きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.10.9 八方池




2008.11.14(金)


 午後から横浜にある銀行本店に出向いて、投資信託の現状報告会を聞いてきました。世界同時不況の中で、預けたお金はどうなっちゃうんだろう?と思っている人が多いようで、500人かな、1000人かな、いずれにしろ多くの人が出席していました。かく言う私もその一人ですけどね(^^;
 結論は私の考えていたこととまったく一緒でした。いまは我慢をすること。1〜2年はジッと我慢するしかないようです。でもね、信託金を取り崩してほそぼそと生活している私には、正直キツイです。いま取り崩すと大幅な赤字になってしまいます。ほかの預金を崩すしかありませんが、それも乏しいなぁ。足柄山の霞を食べて生きていくしかないようです。




中村節子氏ほか連詩集『気づくと沼地に』
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2008.11.20 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2000円+税

<目次>
気づくと沼地に 7   召集前の 10      霧の彼方に 13
ある海図 16      待っている人 19    思い込む 22
故郷 25        太陽だけが 28     見渡す限り 31
風 34         羽化する天使 37    集合住宅 40
四方を囲まれて 43   ブタノマンジュウ 46  帰路 49
前ぶれ 52       想像の世界 55     旧いカレンダー 58
メトロ街 61      長い時間 64      木の実 67
後ろ姿 70       義翼 73        枯葉のなかを 76
この世一日 79     ゆく年くる年 82    茄子 85
もう十年 88      合掌 91        土俵の外 94
病棟のような社会 97  冬の地図 100
.     生姜焼き 103
ガリヴァー 106
.    骨の髄 109
あとがき 112
.     著者紹介 114.     装画:斉藤通子
略号  (い)−市川つた (く)−工藤富貴子 (な)−中村節子 (み)−南川隆雄




 
気づくと沼地に

気づくと沼地に寝転がっていた
なんだ 気絶しただけなのだ
泥に沈んだ胴乱と水膨れした野帳
這い上がって辺りの様子をうかがう  (み)

うすぐもりの空は木々で遮られ
見通しはよくない
一度気絶してみたいと憧れたことがあったが
どうしてこんな沼地で  (く)

悪いやつらから吸い取った金品が
シャンデリアの下の か細い指に輝いている
冷や汗のような気泡が立ち上がる
そして言葉は雑音に消される  (な)

言葉は少な過ぎると通じず
多過ぎると迷路に入り込んでしまう
恥をかいても平気な顔 でも
その夜の眠りの浅いこと  (い)

長距離の無賃乗車をしてしまった
二日目の朝ぶらり無人駅に降り立つ
風に流れてくる養鶏場のにおい
猥雑なものの気配を感じて
足はもう他人の畑地に踏み入っている  (み)

きょうの客もどこかおかしい
睡眠薬ばかり大量に求めたがる
何度も医師に電話をかけるが話し中ばかりだ
窓ガラスにはくもり空が張り付いている  (く)

思えばいつも朝は白紙だ
泥のように吐いた恨み言も夜明けとともに消えた
まるで新婦の日記が
一行も書かれていないように  (な)

何だか哀しいねと言ったら
何かあったんかと聞く
何にもなくても哀しいんだと言ったら
贅沢だねと言われた
積み重なったものだけが滲みてくるね  (い)

いつの野歩きで腰を痛めたのだろう
彷徨に憧れ徘徊を夢見ていたけれど
それ以外のことってこの世にあるだろうか
遣い古した辞書をつぶして押し花を整えていく
家族に忘れられた畳部屋の一日は長い  (み)

 市川つた、工藤富貴子、中村節子、南川隆雄4詩人による連詩集です。連詩には厳密な意味でのルールはないと思いますが、あとがきによるとこのグループは次のように取り決めたそうです。

 {一回分の行数だけは決めておいたほうがよい。(a)三〜四行、(b)二〜五行、少し後で(c)二行が加わり、三通りになった。順繰りに胴元をつとめ、四人二十四通りの順番が重複しないように胴元から回す。(a)と(b)では二回り、(c)では三回りしたところで胴元が最後の連詩を加えて締め、表題を付けて一篇が終わる。うまい具合にそれぞれが電子メールを使っているので、全ての連絡にはこれを利用した。それが前提になったと言い換えてもよいかもしれない。それぞれに個人の事情があるだろうから、手許に留めておく日数は自由とした。
 語群、たとえば連どうしの連携・衝突は個人詩の場合と異なり予測がつかず、意外性の面白味も倍加した。次の書き手の意図を予測して、それを外すという遊び方もあったようだ。この詩集には出だしからの三十五篇をそのままの順で載せ、詩集名は第一作目の出だしの句をあてた。結果として、よいメンバーに恵まれ、予想以上にたのしい時間を過ごすことができた。}

 というわけで詩集タイトルも決まり、ここではその冒頭の作品を紹介してみました。〈電子メールを使〉った21世紀の連詩は、確かに〈意外性の面白味も倍加〉しているようです。特に〈言葉は少な過ぎると通じず/多過ぎると迷路に入り込んでしまう〉、〈窓ガラスにはくもり空が張り付いている〉、〈まるで新婦の日記が/一行も書かれていないように〉、〈彷徨に憧れ徘徊を夢見ていたけれど/それ以外のことってこの世にあるだろうか〉などのフレーズは、単独でも立派な詩語になっていると思いました。




文泰俊氏詩集『鰈』岩崎理予子氏訳
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2008.10.30 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊
1500円+税

<目次>
第一部
思慕 8         睡蓮 10         板の間 11
誰かが泣いていく 13   私は戻り いたずらっ子のように 16
老母 18         水平 19         外 21
極貧 23         極貧 2 25       むし詩社 27
霜 29          夕方に 30        袋 32
おぼろ 34        その頃には 36      石の腹 38
第二部
道 40          鰈 41          鰈 2 43
鰈 3 45        乳を飲ませる犬 48    冬空に星が出て 49
群れ 50         広がれ
.広がれ.病よ 52  あら まあ! 56
小菊を置いて 58     カンデの木を歌う 60   どうしましょう どうしましょう 62
蔓の比喩 64       茂み 66         悲しい泉がひとつある 68
底 69
第三部
なつかしい飯の匂い 72  夢 74          変な花瓶 76
縁台のあるそば屋 78   真昼の月の比喩 80    模様は長くはもちません 81
雲門寺裏庭の銀杏の木
.83. 色に驚く 85       花が咲く 87
私はいつまでも歩く 89  一羽のほおじろ 91    山の雨音に 94
誰も座っていない椅子
.95. 貯水池 97        からすと犬 99
コノテガシワの木がない101
.十月に 103.       私が背を向ける時 105
第四部
雁が笑う 108
.      小さな鳥 109.      空き家の約束 111
ああ、二十四日 113
.   おお、とげ提灯!.115   いつだったか再び行ってみた母の実家のような 117
柿の木の中に一匹の蝉が118
.ある日 私がここで 秋の川のように 119
門の外に
.また門が 120  梅の木のお産 121.    翡翠の蝉 122
木鐸 124
.        冬の夜 126.       土を捏ねる 127
刹那に入る 129
.     風が私に 131
解説 佐川亜紀 133
訳者あとがき  142




 
かれい
 


金泉
(キムチョン)医療院六人部屋三〇二号室に 酸素マスクをつけて ガン闘病中の彼女が臥せっている
床にぴたっと張りついた鰈のように 彼女が横たわっている
私は彼女の横に並んで 一枚の鰈になって横たわる
鰈が鰈に目配せをすると 彼女の目から涙がどっとあふれ出る
片方の目がもう一方の目に寄ってくっついた やつれた彼女が泣く
彼女は死だけを見ており 私は彼女が生きてきた波浪のような日々を見ている
周囲を揺がしながら生きてきた彼女の 水の中の生を私は思い浮かべる
彼女の淋しい小道や その道に突然聞こえた真昼の郭公
(かっこう)の声
細いうどんを茹でた夕方や 土塀さえなかった彼女の家の 代々続いた家系を思う
二本の脚は徐々に離れ 分かれ
豪雪を耐えることができない木の枝のように 背骨が曲がったあの冬の日を思う
彼女の息が楡
(にれ)の木の皮のように だんだん荒くなる
私は彼女が 死の外の世界をもう見ることができないと知る
片方の目がもう一方の目に 暗く寄ってしまったのを知る
私はただ 左右を揺がしながら泳いでいき 彼女の水の中に並んで横たわる
酸素呼吸器で取り入れた水を 乾いた私の体の上に 彼女が静かに注いでくれる

 著者は1970年生まれで、いま韓国で一番期待されている若手詩人だそうです。お名前はムン・テジュンさんとお読みします。ここではタイトルポエムを紹介してみましたが、日本語のかれい≠ニいうルビのほかにハングル語でカジェミ≠ニも振られていました。この「鰈」のあとに「鰈2」「鰈3」と続き、母の死を看取り、葬儀を終え、家に帰るまでを描いていると採ってよいでしょう。〈臥せっている〉母を〈床にぴたっと張りついた鰈のように〉見、〈私はただ 左右を揺がしながら泳いでいき 彼女の水の中に並んで横たわる〉と自身を同化させる斬新さに驚きます。さらには最終行で〈酸素呼吸器で取り入れた水を 乾いた私の体の上に 彼女が静かに注いでくれる〉と描く才能は、たしかに並ではないと思いました。




詩誌『漱流』33号
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2008.11.5 静岡県焼津市
漱流の会・岩崎豊市氏発行 400円

<目次>
◆作品
詩うのを止めなさい…土屋 智宏 2     嘘………………………中島光太郎 4
忘失の曲り道…………岩崎 豊市 6     五月……………………小川 恵吉 8
菩薩……………………久保 律二 10     33の詩………………佐野 久夫 12
背理の街………………井村たづ子 14
◆編集室…………………………… 16     題字/岸本聿鳳




 
背理の街/井村たづ子

密林の中にはもっと深い小さな密林があって、そこには見たこともない生き物が、途方も
ない暮らし方をしている。
坂の街にも小さな街があって、その坂道を時折、頭が転がっている。

ある日、私は胴体だった。家族の友人も胴体だけだった。
しかし、私たちの生活は以前と何も変わらなかった。朝露を含んだ冷たい空気は、緩やか
に人々の眠りを覚ました。始業のベルは一秒の遅れもなくオフィスの扉を叩いた。私たち
の指は相変わらず器用だったし、物価が乱高下しようとデモをする人は殆どいない。私た
ちは勤勉な労働者であり、有能な消費者であった。
こうなっても、さしあたり困る人もなく、胴体だけの弟も立派な派遣会社に入り、頭のな
い姉の婚約が解消されることもなかった。

つつがない日々が流れて行った。それが、私には悲しかった。頭がなくなったという事実
より、頭などあってもなくても支障のない生活が続くという事が悲しかった。
私は消えた髪を思い、骨を思ってさめざめと泣いた。

体をバランスを壊した私はまもなく入院した。この事態を平静に受けとめられなかった初
めての人間として、私はニュースになった。会社を辞めた私は、その日テレビを観ていた、
勝手に私の元を離れていった頭は、時事評論家になっていた。その言い分はこうだ。

この時代思想を持つ頭は無力です。人間はもっと軽く自由に生きるべきです。ものごとの
本質を語ることは、金銭の欲望をあらわにするより恥ずかしいことです。
重い記憶を持った頭蓋は時世から抹消されるべきでしょう。人間はいかに生きるべきか、
これはもう、食卓の話題にもなりません。人々が欲しているのは、無差別殺人しかり、目
新しい衝動です。軽い思想なら商品にもなりえるのです。一部地域でみられたいる頭が坂
を転がる現象は、今後、至るところでみられるでしょう。

私は頭をハンガーで打たれるような衝撃を受けて、病院を抜け出した。外は夕暮れだった。
坂道には頭が群れをなして転がっていたが、それは自分の半身に出会うためではなく人間
としての互いの欠落を隠すためであった。

しばらく見ないうちに街は胴体だけの電車が走り、屋根のない家が立ち並んでいた。それ
を奇妙だと思う人はひとりもいなかった。ただ、消え残る夕日だけが、ほんの短い間、取
り返しのつかない思いを遠い橋に向って、ない頭かかえてなげかけていた。そのままのか
たちで私は坂になった。

 〈背理〉の正確な意味を知りたくて調べてみました。もともとの日本語かと思っていましたけれど、「パラドックス」の訳語だそうです。数学でのパラドックスは厳密な意味を持っているようですが、それ
以外の分野ではかなりラフに用いられ、「ジレンマ」、「矛盾」、「意図に反した結果」、「理論と現実のギャップ」等、文脈により様々な意味に用いられるとのことでした。語源はギリシャ語で、日本語では逆説、逆理、背理と訳される、とも出ていました。

 紹介した作品は〈
頭などあってもなくても支障のない生活〉という現状を批判し、〈人々が欲しているのは、無差別殺人しかり、目新しい衝動です〉と痛烈です。さらに〈頭が転がっている〉〈坂道〉に〈そのままのかたちで私は坂になった〉と、自身を同化させて見事です。〈勤勉な労働者であり、有能な消費者〉の〈本質〉を鋭く抉った佳品だと思いました。



   
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