きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.8.28 松島 |
2008.9.20(土)
夕方から自治会の組長会議に出席してきました。組長というのは、地域によっては班長などと呼ばれているようですが、10軒から30軒ほどの自治会の最小単位です。持ち回りで組長が決められていくのはどこでも一緒だろうと思います。私の組は9軒だけですが、1軒は諸事情で組長を免除していますので、実際には8年に一度まわってきます。私はここに移住して2回目、つまり16年を過ごしたことになります。わが人生で最長の定住です。私の生家は引越しを繰り返し、最短で2ヶ月なんてとこもありましたけど、長くても7〜8年ですから、2倍も同じ家に住んでいることになります。普通は当たり前なんでしょうけどね…。
30軒もある組は30年に一度ですから、それはそれで大変だろうなと思います。親から子へ、そして孫へ。一生に一度しか回ってこない組長というのも面白いかもしれません。今日はそんなとりとめもないことを考えてみました。
○詩誌『饗宴』53号 |
2008.9.1
札幌市中央区 林檎屋発行 500円 |
<目次>
詩論 武田隆子さんを悼む 東 延江…4
作品
雨やどり 村田 譲…6 春の庭園/菖蒲/森林 山内みゆき…8
アーカイブスが海あしを浮かべる−黄衣の焼きつくされたAsiaの海 尾形俊雄…10
アマリリス 木村淳子…12 方舟−ヘリベツ川の岸辺 嘉藤師穂子…14
ノコギリソウ/YARROW 吉村伊紅美…16 転身譚 9 塩田涼子…18
コロー3題 瀬戸正昭…20 シンガポールの椰子の木 新妻 博…22
特集 2008年・芸術随想集
フランツ・シューベルト2 瀬戸正昭…24 ある日、カスパー・ハウザーと 塩田涼子…29
館野 泉コンサート 今本千衣子…31 奔流−岡本かの子のこと 山内みゆき…33
吉本隆明の芸術言語論 高橋秀明…36
連載エッセイ 林檎屋主人日録(抄)(14)(2008.4.12〜7.31) 瀬戸正昭…38
●受贈詩集・詩誌…35
●秋季詩話会のご案内…32
饗宴ギャラリー 植田 莫「風の中声はりあげて」…2
雨やどり/村田 譲
帰り道はどっち――と
傾け差し出される笑顔に
とまどいながら
あっち――と指差して入いりこむ
気がつけば周り中に
あふれていく二人連れの
暖かな雨の季節
押し出すように
次は自分からつなげていく連鎖の
傘の花のはじめまして
名前が気になって
いたづら書きするようになる日までの
アイアイ傘
今度また出会うときが
雨でありますように
今号の巻頭作品です。〈暖かな雨〉、やさしい雨の日の情景が浮かびます。〈雨やどり〉していて傘を〈差し出され〉たときの嬉しさ。多少遠回りになったって構うもんか! そう言えば〈アイアイ傘〉の〈いたづら書き〉なんてものが子どもの頃にありましたね。そんな遠い日が懐かしく思い出されます。最終連もきれいに決まった作品だと思いました。
○隔月刊詩誌『RIVIERE』100号 |
2008.9.15 堺市南区 横田英子氏発行 500円 |
<目次>
◎扉 横田英子 .3
◎詩・エッセイ
蘆野つづみ 母/赤い指/雪の日 .6〜11
安心院祐一 私の心境 12〜17
石村勇二 ニセアカシアの樹の下で/はぐれ猿/八月になれば/百号に寄せて 18〜23
泉本真里 満月の夜は/恋/花の径 24〜29
後恵子 グループホームのHさんを訪ねて/母の入院 30〜35
小野田潮 たとえば「青い空」/旅の途上で/ホーチミン市にて/記憶と円環 36〜41
小野田重子 一日/ことば探し/桜の下で/花の中に 42〜47
河井洋 十五ヶ月手帳の束の中から 48〜53
嵯峨京子 まつり/うつくしい時間/百号に 54〜57
清水一郎 蹴っぱれ、イッちゃん(5)(6)(7)/タイムリミット 58〜63
釣部与志 譚詩「鬼女」 64〜69
戸田和樹 戸田和樹小詩集「京の花つむぎ」 70〜75
内藤文雄 ひゆの発見 76〜81
永井ますみ 創世記/百号に寄せて 82〜87
平野裕子 崩れながらも/意気のいい時間/誘う 88〜93
藤本肇 四季/詩と僕/僕/ある城跡にて/深海魚/或る阿呆の半生 94〜99
正岡洋夫 洪水/落ちる/ヨハネの首 .100〜105
ますおかやよい 社会への第一歩(職員会議)/運動会/私の青春/ゆとり 106〜109
松本映 耳をすまして/賭ける/詩を書いて .110〜115
水月とも 心の窓/五月/道しるべ/しゃぼん玉 .116〜119
山下俊子 吉野川/ふるさと .120〜123
横田英子 肖像画/きさらぎの月/なめくじ退治/百号に思う .124〜129
◎リヴィエール アルバム .130〜133
◎受贈詩誌一覧 .134
◎同人住所録 .135
◎編集ノート 石村勇二 .136
百号記念号によせて/横田英子
リヴィエール。
小さな流れも流れ流れて大河へ やがて
海。必ず海へ到達できるとは限らない。
迂回し迷い込み、さらなる流れの中で
波紋を描きながら、それでも流れようとする
河の宿命。
果てしない流れに 降り注ぐ陽光に力を得る。
吹きすぎていく風のささやきに癒され
晴れては曇り 曇っては晴れる空の変化に
示唆を受けながら進む
海が なお遠くなっても流れつづけよう。
その過程にこそ意義があることを知るから
リヴィエールに生かされる私たち。
百号に寄せて/石村勇二
『月刊近文』を主宰していた伴勇が亡くなったのは、一九九二年三月である。伴さんは自分の死を予期していたのだろうか。死ぬ一年ほど前に、『月刊近文』とは別に、新たに同人誌を創ることを提唱した。有志が集まり、新しい詩誌の構想について会議を重ねた。
詩誌名はフランス語に堪能な小野田潮の提案に全員が賛同した。「RIVIERE』(リヴィエール)、フランス語で川という意味である。代表は横田英子、編集長には石村勇二がなれということになった。
作品も集まり、いよいよ創刊ということになって、伴さんから原稿を預かった。伴さんが石村を編集長に推した理由には、それまでのわたしが印刷屋で校正や版下や製版の仕事に二〇年近く関わっていたことや、その後業界新聞の記者になって、アポをとってインタビューをして、ちょうちん記事などを書いていたからだろうと思われる。また、わたしは伴さんの秘蔵っ子でもあったし、本当の父を知らないわたしは、伴さんに父親像を重ねていたようでもある。
伴さんから預かった原稿に眼を通し、掲載順を決め、さてレイアウトに取り掛かろうとするころになって、急激に統合失調症の病状を悪化させてしまった。幻聴・幻覚・妄想が激しく出て、とてもレイアウトどころではなくなったのである。
伴さんが住居にもしていた天満の事務所まで、どうにかたどり着き、訳を話して、預かっていた作品をそのまま返した。リヴィエールは二カ月ほど遅れて創刊されることになった。後山光行が編集・レイアウトをした。それ以後、多少の変動はあったが、大きく変わることなく、現在のリヴィエールに受け継がれている。
わたしが伴さんと知り合ったのは二十二歳のときである。当時は『近畿文芸詩』であったが、新聞広告で知り、梅田の太融寺で開かれていた例会に参加した。現代詩のブームと重なって、例会には二十才前後の若い詩人の卵たちが、常時三十人近くも参加していた。その多く、九割以上の人達はやがて詩から遠ざかっていった。今もなお、リヴィエールで詩を書き続けている横田英子、泉本真里、小野田重子、河井洋、釣部与志、永井ますみ、正岡洋夫、松本映、山下俊子などは、二十代頃からの仲間である。そこには、『近畿文芸詩』『月刊近文』『RIVIERE』と、時代を共有してきた仲間以上の親近感がある。
実は、わたしは三カ月ほどの期間であるが、『月刊近文』を離れた時期がある。三十五歳で統合失調症になってしまった。今ほどに病気のコントロールができていなくて、病状の波に翻弄されることの多かったわたしは、伴さんや仲間たちに迷惑の及ぶことを恐れて伴さんに退会の手紙を出して同人であることをやめた。
ところが、横田さん宅で例会をするから、遊びに来ないかと言う誘いがあった。今から思えば、わたしを再び詩の世界に復帰させようとする伴さんの深慮遠謀であったと思う。横田宅は同じ泉北ニュータウンなので近かった。余談であるが、わたしの妻と横田さんとは、わたしが横田さんと出会う以前からの友人で、特にわたしたちが豊田に引っ越してからは横田宅まで歩いて十数分ほどなので、妻と横田さんとは足しげく交友している。
伴さんに説得され、仲間にも迎え入れられて、再び『月刊近文』の同人に復帰し、今日のリヴィエールにまでつながっている。あのときの伴さんの機転がなければ、わたしは詩の世界から離れていたかもしれない。
わたしの弱点のひとつに、人から頼まれたり、自分が何とかしなければと思ったとき、無理をしてまで引き受けてしまうというのがある。後山さんが退会した後、かなり長年の間、編集担当だけでなく、リヴィエールの発送、内部だけで発行している会報など雑務をこなしていたが、それはかなり無理をしていた事でもあった。今は発送は永井さん、会報は河井さんが引き受けてくれ、大いに助かっている。編集担当は四人いるので、八カ月に一回の周期で編集するだけでよい。詩誌の形としてはほぼ定着しているので、掲載順を決めレイアウトするぐらいでいい。編集担当が校正もすることになっているが、一人だけの校正だと見落とすことも多い。何年か前から、わたしが毎号校正に加わるようになり二人の校正体制になった。仕事として校正をしていた言わばプロなので、編集担当者が見落としている箇所を何カ所も発見する。誤字・脱字のなさを伴さんからほめられたこともあるが、それでもミスを犯すことがあり、そいうときは赤面するしかない。
伴さんが亡くなる数日前、同人数人で伴さんを見舞った。引き上げて廊下まで出たとき、《石村》と伴さんが呼んだ。しかし、わたしは幻聴と解釈することにして、伴さんのもとには引き返さなかった。伴さんは、何かをわたしに託そうとしている。託されてしまえば、わたしはそれを引き受けてしまう。幻聴も激しく聞こえていて統合失調症もかなりひどい状態にあった。伴さんの最後の言葉を聞かなかったのはいまだに気掛かりであるが、それでよかったのだと今は思っている。
詩人である前に人間であれ。伴さんが生前に繰り返していた言葉である。リヴィエールも伴さんを知らない同人が半数を占めるようになったが、伴さんの意志は脈々と受け継がれている。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
100号記念号です。誌面の端々から同人の皆さまの熱気が眩しいほど伝わってくるようで圧倒されました。おめでとうございます。
この詩誌に私は浅からぬ縁があります。『RIVIERE』の生みの親、伴勇さんとは私がまだ20代の1978年頃に知り合っていて、1981年には伴さんのVAN書房から第2詩集も出させてもらっています。『RIVIERE』の創刊当時の人たちとも伴さんを通じて知り合い、もう30年以上のつき合いをさせてもらっています。『RIVIERE』も創刊号から頂戴していて、改めて御礼申し上げます。
ここでは横田英子さんの扉詩と石村勇二さんのエッセイを紹介させていただきました。横田さんの詩には〈リヴィエール〉に寄せる想いが詰まっていますし、石村さんのエッセイでは創刊当時の伴さんを偲ぶことができました。たしかに『RIVIERE』には〈伴さんの意志は脈々と受け継がれている〉と思います。部外者ながら、私も100号を嬉しく思っています。益々のご発展を祈念しています。
○月刊詩誌『柵』262号 |
2008.9.20 大阪府箕面市 詩画工房・志賀英夫氏発行 572円+税 |
<目次>
現代詩展望 生活者の詩学 医師詩人大塚欽一の挑戦…中村不二夫 78
沖縄文学ノート(11) 北緯二十七度線 続…森 徳治 82
流動する今日の世界の中で日本の詩とは(45) 被爆者ではない者によるヒロシマ・ナガサキの詩…水崎野里子 86
風見鶏 岩谷まり 滝野澤弘 圓子哲雄 曽我部昭美 諫川正臣 90
現代情況論ノート(29) なぜ情報の渦を漂流するのか、世界の物語は目覚める…石原 武 92
詩作品□
山崎 森 最後の写真を 4 松田 悦子 雨でも晴れ 6
前田 孝一 失う 8 黒田 えみ ドアを開ける 10
柳原 省三 平成の岡っ引き 12 小沢 千恵 青紫蘇の季節に 14
進 一男 さすらい 16 肌勢とみ子 登山 18
佐藤 勝太 逆転の歓喜 20 江良亜来子 蝉の力 22
中原 道夫 豚 24 秋本カズ子 物語り 26
小城江壮智 鎮守の杜 28 名古きよえ 雲 30
平野 秀哉 こす 32 織田美沙子 背筋を伸ばして 34
三木 英治 断片 37 北村 愛子 浄水場の水 40
川端 律子 手づくり梅ジュース 43 忍城 春宣 須走小学校 46
今泉 協子 蔦の這う家 48 小野 肇 雑草のいのち 50
水崎野里子 ヒロシマ連歌 5 52 門林 岩雄 春 夜 風 趣味 54
鈴木 一成 八十一路 56 安森ソノ子 公演後のギター 58
宇井 一 ひとりもん 60 西森美智子 雨の日 62
八幡 堅造 かける言葉がない 64 北野 明治 エチュウド 1 66
月谷小夜子 補い合う者 68 若狭 雅裕 秋うらら 70
野考比左子 月をたがやす 72 南 邦和 ハヤタさん 74
徐 柄 鎮 終焉の地の惑い人 76
世界文学の詩的悦楽−ディレッタント的随想(28) 現代アフリカ詩アンソロジーより 一…小川聖子 94
世界の裏窓から −カリブ編(13) 七〇年初頭 もう一つの詩の祭典…谷口ちかえ 98
コクトオ覚書237 コクトオの「詩想」(断章/風聞)17…三木英治 102
『戦後詩誌の系譜』落穂拾い(3)…志賀英夫 106
心に残った五冊の詩集…中原道夫 106
呉美代『大樹よ』 西本椰枝『神明の里』 藤本敦子『風のなかをひとり』 方喰あい子『キャヴェンディッシユの海』 石内秀典『背中』
受贈図書 116 受贈詩誌 113 柵通信 114 身辺雑記 117
表紙絵 小林孝夫/扉絵 申錫弼/カット 野口晋・中島由夫・申錫弼
最後の写真を/山崎 森
駿河湾に流れ込む富士川
ひねもす 打ち寄せては ひき返す
波がしらの 懈怠
ワーキングプアの若者の軍手に
どこか似ている
ながい流浪の果て 打ち上げられた
奇形の流木にも
かすかに 残る がまんの傷跡
カメラ好きの石仲間は
最後の写真をとりましょうと
狙撃兵のように 照準をあわせる
詩人らしく撮ってくれよと
とし老いた原人は
杖をつき 二足歩行のプライドが
くずれ落ちぬよう
富士山を背にして ひと呼吸をする
酒匂川 相模川 多摩川 荒川 富士川
安部川 天竜川 梓川 犀川 姫川など
もう 最後の写真は 何枚だ と
紙魚のすむ過去帖ヘ 合掌
他人さまが なんとおっしゃろうと
おれがみつけた 石も女も
みんな よか石 よか女
その中核を形成するのは 露草の哀愁だ
今号の巻頭作品です。第1連の〈かすかに 残る がまんの傷跡〉から魅力的なフレーズだと思いました。〈ワーキングプアの若者〉と〈奇形の流木〉が見事に結びついています。最終連の〈もう 最後の写真は 何枚だ〉という言葉には笑ってしまいましたが、死をも笑わせる力を感じました。〈おれがみつけた 石も女も/みんな よか石 よか女〉は、男としての面目躍如と云えましょう。そして〈その中核を形成するのは 露草の哀愁だ〉というフレーズに、詩人としての矜持を見た作品です。
← 前の頁 次の頁 →
(9月の部屋へ戻る)