きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.10.9 八方池




2008.11.2(日)


 誘われて、谷川岳一ノ倉沢付近をトレッキングしてきました。谷川岳は昔から遭難の多い山で、どんな凄いところかと思っていましたが、やはり凄い岩山でした。しかし、私たちはそんなところを登るわけもなく、麓の林道をゆっくりと歩いただけです。それも平地ですから、先月の八方池の方がよほどシンドかったですね。まあ、遅れた紅葉狩りというところでしょうか。

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 写真は一ノ倉沢。隣の幽の沢まで往復しました。雨は降らなかったものの曇り空で、紅葉も終ってくすんでいたのは残念でしたが、仲間5人の都合が合う日は今日しかなく、やむを得ないところでした。少しはメタボのお腹も減ッ込むかなと思いましたけど、平地のトレッキング程度では無理と自覚しています。
 林道の岩肌にはたくさんのレリーフが埋め込まれていました。谷川岳で遭難した人たちの慰霊碑です。その多くが20代で、人生の初っ端で打ち切られた若い命に胸が熱くなりました。しかし、好きなことをやって、老醜を晒さずに他界できたのは幸せなことなのかもしれません。

 帰りは宝川温泉に寄って汗を流してきました。今回引率してくれた女性から「混浴よ!」と聞いていましたから、男共は期待して行きました。確かに混浴で、よくある、むかし若かった女性と一緒、というものではなく、20代と思われる女性も10人ほどいて驚きました。しかし、皆さん、大きめのバスタオルで胸から膝までしっかりとガード。これじゃあ、一緒に入っている意味がない!と声を荒げたくなりましたけど、それはグッと抑えました(^^;
 でも、なかにはおばあさんと娘さん、幼子を抱えた若夫婦なども入ってきて、それはそれで見ていて和やかな気分になりました。川音を聴きながら、おばあさんの手を取って露天風呂に肩を沈める若い娘さんを見ているというのも、実にいいものです。お薦めですね。

 午前9時に東武東上線の駅に集合して、5人乗りの私のクルマに5人が乗るという窮屈さ、帰りは珍しく関越道の渋滞にはまって、帰宅は0時という強行スケジュールでしたけど、楽しい休日でした。企画してくれたTさん、ご一緒の皆さん、ありがとうございました! 機会があったらまた連れて行ってください。




隔月刊詩誌
『サロン・デ・ポエート』
276号
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2008.10.25 名古屋市名東区
中部詩人サロン・伊藤康子氏発行 300円

<目次>
作品
月をたがやす…………野老比左子…4     雪月花…………………野老比左子…5
時の中で………………高橋 芳美…6     北冥へ(四)………みくちけんすけ…7
ある五十男……………小林  聖…8     晩夏……………………横井 光枝…9
雨乞い笠踊り…………阿部 堅磐…10     お見舞い………………阿部 堅磐…12
シニア同士の一人寝…足立すみ子…13     敬老の日………………荒井 幸子…14
行く先は………………伊藤 康子…15     背中で聞く昔…………及川  純…16
少年…………………浜野よしはる…17
散文
中日詩話会多治見例会偶感………………野老比左子…18
追悼松尾陽吉先生−永遠の歴史家魂−…野老比左子…19
農民詩人・錦米次郎さんのこと…………阿部 堅磐…20
大倉元詩集「石を蹴る」を読む…………阿部 竪磐…21
詩集「ただいま」を読む…………………阿部 竪磐…22
同人閑話……………………………………諸   家…23
詩話会レポート……………………………………………25
受贈誌・詩集、サロン消息、編集後記
表紙・目次カット…………………‥……高橋 芳美




 
時の中で/高橋芳美

目の前の信号が
点滅しているのに
駆けだしていく人

デパートの中で
エスカレーターを追いかけ
かけ上っている人

エレベーターの中で
「閉」ボタンを押しつづけ
走ってきた顔を 細く見ながら
いってしまう人

みんな 走りながら
どこかへ行ってる
わたしも 知らない間に走ってる
用もないのに

限りないであろう 地球の時間から
人は限られた時をもらって
暮れやすい 日々を生きているので
あせってしまうのだろうか
幸福って
人生って と
呟きながら
走ったり あるいたり
みんな 同じ風景へ向って
時を進めているらしい

 たしかに〈目の前の信号が/点滅しているのに/駆けだしていく人〉や〈エスカレーターを追いかけ/かけ上っている人〉が多いですね。かく言う私もその一人で、〈用もないのに〉〈知らない間に走ってる〉ことを白状しなければなりません。さすがに〈「閉」ボタンを押しつづけ/走ってきた顔を 細く見ながら/いってしまう〉ことまではやりませんが、〈限られた時をもらって/暮れやすい 日々を生きているので/あせってしまうのだろうか〉と思います。
 作品は、そんな人々を〈みんな 同じ風景へ向って/時を進めている〉に過ぎないのにと看破して見事です。走り回る日々が楽しいのだと勘違いしている自分に気づかせる佳品だと思いました。




文芸誌『兆』140号
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2008.10.30 高知県高知市
林嗣夫氏方・兆同人発行 非売品

<目次>
道照上人(落穂伝・7)……石川逸子 1
神戸で……………………林 嗣夫 17     十月の海…………………大ア千明 24
ゆきが……………………石川逸子 26     石の家……………………増田耕三 28
おまえに…………………山本泰生 30     馬齢………………………小松弘愛 32
『奥の細道』を読む
 ――後記にかえて……林 嗣夫 34     <表紙題字>     小野美和




 
馬齢/小松弘愛

式典
来賓の祝辞

「恥ずかしいことですが
私はいたずらに馬齢を重ねて……」

旅先で
朝の風に吹かれて草を食んでいる馬
の大きな瞳を
覗き込むようにして見たことがある

涙を溜めたように潤んだ瞳には
山の斜面の緑があふれていた

山を降りながら
歩行のリズムに合わせるようにして
――われもまた放牧されたし若葉風

あの馬は何歳ぐらいだったのだろう
「馬齢を重ねて」きた男の
紐のように長い話が終った

 辞書によると〈馬齢を重ね〉るというのは、
自分の年齢をへりくだって言う言葉で、意味は 大したこともせず、むだに年を取ることと出ていました。ではなぜ馬齢なのか、牛齢ではないのかが知りたくてネットで調べてみました。いろいろありましたが、以下が最も正しいようです。
〔意味は世に認められるような仕事もせず、いたずらに年だけ取っているという謙遜した表現です。馬は年齢を判別するとき歯を見ます。歯の摩滅状況で年齢が分かります。年をとった馬は農耕馬としても兵馬としても使えなくなるので屠場へ送られます。馬齢を重ねるは単に無駄な時間を過ごすことではなく、男がするべきことをしていないという自嘲の意味もあります〕
 従って、牛ではなく馬である必要があったのでしょう。

 作品はその〈馬齢〉という言葉への抗議のように受け止めました。〈
涙を溜めたように潤んだ瞳には/山の斜面の緑があふれていた〉馬への愛着とともに〈――われもまた放牧されたし若葉風〉という共感も感じ取れます。最終連の〈紐のように長い話が終った〉というフレーズでは〈馬齢〉という言葉とともに、その言葉を使った〈〉への反感も見て取れます。言葉に触発された、詩人らしい見方の佳品だと思いました。




詩誌『砦』2号
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2008.10.31 沖縄県南城市
橋渉二氏発行 非売品

<目次>
憎い人 4        哀哭雀蜂 昆虫の書 21 10  嘆 昆虫の書 22 16
伊藤和也さん追悼 22   あとがき 25




 
憎い人

アラビアの砂漠をいくつも越えて
わたしはやって来ました あなたの宮殿に
貢物は 宝石 香料 白檀 金四千キロ
凛凛しいユダヤの王様
あなたのお顔は磁器のように美しい そして
あなたの 瞳の磁石にこころを引かれました
あなたほど賢明で富み栄えた御方はいません
王様 あなたはいつも一番上にいる けれど
わたしに火をつけてその気にさせた今宵
あなたの口車に乗るわたしが上よ
あなたは下からつきあげてきて のぼせる
わたしはあなたという駱駝の上でのけぞる
もうめらめらとゆらゆらとぐいぐいと漕ぐの
セムハム セムハム セメ ハメ セメハメ
あぁぁ あなたが攻めてわたしが締める
股間のジャブね 股間のジャズね
もう息もとまるような心を奪われる三日三晩
酔わされて骨ぬきにされて 果てるしあわせ
あぁぁ 凛凛しいユダヤの王様
あんたって たらちねのおんなたらしね
何十人? 何百人? 乗せてきたの?
やがてわたしは帰りました 故国のシェバに
わたしはあなたの子を宿していました
ソロモン! あんたって憎い人 けれど
憎らしいほどに賢い人 けれど
栄華をきわめたあなたでさえいつかは亡びる
みずからの上に乗せたおんなたちと
そのおんなたちが拝む偶像のゆえに
けれど ありがとう ソロモン!
さようなら ソロモン!

 橋渉二さんの手作り個人詩誌の第2号です。創刊号の紹介で、私は
おそらく100部も作っていないのではないかと想像されます≠ニ書きましたが、今号のあとがきで30部であったことが表明されていました。ちなみに2号はちょっと増やして36部だそうです。いずれにしろ貴重な詩誌をいただいて、改めて感謝しています。
 今号では巻頭に置かれた詩を紹介してみました。もちろん現物は手書きですので、私が入力し直しています。誤字・脱字には注意しましたけれど、万一ある場合は私の責任です。〈凛凛しいユダヤの王様〉と睦みあう〈わたし〉がエロチックに描かれていますが、〈みずからの上に乗せたおんなたちと/そのおんなたちが拝む偶像のゆえに〉〈栄華をきわめたあなたでさえいつかは亡びる〉という最終部が重要でしょう。特に〈そのおんなたちが拝む偶像のゆえに〉というフレーズは、現在の物質文明への警告のようにも受け止めています。



   
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