きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2009.9.4 筑波山・ガマ石




2009.10.11(日)


 午前中に日本詩人クラブHPをアップしました。昨日の10月例会の模様です。よろしかったら
こちら をご覧ください。
 口はばったい言い方ですが、詩人クラブHPと自分のHPを同じ日にアップする場合、詩人クラブの方を優先します。理由は、後ろ指を指されるのがイヤだから(^^; どちらを早くアップしているかは、厳密に両者のアップ時間を調べれば分かることですが、そんなことをする暇な人は多分いないでしょう。それでも自分では拘っています。その理由は、気が弱いから(^^; そうなんです、私は以前から気づいていたのですが、小心者なんです。それが「後ろ指を指されるのはイヤ」という行動につながるんでしょうね。これじゃあオオモノにはなれないわなぁ。

 というわけで、午後からは自分のHPアップをしています。つまらない話で失礼しました。




個人詩紙『おい、おい』70号
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2009.10.8 東京都武蔵野市 岩本勇氏発行 非売品

<目次>
六本木の思い出




 
六本木の思い出

六本木の真ん中に檜町公園
というのがあった
実はAM十一時の回から
小林政広監督の「幸福」という
映画を見るため
この町にやってきたのだが
今日最終日PM四時の回まで
上映はないとのこと
都心の真ん中のこんな公園態々
来ることはほとんどあり得ない
東京ミッドタウンと呼ばれるビル群と隣接するこの公園
ちょっとセントラルパークと隣接する五十丁目沿いのビル群と似ていないこともないが
ここはマンハッタンと較べ
空がまだまだよく見える
この東京ミッドタウンと呼ばれる辺り昔確か防衛庁があったような気が
その傍ににっかつの本社があった
このにっかつへは
売れなかったロマンポルノのシナリオを何回も何回も
持っていったことがある
直し直しを何回もやったなあ
でも売れなかったなあ
そんな帰りのある日
今の妻とバッタリ会った
知り合って間もない頃
「うん、ちょっと、にっかつへ…」
ポルノのシナリオとは
言ったような言わないような……
でも彼女には
充分それで実証した
口先だけでなくホントーに
シナリオを書いていることを……
それからしばらくして
私たちは一緒に住み始めた
でも私はシナリオライターには
なれなかった
六本木
あの日あの時
彼女とここでバッタリ
会わなかったら
彼女にはきっと別の
私とは別のパートナーとの人生が
あったかも……

 いままで岩本勇さんの
個人詩紙はA4で2〜3枚のものでした。それが今回は葉書に変わっていて驚いています。いままでは「元祖フリーターの伝」というシリーズものがあって、それも楽しみに拝読していたのですが、当然今回はそのスペースがありません。もう書く必要がなくなったからやめたのか、今回だけの処置なのか分かりませんけど、ここに一人の愛読者がいたことを公表しておきます。

 さて、作品は〈今の妻とバッタリ会った〉ことを書いていますけど、〈彼女にはきっと別の/私とは別のパートナーとの人生が/あったかも……〉というフレーズには考えさせられます。だれもがそういう思いに捉われるときがあるでしょう。しかし、絶対に後戻りできないのも事実。そういうものを背負って私たちは生きていくしかないのだろうなと思いました。

 余談ですが、〈東京ミッドタウン〉には私が永年勤めた会社の本社があります。残念ながら私は新本社が開所する前に退職しましたので、六本木での会議は経験していません。それは別の意味での私の〈六本木の思い出〉です。




個人詩誌SUKANPO5号
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2009.10.11 群馬県高崎市 田口三舩氏発行 非売品

<目次>
〈詩〉
武人埴輪・・・・・・・・・・・・・・2
風の画家・・・・・・・・・・・・・・4
まるでスキップするように・・・・・・6
〈あとがき〉




 
風の画家

ものごとにはすべて始まりがあるように
すべて終わりがある
いちばん分かりやすい道理なのだがと
風の画家

ある朝とつぜん
咲き乱れた野の花の餞舌が
石ころのように口を閉ざしてしまう
まるでこの世の終わりのような
そんな一日の始まりがあるのだと
かれは言う そんな時

手当たりしだい
石ころを拾い集めては空に放り投げ
あたりが闇でいっぱいになった頃
胸の奥に仕舞いこんでおいたコトバを
一つひとつていねいに
それらの石ころに貼りつけていくのだが

キャンバスを幾重にも塗りつぶしては
曲がりくねった一本の道と
おのれに似せた風のような男をひとり
咲き乱れた野の花の真ん中に置き
形の定まっていないイノチがうごめいている
原初の風景か
人が見失ったココロがあちこちに転がっている
終末の風景か
さてどちらに向けて発たせようかと
根っから旅好きの
風の画家は思案する

 〈胸の奥に仕舞いこんでおいたコトバを/一つひとつていねいに/それらの石ころに貼りつけていく〉〈風の画家〉は、詩人以上に詩人らしい人なのかもしれません。〈ものごとにはすべて始まりがあるように/すべて終わりがある〉と説く画家の〈原初の風景か〉〈終末の風景か〉と〈思案する〉姿には、神聖ささえ感じます。散文では描けない詩の世界を表出させた佳品だと思いました。




詩とエッセイ・個人誌『ライラック』3号
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2009.10.10 群馬県前橋市 房内はるみ氏発行 300円

<目次>
〈詩〉耳のながれる川………………………2
   月の男…………………………………4
〈エッセイ詩〉ものたち スプーン 枕…7
〈つれづれなるままに〉ローカル線の旅…8
あとがき




 
月の男

あの土地へいくと 時計が三十分遅れるんだ
地上には 磁場のずれる場所が何ヵ所かあるらしい
そう言って男は
タラの芽やコゴミやウドの葉など
山菜のいっぱいつまった袋をぶらさげて
夜遅く帰ってきた
もし男の話が本当だとするならば
三十分遅れた場所に 永遠に生きるものたちは
もう何年も前の 現在
(いま)を生きていることになる

たしかに かの地は光が消えることはない
国道からそれて 低い山にかこまれた山林は
窪地のようになっていて
陽が落ちても 夕陽はためられたまま
光がうすれて濃紺の闇になり
月下のなかで 金色の池になる
そしてまた 夜明けとともにパープル色にめざめる
きょうの終わりというものがないから
時間が三十分遅れていくのだろうか

それはともかく
これからこの山菜で天ぷらをつくれという
こちらは夕食も終わり ひと息ついているところ
不平を言いつつ 袋をあけると
山菜は
「遅れてすみません」という表情でしんなりしている
衣をつけて 鍋におとすと
三十分の遅れをとりもどすかのように
みずみずしい緑の葉が 油の面にひろがっていく
男も風呂で三十分の時差をとりもどし
揚げたての天ぷらを酒の肴にし 夕食をとりはじめた

あの三十分は どこへ消え去ったのかしら
玄関には 泥んこのジャンパーに
月の欠片が光っていた

 〈三十分遅れた場所〉という面白い設定です。なぜ遅れるかというと〈きょうの終わりというものがないから〉と説明されて、これはこれで納得してしまいますね。〈山菜〉が〈「遅れてすみません」という表情でしんなりしている〉のも、〈男も風呂で三十分の時差をとりもどし〉ているのも、時間の概念を考えるのに奏功していると思った作品です。






   
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