きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.9.27 栃木・和紙の里 |
2008.10.30(木)
午前中、市内の病院に行ってきました。内科、小児科が専門で、先代の頃から市民の家庭医のような存在です。子どもの頃は小児科に通って、成人してからは内科に通うという人が多いので、まさに生涯の家庭医というところです。先代から現在の二代目に至るまで評判がよく、私も気楽に行っています。
ところが今日はなんと院長不在。張り紙には「院長の都合により1週間診察は行いません」。なんだ、こりゃ? 休院にはしないで薬だけ出すということらしいです。家庭医としては院長不在でも薬だけは出さなきゃいけない、というところでしょうか。そんな対応は初めてでしたので面食らいましたけど、逆に医者の誠意を感じました。
あとで判明したところでは、院長自身が病気になって、はっきりは言いませんでしたがどうも入院していたようです。ま、医者でも病気になることはあるわなぁ、というお話しでした。
○香咲萌氏詩集『ほどけゆく季節の中で』 |
2007.12.1 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2000円+税 |
<目次>
春
ほどけゆく季節の中で 8 優しい時間 10
春への祈り 14 こぶしひらいて 18
宵の空に 22 赤いアネモネ 24
菜種梅雨 28 世界の片隅で 32
夏
桃源郷 36 妖精の階段 40
咲いた咲いた 44 流れて 48
夢の中で 52 ナイアガラ 58
チロチロ満ちる 60 十二単(じゅうにひとえ)の絆 62
秋
葡萄とまいまい 68 露草の希望 70
電線の鳩 76 カラスさん 78
オキザリス命の限り 82 秋の夜長 88
秋うらら 90 ゆく秋 94
冬
シクラメンの祈り 98 あたらしい年に 100
シクラメンの童話(メルヘン) 104 優しい灯り 106
シクラメン海を渡る 108
添え書 比留間一成 114
あとがき 118 題字 香咲 萌
ほどけゆく季節の中で
あけぼのの空にこだまする
うぐいすの初音
しいんと静まり返った庭に
明るい春の産声
ほどけゆく季節の中で
うぐいすの透き通る声に
耳を澄ませば
子供の頃の絵本の世界
美しい中国の詩
想い起こされ
梅にうぐいす
鮮やかな色が蘇る
2007年の刊行ですが第1詩集のようです。春夏秋冬に分けられた章には、それぞれ季節の花に対する思いがうたわれ、全体にこころ穏やかになる作風です。ここではタイトルポエムを紹介してみました。春を〈ほどけゆく季節〉と表現したところが見事です。春の訪れはたしかに冬の寒さをほどいていくという実感がありますね。このような言葉で春を表したことに初めて出会いました。そして、春には〈鮮やかな色が蘇〉り、色彩の面でも感覚豊かな詩人ではないかと想像しています。今後のご活躍を祈念します。
○詩誌『青芽』549号 |
2008.11.5 北海道旭川市 青い芽文芸社・富田正一氏発行 700円 |
<目次>
作品――
富田 正一 4 佐藤 武 6 菅原みえ子 7 森内 伝 8 村上 抒子 9 山田 郁子 10
浅田 隆 11 宮沢 一 12 本田 初美 13 堂端 英子 14 芦口 順一 15 荻野 久子 16
四釜 正子 18 佐藤 潤子 19 沓澤 章俊 20
◇書評
中原、坂本、石川、なんば、小長谷 詩集のリアリティーに痛感 富田 正一 34
◇詩見・時言・私見
文梨 政幸 21 佐藤 武 21 小林 実 22 本田 初美 23 沓澤 章俊 25 四釜 正子 26
小森 幸子 27 山田 郁子 27 荻野 久子 28 佐藤 勝信 29 浅田 隆 30 村田 耕作 31
倉橋 収 31 富田 正一 32
作品――
倉橋 収 38 北野 史郎 39 小森 幸子 40 横田 洋子 41 吉田 幸夫 42 現 天夫 43
オカダシゲル44 小林 実 45 仲筋 義晃 46 能條 伸樹 47 千秋 薫 48 岩渕 芳晴 49
村田 耕作 50 文梨 政幸 52
◇連載
青芽群像再見 第九回 冬城 展生 56
青芽60年こぼれ話(六) 富田 正一 61
青芽プロムナード 54 告知 24・29・33・69
寄贈新刊詩集紹介 23・55 目でみるメモワール 64
寄贈誌深謝 69 編集後記 70
表紙題字 富田いづみ 表紙画 文梨 政幸 扉・写真 佐々木利夫
水面/佐藤潤子
誰が石を投げたのだろう
小さな石が落ちれば
浅く小さく波立ち
大きな石が落ちれば
深く大きく広がる波紋
鏡のように
くもりなく なめらかでいたくても
木の葉が舞い落ち
鳥が飛び立ち
風が吹き
水面は絶えず揺れている
穏やかでいたいと願いながら
自らの意志とは無関係に
水の〈意志〉とは何かと考えると、やはり〈穏やかでいたいと願〉うことなのでしょうね。水は表面張力で常に丸くなろうとします。丸くなって丸くなって完全に安定した姿が静止状態と考えてよいでしょう。それが〈鏡のようにくもりなく なめらかでいた〉いという水の〈意志〉だと思います。しかし、現実にはそんな状態は絶対に訪れません。実験台の静かな面に置いたビーカーの中でさえ、僅かな地面の振動に常に動かされています。ましてや外では〈小さな石〉〈大きな石〉ばかりか〈木の葉〉や〈風〉にさえ〈水面は絶えず揺れて〉しまいます。まるで私たちの人生そのものではないかと思ってしまいます。短い作品ですが、考えさせられることの多い詩だと思いました。
○隔月刊会誌『Scramble』96号 |
2008.10.26 群馬県高崎市 高崎現代詩の会・平方秀夫氏発行 非売品 |
<おもな記事>
○いま、詩の力とは…新井隆雄 1
○私の好きな詩 清水哲男 詩集『スピーチ・バルーン』 馬場映児…2
○会員の詩…3〜4
芝 基紘/鈴木宏幸/渡辺慧介/江黒幸枝/福田 誠/石井一比庫/志村喜代子
○スクランブル100号記念アンソロジー原稿募集…8
○群馬詩人クラブ・秋の詩祭案内…8
○編集後紀…8
こころ残りは/志村喜代子
表しようもない内情を
のっペりと剃り
言えばとて絶句するだけの唇で
これをもって
ただいま終了しました と
ト書きを立てかけもらい
素(す)であらばあれ
置く躰を
形見だにならぬ躰を
置いていく
置く
こころ残りは
先回りしては
見限って疾(はし)る 脱兎のごときものに
結わえてやる
おもしろい作品なのですが、おそらくあの世へ旅立つときの〈こころ残り〉でしょうから、ちょっと身につまされますね。〈これをもって/ただいま終了しました と〉〈形見だにならぬ躰を//置いていく〉わけですけど、それでも〈こころ残り〉はあるわけです。その〈こころ残り〉を〈見限って疾る 脱兎のごときものに/結わえてやる〉というのですから、相当な執念と採ってよいでしょう。それは〈表しようもない内情〉なのでしょう。それほどの心残りがお前にはあるかと私自身に問うと、心もとない気がします。短い作品ですが考えさせられました。
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