きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2009.7.30 伊豆・旧天城トンネル




2009.8.16(日)


 今年の夏休みは(毎日が休日ですけど)、一度は行ってみたいあの場所シリーズと勝手に銘打って、新潟・佐渡の3泊4日を計画しました。初日の今日は午後からゆっくり出かけて、新潟市内のビジネスホテル泊り。ホテルで食事を摂らずに、例によって市内の居酒屋を物色しました。新潟市内だから絶対に良い店があると確信していまして、期待は裏切られませんでした。若い人も年配者も訪れている海鮮居酒屋。もちろん海のものはおいしかったですし、日本酒もいろいろ取り揃えていました。職人さんの応対も爽やか。新潟市内で呑んだことは初めてですけど、そういう店がちゃんとある新潟に乾杯! という初日の夜でした。




評論試論集『詩論の欠片』創刊号
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2009.8 大阪府岸和田市 粋青舎・後山光行氏発行 非売品

<目次> 美しき絶望者の歌 伊東静雄論
一、はじめに 3
二、詩集『わがひとに與ふる哀歌』以前
  1、誕生から詩の自覚まで 4      2、「乞食」と言われた頃 11
三、詩集『わがひとに與ふる哀歌』の頃
  1、太陽のイメージ 14         2、郷土望景詩 20             3、絶望詩人の新しさ 26
四、詩集『夏花』の頃
  1、主題の移行 32           2、『夏花』を生んだ堺と交友関係 41
五、詩集『春のいそぎ』の頃
  1.詩の変遷 46            2.社会的背景と詩 56
六、詩集『反響』の頃
  1、静雄の口語詩 63          2、加筆訂正の詩 69
七、詩人の終焉 74
八、静雄詩の詩美の構成 81




 一、はじめに

 伊東静雄は大阪の住吉中学の国誤教師であったという。詩人らしい詩人の少ない大阪にひとりの純粋な詩人がいたことは、大阪に住む私達として興味のあることである。私の伊東静雄についての印象は、まず、美しい日本語、輝やいているような純粋な美しい言葉を使った詩人だ。という程度のことであったが、昨年(昭和四十七年)、詩仲間の出版記念会で上京した時のことである。文芸評論家の小川和佑氏と何やかやと話をしているうちに、何とはなしに、伊東静雄について書いてみないか、というようなハメになってしまった気がする。まず、静雄の詩を読んだのは、伊東静雄詩集(新潮文庫)であったが、「わがひとに與ふる哀歌」を読んでいると、何故か、フランス領アルジェで生れた、アルべール・カミユのあの地中海気候的な美しさと、輝やくようなイメージが類似して印象的で仕方が無いのである。カミユについては訳文で読んだわけであるが、「結婚」と題した散文詩があったと思う。その散文の美しさと、また、小説に見られる主人公の虚無性が、なんとなく伊東静雄の詩と生活に類似している面があることに、興味さえ覚えるのであるが、今、目の前に静雄に関する本が十冊ちかくある。伊東静雄の生前をよく知っておられる人々の著作は静雄について詳しく書かれているが、二十年前の三月に詩人は亡くなっているのである。今、詩人について、詩集とそれらの評論から、私というひとりの人間の目を通して、詩人伊東静雄と詩を読んでみたいのである。

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 後山光行さん発行の一人誌『粋青』の〈付録〉として刊行しています。あとがきでは〈詩論と呼べるものではなく、試論である〉と謙遜していますが、数十年に渡って書き連ねた立派な詩論集だと思います。第1回を飾るのは伊東静雄論。ここでは「一、はじめに」を紹介してみました。〈アルべール・カミユ〉との類似を見ることなど、新しい視点が展開されていきます。今後もどんな詩論が公表されてくるのか楽しみです。




一人誌『粋青』58号
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2009.8 大阪府岸和田市
粋青舎・後山光行氏発行 非売品

<目次>

○――――――蛙(9) ○―――うるおい(10) ○―――ひだまり(11)
○―――ハンカチ(12) ○漂流する朝・15(14) ○―薊・ランタナ(18)
スケッチ (8)(17)
エッセイ
●中 正敏詩論 孤高に自由を編み込む詩人(6)(4)
●絵筆の洗い水【34】(16)
●舞台になった石見【48】詩人 岡崎澄衛(20)
あとがき
表紙絵:06年2月 サザエ




個人詩誌『遊歩者 ふらぬーる3号
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2009.8.17 栃木県宇都宮市 大谷武氏発行 非売品

<目次>
序詩          今、






   
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