きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.9.27 栃木・和紙の里




2008.10.7(火)


 夕方から神奈川県秦野市にある「とんがりぼうしホール」で、NPO法人・日本子守唄協会の相模支部設立総会が開かれました。「とんがりぼうしホール」があるビルの2階で営業している紙芝居喫茶「アリキアの街」に出入りしていた私も、なんとなく設立準備会から加わってしまい、提出された役員案では、なんと副支部長となっていました。10人ほどいる副支部長のうち、南足柄市担当ということだそうです。今回同行願った女性も幹事に抜擢されていて(^^; 二人で、聞いてねえよ!と抗議しても無視されて、結局、原案通りに可決されました。事前に役員案を知っていた人はほとんどいなかったようで、まあ、そういう緩やかな組織ということなんでしょうね。皆さん、知らず知らずのうちに子守唄を聞かされているように納得していました。

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 写真はアトラクションの子守唄歌唱と西舘好子さん。西舘さんが子守唄協会の本部理事長です。総会は活動の目的や活動内容、規約などを原案通り可決しましたが、そのペーパーはA4用紙1枚。まあ、そういう程度の相模支部ということですかね。
 上述のように歌あり、出席者全員のスピーチがありで終始なごやかに閉会しました。これからどんな具合になっていくのか分かりませんけど、微力ながら協力していきたいと思っています。なお、NPO法人・日本子守唄協会のHPは
こちら です。興味のある方は覗いてみてください。



坂本くにを氏著『詩劇・詩論集』
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2008.10 横浜市西区 私家版 非売品

<目次>
神或いは詩・その断片…7
 一……想 10     二……蛍 11      三……閃 12
 四……在 13     五……啓 14      六……実 15
 七……稀 16     八……無 17      九……魂 17
 十……儒 21     十一…霊 23      十二…炎 25
 十三…感 26     十四…学 28      十五…哲 28
与謝蕪村…31
詩劇 信長…43
詩劇 空海…51
近代の詩精神…67



 神或いは詩・その断片

  五……啓

 日本の神道は、教義、教典などの無い宗教である。

 不思議といえば不思議、奇妙といえば奇妙である。

 創始者もいない。
 従って、体系的な論理も無い。
 仏教に於ける釈尊、キリスト教のキリスト、イスラム教
のマホメッド、世界の三大宗教といわれるこれらの宗教の
創始者である彼等は、この世に現存し、実在していた人間
である。

 克己した自己の体験、霊感などに基づいた哲理、啓示な
どに因って編み出された論理から、様々な教義、教典など
を創出し、それぞれに人生の指針としている。

 彼等の残した教え、導き、理念、精神性、人生への規範
などなど、そのいずれもが崇高さに満ちたものであらう。
 しかし、その教え、生き方などは本質的に人間の個につ
いての原理であり、その言はまさに、詩性と霊性に充ちた
神格性の高いものであって、人々はそれを=啓示=と呼ん
でいる。

 理神論の先駆者、ハーバートは、
「異教徒の宗教について」でこう述べている。

 ――宗教は、二種の啓示(内的啓示/外的啓示)に発し、
 初期の人間は、これらの啓示をとらえ、自然素朴で道徳
的な宗教を生きていたが、やがて僧侶階級が生じ、宗教の
真の原理が隠され、迷信的儀礼と迷信的教養が生じた。
 また、キリスト教はこうした迷妄をうちやぶる宗教とし
て現れたが、ここでも僧侶が出現し、制度化がなされた…
――

 マルクスは、宗教は麻薬である。と言ったそうだが、ま
ことに有り難いといえば、有り難く、厄介といえば、厄介
な存在であらうか。 ……宗教とは。

 だが、もともと、そのいずれもが、人間の造り出したも
のなのである。

 本来、人間という生きものは、存在そのものが厄介なも
のであるのやもしれぬ。

 表題通り詩劇と詩論をまとめた作品集ですが、その深さに圧倒されました。ここでは冒頭の「神或いは詩・その断片」から「五……啓」を紹介してみました。私は〈日本の神道〉についてほとんど知らないのですが、〈教義、教典などの無い宗教である〉と記されると、なるほどなあと思います。それに対して〈世界の三大宗教といわれるこれらの宗教の/創始者である彼等は、この世に現存し、実在していた人間/である〉としたところも納得できます。人間が介在したからこそ〈マルクスは、宗教は麻薬である。と言った〉のかもしれませんね。そして最終連の〈本来、人間という生きものは、存在そのものが厄介なも/のであるのやもしれぬ。〉という言葉には、思わず頷いてしまいました。だからと言ってこの作品は神道の優位性を示したわけではありませんけれど、私にとっては、宗教について従来より一歩進んで考えられるようになったのではないかと思いました。



葵生川玲氏編『飛揚詩集2008』
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2008.10.18 東京都北区 視点社刊 1500円+税

<目次>
・飛揚同人アンソロジー
葵生川玲 「マンハッタン化計画」9
青島洋子 「冬の桜」「いい顔の羊」「歯がゆいこと」21
沖長ルミ子 「光芒」「生家の井戸」「ナ・な・名」33
北村 真 「ブランコ」「カサブランカ」「切符自動溜飲機」45
くにさだきみ 「貝殻山」「風鈴」「爪を切りながら」55
土井敦夫 「真夜中の自画像」「空白の朝」「人のいない街」73
伏木田土美 「革とカバンとタンポポ」「樹の枝を折って」「校庭のはるにれの木」83
みもとけいこ 「埋める」「リカちゃん遊び・声」「一九九八年のジャンパー」95
米川 征 「映画とか」「枠と内外」「日記」105
・ゲストアンソロジー
金親 清 「四〇年前の未発表詩二編」114
一色真理 「緑色の原稿用紙」120
木津川昭夫 「牛飼い少年」122
加賀谷春雄 「反感」126
片羽登呂平 「盛岡で」130
小柳玲子 「叔母の花・叔母の時間」134
大島博光 「メニルモンタンの坂の街で」138
瀬野とし 「坂」142
甲田四郎 「上信電鉄の自粛の秋」146
朱 海慶 「夏の刻−漢俳二首」150
小海永二 「情報」152
葛原りょう 「レッテル」156
古島誓司 「銀月」160
仲村ひなた 「骨」162
りょう城 「ひとり」164
・旧同人アンソロジー
池田純子 「家」170
上村利子 「くわたかのぶお」172
伊藤幸雄 「南と北」178
柴田三吉 「遅刻する時間」182
清水節郎 「ああ白地に赤い血」186
大年寺さと 「家」192
田畑悦子 「坂の童話」196
仁井 甫 「無用の用」202
原田麗子 「鐘」206
目次ゆきこ 「朝顔」212
村田 靖 「六本木駅」216
   *
「飛揚総目次」220
『《現代詩》の50年』日本詩人クラブ編(邑書林)から 251
あとがき 252
視点社発行詩書目録 254
装幀・滝川一雄



 マンハッタン化計画/葵生川玲

    *
一九九〇年代後半に
北の半島の北部の地で、
密かにそれは、企てられていたのだった。
幾つもの国々が掴み取った危険な賭けのように、
マンハッタン化計画が。
    *
一九四〇年代前半、アメリカ・ニューメキシコ州ロスアラモスで、
密かに計画は進められていたのだった。
人類にとって、
全く初めての核爆弾の開発が。

彼らが名付けた
マンハッタン計画。

彼らの、誇るべき文明を象徴する都市
ニューヨークの、
その中心に位置するマンハッタン島に由来するものだ。

初めて核の閃光と巨大な火柱に削られた、、
アラモゴード
大きな凹地の中心に
破砕されたコンクリート片が飛ばされ
後に残された鉄の支柱が、
「グランド・ゼロ」
を示して今も遺されている。
    *
二〇〇一年九月十一日。

攻撃の記憶が強調され、憶測の数字が夥しく流布され、
それに反応する数字がさらにそれに重ねられ、
ゼロ、
何もない、
マイナスの、
中心という数値を背負わされた地点。
ゼロ、
立ち入り禁止の、
ナニモカモ計測不能な、という意味の、
いや、衝撃の映像によって作り上げられてしまった
「グランド・ゼロ」
と名付けられた、マンハッタン島の一角から、
空を見上げる。

秋の、
蒼い空は、
澄み渡っている。

あの日のように。
気持ちの良い風が、
頬に触れていた。
と、
私の思いをそこに重ねることが可能なのだ。
    *
かつて、
彼ら自身が、
世紀の記録として、二つの場所に名付けたのだ、
爆心地「グランド・ゼロ」と。

問い続けられている世紀の重い言葉の意味を離れて、
彼らは、切り替えてしまったのだ。
簡単に
崩落するビルの、
絶望的に零れて降り注ぐ死者の映像を
焼き尽くされて焦熱を上げる地に、
繰り返し悲劇を被せて
死者六〇〇〇名余という、
意図にかさ上げされた数字に、怒りを立ち上げる数字を積み上げて
彼らの内なる怒りを纏めて見せたのだった。
かつての、真珠湾に対したように。
     *
「ニューメキシコ」
呪われた地の記憶を宿す、ロスアラモスで、
今なお、核の孕む罪科は生み出され続けているのだった。
閃光を浴びて鎮まる憎悪の地から、
死神を自らの手で生んでしまったという、
人類の名において許しを乞うた、
一部の人々の深い悔悟と注意を超えて、
哀しみの根源に打ち震える事なく、事実は積み上げられていたのだった。

一九四五年六月、
ここに「七人の科学者の陸軍長官宛報告」がある。
「 …日本に対し早期に告知せずして核爆弾を使用し攻撃することは賢明でないと確信す
る。アメリカがもし、人類に対する無差別破壊の新兵器を投下する最初の国となるなら
ば、世界中の世論の支持を失い、軍拡競争を推進し、将来、かかる兵器の管理に関する国
際協定を締結する可能性をそこなうものとなろう。」

一九九三年二月五日付け「朝日新聞」は、
アメリカ・エネルギー省の刊行物が、広島と長崎に対する原子爆弾の投下を核実験と記載
している旨を報じた。

トルーマン大統領はポツダムでのスターリン、チャーチルとの会談を終って帰国の途上に
あった。当直将校のグラハム大佐が大統領に短信を手渡した。

大統領閣下
一九四五年八月五日(ワシントン時間)午後七時十五分、広島に巨大な爆弾が投下されま
した。第一報は、以前の実験にまして素晴らしい完全成功を報じています。
                                    陸軍長官

一九九三年九月に刊行された、米軍資料『原爆投下報告書−パンプキンと広島・長崎』(東
方出版)からは、原爆投下への道筋を辿る彼らの周到な意図が読み取れる。

「ヒロシマ」の、死者十四万名。± 一万人。被曝による死者は毎年数を積み上げ続けてい
る。
「ナガサキ」の、死者七万人。± 一万人。被曝による死者は毎年その数を積み上げ続けて
いる。

歴史の焼き尽くされた記憶が、
神をも焼き尽くした時の精神の悶えが。

もっと、言おうか。
「東京大空襲」の、死者十二万人。
地獄の業火に焼き尽くされた人々の、
心の罪科として蘇ってくるのだ。
その何れもが、一般市民を無差別に標的にしたものだった。

彼らが、
此処で「新しい戦争」の形を生み出し、
大量殺戮兵器使用の扉を開いたのだった。
と、言葉の意味が被さってくる。
    *
彼らは、その科学の発見を政治に利用したのだ。
報復と世界制覇に向けて、
神に眼を瞑り
人種差別を押し隠したまなざしのうちに。
見せしめの、
「グランド・ゼロ」(爆心地)を特定し、歴史の頁に記録したのだった。
と、考えてしまう者たちの、悲しく辛い思いが、
蒼い空に拡がる
色の深さに滲んでいるのだ。
    *
彼らが攻撃された
「九・一一」の報道に揺れる日々の、
私たちの目の前で、
この国の、一人の詩人は公然と発言した。
「拍手、喝采だ」と。

一瞬、場の全体が息を呑んで揺れた。
    *
私たちの、
彼らの、
価値観や思い出が引っくり返されて、
思わずうろたえて
「新しい戦争」と呼んでしまう大統領に、
心を添わせることはないだろう。

二〇〇一年をアナス・ホリビリズ
(ひどい年)
と名付けた者がいるが、それに続く
二〇〇二年は、いったい何と名付けられるのだろうか。

 *注 9・11同時多発テロによる死者の数は、2002年9月11日、当局から、公式に3040名と発表された。事件直後から飛び交った倍を超える6000名余のあの数字は何を意味するのだろうか。「新たな戦争」といい、無条件にアフガン空爆に突入して、兵士ではない一般の人々の死が、今なお積み上げられている。

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 詩誌『飛揚』グループ初のアンソロジーです。現在の同人の他にゲストや旧同人を加えた、充実したアンソロジーと云えましょう。ここでは巻頭作でもあり主宰者の葵生川さんの作品を紹介してみました。一大叙事詩とも言えますが、米政府への人間としての怒りを読み取れる作品です。日本に投下した〈グランド・ゼロ〉と、〈九・一一〉の〈グランド・ゼロ〉。この2種の〈グランド・ゼロ〉が〈神をも焼き尽くした〉ものとして胸に迫ってきます。また、〈「拍手、喝采だ」と〉発言した場面に私も遭遇しましたが、〈「新しい戦争」と呼んでしまう大統領に、/心を添わせることはないだろう〉という見方に私も賛意を示します。報復からは何も生れない、その事実を改めて示してくれた作品だと思いました。



詩とエッセイ『E詩』11号
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2008.9.25 山形県山形市
芝春也氏方・詩工房S発行 非売品

<目次>
ピックアップ=萩原朔太郎「詩の原理」

細矢利三郎 龍石(たでし)沼まで 1
いとう柚子 種 9  となり 2−集合住宅の日々− 12
阿部 栄子 たそがれの照明 13
本郷 和江 初七日の夜に 15
安達 敏史 短詩四篇 19
芝  春也 まどろみの朝 21
エッセイ
阿部 栄子 ハイネ 23
芝  春也 もうひとつの謎−賢治ノート− 27
ポエトリー・プラザ
佐藤 亜美 変化 31
菅井やゑ子 時代 32
同人名簿・あとがき



 まどろみの朝 スナップ16/芝 春也

おきて!
まぶたをぐりぐりしても
じいちゃん 起きない
あきらめて
ママのところへ走っていく
天井のひと角から見下ろしていた目も
つられて追いかける
耳もついていく

じいちゃん おきないよ
そうお
疲れてるんでしょう きっと
先にごはん食べてなさい

大好物のハムをつまんで
教わったとおりに
あむあむあむ

じいちゃん 夢うつつ
もはや夢みる力もなく横たわる
まどろみの朝

――このまま永久に起きない

その日も メイよ
まぶたをぐりぐりして
おきて!と
呼んでくれるか

 拙HPでも何度か紹介させていただいた詩誌『む』を、11号を機に改題したそうです。紹介した作品の〈じいちゃん〉は作者自身と採ってよいでしょう。〈メイ〉は同居のお孫さんでしょうか。〈まどろみの朝〉の〈スナップ〉ですが、最終連が佳いですね。〈その日〉とは〈このまま永久に起きな〉くなった日のことでしょう。〈その日〉も〈まぶたをぐりぐりして/おきて!と/呼んで〉ほしいという思いの裏には、次世代を残した人の安心感があるように感じられます。孫を作品化するのはなかなか難しいことのようですけど、この詩のように書けばよいのだと勉強させられました。



   
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