/何となく幸福の量の方がすこし多いみたいだと/いままでの人生を満足〉できるのは、やはりそれなりの努力があってのことではないかと思います。〈自分に同意して満足したほうが身が軽い〉というフレーズも名言です。そればかりではなく〈若者たちが軽快に老いの自分を追い越していくのは/幸福の量が老いの自分よりも多いからだろう〉と、次世代への視線もあたたかです。〈幸福も不幸も人生の総量〉、噛み締めたい言葉です。



   
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