きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.8.28 松島




2008.9.6(土)


 日本詩人クラブの詩論研究会が東大駒場で開かれました。
講師、早稲田大学名誉教授の清水茂氏による「イマージュ・イデー・ことば」という講義が行われました。詩におけるイマージュ、イデーとはどのような性質を帯びているかを現代フランスの詩人たち、ルヴェルディ、ボヌフォワ、ジャコッテなどのフランス語の原詩を交えながらの講義で、なかなかレベルの高いものでした。追いつくのがやっと…、というのは見栄で、ぜんぜん追いつけなかったというのが正直なところでしょうね(^^; 「会場にはフランス語に堪能な方が大勢いらっしゃいますので、原語で」と言われたときは面食らいましたけど、テキストにはちゃんと和訳も書かれていてホッとしました。

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 気が小さくなったばかりに写真まで小さくなってしまいました(^^;; この難しい講義を34名もの人が聴いたんですから、たいしたものです。質問も「ルヴェルディについてもっと詳しく教えてください」なんて高度なもので、私なんか初めて聞いた名でしたので、世の中ではちゃんと研究している人がいるんだなと感心してしまいました。

 懇親会はいつもの神泉「からから」。こちらは私の独壇場なんですが、今夜はおとなしく2次会も設定しないで帰宅しました。夏の疲れが出ているところに久しぶりのイベントでしたから、ちょっと体力負けというところでしょう。そうそう、今日は80〜200mmという重いズームを持って行ったので、そのせいがあるかもしれません。昔から80mmはポートレート用として写真家に愛用されています。せっかく持っているのだからと使ってみましたけど、やはり良いですね。撮っていて気持ちが良かったです。ちなみに上の写真は150mmぐらいで撮りました。ここでは縮小してますのであまり綺麗に見えませんが、原画は良いですよ。




詩と批評『逆光』68号
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2008.8.25 徳島県阿南市
宮田小夜子氏発行 500円

<目次>
胡蝶蘭/藤原 葵 2            六ヶ所村/鈴木千秋 4
湧き水/近藤美佐子 6           小台の風景−束の間の休息−/ただとういち 8
万吉/ただとういち 10           届かない/細川芳子 12
葵/細川芳子 14              イエーツよ/木村英昭 16
昼夜逆転/大山久子 18           まっすぐな道/大山久子 20
初夏/嵯峨潤三 22             「雪花」/沙 海 24
春の産声/儚田佑子 26           河童の冷笑/儚田佑子 28
午前四時七分−清徳丸哀悼−/宮田小夜子 30
シリーズ
詩(詩人)との出会い(34)『山河の詩魂』−浜田知章について/篠原啓介 34
意志への論考 2/香島恵介 37
新藤兼人のことなど/篠原啓介 42
コラム〔交差点〕45
あとがき 48                表紙 嵯峨潤三



 胡蝶蘭/藤原 葵

思いがけず知人から届いた
白い胡蝶蘭
花言葉は 幸福が飛んでくる とか
星明かりの夜 海を渡り
舞いとまる 東南アジアの白い蝶

清純な優雅さに 空気が異質を感知し
戸惑い ささやきあう
花屋で 買うことができずに
遠巻きに眺めていただけの花が
空間を姿形のまま 切り取って
一枚の静物画となる

こんなふうに生まれる花も
そんなふうに咲く人も
確かにあることを知る
青き六月の小雨降る夜

不都合なことには なるべく
気付かないふりをして暮らすことが
私の つましい生活の知恵
男に幻影をみることのない淋しさと
思春期の少年とのアンバランスな暮らし

こんなはずじゃなかった と呟くと
こんなはずじゃなかった?と 問い返す声がして
シトロンの泡の清涼を飲む

胡蝶蘭も夢を見るだろうか 美を完結して
誰かの視線などなくてもいいの と
白い花の強靭さが 私を圧倒する

幾日かが経って
サ行の音をさせながら
ひとひら 胡蝶蘭の散る音を見た

 〈白い胡蝶蘭〉の〈清純な優雅さに 空気が異質を感知し/戸惑い ささやきあう〉というフレーズが、胡蝶蘭をよく表現していると思います。それに対する人間の側の〈不都合なことには なるべく/気付かないふりをして暮らすことが/私の つましい生活の知恵〉というフレーズに、作者の生きる姿勢を見る思いがしました。最終連の〈サ行の音をさせながら/ひとひら 胡蝶蘭の散る音〉も感覚的で優れた作品だと思いました。



詩誌『エウメニデス』32号
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2008.9.5 長野県佐久市 小島きみ子氏発行
500円

<目次>

溶媒 4    清水恵子          恋ふみ 8     海埜今日子
偽華 十一 10 及川俊哉          JESUS LOVES ME 14 小島きみ子
詩論
萩原朔太郎における「憂鬱(melancholy)」という詩的感情の発見 28 小島きみ子
あとがき 43



 JESUS LOVES ME/小島きみ子

 4 美的性質の変質

…そして、私と夫は、息子の親権を巡って話しあいが続いていた。
この都市には、将来の息子の居住も含めてなんでも揃えた。これも
私と夫の共存の範囲かもしれない。
(ねえ、エヴァ。たとえば真冬の夜の森での非・生殖的な行為は欲
望としてのエロティシズムであろうけれども、想像力によって喚起
される美意識でもありえるか。どう思う?生殖的であるか、非生殖
的であるかの欲望の違いで、美意識にどんな差異があると思う?)
(静かにして、F。外で何か動いているわ。森の動物から見れば、
人間の非生殖的な欲望なんて、みんな異常なのよ。美的な性質って
のはね、社会的な物質の移動と拡散の変化でしょ。十七世紀でも、
十八世紀でも、美的性質の階層社会における異動はなかったのよ。
美の性質を備えた価値ある物質というものは、ブルジョアのもので、
庶民のものではなかったからね。ところが、十九世紀において物質
の価値というものが、人間の社会階層の上と下での異動が始まって、
物質の価値は変質したの。)(それってエヴァ、革命家と詩人の手柄
かもね。)(なるほど、そうかもしれない。現象的な物質の美的性格
が無意識の欲望と関係していることを知るには、美醜の対立ではな
く、美の変質と価値をみることでしょう。)(物質の価値の変質は、
それを所有したいという欲望が絡んでくることよ。美的性質の変質
は王の欲望と庶民の欲望との違いではなかった?)(価値の変質は、
欲望をどこの段階で満足させるかということ。限りない欲望か、限
り有る欲望か。そしてどうしたら所有できるかということ。みんな
と同じものを所有したいと欲望するか、みんなと同じものは所有し
たくないと欲望するか。そしてもしかすると、その価値の変質と異
動は、この次は、人間と動物の間での変化になるのよ。言葉を持た
ない動物の欲望と、言葉を持つ人間の欲望との間に移動と拡散があ
ると思う?まさかよね。人間からの自然か、自然からの人間になる
かってことよ。動物を人間が征服しているというのはね、妄想なの
よ。この「仙境都市」ではね、人間より、イノシシやサルの数のほ
うが多いのよ。静かに。あ。森の動物のアニマがやってくるわ。)

 「JESUS LOVES ME」という総題のもとに「1 守護神パラスアテナ(Pallas Athena)」、「2 誤報」、「3 生物学的に分節しきれないものの始まり」、「4 美的性質の変質」、「5 イルミネーションツアー」、「6 グラツイア(優美)」、「7 母性棄却」、「8 『JESUS LOVES ME』」、「9 われらは夢と同じ糸で織られているのか?」という章が収められている長編散文詩です。ここでは「4 美的性質の変質」を紹介してみましたが、単独の作品としても充分読むことができると思います。作品後半の「仙境都市」は、主人公たちが共同研究している都市とお考えください。

 〈美的な性質って/のはね、社会的な物質の移動と拡散の変化でしょ。〉という視点の斬新さには驚かされますが、それを〈革命家と詩人の手柄〉としたところにおもしろさを感じます。〈現象的な物質の美的性格/が無意識の欲望と関係していることを知るには、美醜の対立ではな/く、美の変質と価値をみることでしょう。〉というところも、よく本質を捉えていると思います。機会のある方はぜひ全編を読んでみてください。



詩誌『詩区 かつしか』109号
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2008.9.20 東京都葛飾区 池澤秀和氏連絡先 非売品

<目次>
五分、あれば/工藤憲治           ノスタルジー/工藤憲治
水たまりの池から……/内藤セツコ      八月の無言歌/池沢京子
のっぽのビルに 囲まれて・・/池澤秀和   M先生/堀越睦子
オリンピックの夏−十五のS・Tに-/青山晴江 人間114 響きと怒り/まつだひでお
人間115 ケロイド(9)/まつだひでお     初秋/小川哲史
夕涼み/小林徳明              金券政治/小林徳明
暦が消える/しま・ようこ          戦争を知らない(二)/みゆき杏子



 M先生/堀越睦子

診察室は質素で看護婦はいない
受付も自分でこなす
患者が来ないときは
新聞の切り抜きに専念
待合室は文学書の陳列、雑誌は無い
血圧計は、糸で修理

義父の点滴に通ってくれた
部屋に紐を張って点滴環境を整え
往診してもらった
お茶を出しても
 −急ぎますので− と
決して飲まない
冷えた手をストーブで温め
ていねいに義父に触れる
余計な会話はなし

ある日
帰り際に、書棚を見て
 −この野呂栄太郎はどなたが読んでいるのですか−
 −わたしです−
老医師は小さくわらった

翌日から
お茶を飲んで雑談
ゆっくり おだやかに 考えながら
核の問題、文学、軍医の経験 社会情勢
 −詩やエッセイを書いています−
3ヶ月毎に発行される同人誌を
往診のときに届けてくれた
「平和についてのエッセイ」が
連載されていた

 −イエスキリストを尊敬はしますが、神と信じることは出来ません−
きっぱり言い切ったのに
日曜日には
ふわりと礼拝に顔を出した

 −自分の戒名は自分で作ってあります−
治療費は驚くほど安い

 −あれで食べていけるのかねえ−
八百屋のおばさんがつぶやいた

 −八十歳になったので 医院を閉じようと思います−
数冊の本を持って訪ねてくれた

まもなく
医院は取り壊され
M先生は
海辺の実家に帰って行った

その後
風の便りも聞いていない

 〈M先生〉という人間像がよく描かれている作品だと思います。〈冷えた手をストーブで温め〉ているのは、自分のためではなく〈ていねいに義父に触れる〉ためだと分かったとき、こういう医師はなかなかいないだろうなと思いました。〈イエスキリストを尊敬はしますが、神と信じることは出来ません〉という言葉も、キリスト教への敬意と自分の考えを両立させる優れた言葉と云えましょう。それを敏感に見る作者もまた、優れた感性の詩人だと思いました。



   
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