きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.7.11 玉原高原




2008.8.30(土)


 午後から小田原の伊勢治書店に併設されているギャラリー「新九郎」で講演会がありました。小田原良寛会10周年記念行事として8月27日から9月1日まで「良寛さん・絵と写真で見る生涯」展が開催されています。その一環で「良寛さんの杖」という講話がありました。講師は西さがみ文芸愛好会の会員でもある東泉院住職の岸老師。岸さんのお話は私も何度か伺っていますが、論旨がはっきりとして面白いものです。今回も期待を裏切らず、良寛さんの師・国仙老師が良寛さんに与えた印可状(禅寺の免許状のようなものだそうです)を中心にした話で、惹き込まれてしまいました。
 その印可状の文言の補足として出された言葉が印象的でした。こういうものです。

 爾(ナンジ)に柱枝子(チュウジョウス、杖のこと)あらば我(ワレ)爾に柱枝子を与えん
 爾に柱枝子無くんば我爾に柱枝子を奪わん

 「爾」には人偏が付いていますが表現できないので省略した字を使っています。あんたに杖があれば私は杖を与えよう、無ければ奪ってしまおう、という意味で、まるで禅問答(^^; 「柱枝子」をこだわり≠ニ解釈すると意味が通じるようです。あんたにこだわりがあるんだったら更にこだわりを与え、無いんだったら更にこだわりを奪ってしまおう、となると判るような、判らないような…。こだわりを持ってる奴にはどんどんこだわりを与えて潰してしまえ、無い奴からは更にこだわりを取って悟りの境地に入ってもらおう、と私は理解しました。

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 そう広くもない会場は人で溢れかえりました。もちろん立ち見も出て、あとで聞いたら108人もの人が集まったそうです。冗談で、百八ツの煩悩の集団、なんて言っている人もいましたけど、それだけこの地方では岸禅師の人気が高いということです。
 背景の藁葺きは良寛さんの草庵を模したものです。その前に立つ岸和尚は、まるで現代の良寛さんですね。1時間半近くの講話でしたが、途中飽きることもなくアッという間でした。良い話を聞かせてもらいました。ありがとうございました。



岩瀬澄子氏詩集『白い闇』
第6次ネプチューンシリーズX
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2008.8.16 横浜市西区
油本氏方・横浜詩人会刊 1200円

<目次>
T
風葬の地 8     白い闇 12      ダルマ船 16
笛を吹く少年 20   置き去りにした思い24 表札 28
天恵 30       玄 32        黄泉からの便り 35
気配 38
U
光りの弦 42     花よりも優しく 45  別れいく人 48
波の穂 50      鮮やかな記憶 53   道 56
残存 60
V
生きている形 64   ねばならない 67   座標 70
流生 74       在る 76       蛍 78
花の木の下 80    流木抄 82
あとがき 84



 白い闇

菩提寺の東側には
こんもりとした緑に覆われた社が
桜を満開にさせている

彼岸も過ぎた朝
墓石を照り返す白い闇が
俄かに彩雲を呼び
快い眩暈のなかにわたしは投げだされる
後退りするわたし
縺れた足は歩くことを忘れ
飛び立つばかりに浮いている
鳳凰が夢に翼をかしている

白い闇から覗いている
花車に乗った懐かしい顔たち
みんなこの道を行ったのだ
その轍が刻んでいるもの
そこに声をかけてみる

笑っている 泣いている
でも声はない
咲いている 枯れている
でも色はない
そこに雫れていく花の重さ

地蔵菩薩のまえ
花も見ないで逝った幼い瞳に種を残し
花びらが子守唄をうたい
轍を埋めていく

立ち昇る煙が瞬間 風をよび
春の嵐が花びらを舞い上がらせ
白い闇は解けていく

 第4詩集になるようです。ここではタイトルポエムを紹介してみましたが、〈闇〉は黒い、あるいは暗いものとの先入観に捉われていた私は、意表を突かれました。その〈白い闇〉とは、〈墓石を照り返す〉闇だと謂うのですから、著者の感覚の冴えを感じます。〈地蔵菩薩のまえ/花も見ないで逝った幼い瞳〉、〈立ち昇る煙が瞬間 風をよび〉というフレーズからは、子を亡くした母を想像させます。〈白い闇〉とは、その子も含めた、亡くなった人たちの〈闇〉と読み取りました。



個人詩誌『伏流水通信』28号
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2008.8.25 横浜市磯子区 うめだけんさく氏発行
非売品

<目次>

身分証明書…長島三芳 2
無情な殺意…うめだけんさく 4
漂う波間…うめだけんさく 5
 *
フリー・スペース(27) 八月が来ると…大石規子 1
 *
<エッセイ>「時が滲む朝」寸感…うめだけんさく 6
<シネマ・ルーム>「殯の森」を観て…うめだけんさく 7
 *
後記…8
深謝受贈詩誌・詩集等…8



 身分証明書/長島三芳

詩人の作品は
一枚の身分証明書のようなものだ
生前に皮肉やの近藤東さんが
私にそう言って嘯
(うそぶ)いた。

そうか、詩は身分証明書のようなものか
その近藤東さんはいつか
私よりも早く風のように逝って
枯葉となって火葬場で燃えてしまい
詩人の持っていた身分証明書を無くした
その反対に私はまだ
近藤さんよりも少し長生きをして
今も詩を書いている。

私は長く生き延びたのであろうか
秋の終わりに濡縁まできてチンチンと鳴く
「鉦たたき」の淋しい声を聞きながら
ふと身分証明書を失なった近藤さんとの
遠くなった距離を計りながら
死者との会話も出来ずに
地下酒場で共に酒も飲めずに
秋の夜に深く沈んでいる。

振り返って見ると
私の友人は皆んな
残酷な詩の旅から解放されて
身分証明書を無くして
朝の冷たい鰯雲となって宇宙を流れている
その反対に私はまだ固く
身分証明書を振りしめて今日も生きている。

 〈皮肉やの近藤東さん〉とは生前、遠くからお姿を拝見する程度の縁しかありませんでしたが、〈詩人の作品は/一枚の身分証明書のようなものだ〉とは、上手いことを謂ったものです。しかし、それを作者は〈残酷な詩の旅〉と捉えているようです。その通りなのかもしれませんね。詩なんてものを書きさえしなければ、どれだけ気楽に生きられるかわかりません。それでも〈固く/身分証明書を振りしめて今日も生きてい〉くことが詩人の宿命のように感じました。



   
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