きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.9.27 栃木・和紙の里




2008.10.19(日)


 静岡県伊東市の池田20世紀美術館に行ってきました。企画展は「−満ちゆく生命− 遠藤彰子の世界展」というものをやっていて、すごい迫力でした。ほとんどが500号、1000号という大きさで色彩も豊か、デフォルメされた夥しい登場人物は現代の享楽の中に人間本来の悲哀を秘めているようで、日本にもこんな作家がいたのかとド肝を抜かれました。1986年には安井賞も取っている、私と同年代の女性のようです。男女に拘る気はありませんけど、絵描きの世界も日本の男は女性に負けてるなあと思いましたね。機会がある人は一度観てください。現代美術とはこういうことかと納得できると思います。



秦恒平氏著『湖の本』エッセイ45
色の日本・蛇と世界 他(文学講演集)
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2008.10.20 東京都西東京市
「湖(うみ)の本」版元発行 2300円

<目次>
色の日本 −日本人の色と色好み−……………………………………3
蛇と世界 −アジア太平洋ペン会議・差別と文学分科会・演説−…37
蛇と鏡花 −水の幻影・泉鏡花の誘いと畏れ−再掲…………………47
藤村『破戒』の背後 −悩ましい実感の意味するもの………………75
島崎藤村文学と私 −ペンクラブ、緑陰叢書、そして『嵐』−……93
川端康成の深い音 −体覚の音楽−……………………………………119
わたくしの谷崎愛 −いま、谷崎文学を本気で読むために−………145
お静かに −漱石そして日本人の久しく美しき自覚−………………159
 私語の刻−この時代に……私の絶望と希望−……183
 湖の本の事……193
〈表紙〉装画 城 景都/篆刻 井口哲郎/装幀 堤 或子




 お静かに −漱石そして日本人の久しく美しき自覚−

   「日本人の美意識」講演会 二〇〇二年二月八日 於・東京・ワクリウム美術館

 与えられている課題(日本人の美の思想)は、申すまでもなく、小さいモノではありません、むしろ、大きすぎる問題です。だから、容易でないのは当たり前です、が、だから、いろんな話しようがあるとも申せます。易きにつくというのではないが、思いつくまま話してまいります。
 自分から言うてみることですが、「さわがし」に対する「しづか=静・閑」、「きたなし」に対する「きよし」に小さい頃より喜びを覚えてきました。「禅寂」といったことも念頭に、静と清への思慕から、日本の美の思想に向かえればと思います。旨い具合にそんなところへ辿り着けるものかどうか。半端なところはおゆるしを願います。

 かなり若く、まだ小学生のうちから、裏千家の茶の湯になじんでおりました。叔母が町屋での師匠をしておりまして、ま、かなり気の入った門前小僧でした。叔母は、遠州流のお花の先生もしておりました。生け花は、とくに、優れた技倆をもっていました。
 町屋での稽古場ですから、社中といえば、近在のおばさんや娘さんが大方です、叔母は、お茶の稽古場でも、佗びの寂びのと、難しい理屈はほとんど言いませんでした。和敬清寂とも、口になどしません。ま、その是非はともかく、今謂う、この「和敬清寂」という、いわば茶の湯の看板のような標語ですが。
 和も敬も、また寂も宜しいとして、三字めの「せい」を「静か」と書く人もいます。利休の七則でしたか、それは「清い」の方でして、「静かな」静と寂では、意義がやや重なります。一文字ずつに意義を帯びさせるのなら、清い方が、当然よいと、私も感じてきました。
 しかしまた、清いと静かとも、同じ「せい」で、日本語の語感では、親密な親類のような文字であり言葉です。静かなものは清く、清いものは静かである。そう、感じてきた歴史が、ある、と言いきっていいのではないか。同時に、それらはまた、日本人の美の趣味から申しまして、美しさの基本の性質のように受け取られてきた。清らで静かなものが美しいのだ、と。美しいものは、静かで清らである、と。
 そして逆に、騒がしく濁ったものは、醜く、悪しきものであるという、裏側の価値判断も、これまた自然に了承されていたと思われます。
 その例証をたくさん拾い上げてみる必要すらないぐらい、それは、美の感受・享受の根底に敷かれたコモンセンスのようであった、少なくも、時代を遠く遡れば遡るほどそうであった、と言えましょうか。山や水の自然から、深く受け入れてきた好みとも、そこから形成された古神道的な感化による美意識とも推察して、大過ないものと思われます。

 また叔母の話をしますが、叔母が生け花を教えるときに、花器を挟んで弟子と向き合う場所から、というのは、つまり活けられる花の、真裏側から、自分は手を出して、弟子の活けぶりを、ちゃっちゃと手直ししていました。これはたいへんなことなんですね、しかも、ぴしっとサマを成してゆくのです。そういう腕前でした叔母が、生け花でも茶の湯でも、殆ど唯一、口にした批評語は、「騒がしい」のはあきませんえという、それだけでした。言外に「静かであれ」と言うていたわけでしょうが、そうは口にはしませんでした。ただただ「騒がしい」のはいけない、よくありません、と。

 ところで、別の生活場面では、叔母に限らず、身の回りにいました京都の大人達は、なにかの挨拶の際に、よく「お静かに」と申しました。たとえば父や私などが、外出すべく、「行ってきます」と言うと、打ち返すように、「お静かに」と、母も叔母も申しました。来客が、帰って行く際にも、そう言っていました。なにごとも起きないで、平らかにという、呪祝の言葉かと私は聞き覚えて育ちましたが、さて、自分では、どういう実感で同じ「お静かに」と言ったかどうか、はきとしないのですけれど。
 しかし、「騒がしい」のはよくない、「静か」なのがよい、静かであるとき、人は、ある「清まはり」の祝福を受けるのだという、ほとんど無言の教えを、霧の降り積むように、身内に蓄えてきたには間違い有りません。その体験が、およその根拠となり、体内に落ち着いてしまっていると、言えば、多少は言い過ぎかも知れませんけれども。その辺までを前置きにして、ぐるりと一巡りして、またそこへ、うまく話が戻せますかどうか。いま少し、茶の湯の縁で話して参ります。

「一期一会
(いちごいちえ)」という、日本の思想としてはかなり個性味のつよい思想があります。日本の思想は、大概が、背後に外来思想を持っていまして、その換骨であったり、奪胎であったりが多いのですが、換骨奪胎という応用性の濃い中で、日本固有の面持ちをもった一つが、「一期一会」であろうと思います。
 一期一会は、もう先年来、コマーシャルの言葉にすら現われるほどですが、語義は、たいてい誤って通用しています。私はそう観ています。つまり、文字通り、一生涯に一度っきりのことと理解されています。「会」の字が、いわば出逢いの意味に受け取られています、が、本来の意義から、これは、大いに逸れています。違うやないかと、私は、早くっから「異論」を唱え続けてきましたが、根づよく、まだ、誤解のまま通用しています。
 驚くことに、浩瀚をもって知られた『大辭典』(昭和十年・平凡社)に「一期一会」という語は出ておりません。世上に流布し始めたのも、そう古いことではない。
 言葉としては、幕末の井伊直弼『茶湯一会
(いちえ)集』に謂うのが、最も今日でもよく知られていますが、利休の高弟で、秀吉に惨殺された山上宗二(そうじ)が、どんな茶の湯も「一期(いちご)ニ一度ノ会()ノヤウニ」と書いていたのが、たぶん初例でしょうか、『山上宗二記』の茶湯者(ちやのゆしや)覚悟十体の一条に、「道具開キ、亦ハ口切ハ云フニ及バズ、常ノ茶湯ナリトモ、路地へ入ルヨリ出ヅルマデ、一期(いちご)ニ一度ノ会ノヤウニ、亭主ヲ敬ヒ畏ルベシ」とあります。もっとも、この言い方は、更に先行して、千利休の師の一人でありました、室町末から安土時代の茶人、武野(たけの)紹鴎(じようおう)の『紹鴎遺文』中「又十体之事」にあるのと同文の、いわば祖述であったようです。はっきり「一期一会」と用いたのは、伊井直弼の『茶湯(ちやのゆ)一会集』が、やはり最初らしい。和敬清寂などにくらべても、そうそう世に出て知られた言葉ではなかったわけですね。

 この言葉の理解のために興味深いのは、今謂う武野紹鴎の言葉として、「一期一碗」という物言いも、また伝えられています。
 紹鴎によれば、茶人は生涯に何百千度も茶を点
()てたり喫んだりしますが、その一碗一碗を、一期に一度の一碗「かのように」せよ、という言明であったろうと思います。宗二も、直弼も、全く同じ趣旨を、表向き「茶会」という「会」に寄せて、謂うているわけで、井伊直弼はこのように書いています。
 「抑
(そもそも)、茶湯の交会は、一期一会といひて、たとへば幾度同じ主客交会するとも、今日の会に再びかへらざる事を思へば、実に我(わが)一生一度の会也。さるにより主人は万事に心を配り、いささかも麁末(そまつ)なきやう深切実意を尽し、客も此会に又逢ひがたき事を弁(わきま)へ、亭主の趣向何一つもおろかならぬを感心し、実
意を以て交るべき也。是を一期一会といふ」と。
 ですが、そこで上澄みを浅く掬って理解を停止してしまうワケには行かない。こういうことです。
 一期は、一生のことでよいが、その一生に只一回きりの一度一会だとは、宗二も、直弼も、決して言っていないんですね。ちゃんと「ノヤウニ」と言っている。(以下略)

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 鏡花、藤村、康成、潤一郎、漱石などの、他の評者とは切り込みがちがうエッセイ、日本ペンクラブ理事としてのペンへの提言、秦さんが立ち上げて私も創立から協力させていただいた電子文藝館のことなど、どれを紹介してもおもしろいのですが、ここでは「お静かに −漱石そして日本人の久しく美しき自覚−」の冒頭部分を転載させていただきました。この章のタイトルでもある〈お静かに〉と言う〈京都の大人達〉の言葉に魅了されています。さらに〈叔母〉の〈つまり活けられる花の、真裏側から、自分は手を出して、弟子の活けぶりを、ちゃっちゃと手直し〉していくという〈優れた技倆〉にも瞠目させられ、それが〈師匠〉なのだと得心しましたね。

 そして何より〈一期一会〉の本来の意味には考えさせられました。私も〈誤って通用して〉いました。〈かのように〉の意味をこれからはちゃんと認識しようと思います。この〈一期一会〉については、このあと詳細に述べられていきますが、ここでは割愛します。ぜひ手にとって読んでみてください。〈お静かに〉と謂い、〈師匠〉と謂い、眼から鱗の教示ばかりです。




詩誌『天山牧歌』81号
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2008.10.1 北九州市八幡西区
秋吉久紀夫氏発行 非売品

<目次>
現代中国チベット族の詩(1)    秋吉久紀夫訳
こだま…………………………………ラムジェバサン…6  雲のうた……………………………ラムジェバサン…6
同志の墓前で………………………ダンチェンガンブ…7  春の願い…………………………ダンチェンガンブ…8
塔の誕生……………………………………パンダゥオ…11  清らかで麗しいシィアミツ湖…ゴォサンドォヂェ…13
太陽の初めて昇る頃に出発する…リェメイピンツオ…15
(詩篇)
人形とわたし…………………………………稲田美穂…2  アマミノクロウサギ……………………秋吉久紀夫…4
世界文学情報・身辺往来…………………………………3  受贈書誌…………………………………………………23
編集後記……………………………………………………24




 アマミノクロウサギ/秋吉久紀夫

何処にいるのか、アマミノクロウサギ。
体長約四五センチ、全身は黒褐色の毛でおおわれ、
耳や手足が、野兎よりもやや短いのが特徴。
世界じゅうで、この島と南の徳之島以外には、
生息しない国指定の特別天然記念物である。

動物学上では、ムカシウサギ亜科に属すというが、
かれらは地質時代の第三紀に、
次々と来襲した島の隆起と沈下とによって、
他の地域とは隔離されたこの原生林の中で、
かれら独自の生態系を作り上げてきたのだ。

北緯二八度直下の亜熱帯性気候の奄美には、
激しい花粉症を起こす本土の杉や檜は見当らない。
イタジイやオキナワウラジロガシなどの照葉樹林が、
島じゅうをおおい尽くしていて、
紛れもなくアマミノクロウサギの絶好の生息地。

かれらは夜行性で森の樹洞や土中に、
前足の長い爪で深い穴を掘って棲んでいるというが、
昼間なのか、いくら眼を見開いて探すけど、
皆目見当たらない。きっとわたしの感覚器には
捕捉できぬ空間でわたしを睨んでいるにちがいない。

それとも、仮想敵の上陸作戦を想定してか、
この島全体に、網の目のように張り巡らされている
コンクリートの舗装道路が、実のところ
かれらとわたしたちとの交流をも、
確かと隔絶しつづけているのではあるまいか。(2008・9・30)

 〈アマミノクロウサギ〉という〈国指定の特別天然記念物〉の生態が端的に判る作品だと思います。それに対して〈わたしの感覚器には/捕捉できぬ〉人間の弱さもちゃんと見据えていると云えましょう。その原因が〈感覚器〉だけではなく〈コンクリートの舗装道路〉にもあるのではないかとした最終連は卓越です。自然と人間との間にある〈仮想敵の上陸作戦を想定し〉たかのようなコンクリートは、まさに〈アマミノクロウサギ〉を〈仮想敵〉としているのかもしれません。人間の傲慢さを考えさせられました。




詩誌『ひょうたん』36号
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2008.8.25 東京都板橋区
相沢氏方・ひょうたん倶楽部発行 400円

<目次>
阿蘇 豊   白い一本と紙のマッチ…2    水野るり子 フランネル草の寝台…4
柏木義高   バグダッド、二〇〇八・女…6  村野美優  ハルノノゲシ…8
相沢育男   六月…12            森ミキエ  耳の中の風…14
小原宏延   夏の音…18           中口秀樹  フタへ…21
岡島弘子   真姿の池…24          小林弘明  合図…26
水嶋きょうこ 最期に見る風景…28
柏木義高   こもれび日記(29) 映画「休暇」(原作吉村昭)を観る――吉村文学との出会い(5)…
装画−相沢律子




 夏の音/小原宏延

長く伸びた髪をかきあげる手つきまで
ぼくら似た者同士の高校生だった
約束のレコードを借りるために
初めて彼の家を訪ねたのは
夏休みも終り近い暑い日で
団地が窒息するほど蝉が鳴いていた

あの時何を話しただろう
扇風機がぼくらの話を聴く位置で
しきりに首を振っていたのをおぼえている
……それから彼の妹が現れたのだ
ぼくが借りるはずのレコードを胸に
両腕で抱くようにして立っていた
女の子はなぜ胸の前に物を抱えるのだろう
腕を交叉させて抱かれた
30センチ四方のレコードジャケットが
少女の白いブラウスにおしつけられた
……中学二年、と彼が紹介すると
ペこりと頭をさげてレコードを差し出した

畳に座ったまま受け取った目が一瞬くらんだ
妹の半袖の奥に黒い葉っぱを見た
うつむいてジャケットを睨むぼくは
こめかみに蝉がとまったような気がした
ぼくらはどこも似ていなかった
彼は妹をうるさがった

アイスクリームの紙蓋を開けると
真っ白な表面がただ眩しかった
薄い木の箆で口に運ぶぼくらは
遠い他人になってしまった
夏は冷たい核を隠した果実だ
アスファルトの裂け目に野草は起ちあがる

そんな驚異の夏もすっかり忘れたある日
……お待ち遠様、とコーヒー茶碗を置いて
ウェートレスが頬笑んだ
胸にトレーを抱えて立っていたのは
あの時とは別人のように大人びた彼の妹
ぼくは思わず髪をかきあげた

彼と妹の その後は知らない
街も人も 夏のざわめきも変わった
コーヒーは自分で席に運ぶし
レコード針が洩らす微音の粒も聴かない
いま 胸の前にカルテを抱えて
若い看護師が足早に通り過ぎていく

 〈高校生〉の頃の〈彼の妹〉というものは、妙に心騒ぐものだという思いは私にもありました。作品はその機微をうまく表現しています。〈女の子はなぜ胸の前に物を抱えるのだろう〉という疑問も、第5連の〈胸にトレーを抱えて立っていた〉というシーンも巧いなと思いました。そして最終連。〈胸の前にカルテを抱えて〉が見事に決まっています。高校生の思春期から、病院通い、あるいは入院中の現在まで、長い小説を読んだあとのような読後感が心地良い佳品です。



   
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