きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.10.9 八方池 |
2008.11.11(火)
午後から日本ペンクラブの電子文藝館委員会が開催されました。主な議題は、掲載作をもう少し増やそうということでした。本日現在の掲載作は776件であることが報告され、会員に出稿依頼のメールを出すことなどが決められました。詩の分野については、村山が著作権切れの作品を探し出せということになって、その気になっています。以前、中学校時代の恩師から『日本現代詩大系』(1951年・河出書房)全10巻をもらっていますから、そこから探し出すつもりです。没後50年で著作権は切れるわけですけど、いつ亡くなったかはネットで調べられます。本当に楽な時代になったものです。
それはそれで進めますが、現会員の皆さまは是非ご寄稿をお願いいたします。電子文藝館の売りは、著作権が切れていない現役作家・詩人の作品が掲載されているというところにあります。著名な、日本文学に名を遺している作家・詩人たちと肩を並べて掲載いたします。お待ちしていますよ!
○林(リン)文博(ウェンボー)氏詩集 『デッドスペース』第6次ネプチューンシリーズXV |
2008.10.14 横浜市西区 油本氏方・横浜詩人会刊 1200円 |
<目次>
序 デッドスペースの現在から 8
詩篇
素 12 肝臓 〜死んだ張國榮(レスリーチャン)の魂へ〜 16
おばば 20 紫煙と麦茶のあいだ 24
見えなくなる人 28 江ノ島 Yへ 30
帰郷 32 白髪三千丈 36
メヌエット 〜亡き友へ〜 40 無窮動 〜あるいは、痛み〜 42
じゅ・げ・む 46 集う・華(HANA) 50
冬構え 52 手紙を書く午後 56
プッツン 〜亡き声楽家へ〜 60 情報列島 怪談話 64
今ここにしかない未来 74 城ヶ島にて 78
あとのまつり 82 ペーパーテスト 86
ザブン 〜亡き登山家へ〜 92 点火を待つ 郷愁篇 94
希望 〜魯迅へ〜 100
あとがき 我が愛する「孔乙己(コンイーチー)」のこと 102
ペーパーテスト
中学時代、担任の先生は
(彼は、牛乳瓶のような度のきつい眼鏡をしていた)
ぼく宛ての年賀状に
必ず、ガリで刷った「きまり文句」を入れていた
人の能力には差がない
あるとすれば
努力するか
しないかの差である
その時代、ぼくは、アイワの短波ラジオを
祖国から聞こえる
北京放送にあわせて
せっせと「情報」をあつめていた
「ソビエトの社会修正主義を粉砕せねば、ぼくら中国人の階級闘争は
水泡に帰す。いまこそ、立ちあがれ!」
「カンニングは、よい事だ。教師たちの特権意識を妥当せよ!」
『平等』という柔らかい言葉で
ぼくは祖国の社会主義建設を考えようと頑張った
ぼくは「共産主義」を真綿で包もうと踏ん張った
だけど
中間試験のとき
隣の席にいる者に
自分の答案を
見せるわけにはいかなかった
なぜって
それは 彼が日本人だからさ
「日本の友人に御迷惑をおかけてしては
申し訳ございません」
そんな、弁明の言葉を用意して
ぼくは、おどおどしていた
「おまえは、それを口実にして
自分のカンニングを正当化するつもりだろう」
そう友達に攻撃されるのでは
という恐怖にも日夜、怯えていた
ぼくは 確かに
試験中 おどおどしていたのだ
だけれども
今でも誓えることがある
カンニングしたことなど
あのペーパーテストの時代
一度もなかったと
担任の先生は、
帝国書院の「地理」の教科書を教えてくれた
震えるような声で
ぼくの気持ちとシンクロするような
おどおどした声で
たとえば「中国の農業について」語るのだ
そのたび お人よしのぼくは
天井を仰いでうなった
だが
嬌声が教室を一瞬に飲みこむと
先生は、顔を赤らめるのだ
その赤面が、実にオチャメで
我に帰るのだった
黙って
先生の教科書の朗読を聞く
帝国書院の教科書の
《覚書》 学び舎
神奈川区子安台。丘の上には、セメント王、浅野総一郎像がすっくと立っている。
中学、高枚とこの丘の学び舎に通った。教室の窓から京浜工業地帯の煙突が見える。吐き出されるモクモクの煤煙をいつもぼんやり眺めていた。
牛乳瓶の眼鏡をかけたK先生は、世田谷区桜新町から毎日、通ってきた。中学時代、「詩人になりたい」と担任だったK先生に相談した。そうしたら、毎日「詩」を書きなさい、という答えであった。先生に毎日、四百字詰めのコクヨの原稿用紙に「詩」を書いて渡した記憶がある。「うん」と言って赤面しながら受け取るだけで、なんの批評もなかった。あの原稿は、どこに行ってしまったのだろう。
それにしても、K先生の赤面は、僕にとっては宝である。ホントーに思う。人の能力には差がないと…。だけど、努力は今もって嫌いである。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
第1詩集です。ご出版おめでとうございます。著者の名はハヤシフミヒロさんではなく、リン・ウェンボーさん。49歳の誕生日を期して詩集を出版した、横浜生まれ、横浜在住の在日中国人3世です。〈祖国の言葉を自由に使えない=日本語も母語ではない〉(序 デッドスペースの現在から)を指してタイトルを〈デッドスペース〉としたそうです。
紹介した詩は、そんな著者の中学生時代に思いを馳せた作品ですが、この時代からすでに「詩人になりたい」と思っていたことが分かります。〈担任の先生〉の人間性も垣間見えておもしろい作品だと思います。
詩作品の多くには《覚書》が添えられていました。これには賛否両論あるでしょう。詩作品だけで勝負すべきだ、という意見もそれ相応の見識だと思います。しかし、著名な詩人ならそれでも良いでしょうが、無名の、初めて詩集を出すような人には酷な話だと私は思っています。散文があることによって、その詩人をより深く理解できるはずですから、書いても構わないのではないでしょうか。
いずれにしろ、新しい詩人の誕生を祝福したいと思います。今後のご活躍を祈念しています。
○文学サロン冊子『都市の美しさの行方』 |
2008.9.13 東京都渋谷区 譚詩舎・布川鴇氏発行 800円 |
<目次>
ごあいさつ
5.都市の美しさの行方 長尾重武
10.建築亦は都市の詩美 ― 空即是色の異空間 溝口 章
15.日本の都市景観 河東義之
19.なぜ都市の美しさか 鈴木 浩
24.「都市の縮小」と「美しい都市」 五十嵐敬喜
29.都市を美しくする制度構築に向けての試論 司波 寛
33.美しい街・神楽坂 山本忠順
37.都市随想 ― 雨にうたれて 寺本俊彦
41.高層マンション建設問題から「都市の美しさ」を考える 鈴木 進
46.都市を語ることば、都市をつくることば 村上広大
50.「亡命の庭」を持つユダヤ・ベルリン博物館. 布川 鴇
53.「記憶の空洞」と呼ばれる部屋. 布川 鴇
あとがき
ごあいさつ
「建築は凍れる音楽である。」とかつて聞いたことがあります。誰もが、造形物としてとらえる建築に、その機能性とともに、創造の芸術美を求めようとすることは古今東西変わりはないのではないでしょうか。また、どの歴史にも人間や社会の営みが関わっており、それを支える要素として必要とされた空間があり、都市は、まさしくその時代や国家の意識の象徴であるとも思います。
私達が欧米諸国を旅して、風景の中に感じる荘厳さ、あるいは安らぎは、都会に限らず、自然の中や牧歌的な農村風景においても、“美しい”というひとことだけの表現で満ち足りる時があります。日本の中でもそのようにいい得る風景を見つけることも容易です。しかし、あえて、この度、「日本の都市はなぜ美しくならないのか」という、ひとつの提案がなされました。人間の意志の加わった、その創造性と協調性の最も顕著に表れるのが、それぞれの国の都市の姿だからということになるでしょう。
この秋、ギャラリー譚詩舎の文学サロンの第一回目として、都市の風景に詩情を傾け、それを語ろうとする詩人と、都市計画やまた建築の歴史に詳しく、その中に建築に対する様々な思いを持つ方々にお集まり願い、「都市の美しさの行方」と題した対談をしていただくことになりました。今回ご参加不可能な方々にも、紙面にてご意見をいただきました。
皆様のご協力を厚く御礼申し上げます。
2008年9月 ギャラリー譚詩舎 布川 鴇
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
この秋に清里のギャラリー譚詩舎で開催された文学サロンの冊子です。冒頭の〈ごあいさつ〉を紹介してみましたが、〈都市の風景に詩情を傾け、それを語ろうとする詩人と、都市計画やまた建築の歴史に詳しく、その中に建築に対する様々な思いを持つ方々〉が、様々な視点から〈都市の美しさ〉とは何かを述べています。建築に興味を持つ詩人が意外に多いことも教えられました。詩の素材としてもたびたび登場する都市。その都市の成立、成長、衰退、そして未来が見えるおもしろい本です。ご一読をお薦めします。
○三宅島ミニ通信『百人庵便り』創刊号 |
2008.11 東京都三宅島三宅村 都月次郎氏発行 非売品 |
<目次>
新しい人生の出発を祝って 2
詩
土佐林道 三宅島エレジー 4 黒い傷跡 三宅島エレジー 7
島の風 10 三宅島のウグイス 12
スコール 14
あとがき 16
土佐林道 三宅島エレジー
聞えてくるのは
風の音と野鳥の声
そうして私の足音だけ。
土佐林道を西へ下る。
車一台 ひとっこ一人いない。
あれから八年
ここは
溶岩流は押し寄せてはこなかったが
やはり噴煙の被害は大きく
恐竜の骨のような
スダジイの白い枯れ木が
無残に天を突き指している。
火山灰は雪のようにふったのか
朽ち果てた廃屋の雨どいが
支えきれない重さに垂れ下がっている。
割れたガラスの向こうに
にんげんの夢の跡のように
赤い長靴が一つ。
コンクリートの白い道だけが
なにごともなかったように
海へ続いている。
激しかった低気圧も行き過ぎ
今日は彼岸の入り
娘達の唇のようなやぶ椿が
山道を風らしている。
いつかまた
この家に灯はともるのだろうか。
庭にはいっぱいのアシタバ
新芽を風に揺らしている。
ホーホケキョイと鳴く
へたくそなウグイスも
夏までには美しくさえずるだろう。
2000年の噴火で全島住民が避難したのは記憶に新しいのですが、住民の皆さんが島に戻れるようになったのは2005年だったようです。それから3年、都月さんが島に移住して10ヶ月が経ち、このたび三宅島ミニ通信『百人庵便り』を発行なさいました。「百人庵日記」も別冊で添えられており、島での生活がよく分かります。ここでは巻頭の「土佐林道 三宅島エレジー」を紹介してみましたが、〈車一台 ひとっこ一人いない〉様子がよく出ています。〈へたくそなウグイス〉を友とした生活にはご苦労も多いと思います。お身体に留意して島での生活を愉しんでもらいたいものです。
← 前の頁 次の頁 →
(11月の部屋へ戻る)