きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2009.4.18 東京国立博物館・平成館 |
2009.5.14(木)
昼過ぎに、ある父娘と近くのファミレスで逢いました。娘さんは以前わたしが勤めていた会社の後輩で、同人誌で勉強したいとの相談を受けましたから、当時わたしが所属していた都内の総合文芸同人誌を紹介しました。そのうちお父上も勉強したいと言ってきましたので、同じ同人誌を勧めました。もう20年も前になりますが、一時期は父娘と私とで通ったものでした。そのうち私はある同人の言動が腹に据えかねて退会し、娘さんも会社を辞めたあと小学校の先生になって忙しくなり、しばらく疎遠になっていたようです。しかし、父上はその後も研鑽を重ね、ある大手の自費出版会社からエッセイ集を出すまでになっていました。
久しぶりの3人での顔合わせは、出版の依頼でした。数年前に大手出版社から1冊目の本を出すには出したものの、対応に不満があったようです。2冊目の小説集を出す段になって父娘で相談したところ、私に白羽の矢が当たったというわけでした。
その同人誌に何度かに渡って書いたものをまとめたいという希望を持っています。それでは、日本詩人クラブの関係でこの2年ほどつき合い出した市内の印刷所が良かろうと思って紹介したところ、そうではないと言われてしまいました。私に装幀も編集も、原本からの電子化もすべて任せたいと言うのです。
うーん、と一瞬ことばを失ってしまいましたね。出版をするというのは大変なことなのです。原稿さえあれば本が出来るというものではなく、字の大きさ、配置、紙の質、表紙の厚さ、表紙の絵、全体の装幀など、考えるとキリがありません。その様々な選択肢の中から一つを選び出して組み合わせ、読者の手に取ってもらえる工夫をするのは並大抵なことではないのです。ですから専門の出版社があるわけですけど…。詩誌の編集経験があるとはいうものの、ほとんど素人の私に出来るか…。
そこで思い出したのが20年前のことでした。当時、会社勤めをしながら、借りた写植機で詩誌などの版下を作っていました。初めて扱う写植機も取り扱い説明書を読みながら何とか使いこなして、一応お金を取れるレベルにはなっていました。世の中では一流と言われる企業に勤めながら、なんでそんなことをやったのか今でも不思議なんですが、もともとそういう仕事が好きだったのでしょうね。中学・高校は印刷所でアルバイトをしていて、活字の文選工をやっていましたから、印刷の基本は判っているつもりでいました。それで「オフ出版」という名前まで付けて、同人誌の版下を作ったり、写植機を貸してくれた印刷所のチラシの注文をこなしたりしていました。10年も経たないうちに本業が忙しくなってそんな余裕がなくなり、結局、写植機は返してしまいましたけど…。
で、なぜ「オフ出版」という社名にしたかというと、本業がオフのとき、休日や帰宅後にしか稼動しないから(^^;
そのときの楽しさを思い出していました。自分の手で本を作るという、あの感動をもう一度味わってもいいなと思ったのです。今度は自分で版下を作るわけではなく、電子化後はあくまでも編集に徹して、版下作成や印刷・製本は印刷所に委ねますけど、出来上がりを想像して進める本作りは、一度やるとやめられないものなんですね。
その場で日程や大まかな費用を計算して、受けることにしました。正直なところ、久しぶりの本作りなので不安もありますけど、執筆業と豪語しながらも実態は無職(^^; 思う存分時間を使って、佳い本に仕上げたいと思っています。もちろん販売もしますので、完成の暁には、よろしかったらお買い求めください!
○詩・仲間『ZERO』21号 |
2009.5.10 北海道千歳市 綾部氏方・「ZERO」の会発行 非売品 |
<目次>
斉藤征義 アフンルパラ
森 れい 空
綾部清隆 あの花の名は
○詩誌『路』18号 |
2009.6.1 東京都小平市 路の会・小林憲子氏発行 500円 |
<目次>
特別寄稿 猪 伊藤 桂一 2
詩
秋日和 小林 憲子 4 富士の嶺 植木百合子 6
風ぐるま 植木百合子 8 聖母子像 森田 勝世 9
流れ 山ア 恵子 12 夢日記 本間 雪衣 14
約束 小倉 和代 17 背伸びして 小倉 和代 18
随想
二つの仏壇 小林 憲子 20 上高地へ 山ア 恵子 21
「鶴」について 石渡あおい 22
詩
現身 石井真智子 24 冷酒 石井真智子 26
風の音 牧野 淑子 27 冬の音 牧野 淑子 28
本箱 ねもとよりこ30 ルミナリエ 市川紀久子 33
人工なぎさ 石渡あおい 36
<コラム 街路樹> 37 <編集後記> 38
○個人詩誌『SUKANPO』3号 |
2009.5.11 |
<目次>
<詩>
花二題
ヤブツバキ・・・2
諸葛菜・・・・・4
あの人はその時・・6
<あとがき>