きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.9.27 栃木・和紙の里 |
2008.10.8(水)
その1
午前中は小田原市内で西さがみ文芸愛好会の打ち合わせを持ちました。この秋に刊行される『文芸作品に描かれた西さがみ』の編集会議です。校正も大詰めを迎えて、予定通り出版できそうです。
夜は中央高速をひた走りに、白馬を目指しました。明朝からの八方尾根トレッキングに参加することになって、八方ゴンドラリフトの集合が午前8時15分。道の駅「白馬」到着が午前2時。そこで仮眠しましたけど、そうやって全国を旅行していた昔を思い出しました。
○大鹿理恵氏詩集『最も近くに在る永遠』 第6次ネプチューンシリーズXT |
2008.9.15 横浜市西区 横浜詩人会刊 1200円 |
<目次> 表紙絵 大鹿 創
朝 8 虫とり網ですくって 10
わたり鳥 12 手 16
キュウリ泥棒 18 シーソー 22
次の日も 24 名前 28
墓碑 32 だるまさんがころんだ 34
離陸 38 闇の中で 40
ほんとうのものは 42 時 44
それは献花ではなく 48 器 50
海を呼ぶ 52 土曜夜九時下り列車 54
コンビニ カップメン 58 明かり 60
青い星の宿題 62
あとがきにかえて 66
だるまさんがころんだ
この遊びを 君と
何回したことだろう
大木の幹に顔を寄せて
鬼の私は ゆっくり唱える
「だるまさんがころんだ」
すると君は走り出し
次の瞬間
風の中で 静止する
背を向けて立ちながら
私は 感じている
十文字(もじ)の言葉を発する間の
君の変化を
止めようもない自然の計らいを
「だるまさんがころんだ」
どんな強風にもころばない
「だるまさんがころんだ」
自分だけの新しいポーズで
近くまで達した君に気付かないでいると
不意に手のひらを叩かれ
「切ぃーった!」
駆け出して行った後ろ姿は
もう 追っては行けない
青年の姿(かたち)になっていて
第1詩集です。ご出版おめでとうございます。詩集タイトルの「最も近くに在る永遠」という詩はありませんが、詩集全体からそのイメージを感じ取ることができます。紹介した作品はその典型と云えるでしょう。〈君〉と遊びながら、その〈駆け出して行った後ろ姿〉が〈青年の姿になってい〉ったという最終連が見事です。〈駆け出して行った後ろ姿〉が徐々に中学生になり高校生になり、そして〈青年の姿〉で消えるというような、映画のラストシーンを想起してしまいました。それこそが「最も近くに在る永遠」ではないかと読み取りました。今後のご活躍を祈念しています。
○詩と評論『操車場』17号 |
2008.9.1 川崎市川崎区 田川紀久雄氏発行 500円 |
<目次>
■詩作品
僕の宝物 小笠原 眞 1 渇きと眠り――8 坂井信夫 2
悟られぬように 長谷川 忍 3 風のダンス(2) 鈴木良一 4
死もいのち・他一編 田川紀久雄 6
■俳句 母追慕の句 井原 修 9
■エッセイ
新・裏町文庫閑話 井原 修 10 レオポルド・ブルームの便座−つれづれベルクソン草(4) 高橋 馨 11
削り屋は見た 野間明子 13 ありばば通信 松岡慶一 15
月の猫 坂井のぶこ 17 詩人の聲T・U 田川紀久雄 19
末期癌日記・九月 田川紀久雄 21
■後記・住所録 31
悟られぬように/長谷川 忍
一滴落とすと
水面から底のほうへ
静かに
じんわり
染み込んでいく
そんな
体温にも似た思いを
届けられたらいい。
乾いた
街の雑踏の中に
地下鉄の車窓に映った
心もとない顔たちの中に
ネットを跋扈する
乱暴な言葉たちの中に
毎日交わしている
会話の中に
これから書こうとしている
詩の中にも。
さり気なく
できれば
自分のそれと
悟られぬように。
非常に共感できる作品です。こんなことが実際にできるかどうかは別にしても、詩人の生き方のひとつではないかと思います。あるいは、これこそが本当の詩人の姿勢と言ってよいかもしれません。自分に引き寄せて恐縮ですが、私にも〈これから書こうとしている/詩〉らしきものによって〈体温にも似た思いを/届けられたらいい〉という願望があります。しかし、そこには〈自分のそれと〉分かってもらいたいという思いがあることに気づかされました。作者はそれを〈さり気なく〉、〈悟られぬように〉と願っているのです。現在の日本で詩を書いている仲間でも、俺がオレがと声高に叫びたい人が多いのは事実です。私もきっとその一人なのでしょう。深く反省させられた作品です。
○詩誌『詩区 かつしか』110号 |
2008.10.20 東京都葛飾区 池澤秀和氏連絡先 非売品 |
<目次>
長生き/内藤セツ子 狂騒/池澤京子
激雨/池澤秀和 土手の出来事/堀越睦子
人間116 ケロイド(10)/まつだひでお 人間117
赤紙一枚/まつだひでお
恋/小川哲史 挽歌/小林徳明
三昧境に遊ぶ/小林徳明 バスケット中は太陽系の外/酒井文麿
戦争を知らない(二)/みゆき杏子 日常/工藤憲治
生活/工藤憲治
人間一一六 ケロイド(10)/まつだ ひでお
民衆は死んでも死んでも生き返る
死んだ者が生きている者をいつまでもいつまでも支配しているからである
針で何度も何度も突き刺しても私には血の一滴も流れ無い
戦争の泥沼の中へ私の血液は全部吸い取られた
今はミイラとなって口を開けたり閉めたり立つことも坐ることも出来ない
伝える言葉もあっちへいったりこっちへいったりアワワアワワ
「だが是非どうか聞いてくれ 戦争をこりない人達よ」
梅田の闇市で父はラヂオキットを買って来た
「めちゃくちゃふっかけやがって 値切り倒したったわ ほんまにもう」
四球スーパーのパーツと配線図が入っていた
一日掛かりで私はなんとか組み立てた 電気の方はやっと届いていた
細い電柱にあっちからもこっちからも群がるように電線が集中していた
アセチレンガス 石油ランプはもういらなくなった
コンセントにプラグを差し込んだがラヂオはガーガーなるだけ
「アンテナを屋根のトタン板にハンダ付けしてみろや」 父は云った
大きな屋根のアンテナ ダイヤルを回すと良く聞こえた みんな笑った
八月六日午前八時十五分
「広島に大きな威力をもった(新型爆弾)が投下され大きな損害をだしたが
現在調査中」 ラジオは簡単に放送していた
友達や近所の人達はひそひそ話をしていた
「広島の爆弾 あれはピカドン云うてあっというまに全滅やで こわいなあ」
中心地の温度は五千度(太陽の表面温度六千度)数百万気圧 一瞬にして
炎熱地獄 名前もわからない個人のこん跡はどこにもない
人々が個人名でなく腕に刺青された番号で呼ばれガス室に送り込まれた
アウシュヴィッツ 広島と同じ個体的生存の事実が全く無化され人間存在
が全部否定され人類史上いまだかってない残虐非道な大殺戮に対した時
アドルノも私も叫ぶ「哲学することも詩を書くことも不可能である」と
「ラジオはなにも云わへん ラジオのむこうはどうなってんねん
日本は負けたのちゃうか 日本は負けたのちゃうか」
私にはいつまでもいつまでもレクイエムが聞こえる
個人的な興味からの紹介で申し訳ありませんが、〈四球スーパー〉で思い出しました。作品の年代は1945年と採りましたけれど、それから30年も経った1970年代に、私も〈パーツと配線図〉から〈ラヂオ〉を〈組み立て〉ました。真空管ながら五球スーパーヘテロダイン検波受信機と名前も感度も進化して、戦後生まれの私を喜ばせたものです。〈大きな屋根のアンテナ〉は理屈としても大正解です。似たようなことでは、病院などのコンクリートの建物内でラジオが〈ガーガーなるだけ〉だったら、ラジオのアンテナに電源コードなどを巻きつけて、その先端を100V〈コンセント〉に差し込むのも一考です。つまり、屋内配線をアンテナにしようというものです。ショートに注意は必要ですが…。
さて、老境に近くなった男の思い出話はそのくらいにして、作品の鑑賞に戻ります。注目すべき点は多々ありますけれど、私は第1連が最も重要と思いました。〈民衆は死んでも死んでも生き返る〉というフレーズは、支配者の民衆に対する思想を言っているのではないでしょうか。だから戦争で何百万人が犠牲になっても平然としていられるのです。代わりはいくらでもいるわけですから。〈死んだ者が生きている者をいつまでもいつまでも支配している〉というのは、死んでしまった支配者の代わりもいくらでもいる、支配者の思想は行き続ける、というように採れました。この支配、被支配という関係は現在もそのままです。この関係が解消されなければ「哲学することも詩を書くことも不可能である」時代が永遠に続くことになるのかもしれません。まさに、タイトル通り〈人間〉を見据えた連作だと思いました。
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