きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.7.11 玉原高原 |
2008.8.27(水)
東北旅行3日目。国道45号線を陸中海岸沿いにさらに南下し、岩手県宮古市・浄土ヶ浜に至りました。ときおり強い陽射しもある天気で、お定まりの観光船遊覧も快適でした。神奈川県の久里浜と千葉県の金谷を結ぶ東京湾フェリーでも体験することなのですが、船を取り巻くウミネコの数がすごいですね。東京湾フェリーでは積極的にエサをやることはしないのですが、ここでは餌付けも観光の一部になっていて、鯉の餌ならぬウミネコの餌を売っていました。餌とはいっても食パンでしたけどね。
写真は餌付けの模様で、題名をつけるとすると、やっぱり「キャッチ!」かな。ウミネコもよく観察すると餌を捕るのがうまいヤツと下手くそなヤツがいます。うまいヤツは空中で見事にキャッチして、乗客からも感嘆の声があがっていました。船のすぐそばまで、場合によっては船内に入り込んで捕るのですが、船はウミネコに関係なく速度を上げています。船のまわりは相当な乱流になっているはずですが、翼を広げ、畳み、場合によっては落下して翼を急展開して急上昇。それはそれは見事なものでした。私も昔はハンググライダーやパラグライダーで遊んでいましたから、多少は気流が読めるつもりでいますけど、この乱流はまったく歯が立たないでしょう。それを見事に…。生まれつきの鳥だから当たり前かもしれませんが、人間の力では及ばないことをごく自然にやってしまう姿に改めて感激しました。
ところで餌捕りの下手くそなヤツの話。海面に落ちたものを拾いに行くんですね。空中のキャッチはやはり難しいらしく、半分ほどは海面に落ちます。それを待っているヤツも当然いるわけで、乱気流の中を身体を張って餌捕りに行くことと比べると、体力の消耗は極端に少ないでしょう。鳥の飛行というのは相当体力を使うらしく、そのために大喰いだという説もあるぐらいで、それはそれで理に適った話です。自然は力あるものだけでなく、力のないものでもそれなりに生きる術を与えているのかもしれません。
ウミネコの乱舞を見ていて思い出すのは、やっぱり3日前に死んだ愛犬のこと。今ごろは裏の畑の隅に埋められていると思いますけど、こんなウミネコたちのように生命力に溢れたときもあったなぁと、ちょっとシンミリしてしまいました。
○詩とエッセイ『千年樹』35号 |
2008.8.22 長崎県諌早市 岡耕秋氏発行 500円 |
<目次>
詩
あの草原の民を/早藤 猛 2 はくあい・真実・蝶・深海魚・椿/松尾静子 4
野火原野/佐々木一麿 12 侵蕩/和田文雄 16
システムの草原・日々の中で・木霊/鶴若寿夫 24
祈り・再生/わたなべえいこ 32 ひじ鉄/竜崎富次郎 36
夏の日に/江崎ミツヱ 38 炎暑二題/岡 耕秋 40
エッセイ
曽鞏と鑑湖の干拓/植村勝明 44 東京雑感/佐藤悦子 47
モンゴル通勤/早藤 猛 50 古き佳き日々(三二)/三谷晋一 54
続・小豆の国から/日高誠一 58 少女たち/松尾静子 63
樹蔭雑考/岡 耕秋 68
『千年樹』受贈詩集・詩誌等一覧 70
編集後記ほか 岡 耕秋 72 表紙デザイン 土田恵子
あの草原の民を/早藤 猛
夏の土曜日の午後
銀座のケーキショップの二階
紅茶とモンブランで一休み
二階の窓から交差点を見ている
あの国では赤信号も青信号も
無視して車がはしる
草原の馬群のように競う
夏の土曜日の午後
銀座のケーキショップの二階
草原の彼らの生活の姿に思いをはせる
私は遠い昔の匂いを懐かしんでいる
物を造らない彼らは
羊を 馬をおいながら乳をしぼり
小麦粉のボーズを食べ 茶をのむ
夏の土曜日の午後
銀座のケーキショップの二階
遊牧民の娘と母を
バケツに汲んだ重い水を運ぶ姿を
仔馬に吸わせた後で馬乳をしぼる
あの一家の汗を吸ったシャツと
さらりと乾いた風と光に思いがながれる
遊牧の民 季節に移動する一家
要るものだけ 余分なものは持たず
それでも今は
ゲルの出入り口に太陽光電池があり
液晶テレビの映像が色鮮やかに映る
沈まない草原の夕日 喉に馬乳酒が冷ややか
日焼けした顔の皺と目が笑っている
〈銀座のケーキショップの二階〉と〈草原の彼らの生活〉との対比がおもしろく感じられた作品です。彼我の違い、例えば〈赤信号も青信号も/無視して車がはしる〉ことや〈要るものだけ 余分なものは持た〉ないという生活が書けるのは、作者が実際に〈遊牧の民 季節に移動する一家〉と一緒に生活したことがあるからなのでしょう。それは〈私は遠い昔の匂いを懐かしんでいる〉というフレーズにも、エッセイの「モンゴル通勤」にも現れています。〈あの国では赤信号も青信号も/無視して車がはしる〉のは、〈草原の馬群のように競う〉からだ、〈遊牧民〉は〈物を造らない〉ということも教わった作品です。
○詩誌『交野が原』65号 |
2008.10.1 大阪府交野市 交野が原発行所・金堀則夫氏発行 非売品 |
<目次>
《詩》
在って在る/森田 進 1 犬の声/杉山平一 4
立ちつくす日/小長谷清実 6 狐/高貝弘也 8
ドロボー/佐々木洋一 10 私鉄駅から/平林敏彦 12
物売り/三井葉子 14 口…巾(くちはば)/岩佐なを 16
はじめのおわり/一色真理 18 未来の期限/宮内憲夫 20
とびら/片岡直子 22 短い首/望月昶孝 24
大事な秘密/大橋政人 26 ぬばたまの夢枕詞唄(連作の一部)白妙のころも/八木幹夫 28
つまさきだちで/島田陽子 29 火星人のえくぼ/望月苑巳 30
樹木人−降臨の場/溝口 章 32 転写(コピー)/田中眞由美 34
もうすぐバスがくる/岡島弘子 36 雨の指/佐川亜紀 38
ひかる石/松岡政則 40 星鉄/金堀則夫 42
水風船/川中子義勝 44 鳩の血/北原千代 46
夢の工事/高階杞一 48 初夏に降る雪/藤田晴央 50
抜歯/田中国男 52 過程/美濃千鶴 54
言葉より先に/岡野絵男子 56 当たり前のこと/古賀博文 58
刑期/渡辺めぐみ 60 遠い百合への旅 追悼・小川国夫/八島賢太 62
『オレステイア三部作』あるいは読書の愉しみ/相沢正一郎 64
《評論・エッセイ》
■安西冬衛……内部立体の世界へ/寺田 操 66
■城戸朱理と東北盛岡−『戦後詩を滅ぼすために』によせて−/岡本勝人 70
◆−追悼−社会悪告発の闘士・浜田知章の死/長津功三良 92
◆極私的詩界紀行2/冨上芳秀 94
*『沈黙の春』と小鳥/吉田義昭 96
*「あんみつ」小論/新井高子 98
《郷土エッセイU》◇かるたウォーク『たわらを歩く(4)』/金堀則夫 110
《書評》
三井葉子句まじり詩集『花』深夜叢書社/谷内修三 73
現代詩人文庫9『原田道子詩集』砂子屋書房版/清岳こう 76
北沢栄・紫圭子連詩『ナショナル・セキュリティ』思潮社/原田道子 78
吉田義昭詩集『北半球』書肆山田/八重洋一郎 80
大橋政人詩集『歯をみがく人たち』ノイエス朝日/高橋英司 82
冨上芳秀詩集『言霊料理』詩遊社/愛敬浩一 84
武士俣勝司詩集『野が放つ』詩誌「PF」出版/溝口 章 86
石下典子詩集『神の指紋』コールサック社/苗村吉昭 88
御庄博実・石川逸子共著『ぼくは小さな灰になって…。』西田書店/北岡淳子 90
《子どもの詩広場》第三十一回小・中・高校生の詩賞「交野が原賞」作品発表 交野が原賞選考委員会 100
編集後記 112
《表紙デザイン・大薮直美》
過程/美濃千鶴
湯船につかって洗い場を眺めると
視線の高さにおしりが並ぶ
日焼けした全身にそこだけが白く抜けたおしりや
しぼみかけた風船のような光沢のないおしり
巨大な肉の塊の隣には
まだ丸みのつかない未熟な果実
女たちはからだを洗いながら
それぞれの人生を無防備に曝している
修学旅行のお風呂でわたしは
ひとりのクラスメートのおしりに
見とれたことがあった
美人ではなかったが色の白い彼女のおしりは
顔や腕よりもさらに白く
ふっくらと丸く艶やかで
あんなにきれいなおしりは見たことがなかった
その後何年もたってから
嘘つきで友達の少なかった彼女が
子供を連れて離婚したと
風の便りに聞いた
自分では見えない自分のおしりの美しさを
彼女は知っていたのだろうか
彼女に子供を生ませた男は
それを彼女に告げたのだろうか
のぼせ気味のわたしの目の前を
青い小さなおしりがさっと横切った
その小さなおしりを追いかけて
ぱん、と張りきった立派なおしりが
悠然と風呂場を出て行った
銭湯は今では少なくなっていますから、温泉場での女風呂の様子でしょうか。〈それぞれの人生を無防備に曝している〉〈おしり〉の、そこに至るまでの〈過程〉を描いた佳品だと思いました。決して健康とばかりは言えない〈おしり〉もなかにはあったでしょうが、健康的なイメージを思い浮かべることができるのは、作者の健康的な視線の故ではないかと思います。特に最終連の〈その小さなおしりを追いかけて/ぱん、と張りきった立派なおしりが/悠然と風呂場を出て行った〉というフレーズが佳いですね。母娘の将来を祝福したくなった作品です。
○隔月刊会誌『Scramble』95号 |
2008.8.24
群馬県高崎市 高崎現代詩の会・平方秀夫氏発行 非売品 |
<おもな記事>
○反省…芝 基紘 1
○私の好きな詩 谷川俊太郎 詩「朝/あさ」…金井春美 2
○会員の詩…3
清水由実/今井道朗/吉田幸恵/遠藤草人/平方秀夫/横山慎一/鈴木宏幸/福田 誠
○スクランブル100号記念アンソロジー原稿募集 8
○100号記念アンソロジーヘ全会員参加を 8
○編集後記…8
理髪師/平方秀夫
人の生の領域をどれだけ見透かしているのか
一丁の鋏で人の相を
簡単につくりあげてしまうのが
理髪師だ
二十五年間も
私を創ってきてくれた理髪師A女も
六十三歳で三年前店をしめた
五冊の私の詩集を読み込んでいたので
私の出自と今を よく知っていたのだろう
だから 私を表現しようとして
術を髪型にかけたのではないか
理髪師A女の推めもあって
近くの店に変えて三年
一ヶ月に五耗毛は伸びるからと
まず時間と生長の摂理(せつり)を
理髪師の男は計算して鋏を入れる
帰ってくるなり
髪型はいいじゃない
女房のいいじゃないを
どうとったらいいのか迷う
今日は孫娘を幼稚園に送ってきたという
おかみさん理髪師B女だった
女房は 何それ というのだ
髪全体を切り詰め
ジョギングでよく出あった
あのおっさんと同じ髪型だ
〆切ギリギリでようやく一篇
怠慢の私を見抜いてのことか
理髪師B女の術は
当たっているようにも思えるのだ
〈理髪師〉が〈人の生の領域をどれだけ見透かしているのか〉というのは、その通りではないかと思います。今は高齢で廃業していますが、私の父親もかつては理髪師で、そんな話も時々していました。作品は〈理髪師A女〉の〈私を表現しようとして/術を髪型にかけた〉ことと、〈おかみさん理髪師B女〉の〈あのおっさんと同じ髪型〉の対比がおもしろく、それを〈怠慢の私を見抜いてのことか〉としたところに詩人の面目躍如たるものを感じました。
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