きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.9.27 栃木・和紙の里 |
2008.10.26(日)
まったく忙しい日で、眼がひっくり返るようでした。
午前中は自治会の美化作業。お昼は近くのお寺で親戚の法事。お前が酒を呑まないのはオカシイ!という親戚中の非難の声を後にして、午後3時には神奈川県秦野市に着きました。
この秋に発売する西さがみ文芸愛好会の冊子『文芸作品に描かれた西さがみ』の広告取りだったのです。広告主と3時に会う約束でしたから、とうぜんお酒なんか呑んでられません。たかが○万円を出資してもらうのに苦労するなぁ、と思っていましたが、なんと◎万円も出してくれて、感謝!感謝!です。
そのまま帰ろうと思ったのですが、その広告主に「2階でDVDの映画やるから、観て行けば?」と言われて覗いたのが、行き着けの「アリキアの街」。相変わらず10人ほどのお客さんしかいなくて、すぐに帰ろうと思っていたのが、枯れ木も山の賑わいと、結局、最後まで観てしまいました。でも、久しぶりに観た「スティング」でしたから良かったですよ。5時半まで掛かってしまいましたけど、まさに忙中閑あり状態でした。映画は月に一度ぐらいの割でやっていますから、今度はゆっくり観たいものですね。
○坪ノ内游氏創作話『ヒースロー』 |
<目次>
ヒースロー 第一話 ヒースロー 第二話 ヒースロー 第三話
ヒースロー 第四話 ヒースロー 第五話 ヒースロー 第六話
ヒースロー 第一話
北緯51度7分、西経0度4分。イギリス最大の空港、ヒースロー空港を北へ少しはずれた町にある、小さなバー「リベルテ」では、いま静かに、大人たちが息を飲む。
やがて、ジャック≠ェサックスを取り出し、ウーノ≠ェピアノに手を置く。
ギターを持ってルノー≠ェ駆け付けた。
スコットランドからは、べ−スの名手である、あのアストロスキー≠ェ。
リトアニアからはリーマス≠ェ来てトランペットを吹き出す。
遠く、ジブラルタル海峡を越え、陽気なドラムのボンヌ≠熕シアフリカから到着した。
そして歌姫アリーナ≠ェ舞台中央に立つ。
すると、待ちかねた大人たちは目を輝かせ、その時をひたすら待つ。
ここ、ヒースローに、7人が結集した。たった一つの目的のために、愛する人々のために。
それは「NO WAR!(平和のために!)」
いまから始まる音楽の夕べ、第一話。
この物語は、決して作り事ではない。
第二次世界大戦が終わったと思われている1949年、春の物語。
世界は、それぞれに武器を持ち、戦いに明け暮れている。東西陣営は武器の均衡を唯一の頼みとする、緊張感と諜報活動の中、アジア、インドでは、平和革命として無抵抗主義が世界をかけめぐる。
ここ、ヒースローでは歌姫がマイクに手をやり、歌いだす。
5月だというのに、ヒースローはまだ冬の冷たい風がすき間から吹き込む。しかし、そんなことは誰独りとして気にしない。
歌が始まる。
「人は傷つくために生まれたのではない。
悲しむために生まれたのではない。
楽しく生きて、笑いの中に生きて、
そして、仲間の中で愛する人をさがすために、生きているのです。
みんな勇気を持っているのです。
どんなわがままも許そう、ヒースローは、そういう所。
どんな人も、愛するのよ、ヒースローは!
根っから優しい人が、優しく生きる人が、集まるとこよ、ヒースローは」
と、アリーナ≠ヘ歌う。
歌が終わる。
再び客席の大人たちが静寂のときに包まれた。
すると、アリーナ≠ヘ、マイクを静かに置き、ドラムのボンヌ≠ノ近づき、彼の右足にキスをする。
実は、ボンヌ≠ノは右足がないのだ。あまりにも有名な、あの「ディロガの戦い」で右足を失ったのだ。 続く
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
上述の広告主・坪ノ内游氏(もちろん筆名)からいただいた創作話です。前文には〈※これは、バンダイ&ケンウッドの共同開発による「リトルジャマー・プロ」に寄せた創作話である。〉とありました。「リトルジャマー・プロ」とは何かが判りませんでしたから、ネットで検索すると、
〈バンダイが提供するリトルジャマーシリーズは音とプレイヤーの動きをリアルにシンクロさせた独自の技術と、ケンウッドのオーディオ技術を融合させて…〉
〈ケンウッド製作のミニュチア・ロボットによる自動演奏ジャズバンド。バンダイ発売の大人のエンターテイメントオーディオとして大ヒット中。ヴォーカリスト、ホーンセクションも。
〉
などがヒットしました。〈ミニュチア・ロボットによる自動演奏ジャズバンド〉らしい絵もあって、新しい音楽鑑賞のスタイルのようです。
創作話はそれに合わせたものと思います。ここでは第一話のみを紹介しましたが、ジャック∞ウーノ∞アリーナ≠ネどのミニュチア・ロボットが主人公と言ってよいでしょう。彼らが「NO
WAR!(平和のために!)」を合言葉に〈ヒースロー空港を北へ少しはずれた町にある、小さなバー「リベルテ」〉で繰り広げるジャズにまつわる話や平和の歌が、第六話まで続き、魅力的な作品です。機会のある方は「リトルジャマー・プロ」や創作話『ヒースロー』に触れてみてください。新しい感覚の創作であり音楽であると思います。
○下村和子氏詩集『手妻』 |
2008.10.30 東京都板橋区 コールサック社刊 2000円+税 |
<目次>
第T章 藍のつつしみ
藍のつつしみ 12 藍の誕生 16 手に残るもの 18
秘めたもの 22 湖北の水 26 月光 30
みどり 34 藍の意志 40 私の一色一生 42
第U章 手妻
藍の魔性 52 手妻(てづま) 56 萬祝(まいわい) 62
祭 64 チュラ アイ 68 藍のある暮らし 72
青い白鳥 78 マリヤさまの藍 82
第V章 甕覗き
甕覗き 88 青を着て 92 秘色 96
藍が消える日 100. 地獄出し 102. ピカソの青 106
女文様 110. 私の色 112
あとがき 120
略歴 122
てづま
手妻
三月の雨は 音を消して下りてくる
花咲く前の街に しっとりと降る
屋根を濡らし 道を落着かせる
そんな日は 外出するのも億劫で
私は 独り茶会をする
免状を持たない 私のお茶は融通無碍
月の下で見れば
欠け茶碗も名器です
サイレンが鳴らない間は
私たちの時間ですからね
戦争が激しくなった頃
焼けだされた茶道の宗匠一家に
我が家の座敷一間を お貸ししていたことがあった
子供だった私は 側に座って
師匠と父の静かなお点前を見ていた
電灯を弱めた 影の部屋で見る
男二人の黒い背中が ずいぶん大きかった
縁側に敷いた赤い毛氈の辺りから
茶筅を動かす音だけが聞こえてきた
お茶は音でたてるのだと 独り 学んだ
悠然と茶を啜る父たちの姿は
私の理想になった
制限の中で 咲かせる華は甘い
江戸の庶民も なかなかの知恵者だった
税の取り立てがきびしく
奢侈禁止令の出た町では
茶の湯も禁じられ
着るものは 木綿とされた
藍は絹と同じように 木綿にも馴染み
鮮やかな青を創り出した
藍と白のくっきりとした二色の世界は無限に拡がり
町人たちの遊び心は 江戸の粋(いき)を生んだ
高価*な茶釜を染め込んだ夜具にくるまって
夢の中の大茶会と洒落た
隠し文字が流行し 恋しい人の名も
こっそり染め入れた
贔屓の役者の名を一文字
絵柄の中に もぐり込ませるのも一興
一本の横縞と六本の縦縞
合わせれば 市村羽左衛門
謎が解ければ 洒落者と
秘かに通振りを競った
青と白で表現される世界は 自由自在
たくましく生きる庶民を
藍は後押しした
きっぱりと残した白の海で
藍は 奔放に
お喋りしている
*手妻…手先。手先の仕事やわざ。江戸の手品。
*57頁の一連…NHK「美の壺」に依る。
昨年に引き続く第11詩集です。全編〈藍〉に関連した作品ばかりという異色の詩集ですが、ここではタイトルポエムを紹介してみました。戦時中の〈師匠と父の静かなお点前〉が〈江戸の庶民〉と通じているという視点がおもしろく、かつ〈師匠と父〉の人間像が浮かび上がってきます。〈悠然と茶を啜る父たちの姿は/私の理想になった〉というフレーズからは、著者の人となりをも感じさせます。それにしても〈恋しい人の名も/こっそり染め入れた〉り、〈贔屓の役者の名を一文字/絵柄の中に もぐり込ませ〉り、私たちの先人はなかなか〈粋〉だったんだなと改めて感じます。最終連の〈きっぱりと残した白の海で/藍は 奔放に/お喋りしている〉というフレーズも見事に決まった佳品だと思いました。
○詩誌『環』130号 |
2008.10.30 名古屋市守山区 若山紀子氏方・「環」の会発行 500円 |
<目次>
加藤 栄子 海辺の物語 2 東山かつこ 九月の地下鉄 4
菱田ゑつ子 宇治橋まで 6 安井さとし 日常 8
さとうますみ 少女に 10 神谷 鮎美 たつ 12
高梨由利江 月のありか 14 若山 紀子 昨夜のことだった−百虫− 17
<かふえてらす> 20
神谷鮎美 鈴木哲雄 安井さとし 菱田ゑつ子 加藤栄子 高梨由利江
<あとがき> 若山紀子 25
表紙絵 上杉孝行
たつ/神谷鮎美
なすに だんこんのような ものが つい
ていた。くちに いれるまえに あかるい
まどぎわへ なすをもっていき しゃしん
にとった。そそりたつ だんこんのような
なすの とっきぶつ。あさの ひかりのな
かに かげが たつ。
ふと いたずらしようと おもいたった。
おとこの けいたいでんわに しゃしんを
おくる。
わいせつか
げいじゅつか
どっちだと
おもう?
おとこから へんじがとどく。
げいじゅつにしては いろつやが わるい。
わいせつにしては いきおいが ない。お
れの なすびの ほうが げいじゅつひん
だし よのなかの やくにたつ。
たつんだ。それは。
おとこは こういう はなしになると べ
んがたつ。たつ たたない って はなし。
おんなには やくに たたない はなし。
なすの はなしは はなすうちに ちがう
はなしに すりかわる。たつ たたないの
はなし。おとこの きょうみと おんなの
きょうみは すれちがう。
やくにたつって なんの やくに たつの
さ みせてみて。くちさきだけなら おと
こが たたない おたんこなす。
ちょっと〈わいせつか/げいじゅつか〉分からないところがあるかもしれませんが、押さえるところは押さえた作品だと思います。〈たつ〉というタイトルのもとの〈かげが たつ〉、〈いたずらしようと おもいた〉つ、〈やくにたつ〉、〈べんがたつ〉、〈おとこが た〉つ、など、それに〈なすの はなしは はなすうちに〉、〈おたんこなす〉など上手く語呂合わせしています。話の内容が内容だけに、この語呂合わせは角を立てない役割をしていると云えるでしょう。ひらがな表記も奏功していると思います。それにしても、やっぱり〈おとこの きょうみと おんなの/きょうみは すれちがう〉ものなのかもしれませんね。愉しませてもらった作品です。
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