きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2009.9.4 筑波山・ガマ石




2009.10.23(金)


  その2




大塚欽一氏詩集『湖底の風景』
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2009.9.10 茨城県水戸市 泊船堂刊 1238円+税

<目次>
紫陽花 6       浜辺にて 10      蜥蜴 14
貌 18         ある日 22       三面鏡 26
アウラ 30       悲の器 34       螺旋階段 38
ネクロポリス 42    丘 46         湖底の風景 50
放生 54        雨音 58        庭園 62
アトリエ 66      パラノイア的有神論 70 眺望 74
空即是色 78      楽堂 82
あとがき 86




 
湖底の風景

〈水がこわいのです〉 と背中の半ばまで長い髪を垂らした貧血気
味の若い女性は 細い手で蒼白い顔を覆いながら 消え入りそうな
声で呟いた 水面を見ていると ふいに水底から幾つもの蒼い手が
のびてきて引きずり込まれるような不安に襲われるのだという 初
めのうちは深く淀んだ沼に恐怖を覚えるだけだったが しだいに昂
じて 挙げ句のはてに 洗面器の水を見るだけではげしい震えに襲
われ 不安と恐怖で顔も洗えなくなって入院してきた まだ二十才
をすこしすぎたばかりの細面の少女のような顔立ちの彼女は 落ち
つかなそうな表情で 静脈のうきあがった手をしきりに揉みながら
俯いていた やがて治療の効あって しだいに明るさを取り戻した
彼女 しばらくして無事退院していった 水のなかには哀しみが沈
んでいるのです と退院の際に彼女はささやくように呟いた しか
し宇闊にもそれがどういう意味か深く考えもせず送りだしたわたし
 彼女が遠いダム湖で入水したという知らせが届いたのは それか
らしばらくたってからだった うつ伏せになったまま 彼女は一夜
浮いていたという その時はじめて そのダム湖に彼女の村があっ
たことを聞かされた 一人っ子だった彼女が大好きだったお爺さん
もお婆さんもそこで亡くなっていた 彼女が七才の時 村はダム湖
の底に沈み 一家は今の所へ引っ越してきたのだそうだ 何日も何
日も彼女は泣きじゃくったという そして今彼女はそのダム湖に飛
び込んだのである その時 わたしの網膜に古い映画のワン・シー
ンのように浮かび上がってきたものがあった 地上にあった時とほ
とんど変わらないむき出しの地層のような湖底の風景が 段々にな
った棚田の跡 細くうねる畦 トルソーのように立つ裸木 点在す
る集落 その向こうには 彼女の沈んだ部落 欅の大木 ドウダン
躑躅の生垣 石の門 門から玄関にまでつづく飛び石 藁葺の家々
 そちこちに点々と椿の赤い花 その丘の傾斜の一角には 墓地だ
ろうか 一塊になった墓の群がかすかに見分けられた 点々と黒い
墓たち…… そこへつづく長い田舎道を 今 おおきな浅紅色のパ
ラソルを手にして ゆっくりとした足取りで歩いてゆく若い女性の
後姿 華奢で白いワンピース姿 長い黒髪がそよ風にゆるやかに波
打って靡いている そのはるか彼方にはいくつもの影たち さかん
に揺れ動いている やがてゆっくりと見えてくる 手を振りながら
彼女を出迎えている祖父母たちの嬉しそうな顔 顔 ふいにわたし
の方に振り返った彼女 にこっと笑うと さかんにわたしに手を振
り手招きをした あの静脈の浮き上がった細い手で 今でも忘れら
れない その時彼女の顔に夕映えのように広がった満面の笑みを

 1年ぶりの第13詩集です。すべて散文詩で、独特の情景を醸しだしていました。ここではタイトルポエムを紹介してみました。〈水がこわいのです〉と言う〈貧血気/味の若い女性〉は、〈遠いダム湖で入水し〉てしまいます。〈地上にあった時とほ/とんど変わらないむき出しの地層のような湖底の風景〉に引き込まれてしまったのでした。まるで民話か昔話を読んでいるようで、懐かしささえ覚えます。現代詩の新しい境地を開く作品と思いました。




大塚欽一氏共編著『世界の恋愛詩華抄(T)
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2009.5.20 茨城県水戸市 泊船堂刊 1429円+税

<目次> 大塚欽一・大塚綾子共編著
恋愛詩待望――序にかえて―― 3
第一部 外国編 15
 サッフォー・ダンテ・ペトラルカ・ロンサール・ゲーテ・ヘルダーリン・バイロン・ハイネ・キーツ・プーシキン・ポー・シュトルム・ボードレール・ハーディ・ヴェルレーヌ・グールモン・イェイツ・ジャム・ヘッセ・アポリネール・エリュアール・ネルーダ
第二部 日本編 157
 島崎藤村・蒲原有明・薄田泣董・高村光太郎・山村暮鳥・北原白秋・萩原朔太郎・福士幸次郎・室生犀星・三木露風・佐藤惣之助・佐藤春夫・西条八十・尾崎喜八・堀口大学・村山塊多・八木重吉・三好達治・草野心平・伊東静雄・中原中也・立原道造
主な参考文献 301
後書 307




西条八十
 西条八十(1892〜1969):東京都出身。早稲田大学文学部英文科卒業。早稲田大学在学中に日夏耿之介らと同人誌『聖盃』(のち『仮面』と改題)を刊行。一九一九年(大正八年)に自費出版した第一詩集『砂金』で象徴詩人としての地位を確立した。後にフランスヘ留学し、帰国後早大仏文学科教授。戦後は日本音楽著作権協会会長を務めた。一九六二年日本芸術院会員。象徴詩の詩人としてだけではなく、歌謡曲の作詞家としても活躍し、児童文芸誌『赤い鳥』などに多くの童謡を発表し、北原白秋と並んで大正期を代表する童謡詩人と称された。『砂金』(1919)、『蝋人形』(1926)、『美しき喪失』(1929)、『黄菊の館』(1944)、『白すみれ』(1949)他。

 柚子の林 (第一詩集『砂金』)大正八年
柚子の林にわけ入れば
はるかに海の音きこゆ
柚子の林にわけ入りて
ふとしも君をおもひいづ。

  柚子の実の
  青きをぬすみ
  ひそやかに

うち忍びて
秋の夜の
更くるをまた
白鞣
(しろなめし)
靴は軋みて
渚辺
(なぎさべ)
君は来らむ。

 この詩は「伊豆の浜辺で、傷つけれられた熱情を寂しくさましていた折の作」であるという。海岸近くの柚子の林で寂しさに青い柚子をむしり取りながら、夕ベには恋人が砂に靴を軋ませながら来はしないかとひそかに待っているのです。
 同じ時に作られた「柚子の実」は、より幻想的で意志的で、感情の高ぶりがみられます。

 柚子の実 (『砂金』)
逃れんすべなし
せめては小刀
(メス)をあげて
この青き柚子の実を截
()れ、
さらばうちに黄金の
(かぐ)はしき十二の房(へや)ありて
(なんじ)とわれを防(まも)らむ。

 二人の恋は世間の冷たい眼から逃れることができない。せめては小刀で柚子を切り、その十二の房の一つにこもろう。すれば世間の眼から守られるだろう、と詠っています。
 この詩集が出版されたのは、大正五年(二十五歳)の小川晴子との結婚から三年ほどたった大正八年ですが、彼は十八歳の頃に失恋しており、この恋愛詩の相手はその時の女性であろうかと思われます。清純さと夢見るような甘美さの漂う青春の恋の詩です。
 次の三つの詩もどれも若き日の恋の孤独を詠ったものでしょう。

 海にて (『砂金』)
星を数ふれば七つ
金の燈台は九つ
岩蔭に白き牡蠣かぎりなく
生るれど
わが恋はひとつにして
寂し。

 空には星が七つ、岸には金色に光る灯台が九つもあり、さらに岩陰には白い牡蠣が無数に張り付いている。〈白い牡蠣〉は幻想であろうが、そこに肉感的なものが垣間見える。しかし私の恋はただ一つ、ひたすらに愛しているが、報われない。それが寂しいと詠う、切ない恋情の詩です。

  (『砂金」)
行けども、行けども
涯しない荒野で
青白い花ばっかりが咲いている、
こんなに寂しい旅を
私はいままでしたことが無い。

ふと、顧
(ふりかえ)ると
私は恋人の顔の上を
あてどなく彷徨
(さまよ)っていた。

 ここには恋する男の心象風景が詠われています。夢の中と考えてもいいでしょう。男は、夢の中で、青白い花ばかりが咲いている果てしない荒野を歩いているのですが、ふと気が付くと、それは恋人の顔の上だったというのです。
 同じように報われない切ない恋の幻想が詠まれています。

 恋の棺 (第三詩集『美しき喪失』)昭和四年
語りえぬ二人の恋なれば
われら別るる日にも
絶えて知るひとの無かるべし。

その日、われら楽しく山にのぼらむ、
晴れたる空のもとに、われらが燦
(かがや)かしき雪花石膏(アラバスタ)の棺は
逞ましき西斑牙
(イスパニヤ)生れの軽子(かるこ)によりて担はるべし。

われら、山頂の黒き土に巨
(おおい)なる穴をうがち、人知れず恋の棺を埋めむ。
おんみは愛撫の白き鸚鵡を贄
(にえ)とせよ、
われは寂しく黙
(もだ)して金雀児(エニシダ)の花を毟らむ。

かくて谿々
(たにだに)に狭霧(さぎり)たちこめ
夕づつほのかに匂ひそむること
われら互
(かたみ)に微笑みて山を下らむ。

語りえぬ二人の恋なれば
われらが棺の上に草生ふる日にも
絶えて知るひとの無かるべし。

 この詩は、ついに結ばれなかったかつての恋は美しい棺に入れて葬ろうという切なかった恋との最後の決別を詠ったものです。これは青春時代の恋の思い出の総決算でしょうか。若い時の激しい恋情はなかなかふっ切れないものです。それが青春の恋なのです。これは八十、三十一歳の時の詩であり、別離から十三年、結婚してからも六年かかっているのです。覚えのある人も多いにちがいありません。
 八十も、結局妻晴子を詠うことはなかったようで、「美しき灰」(第四詩集『一握の玻璃』昭和二十二年刊所収)の中で、

吾死なば、
この躯
()焼かれて、崩(くずほ)れて
こまかに美しき灰とならん。

我伴侶よ、そを真白き素焼きの甕にをさめ、
晴れたる佳き日、
篠懸
(すずかけ)の並木に懸けよ。

わが情熱の死灰は、
あざやかなる真紅のいろに燃えて
翻りつつ、遠き地平の空を彩らん。
……

 と、〈我伴侶〉と出てくる位です。一般の人も勿論そうでしょうが、結婚してしまうと、日本の詩人はなかなか妻の讃歌を詠わなくなるものですね。それでも後年〈古妻と/共に死ぬべくたくはへし/むらさき壜の青酸加里)(「ねずみとり」)と詠われており、八十が妻晴子を生涯の伴侶として心から愛していたのは疑いないことです。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 〈歴史はあまりにも彪大な恋愛詩を残してきた。いまさら新しい恋愛詩が詠まれる余地はあるのかという意見は先刻承知である。しかしそれでも私は恋愛詩の歴史とこれからの方向性について語りたいのである〉(−序にかえて−より)という思いで編んだ恋愛詩抄です。ここでは著者も私も属している日本詩人クラブ初代理事長(当時は会長職なし)西条八十の項目を紹介してみました。このように詩人の略歴と代表的な恋愛詩を載せ、解説をするというスタイルになっています。多くの人に読んでもらいたい好著です。




総合文芸誌『中央文學』481号
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2009.10.25 東京都品川区
日本中央文学会・青山千望氏編集代表 400円

<目次>
◆小説◆
歌の好きな人/柳沢京子/2           はなふぶきの……ものがたり/関野譲治/12
◆特集◆鳥居章アンソロジーU/31
テラスにて/31                 指針/33
秋の日に/35                  冷夏の日に/37
◆追悼◆鳥居章主幹を悼む/38
黒澤和夫(コインの行方)            柳沢京子(「希望のある終わり方」)
本多 爽(鳥居大先輩を悼んで)         青山千望(悔やみきれない思いとともに……)
●編集後記● 42
●表紙写真●ノルウェー/ベルゲン市(最大の港湾都市)●




 指針/鳥居 章

言葉の海にとらわれ
君は
ただ逍遥していたに過ぎなかった…と

とにかく
そうなんだ
自身を知るために費やしたつもりが
単に羅列でしかなくなってしまう
言葉たち

例えば
抗夫の仕様はどうだ
深層へ
限りなく奥へと

    〈泥炭にこそ

     染み抜かれよ〉

ペン先 の

灯 に

な る               
(中央文学一九九九年八月号掲載)

 今号も鳥居主幹の追悼号となっていました。紹介した詩には〈自身を知るために費やしたつもりが/単に羅列でしかなくなってしまう/言葉たち〉と喝破されて、己を振り返ってしまいます。
 2009年4月8日、肺炎により急逝。享年79歳。改めてご冥福をお祈りいたします。






   
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