きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.8.28 松島




2008.9.12(金)


 以前からある人に薦められていた河口湖の「一竹美術館」に行ってみました。久保田一竹(1917〜2003)は独自の染色法一竹染を開発した人で、その着物は歌舞伎などで使われているようです。これが着る物かと思うほどの着物がズラリ。まるで日本画の大作を見ているようでした。

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 写真は美術館の入り口です。「本館」は1994年10月に、「新館」は1997年に開館したそうです。建物も地中海風と言いますかインド風と言いますか、独特な風合いでした。とても日本の着物と合うとは思えませんけど、それが意外にピッタリなんですね。着物の絵柄は日本の風景などが多いのですが、一竹染という厚みを感じさせる染め方、縫い上げ方ですから、それとは合っているように思いました。私は残念ながら着物の趣味はなく猫に小判でしょうけど、分かる人には分かるんでしょうね。分かる人にはお薦めの美術館と云えましょう。



詩誌『裳』102号
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2008.8.31 群馬県前橋市
曽根ヨシ氏編集・裳の会発行 500円

 目次
<詩>
空の窓 2       須田 芳枝      雨の内側 4     房内はるみ
方形の庭 6      志村喜代子      六月の食卓 8    神保 武子
古風な洋館 10     金  善慶      梅の樹は笑んだ 12  宮前利保子
<エッセイ>
さあ 奈良へ行こう 14 〜あこがれの正倉院展〜 神保 武子
「いま」を 16      志村喜代子
<詩>
水音 18        鶴田 初江      赤いメダカと 20   黒河 節子
耳 22         宇佐美俊子      湖を見ている 24   篠木登志枝
又 あした 26     曽根 ヨシ      夏の夕暮れ 28    真下 宏子
中国人烈士慰霊之碑 30 佐藤 恵子
後記
表紙 「野ばら」(銅版画・メゾチント) 中林 三恵
詩  小さなこぶ          中林 三恵



 雨の内側/房内はるみ

雨の日は 朝から夜につつまれる
水の重みに
たえられなくなった若い枝が よりかかり
部屋には 薄緑色の闇がひびいている

ひとはみな無口になる
どうしてだろう
雨が煩悩まで 洗いながしてしまうのかしら
食器を洗う音も 洗濯をする音も 廊下を歩く音も
小さくなり
内向的な雨の中に消えていく

雨は
流れる時間もぬらしていく
ぬらされたものたちは やわらかくなって
こころを溶かすように 匂いたつ
――ここよ、ここよ。 墨色の物蔭から
少しカビ臭い父の背広 祖母のかばん
もう何年もひらいていない厚い本たちが
――ここよ、ここよ。小さな声をあげている

きょうの雨も
父や祖母がぬれた雨も おなじ雨だから
雨はたくさんの記憶を もっている
雨の内側を降りていけば
なつかしさの海がひろがる
忘れられていたものたちが
あわあわと浮かんでいる
なつかしさの海に 足をひたしてみたら
塩水がしみて 少し痛い

 非常に繊細な作品だと思います。詩語としても第1連の〈朝から夜につつまれる〉、〈闇がひびいている〉などが佳いですね。第3連の〈雨は/流れる時間もぬらしていく〉も佳いと思いましたら、続く〈ぬらされたものたちは やわらかくなって/こころを溶かすように 匂いたつ〉というフレーズにもシビレました。雨をこのように表現した詩はないと思います。最終連の〈雨はたくさんの記憶を もっている〉ことが〈雨の内側〉と採ってよいでしょう。私はもともと雨が嫌いではありませんが、この詩でさらに好きになったように思いました。



隔月刊詩誌『石の森』146号
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2008.9.1 大阪府交野市    非売品
交野が原ポエムKの会・金堀則夫氏発行

<目次>
ボタン神話/夏山なおみ 1         晩夏の杭/夏山なおみ 2
リアルタイム/美濃千鶴 3         歪んだガラスの窓越し/西岡彩乃 4
輪/山田春香 4              夜のクラゲ/石晴香 5
道程/石晴香 6             おはじき/佐藤 梓 6
ひのみこと/金堀則夫 7
《石の声》 8
《交野が原通信》第二六一号/金堀記
あとがき



 リアルタイム/美濃千鶴

十年前にビデオ録画した映画を観ていたら
十年前のコマーシャルが入っていた
最近テレビで見かけなくなったタレントが
旬の人の笑顔をふりまく
再放送のドラマは登場人物二人が故人で
熱演中悪いけどさあ、あんたもうすぐ死ぬんだよ、などと
画面に話しかけてみる

細切れの過去がどこにでも顔を出すから
スポーツ中継では「LIVE」の文字が踊る
ボールを蹴っている人たちは
 みんな間違いなく生きています

人類は間違いなく生きている
ノストラダムスの大予言をクリアして
アトムの誕生日を迎え
二十一世紀はとうに未来でなくなった
未来人のわたしは
映像のなかの過去を見つめる
もっと未来のわたしはたぶん
既に勝敗を知る試合を観ている

早送りで過ぎ去る時間
アニメーションのセル画のように
何千枚も重なった今≠フ奔流

そこに生きるすべてのわたしが
わたしを無限の死へ押し出していく

 〈再放送のドラマは登場人物二人が故人で〉ということはよくある話ですが、それと対応させて〈スポーツ中継では「LIVE」の文字が踊る〉ことにまで思いが及びませんでした。〈みんな間違いなく生きています〉というのは笑えますけど、生き死にの差はなんだろうなと考えてしまいますね。それが〈何千枚も重なった今≠フ奔流〉の連続であり、その結果としての〈わたしを無限の死へ押し出していく〉のだと思いました。〈リアルタイム〉で〈間違いなく生きている〉今≠考えさせられた作品です。



詩誌『布』25号
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2008.8.15 山口県宇部市 先田督裕氏他発行 100円

<目次>
宮地智子  しごと 1
杜 みち子 驟雨 2        アカメガシワ 3
阿蘇 豊  台中のカフェで 4   ふすまごし 5
橋口 久  日めくり洞窟 6
先田督裕  松田さんの雲 7    花より幹を 8    心の杖 9
小網恵子  夜のジャム 10     緑陰おはなし会 11
太原千佳子 いい日を摘む 12
寺田美由記 再会 13        声 14
ひとこと 15
詩『復讐』を支えるもの ヘルマン・ド・コーニングの詩 太原千住子 20
「布」連詩 「両腕で抱きとめる」の巻 24



 いい日を摘む/太原千佳子

地下鉄で空いていた席に座った
隣の男性が少し頭を下げ
膝の上から骨太の白い手を浮かせて
コートの裾を引っ張る仕草をした
ベージュのバーバリーの感触が
わたしの腰の下から引き出された
わたしはちょっと深めに頭を下げた
その人も同じように
決して知り合いなることのない頭を下げ
ここだけという間の顔も見ないで
座りつづけた
もしかしてともう一度誘ったら
その人の三度目の会釈が揺れた
京橋で降りた

 電車のシートに座って〈コートの裾〉を踏んでしまう、踏まれてしまうということはよくあることです。お互いに〈少し頭を下げ〉て相手を気遣うということもよくあることですが、なかには鼻白む思いがすることも、これまたよくある話です。そんなとき、お里が知れますよ、品格がありませんね、などと思ったり思われたりするのでしょうけど、この詩はそんなことには一言も触れていません。こうあるべきだ、とか、この〈ベージュのバーバリー〉の〈男性〉に比べて最近の若い男は、などとも言っていません。ただ〈もしかしてともう一度誘ったら/その人の三度目の会釈が揺れた〉だけなのです。これを、ちょっと良い話で終わらせるのか、ここから人間について考える(大袈裟かな?)のは読者次第ということなのでしょうね。

 最後の〈京橋で降りた〉のはどちらかなと考えましたけど、〈わたし〉が〈もう一度誘った〉のですから、〈わたし〉が降りたのでしょう。〈隣の男性〉が降りていくのを見て会釈して、〈三度目の会釈〉が返されることもあるでしょうが、ここは前者の方が自然でしょう。この詩のもう一つの特徴は自然≠セと思っています。



   
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