きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.9.27 栃木・和紙の里 |
2008.10.24(金)
肺炎で入院した父親を見舞いに行きました。ついでにインフルエンザの予防接種も受けされて、やれやれというところです。もう86歳ですから何があってもおかしくないのですが、頭ははっきりしているし、同年代では元気な方だろうと思います。いろいろ問題の多い父親ですけど、せめて90歳ぐらいは長生きしてほしいと思っています。祖父が94歳、義祖母が98歳、それにできるだけ近づいてほしいものです。
○文芸誌『セコイア』33号 |
2008.10.20 埼玉県狭山市 セコイア社・松本建彦氏発行 1000円 |
<目次>
〈森のばあば〉とはずがたり(2)…原田 道子…2 箪笥町抽斗横丁(下)………………篠崎 道子…10
のぞきみのだいごみ ………………高橋 次夫…34 万葉散歩 ……………………………森 清…37
影たちの墓碑銘W …………………長津功三良…40
哀悼小野川俊二さん
四万十川の岸辺に…………………木暮 克彦…58 付・小野川俊二「セコイア」発表作品日録「略年譜」
蛇の視線 ……………………………内藤喜美子…60 老木 …………………………………千葉 文…72
箕輪の城址にて ……………………木暮 克彦…76 爽秋を終えて厳冬へ ………………内苑 竹博…81
おおえど・ぶるうす(2)……………高野 保治…90 夜刀の神の祭り(21)………………友枝 力…96
曼陀羅随筆(21)……………………松本 建彦…105
回国の岸辺の眼(]V)……………吉川 仁…111 〈魚眼〉………………………………………………130
・同人名簿……表3 ・広告……71・95
現在の言語学では「言葉は通じないものである」というのが常識である。話し手と聞き手の間には音波だけがあり、意味や思想や情報などが転移されているわけではないからだ。しかし、実際の生活空間ではコミュニケーションは十分に成り立っていると誰もが反論するであろう。その通りである。「最近うちの子が言っていることがさっぱり分からない」という親たちのぼやきを例外として、大抵の家庭的、社会的場面において伝達は成立しているのだ。これは大へん不思議なことで、学者は「伝達は事後的(3文字傍点)に成立する」(ヴィトゲンシュタイン)とか苦しい説明をして来たのであるが、最近になって「コンテクスト」の研究がこの間題の解明に役立つものと分かってきた。コンテクストとはふつう「文脈」と訳されるが、たんに文中の意味のつながり、脈絡だけでなく、発話をとり巻く状況の全ての知識体系を指す。このような研究部門が語用論(フラグマティックス)という名の下に成立したのは一九七〇年代であるから、一般にはまだ馴染みが薄い。それは、ことばの意味とは「使用」であるという考え方にもとづいている。簡単な例をあげると、話し手が「寒い」と言った時、聞き手はそのコンテクストにより、ただ気温が低いという事実を受け取るのではなく「窓を閉めてくれ」とか「暖房を強くしてくれ」と理解する。夫が食事中に「塩はあるかい」と言った時、妻は「はい、あります」とは答えないはず。黙って卓上の塩ビンを手渡すであろう。
コンテクストはことばをバックアップするだけでなく、それを支配するとも考えられている。ただ、語用論が意味論の一部なのか、あるいはその逆であるかについては意見が分かれているようだ。
日常的な場面でさえこのように不安定であることばの意味が詩的テクストにおいてますます不透明になるのは当然であろう。ただ後者の場合、コンテクストヘの依存性が相対的に大きい、つまり、それだけ反コード的であるということだ。かつてジュリア・クリステヴァが全ての文学作品は相互につながっているとして、間テクスト性を唱えたことが思い起こされるだろう。つまり、詩人はいつ盗作の容疑者になってもふしぎでない。
これまで、ぼくは詩の難解性をことばの本質の中に論じてきたつもりであるが、他方には詩的テクストと日常的テクストは本来ちがうものとして区別しなければならないと言う人も少なくない。
入沢康夫は一九六八年に『詩の構造についての覚書』を発表して、大きな反響を呼んだ。彼は詩の構造を論ずる中で、全ての詩作品において作者(詩人)と発話者は別であることを強調している。そしてこのことをてっとり早く分かってもらえるためにと、次の作品を引用している。
大石誠之助は死にました、
いい気味な、
機械に挟まれて死にました。
―――――――
日本人で無かった誠之助
立派な気ちがひの誠之助
有ることか、無いことか、
神様を最初に無視した誠之助、
大逆無道の誠之助。
ほんにまあ、皆さん、いい気味な、
その誠之助は死にました。
これは現在あまり人に知られている詩ではないが、与謝野寛作「誠之助の死」の一部である。この作品の主人公の大石誠之助は大逆事件に連座して死刑になった人物で、作者の与謝野寛の友人である。ふつうの読者はこの作品において主人公がひどく罵倒されていて、死刑になるのが当然、いい気味だと言われていると理解するだろう。しかし入沢は、「いい気味」だと言っているのは《発話者》であって作者である《詩人》は決してそう思っていない、つまり、《発話者》とは反対の立場であると言う。当時の社会状況において、大逆事件の犯人について同情的な感慨をそのまま書きつけることは危険である。だから作者はあえて自分の真意をその正反対のテクストによってあらわしたと入沢は説明している。
この詩を正しく(テクストとは逆に)理解するために、頭の中で《作者》と《発話者》を分離することは、たしかに有効な手段である。しかし、それは絶対的な条件ではない。一つのテクストが別のテクストを隠し持つのは珍しいことではない。それが正しく理解され得るのはコンテクストの力によるものであることをぼくらは語用論の例において見てきた。この場合、読者に求められるコンテクストとは、与謝野寛が大石誠之助の親友であったこと、及び大逆事件そのものについての基礎的な知識である。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
紹介したのは友枝力氏の「夜刀の神の祭り(21)」の部分です。〈コンテクスト〉という言葉を始めて知りましたが、その〈ことばの意味とは「使用」であるという考え方にもとづいている〉という概念はよく分かりますね。〈寒い〉、〈塩はあるかい〉という具体的な事例が理解を大きく助けていることは申すまでもありません。そこから発展させた〈詩的テクスト〉の具体例としての〈与謝野寛作「誠之助の死」〉には、私たち世代ではすぐに「自衛隊に入ろう」というフォークソングを思い出すのではないでしょうか。高田渡が1968年に大ヒットさせた曲です。もう著作権も切れていると思いますので、歌詞を載せます。
みなさん方の中に 自衛隊に入りたい人はいませんか
ひとはたあげたい人はいませんか 自衛隊じゃ人材求めてます
*自衛隊に入ろう入ろう入ろう 自衛隊に入ればこの世は天国
男の中の男はみんな 自衛隊に入って花と散る
スポーツやりたい人いたら いつでも自衛隊におこし下さい
槍でも鉄砲でも何でもありますよ とにかく体が基本です
*リフレイン
鉄砲や戦車や飛行機に興味を持っている方は
いつでも自衛隊にお越しください 手とり足とり教えます
*リフレイン
日本の平和を守るためにゃ 鉄砲やロケットがいりますよ
アメリカさんにも手伝ってもらい 悪いソ連や中国をやっつけましょう
*リフレイン
自衛隊じゃ人材求めてます 年令学歴は問いません
祖国のためならどこまでも 素直な人を求めます
*リフレイン
当時、防衛庁がこの唄を募集歌として採用したいと高田渡に申し入れたというのは有名な話です。まさに〈作者はあえて自分の真意をその正反対のテクストによってあらわした〉ものと云えましょう。そこで、この詩について〈読者に求められるコンテクストとは〉、当時の自衛隊員大募集と、当時の多くの若者がベトナム反戦活動に加わったという〈基礎的な知識〉ということになりそうです。
友枝氏の「夜刀の神の祭り(21)」には多くを教えられ、決して〈与謝野寛〉だけの話ではないことも実感しました。他にも北川冬彦の反戦詩「いやらしい神」などにも言及して、とても参考になりました。機会のある方はぜひ読んでみてください。
○総合文芸誌『中央文學』477号 |
2008.10.25 東京都品川区 日本中央文学会・鳥居章氏発行 400円 |
<目次>
◆小説◆
草稿――タンへの手紙/寄田恭子/2 四国巡礼/柳沢京子/19
もう、いいや/桜井弥生/42
◆詩作品◆
歳月/佐々木義勝/32 二十一歳/朽木 寛/35
愛の生活/川口あさみ/37
◆翻訳◆
キャップの死(原題:EXIT For A HERO)/原作:Gerald Mygatt 訳:根津徹也/38
●編集後記● 46
●表紙写真●フランス/凱旋門付近●
愛の生活/川口あさみ
たとえば……
ぼくがハーイというと
きみもハーイという
ぼくが
See You といえば
きみも
See You とこたえる
ぼくが
Non という
すると きみも Non とくりかえす
こんにちはとぼくがいう
こんにちはときみはこたえる
ああ なんとあじけないんだろう
詩におけるタイトルの重要性は改めて述べるまでもなく、詩人はそのために頭を悩まし試行錯誤を繰り返すわけですけど、紹介した作品の場合は、ありきたりな、ある面では陳腐なタイトルが非常によく効いています。もちろんそれは最終連としてたった1行置かれた〈ああ なんとあじけないんだろう〉というフレーズに呼応してのことですが、この呼応は見事です。
私も詩らしきものを書くときにはタイトルに悩みますけど、そんな悩みを笑い飛ばしてくれるような作品だと思いました。
○詩とエッセイ『橋』125号 |
2008.10.20 栃木県宇都宮市 橋の会・野澤俊雄氏発行 800円 |
<目次>
作品T
◇波の記憶 草薙 定 4 ◇詩二題 待つ・蝉 高島小夜子 7
◇沼地 都留さちこ 8 ◇霧 冨澤宏子 10
◇蝉のぬけがら 斎藤さち子 12 ◇この素晴らしい住居 江連やす子 14
◇再会・胡麻と父 蓑和田初江 16 ◇さやさや かなかな 山形照美 18
◇引導 相馬梅子 20 ◇往く 壺中天地 22
石魚放言
今もなお 大木てるよ 24 感情という風に吹かれて 若色昌幸 25
作品U
◇詩二題 大雨・地獄 和田 清 26 ◇時 瀧 葉子 28
◇「勿体」断章 沼 文録 30 ◇日本人はどこに 酒井 厚 32
◇華々しさの裏側 若色昌幸 34 ◇夏の夜の夢 そのあいか 36
◇泡 國井世津子 38 ◇老残漫歩 そらやまたろう 40
◇瞳はどこへ 大木てるよ 42 ◇とんだ頓馬譚 戸井みちお 44
◇すすき 野澤俊雄 46
書評 野澤俊雄
◇西本梛枝詩集『神明の里』山脈文庫 48 ◇斎藤なつみ詩集『私のいた場所』砂子屋書房 48
橋短信 風声 野澤俊雄 49
受贈本・詩誌一覧 50
編集後記 51 題字 中津原範之 カット 瀧 葉子
再会/蓑和田初江
魂をなくした人のように
ただ 歩いていた
森の小道を歩いて行った
このあたり 誰もいないと
知っている人はいないとただ一人
思い込んで歩いていた
突然 前を歩く人がいた
待っていたわけではないのに
ついて行った
とうに死んだ母が 振り返り
ほほ笑んで 古家の奥に消えた
得体のしれない嬉しさがわいてきた
今はウォーキングやらトレッキング、森林浴などで〈森の小道〉も整備された処が多くなりましたけど、昔ながらの踏み分け道には〈魂をなく〉すような感覚に捉われることを私も体験しています。もともと森の民だった人種に組み込まれているDNAの記憶なのかもしれません。紹介した作品は、最終連がよく出来ていると思います。もちろん〈とうに死んだ母が 振り返〉ったことは幻想でしょうが、仮に幻想であったとしても〈得体のしれない嬉しさがわいてきた〉のが素直に伝わってきます。現代人が失くした懐かしさを感じさせてくれた作品です。
← 前の頁 次の頁 →
(10月の部屋へ戻る)