きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2009.9.4 筑波山・ガマ石




2009.10.28(水)


 昨日から修理工場に出していた愛車・インプレッサが夕方納車されました。エンジンオイルの定期交換と同時に、擦ってしまった箇所の補修もお願いしました。ついでに洗車もやってくれて、半年ぶりにピカピカです(^^; 走行距離は2年半で2万4千キロほど。1年に1万キロというのは、若い頃の私には考えられないことでした。2万キロも3万キロも乗りましたから。現在はそれだけ行動範囲が狭まったのかもしれませんが、電車の利用が大幅に増えたことが原因だろうと思っています。地球環境保全のためにもその方がいいんでしょう。これからもクルマと電車をうまく使い分けていきたいと思います。




隔月刊詩誌『サロン・デ・ポエート』282号
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2009.10.25 名古屋市名東区 中部詩人サロン編集・伊藤康子氏発行
300円

<目次>
作品
西風………………………小林  聖…4      栗…………………………高橋 芳美…5
薄の胎動…………………野老比左子…6      仙崎………………………荒井 幸子…7
生命指標…………………阿部 堅磐…8      すみません………………足立すみ子…10
秋彼岸……………………横井 光枝…11      景色…………………みくちけんすけ…12
夕暮れに…………………伊藤 康子…13      来し方……………………黒神 真司…14
散文
詩集「天の虫」を読む…阿部 堅磐…15      詩集「曳舟」を読む……阿部 堅磐…16
同人閑話…………………諸   家…17      受贈誌・詩集、サロン消息、編集後記
表紙・目次カット………高橋 芳美




 
栗/高橋芳美

暮れやすい日々の
秋を感じながら
今年の栗をむいています
パッケージされたむき栗ではなく
輝く色をむいています

栗ごはんを作ろうと
黙ってむいているだけなのに
この気分はなんだろう
不思議なよろこびと
やすらぎ

はるかに過ぎた思い出の
にぎやかな話し声のように
なつかしく歳月の片隅に
ころがりながら重なって
たくさん栗がむけました

この気分はなんだろう
さあ ふる里の味で栗ごはんを作ろう

 〈栗ごはんを作ろうと/黙ってむいているだけ〉の、日常の何でもない情景ですが、読む私にも〈なつかし〉いものが漂ってきます。〈黙ってむ〉くという行為そのものが精神を解き放す作用があるように思いますし、〈たくさん栗がむけました〉という満足感が待っているからなのかもしれません。それと同時に太古の記憶もあるのではないかと思いました。おそらく、人類発祥の頃の栗は主食だったかもしれません。それを大量に手に入れたときの安堵感。栗には、そんな脳の古層に残る記憶を呼び起こす作用があるのかもしれません。だから読む私にも〈不思議なよろこびと/やすらぎ〉があるのでしょうか。そんなことを感じながら拝読した作品です。




隔月刊会誌Scramble102号
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2009.10.25 群馬県高崎市
高崎現代詩の会・平方秀夫氏発行 非売品

<おもな記事>
○「学習」…斎藤亮子 1
○私の好きな詩 もう一つの嵯峨信之…谷淵彩菜 2
○会員の詩…5
 吉田幸恵/遠藤武男/渡辺慧介/谷淵彩菜/芝 基紘/武井幸子/鈴木宏幸/上林忠夫/金井裕美子
○新延拳さん更科源蔵賞を受賞…8
○各種案内 群馬詩人クラブ秋の詩祭ほか
○編集後記…8




 
里山として/上林忠夫

父が今年95歳になった。
半年前に庭仕事を息子に譲り、
朝刊の取り入れは六歳の孫に譲った。
それでも、足を引きずりながら、毎朝仏壇の前に立つ。
息子は、心配で心配で、父がつまんだ線香に、
隠して置いたマッチで、タイミングよろしく火を付ける。

母は今年91歳になる。
家から離れ、かれこれ15年が経つ。
息子の名前を忘れ、顔も忘れた。
見舞う息子に怪訝そうな表情をみせる。
最後に母の手に触れたのはいつだったか。
名前を呼ばれたのはいつのことだったか。もう思い出せない。
触れようとする息子の手は、母にいらだちを起こさせ、
何度もたたかれた。
母の後ろ姿を追うように、
父の認知症が進んでいる。
「長寿を生きる幸せ」と、家族は心に言いきかせて見つめる。
父と母は、長きに得たものをいよいよ人生の最後と、
息子に、家族に受け渡している。
加速しながら、身を軽くし、今日を生きている。
それでも、父と母は我が家の里山として、生きている。
消えていく里山を見つめる重きかなしさを、
息子はどうすることもできない。

 「会員の詩」の中の1編です。〈父と母は、長きに得たものをいよいよ人生の最後と、/息子に、家族に受け渡している。〉というフレーズには辛さを感じますが、95歳と91歳では喜ぶべきことで、まさに「長寿を生きる幸せ」と言ってよいでしょう。何より〈父と母は我が家の里山として、生きている〉と見られているご両親は幸せだと思います。〈里山〉にもこのような遣い方があるのかと感心しました。言いえて妙、詩人でなければ思いつかない言葉かもしれません。






   
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