きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.9.27 栃木・和紙の里




2008.10.4(土)


 午後2時から日本詩人クラブの詩論研究会が東京大学駒場Tキャンパス18号館4F「コラボレーションルーム1」で開催されました。演題は「日清戦争異聞――抹殺された日清戦争の謎」。講師は文芸評論家の樋口覚氏、コーディネーターは田村雅之氏です。当日のパンフレットから拾うと、
<本講演は近代日本の軍楽隊の成立について新しい視角から論じる明治維新論。日露戦争の影で隠蔽されてきた日清戦争について多方向から検討する。とくに晩年の萩原朔太郎が書いた散文詩『日清戦争異聞』に照明をあてて詳しく解剖する。
 難攻不落といわれた旅順を攻落し、金鵄勲章をもらい一躍「英雄」となった原田重吉はなぜ転落し浅草の巷に落ちぶれ、近代の歴史から追放されたのか、その数奇な運命について追求するとともに思想家としての萩原朔太郎について考察する。>
 ということになりましょうか。

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 写真は研究会の様子です。萩原朔太郎の話がおもしろかったですね。朔太郎の意外な側面に触れることができました。どう意外だったかはここでは明かしません(^^; いずれ雑誌『詩界』に載りますので、会員・会友の皆さまはそちらをお楽しみにしてください。
 参加者は30人ほど。詩論研究会としてはまずまずの集まり具合です。懇親会はいつもの神泉の居酒屋「からから」。こちらも多くの人が参加してくれました。おいでいただいた皆さん、ありがとうございました!



鈴木俊氏訳詩・エッセイ集
『さすらい人の歌』
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2008.10.1 千葉県習志野市 青孔社刊 2300円

<目次>
T 訳詩
さすらい人の歌/エリカ・ミテラー 1
煙/ベルトルト・ブレヒト 4
塔にて/アンネッテ・フォン・ドロステ・ヒュルスホフ 5
無常/ヘルマン・ヘッセ 8
オーロラ/ギュンター・アイヒ 10
配慮されている/ギュンター・アイヒ 11
仮設トイレ/ギュンター・アイヒ 11
ローマのための脚註/ギュンター・アイヒ 11
イメージ/エーリッヒ・フリート 14
心の自由について/エーリッヒ・フリート 14
田舎ふうに/エーリッヒ・フリート 15
そしてすべての存在が耳を傾ける/エルフリーデ・スッペテッキ 18
 旅人 笛を吹く人 踊り子 ハンブルクの戦没者記念碑
コンクリート・ポエジーの詩人、ラインハルト・デールの詩/ラインハルト・デール 23
ベアト・ブレヒビュールの詩/ベアト・ブレヒビュール 27
 思考の驚くべき映像 気温降下 手に負えない電話 人間の証 村 俳句三句
モンゴルの詩人ガルサン・チナークの詩/ガルサン・チナーク 37
 天へ わたしであること 途上で
ドイツ詩人による原水爆の詩二篇 44
 ヒロシマの顔/ハインツ・ヴィンフリート・ザーバイス
 ヒロシマ/マリー・ルイーゼ・カシュニッツ
ドイツ詩人による反戦の詩・原爆反対の詩 各一篇 47
 ドイツ女性の悲しみ(一九三四年)/エリカ・ミテラー
 渡り鳥と実験/シュテファン・ヘルムリーン
 ミルク/シュテファン・ヘルムリーン
U エッセイ
スイス・ドイツ「詩の朗読とトークの旅」雑感 55
ハインリッヒ・フォーゲラーと「お岩の幽霊」 62
霧の中から−ハインリッヒ・フォーゲラーとヘルタ・ケーニッヒの『新詩集』 65
「山のあなた」小論 69
宮沢賢治「青森挽歌」における不思議なドイツ語の効果 74
歌詞と訳詩と 77
 「小学唱歌集」雑感(T)「小学唱歌集」雑感(U)
ヨアヒム・リンゲルナッツの詩 91
プロメートイスの族
(うから)リンゲルナッツ 104
ヴィルベルフォース記念碑のありか(1) 109
ヴィルベルフォース記念碑のありか(2) 114
リンゲルナッツ『体操詩集』とカール・アーノルトの挿絵について 119
ライナ・マリーア・リルケ著・塚越敏訳『マルテ・ラウリス・ブリッゲの手記』を読む 126
千里山の連句に参加して 133
自由と形式 大岡信・ラインハルト・デール対談 136
一ドイツ詩人の毛筆書道への傾斜 140
ハイクと俳句(T) 145
ハイクと俳句(U) 149
蝉塚の石 153
大塚金之助の歌とドイツ 156
金光林詩集を読んで 162
替え歌とジンタで繋いだ日米文化 166
大汗かいて 170
V
ライナ・マリア・リルケとエリカ・ミテラーの詩による往復書簡 全訳 183

あとがき 235
初出一覧 237
著者略歴 241



 さすらい人の歌/エリカ・ミテラー


わたしは長いこと逗留する客にはけっしてなるまい。
わたしはせっかちに先を急ぐ緘黙
(かんもく)の旅人。
わたしにもはや目的はなく、道はしばしば荒れはてて、険しい。
あなたがたは、あなたがたがどんなによい人か、そしてわたしがどんな
に感謝しながら滞在したかをまったく知らない。

わたしを期待する人は、それだけでもうわたしを牢屋の中に閉じこめて
しまう。
わたしは期待はずれの客、招かれざる客とならなければならない。
わたしがここにとどまることができないような、栄光と愉悦の餌がわた
しを待っているなどと誤解しないでほしいのだ。
雨の日に身一つで飛びだして行くことが何よりまさる魅力なのだから。

今日は椅子に腰を下ろし、怠惰にワインを味わい、恋の囁きと甘い愛撫
にひきとめられた。
その時、風はわたしをあざけり、
庇の陰で捻り声をあげ、わたしの目を覚まさした。すると目の前にいる
のは、一人の見知らぬ客が、ほかの見知らぬ男と見なれぬ食卓にいるだ
けだった。

さあ、行こう。
離して下さい。わたしを扉から押し出してください!
世界は豊かで、危険に溢れ、それにひきかえ家の中のなんと重苦しいこ
と!
さあ、わたしを投げ出せ!
いま出て行かなければあまりに長くとどまり過ぎた。
道は荒れ、人気もない、
きっとその道がわたしを導いてくれるのにちがいない。


 解説/鈴木 俊

 一九〇六年、ウィーンに生まれた。父親は建築技師として長い役人生活を送り、またオーストリアでのスキーヤーの草分けだった。彼女の初期の作品に、山を歌ったものが多いのは父親からの影響であろう。母親はベルリンの出で、絵をよくした。十八歳の時、リルケの「オルフォイスのソネット」に感動し、「この詩人はまだ生きていて、ほんの数年前に書いたのだ」と思い、彼に二篇の詩の形式を持った手紙を書いた。
 「十日後に、わたしが料理の講習からもどると、返事の手紙が置かれてあった。青い封筒に美しい字体でわたしの名前が書かれてあり、中にわたしにあてた二篇の詩が入っていた。」
 ここから「リルケとエリカ・ミテラーの詩による往復書簡」が出発したのだった。しかしインゼル書店から単行本として刊行されたのは、二六年も経た一九五〇年であり、それまでに彼女自身も詩人として、また小説家としてすでに一家をなしていたことを、私たちは心にとめておく必要があるだろう。
 ここに紹介した作品は、『エリカ・ミテラー詩集』(ルックマン書店 一九五六年)から採ったが、彼女は一九三五年に出した第三詩集にも『さすらい人の歌』として同じ表題をつけているので、そのころすでに成立していたものと思われる。夫のペトロウスキー博士は法律が専門で、長く弁護士をつとめた。一九四八年、ウィーン文学賞受賞。ウィーン市名誉市民。二〇〇一年秋、九五歳で死去。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 横長縦書きという装幀ですが、あとがきによればこの本の原稿は『火片』が初出のほとんど占めているので、『火片』の体裁を踏襲したとありました。著者の律儀さが伝わってきます。
 タイトルにもあります通り、訳詩とエッセイ集ですが、それぞれの詩に「解説」が付いています。ここでは巻頭の訳詩と解説を紹介してみました。最終連に〈さすらい人〉の決意がよく表されていると思います。〈さあ、わたしを投げ出せ!〉とは詩人の生き方そのものでしょうね。近代のドイツ詩人を知るにはお薦めの1冊です。



詩誌『よこはま野火』55号
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2008.10.1 横浜市旭区
阪井氏方・よこはま野火の会発行 500円

<目次>
遠い記憶の――/宮内すま子 4       赤まんま/浜田昌子 6
風/松岡孝治 8              野菜籠/疋田 澄 10
食卓/森下久枝 12             ひかり/進藤いつ子 14
森を歩く/馬場晴世 16           御点前と文章/唐澤瑞穂 18
バイクの店/真島泰子 20          記憶/加藤弘子 22
夏祭り/はんだゆきこ 24          歳月/阪井弘子 26
ヨコハマ・ミナトミライ−居留地−/菅野眞砂 28
  *  *
よこはま野火の会近況  編集後記 30    表紙画 若山 憲



 赤まんま/浜田昌子

独りの生活になったので
ベンチ付の大きなテーブルを買った

傍に狆を座らせ
ランチョンマットを敷き
朝食をとろう
友とお茶を飲もう

先生から よいライバル――といわれた
同名のまさ子ちゃんが
「赤毛のアン」を返しに来た

今度の日曜日
小ヶ原に兎の餌を採りに行こうと
テストの点数も教え合わないで
去って行った太いおさげ髪の後姿

ベンチは隣りの部屋に置かれたまま
テーブルの下に深く車椅子を入れ
頬杖をついて
十代で亡くなった
まさ子ちゃんに会っていた彼岸の中日

もうライバルの人もいないくらし
狆は床に眠り
テーブルのコップに赤まんまの粒つぶ

 現在と過去とが同じ次元で語られているおもしろい作品です。第3連が現在から過去への橋渡しをしているわけですが、この連に無理はなく上手い手法と云えましょう。そして第4連で過去がはっきりと分かり、第5連では〈十代で亡くなった/まさ子ちゃん〉であることも分かって、読者は少なからぬショックを受けます。このつながりは実に見事だと思いました。最終連も佳いですね。〈赤まんま〉がよく活きています。巧みな時間処理を学ばせてもらった作品です。



季刊詩誌『佃』6号
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2008.9.25 埼玉県所沢市
北野丘氏発行 非売品

<目次>
竹内美智代 
Takeuti Mitiyo 出自/ネジ花…2
  ◆
北野丘 
Kitano kyu 海霧の舘 <詩>…7
 詩は何をめざし、何の実現をめざすのか。<エッセイ>…21
  ◆
山岡遊 
Yamaoka Yu さらば学園 <詩>…10
 間違いを書く <エッセイ>…25



    
たて
 海霧の館/北野丘

イヌイという町で
「やあ海霧がでてきたな」
「おお そろそろ帰るとするか」
夕日が沈めば 船頭と網元が挨拶をした

けもの
森で迷っても
「やあ海霧よ
帰るとするよ」
乾いた落ち葉が ぬれるところで耳にする

「きつねのぶどうはあったかい」
「さるのこしかけで寝てたのかい」
風に零して 男たちは笑って去った

「もう森へかえしましょう」
「戻ってはこないものだし」
女たちは 崖の湧き水で胸の汗をふく

ポロホウが鳴いて
目覚めた誰かがポロクゥと鳴いた
あとはりーりりり
艸たちが奏でて

「朝 谷の凹みをでてきたら
わしは お前とあった」
石の 浜ヒルガヲに
カビた振る舞い餅をうやうやと 婆は捧げる

夕日 千の一夕に
ウミウシは青紫の血を流して
いつまでも二本の角で踊っていた

「こころに響く
ことばが顕われるのは わたしそのものだ」
舟虫たちは ここから次の影までと

あるいは 長いカイメツを経て
帰還した主を ふたたび供えるためにか
いっせいに海霧の館へと 走っていく

 〈イヌイという町〉は想像上の町でしょうが、〈海霧〉と重ねてイメージすると北方の町のような気がします。そこで繰り広げられる〈船頭と網元〉をはじめとした人々の会話は、御伽噺のようでもあり、作者の幼少の記憶でもあるように感じられます。「こころに響く/ことばが顕われるのは わたしそのものだ」という不思議な言い回しは、詩人としての出発を謂っているのかもしれません。海を中心としたヒトと自然の物語として拝読しました。



   
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