きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.9.27 栃木・和紙の里 |
2008.10.8(水)
その2
○塚越祐佳氏詩集 『雲がスクランブルエッグに見えた日』 |
2008.9.30 東京都新宿区 思潮社刊 2400円+税 |
<目次>
T 星期四(xing gi si)
星期四 8 音楽 12
新落 16 合図 20
まつり 24 壺 28
街と蝶 32 逆さのL 36
あかるい午後 42 冬のボサノバ 46
蚕 52
U 雲がスクランブルエッグに見えた日
雲がスクランブルエッグに見えた日 58 滝の呪文 62
モホンク山 66 絵と太陽 70
帰国 74 散歩道 80
火葬 84 松林 88
ほれほれ 92 ミヌボーン 96
翻訳者 102
あとがき 108. 装画 五十嵐 晃
装幀 鮒井由貴枝
雲がスクランブルエッグに見えた日
雲がスクランブルエッグに見えた日
葉っぱはどんな複雑さでもっても
海肌を流れるひかりの破片のように
増幅していく空をおおうことはできない
私はただ
自由の女神を描くことができなくて
「かのじょが手に持っているのは
なんでしたっけ?」
街の光が走り出す
次の駅へと
次の街へと
皿に置かれた魚の骨のような
控えめななめらかさ
店の女がピアノをひきはじめる
夜の重みにつぶれたろうそくの光だけで
前かがみに楽譜に食いつきながら
そう、五分前に肉を焼いたのと同じ姿勢で
私は店をでた
失敗だらけの落書きの紙ナプキンは
ふるえるコーヒーカップと
一ドル札といっしょに
テーブルに残したまま
いくらか明るい暗闇が一気に私をのむ
くぼんだ光のような曲が終わった後も
そこに置かれている絵は
女がチップをようやくひろいあげたときにはすでに
重なり合う薄っペらな時間に
まぎれて
同化してしまっているだろう
駅前に並ぶ店が
私の目の前にある
猫の細目のような穴を
そっとのぞいてみろとささやく
四十二丁目の真ん中あたりのビルに
野太い丸太のような虹が突き刺っていた
人に聞かれても
私はきっとそれを見なかったという
* 四十二丁目 アメリカ・ニューヨークはマンハッタンの四十二丁目のこと
第1詩集です。ご出版おめでとうございます。目次の(xing
gi si)は中国語のようで、「i」は2種あるのですが、ここでは表現できないので表記のようにしました。ご了承ください。
略歴によると、ニューヨーク州立大学で学んでいたようですから、U章はその時の体験を下敷きにしているのでしょう。ここではタイトルポエムでもある「雲がスクランブルエッグに見えた日」を紹介してみました。〈皿に置かれた魚の骨のような/控えめななめらかさ〉、〈夜の重みにつぶれたろうそくの光だけで〉、〈五分前に肉を焼いたのと同じ姿勢で〉などの喩に新しい感性を見る思いです。〈くぼんだ光のような曲〉、〈野太い丸太のような虹〉という詩語も佳いですね。今後のご活躍を祈念しています。
○詩誌『へにあすま』35号 |
2008.9.1 茨城県つくば市 高山利三郎氏方・へにあすまの会発行 300円 |
<目次>
夜風/柏木勇一 2 石の鏃(やじり)/青木ミドリ 4
観光バス/大羽 節 6 藁と臓器/小林 稔 8
祠/高山利三郎 10
あとがき 12
やじり
石の鏃/青木ミドリ
空へと伸びる 地層模型の
この辺りが 縄文後期になるのだろうか
展示ケースに納まった 黒曜石の鏃
かつて 縞模様の一点を突いていた
四千年前のムラの人々 その上に
重なり 重なりして
弥生のムラが 古代のムラが
柱の穴を穿ち 炉に火を焚き
土器の中で 茹だる栗の
湯気の向こうに 集う人々
われ先に 器に伸びる手
わたしは ナイフとフォークをあやつる
石槍をあやつるように
作り物の草むらで 兎を仕留める男
皮を剥ぎ 肉を切る女
貴方は 兎と栗のシチューに目を細め
わたしは 毛皮で首を温めている
逃げる兎 逃げる鹿
やがて 鏃の切っ先は
ぎりぎり鋭く 研がれていく
ヒトの背 めがけて
ぼんやりと考える マチの狩場で
今日 夫の鏃は 何を仕留めてくるだろう
わたしは 手の中の 鏃の尖りを感じながら
冷蔵庫の中を さぐっている
第6連から最終連へのつながりが見事な作品だと思います。第6連の〈ヒトの背 めがけて〉というフレーズにはドキリとさせられますが、〈逃げる兎 逃げる鹿〉から〈ヒトの背〉への飛躍は、実は簡単なことだったのかもしれませんね。作者の透徹した眼差しを感じます。最終連の〈夫の鏃〉への展開も見事です。人類の延々と続く歴史を感じさせる詩語だと思います。〈冷蔵庫の中を さぐっている〉で締めたことも作品の完成度を高めたと云えるでしょう。私も何度も見ている〈地層模型〉ですが、ここまで詩化することはできませんでした。敬服した作品です。
○護憲詩誌『いのちの籠』10号 |
2008.10.15神奈川県鎌倉市 350円 戦争と平和を考える詩の会・羽生康二氏発行責任 |
<目次>
【詩】
韓国イラク反戦・平和詩選集紹介(3)‥‥佐川亜紀訳・紹介 2
ついに狂った(安度眩)我がアメリカ紀行(申庚林)悲しき祈祷(李海仁)
百日紅‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥森田 進 4 いのち‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥中村 純 5
お国のために‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥篠原 中子 6 鳥のつぶやき 3‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥石川 逸子 7
風が吹くとき‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥池田 久子 9 同盟‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥堀場 清子 10
さくらをうたうな‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥杉山 滿夫 11 迷子札‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥日高のぼる 12
コンクリ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥山田由紀乃 16 安住の地は‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥赤木比佐江 17
フォールアウト‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥伊藤眞理子 18 ぐみの実‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥原子 修 19
莢(さや)‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥奥津さちよ 20 ハト‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥甲田 四郎 20
気象通報‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥畑中晩来雄 22 会安[カイアン]‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥絹川 早苗 23
闇の中の光‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥水川 まき 24 橋が‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥柳生じゅん子 25
人間の学校 その134‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥井元 霧彦 30 館‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥佐相 憲一 32
わたしたちは了解する‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥季 美子 33 虹の帯‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥草倉 哲夫 34
九条を知らせよう/九条の鳥‥‥‥‥‥‥きみあきら 34 二十一世紀旗手へ あるいはもどかしい夏‥崔 龍源 36
石‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ゆきなかすみお 37 おおばこ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥渡辺みえこ 38
肥えた土が消える‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥竹内 功 39 歩いていく‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥瀬野 とし 40
暦の上の「旗日」とは‥‥‥‥‥‥‥‥‥池田 錬二 41 上野にて‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥うめだけんさく 42
太陽‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥島崎 文緒 43 命日ですねん‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥麦 朝夫 44
いのちの重さ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥白根 厚子 44 季節の過ぎるとき‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥山野なつみ 46
少年が投げるブーメラン‥‥‥‥‥‥‥‥山越 敏生 47 江戸の仇は江戸で討て‥‥‥‥‥‥‥‥‥比尼 空也 48
夕張‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥中 正敏 49 詩を書くことは野蛮だ‥‥‥‥‥‥‥‥‥大河原 巌 51
湊ぐ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥おだじろう 52 晴天の霹靂‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥日高 滋 53
おお チベットよ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥築山 多門 54 弱く貧しくとも‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥門田 照子 55
【エッセイ】
<教科書墨塗り世代>の思い‥‥‥‥‥‥‥若松丈太郎 26 日本国憲法を読む(第9回)‥‥‥‥‥‥伊藤 芳博 27
「平和のうちに生存する権利」‥‥‥‥‥‥‥吉光 悠 57 羽生康二氏著『昭和詩史の試み』から‥‥稲木 信夫 58
『火垂るの墓』(「反核反戦映画」考(四))‥三井 庄二 60 地上資源文明への転換‥‥‥‥‥‥…‥‥羽生 康二 62
あとがき‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥65 会員名簿/『いのちの籠』第10号の会のお知らせ‥表紙裏
江戸の仇は江戸で討て ――秋葉原事件考/比尼空也
はや日常茶飯事と化した
この国の無差別大量殺傷事件
多々ある事件の度ごとに
通り魔たちは一様に宣言する
「誰でもよかった!」
かつて、アウシュヴィッツに
収容された人々でさえ
名前の代わりに番号を与えられ
それぞれの番号で点呼を受け
それぞれの番号で仕事についた
が、この国のワーキング・プアたちは
名前も呼ばれず
番号さえも付けられず
「おい、そこのキミ」
と呼ばれて 仕事につく
仕事をさせる人々にとって
仕事をするものは 誰でもよい
名前も要らない 番号も要らない
「おい、そこのキミ」
と呼べば それで済む
「別にキミでなくても、いいんだよ」
「誰でもいいんだよ」
と言われながら 毎日仕事をする
そんな情景が長く続く訳はないだろう
若者たちは転々と職場を変える
今、我国の巷には、名前も呼ばれず
番号さえも付けられない若者たちの
怒りや憤懣が満ち満ちていて
それは 時に
「誰でもよい」者に向かって暴発する
だが、「そこのキミ」たちよ!
キミたちの怒りがどれほど強く
どれほど忍耐の限度を超えようと
江戸の仇を 長崎で討ってはならぬ
江戸の仇は 江戸で討たねばならぬ
「おい、そこのキミ」と呼ぶものたち……
否、陰でそう呼ばせている者たちこそ
江戸の仇ではなかろうか
〈秋葉原事件〉を始めとする〈この国の無差別大量殺傷事件〉について、2つの点でこの作品は大事なことを伝えているように思います。その1つは〈「誰でもよかった!」〉と〈一様に宣言する〉〈通り魔たち〉の多くが、〈「別にキミでなくても、いいんだよ」/「誰でもいいんだよ」/と言われながら 毎日仕事を〉してきたということ。自分が扱われたように〈怒りや憤懣〉をぶつけたのではないかと指摘しています。もう1点は、それを分かった上で〈江戸の仇を 長崎で討ってはならぬ/江戸の仇は 江戸で討たねばならぬ〉としていることです。〈陰でそう呼ばせている者たちこそ/江戸の仇ではなかろうか〉との鋭い指摘に敬服しました。私も〈通り魔たち〉を決して弁護するものではありませんけれど、社会の構造にまで踏み込んだこの作品には教えられました。
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