きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2009.9.4 筑波山・ガマ石 |
2009.10.29(木)
特に予定のない日。終日いただいた本を拝読していました。
○アンソロジー『千葉県詩集』42集 |
2009.10.18 千葉県茂原市 千葉県詩人クラブ・斎藤正敏氏発行 2000円 |
<目次> 表紙・扉カット(原画の約1/3・1/2)岩ア巴人
石の鐘…赤木比佐江 6 束の間…秋田高敏 8
季節は…秋葉信雄 10. 世之介?…秋元 炯 12
赤ちゃん…朝倉宏哉 14. 雀の舌…天彦五男 16
わたしは決してあきらめない.−めぐみさんの母早紀江(さきえ)さんに寄せて…荒井愛子 18
真竹…阿波三千子 20. 朗読…杏 平太 22
出会い系サイト…飯嶋武太郎 24. 遡る…池山吉彬 26
山並み小景…諫川正臣 28. 負荷…石井藤雄 30
海色の自転車…石井真也子 32. 菩提寺の掃除…石毛海津江 34
意味ない自慢…石橋満寿男 36. 人間曼陀羅…石村柳三 38
うぐいすの声…磯貝景美江 40. すきま風…市村幸子 42
寒蝉…伊藤ふみ 44. 幸せな…稲葉セキ 46
月下獨吟…岩ア巴人 48. 装飾…上野菊江 50
地球の涙…内田紀久子 52. 臨月の娘に…内山朱美 54
泣いて笑って 転んで起きて…宇山智子 56. 風が運ぶのは…瓜生幸三郎 58
龍と夕顔…大掛史子 60. 「金木犀の昼下り」…大塚光江 62
抱擁…大塚理枝子 64. 「ねじり花」…大野杏子 66
「生と死の狭間で」…大橋憲子 68. 夏にも倦んだ…岡田喜代子 70
桃の実…岡田優子 72. 追想の風…小関 守 74
花売り…尾村りつ 76. 牛乳パック…小山ふみ江 78
限定本…笠井みち子 80. 津軽〜初夏…片岡 伸 82
ガラクタ…金子 仁 84. 丸窓の想い =愛についての詩篇(6)…上山ひろし 86
一九四三年・少年の夏…鬼島芳雄 88. 「丘の街」…君塚一雄 90
ケータイメール…くろこようこ 92. ある夜の月について…小池肇三 94
ゆられて…木場とし子 96. 岬…小林貞秋 98
生きていること…小林千恵子 100 回帰…近藤文子 102
山を呼ぶ 秋谷豊さんへ…斎藤正敏 104 扉の向こう…榊原しのぶ 106
淡雪…坂口圭子 108 讃歌…佐藤つや子 110
何怒っているの/沖の向こう…佐藤三夫 112 落ち梅…佐野千穂子 114
毛虫とアリ…志賀アヤノ 116 便り…雫石尚子 118
異常気象…篠原義男 120 月の川原へと…柴田節子 122
紙魚遊泳…下野幸雄 124 今がいい…庄司 進 126
シャボン玉…庄司民江 128 森…白井恵子 130
彦星…末原正彦 132 蛍袋(学名カンパニュラ)…杉浦将江 134
まだまだ…鈴木 俊 136 七夕…鈴木建子 138
カルテ 故ドクターユキタケに…鈴木豊志夫 140 生きものたち…鈴木文子 142
言語野に蹲るデラシネ…高崎 忠 144 躍る…野利代 146
くれない記…高橋 馨 148 や印のこと…高橋博子 150
藍水路…橋文雄 152 冬ざれの季節に…橋昌規 154
風に乗って…高橋枩江 156 高遠こひがんざくら…高安ミツ子 158
思い出鳩…高安義郎 160 送出征兵士…滝口悦郎 162
エトランゼ…田中智子 164 猫の穴…田中みどり 166
『ふりむきたい』…田村しげ子 168 深夜便…土倉ヒロ子 170
雨上がり…角田 博 172 その瞬間の流れに…遠山信男 174
歌う電器ポット…富田和夫 176 丘の上…中井 清 178
おわら風の盆…中嶋清一 180 訪れ…中谷順子 182
春…中村洋子 184 交差点もよう…永井たかこ 186
まな板の子守歌…長田一枝 188 なみだ橋で…根本 明 190
修学旅行…野村 俊 192 夢か現か…橋川幸子 194
毒だみのひとりごと…長谷部桂子 196 一一七…濱野なな子 198
花の心のやうに…早瀬 岳 200 聞こえなくなるということは…春林秀夫 202
「告白」…日高 櫂 204 秋のリリック…平野きよはる 206
肥後椿…福原弘子 208 二輪の野ばら…保坂登志子 210
転居…星 清彦 212 かぐやひめ…星野 薫 214
夜の少女…細野幸子 216 ちぎれ雲 −屋久島にて−…本間義人 218
ディズニーランドの朝…前田孝一 220 下請け工事屋のおじさん…前原 武 222
氷盤−妖精ジャネット・リンの思い出…松下和夫.224 さくら さくら…松田悦子 226
鏡を…岬 多可子 228 ストルーガ詩祭・於マケドニア…水崎野里子 230
地球期限…水沢 祥 232 魚屋と八百屋ことほぎ歌…三方 克 234
螻蛄(けら)…南浜伊作 236 幸せそれとも…宮内泰彦 238
貝の詩…宮崎 聰 240 家の履歴書(一)…宮武孝吉 242
鍬…村上佳子 244 黒曜石のイヤリング…村崎深樹 246
晩秋…山口静雄 248 めざめ…山佐木 進 250
零の訪れ…山崎全代 252 盆踊り…山中真知子 254
妻の花壇…山野井悌二 256 姉の死を悼む −妻と箸合わせ拾ふや姉の骨 龍生…山本龍生 258
土へ…横尾湖衣 264 流れて消えて…吉川純子 266
春の彷徨…吉沢量子 268 贄(はやにえ)…よしだおさむ 270
梅雨の晴れ間に−精神病院にて−…米元久美子 272 沈黙のソネット…米元照子 274
(以上 133人、五十音順)
参加者住所録…276 発行にあたって…282
雀の舌/天彦五男
この頃 濃い味しか解らない人が増えた
昆布、椎茸、鰹節が出しの基本だが
どうにもバランスの悪い味覚党が増殖した
バランスの悪いのは味覚だけではない
どうも出しをとることが解らないらしい
一番出し 二番出し 三番出し
エキスを出して旨味を残すのがベターだが
すべてをしぼり出して濃い味が現代だ
日本人も鳥がら、豚骨、トマト味、バター味
もっともひどいのが化学調味料におかされて
舌が馬鹿になっているらしい
牛たんばかりが舌ではない
雀の舌もあるのだ
舌を切られた雀になった親ではあるまい
二枚舌 三枚舌を使う人が増えた
外国人が日本料理を味わって
日本人が日本料理が解らないのも国際化だ
グローバル化、バンザイとは言わない
日本人が日本人でなくなって
日の丸の代りに火の輪をふりかざし
君が代ではなく吾が代をうたうのは賛成だ
雀の宿の主は煎茶道の宗家になって
舌の上をころがるウソを飲み込む
毒饅頭だと解っていても齧る
聴覚 嗅覚 視覚も衰えてきたが
触覚と味覚だけはなんとか保っていて
ニッポン・ジンを噛み砕くと
生臭かったり へんに苦かったり
独り善がりの味しかしない
人情をせめて口直しにと思うが
〈舌の剣は命を断つ〉
ペンは剣より弱し命はみみずになったらしい
今年8月に72歳で亡くなった天彦五男さんの作品を紹介してみました。〈バランスの悪いのは味覚だけではない〉、〈すべてをしぼり出して濃い味が現代だ〉、〈日本人が日本料理が解らないのも国際化だ〉と、天彦詩の舌鋒の鋭さをいかんなく発揮した作品だと思います。改めてご冥福をお祈りいたします。
○万里小路譲氏詩集論 『吉野弘 その転回視座の詩学』 |
2009.11.3 山形県上山市 書肆犀刊 2000円+税 |
<目次>
無の饗宴−詩集『消息』論T 7 生と死のまつり−詩集『消息』論U 41
美という幻−詩集『消息』論V 52. 可能性という未来−詩集『消息』論W 66
幻という方法−詩集『幻・方法』論T 78. 認識と受難−詩集『幻・方法』論U 91
自明性との闘い−詩画集『10ワットの太陽』論 102 旅という奇跡−詩集『感傷旅行』論I 114
国家と個人−詩集『感傷旅行』論U 127 春という幻−詩集『感傷旅行』論V 153
恋情という志向−詩集『感傷旅行』論W 164 終焉と成熟−詩集『北入曽』論I 175
無への舞−詩集『北入曽』論U 187 幸福という逆説−詩集『北入曽』論V 199
中庸という志向−詩画集『風が吹くと』論 214 叙景という企投−詩集『叙景』論T 228
母性と祝祭−詩集『叙景』論U 242 内省と平和−詩集『陽を浴びて』論T 259
樹木と世界開在性−詩集『陽を浴びて』論U 273 世界と明察−詩画集『北象』論 285
受容と自然−詩集『自然渋滞』論T 295 未到への企投−詩集『自然渋滞』論U 312
転回視座という超出−詩集『自然渋滞』論V 326 リヴァーシブルの視座−詩集『夢焼け』論T 340
夢の饗宴−詩集『夢焼け』論U 355
詩篇引用一覧 368
参考文献 370
あとがき 372
I was born
確か 英語を習い始めて間もない頃だ。
或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕霧の奥から浮き出
るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。
女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなか
った。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それが
やがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。
女はゆき過ぎた。
少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は〈生まれる〉ということが まさ
しく〈受身〉である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
――やっぱり I was born なんだね
父は怪訝(けげん)そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
――I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。
自分の意志ではないんだね
その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気
として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。
僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。
父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
――蜉蝣(かげろう)という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら
一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃が
あってね――
僕は父を見た。父は続けた。
――友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せて
くれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開
いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵
だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。
それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで
こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの粒々だったね。私が友人
の方を振り向いて〈卵〉というと 彼も肯いて答えた。〈せつなげだね〉。そん
なことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落と
してすぐに死なれたのは――。
父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切な
く 僕の脳裏に灼きついたものがあった。
――ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体――。
《私たちは、なぜ生まれるのか?》という問いが作品の基底にあり、そしてそれに解答があるようには思われない。優れた作品の多くがそうであるように、この作品もまた謎に満ちている。謎のひとつは、〈世に生まれ出ることの不思議〉に出会った少年の、〈生まれる〉ということが〈受身〉である訳を了解するにいたった、心の軌跡である。それは深い認識に導かれたのではなく、〈文法上の単純な発見〉であると少年は言う。〈生まれさせられる〉のだとしても、しかしながら、なぜ〈世に生まれ出る〉かの問いが答えられているわけではない。むしろ、問いが生まれ、問いが持続している。問いの内実が明らかになり、むしろ問いが深化している。
子と父が、問いに向き合って、対峠している。「父」という詩では、問いは内在していたのに対し、問いは、その内実をあらわにして、父と子に課せられている。産んだ主体と産まされた客体が、問いの俎上に乗せられている。「初めての児に」「父」「I was born」という三部作は、生と死の原理を主題にしている。この三部作の表層にあるのが父性であり、父性をめぐる問いそのものと言ってもいい。父性が原理だとすれば、この世は条理に欠けている。なぜなら、問いへの解答がないように思われるからだ。しかしながら、この三部作が優れているのは、深層に母性を潜ませていることによる。――母性とは何か? それは父性が解明しえない当のものである。
「I was born」における謎の二つ目は、父が持ち出した挿話で〈僕〉は何を諒解したのか、ということである。蜉蝣という生物は、ほんの二、三日で生まれるそばから死んでゆくという。しかし、人間もまた、生まれるそばから死んでゆくのではないのか。ほんの七、八十年で。過去はもはやなく、未来はいまだないものならば、今あるのは現在という瞬間でしかありえない。そして、存在が現在に拠っているとしたら、現存在とは、時間ではなくむしろ瞬間というゼロレベルの時間の脱自態に立脚した、存在の密度性である。
蜉蝣という生物は、形態的には卵そのものである。挿話の最後のほう、友人の方を振り向いて言う言葉はもはや〈蜉蝣〉ではない。〈卵〉である。蜉蝣は口が退化してしまっていて、生を営むための食事をなしえない。つまり、蜉蝣は卵を産むために卵から孵る。孵る! もはや蜉蝣の誕生は、受動ではなく能動である。〈目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげている〉――それはぎっしり充満した卵である。そうすると、母の胸元まで息苦しくふさいでいたものは、何か?
蜉蝣の死は、この作品において、母の死と重なり合う。〈何の為に世の中へ出てくるのか〉に答えを出すのは父ではない。それは、蜉蝣の死であり、母の死である。死が生と結びついていて、言わば答えを出す暇もなく死を迎えるありようが、そこにある。母性は父性という原理の苦悩を癒すようにして寄り添う。それは問いを解明したりはしない。それはむしろ問いを、やさしく包みこむのだ。
問いに答える代わりに父によって持ち出されたエピソードは、母性という神秘である。蜉蝣という生物の生能に見て取られるのは、懸命に生きる存在原理である。それは母性によって垣間見られたものだ。生まれた訳が了解されるのではない。なぜ生まれたかの問いは、持続しながら、むしろ超えられている。この世にあることの不思議とは、生まれたことではない。問いが持続しながら、生命が問いそのものであることだ。煩悶は超越されている。蜉蝣は他者を産むためにだけ生まれてくる生物である。〈何の為に世の中へ出てくるのか〉に否定的な答えを出す代わりに、生に向かうものの懸命な姿を詩人は提示する。そこに、生に向かう認識の正への転位がある。
実存とは、いまここから次のいまここへと超え出ることである。世界はなぜあるのか? しかしながら、問いもまた引き継がれゆく。生というまつりもまた、脱自的に関わろうとする実存のありようそのものの可能性のうちにある。
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著者が永年に渡り詩誌『山形詩人』などに連載した吉野弘詩集評をまとめた詩集論です。初期の詩集・詩画集から最近のものまで、吉野弘研究には第一級の著作と言えましょう。ここでは有名な「I was born」について書かれた部分を紹介してみました。〈母性は父性という原理の苦悩を癒すようにして寄り添う。それは問いを解明したりはしない。それはむしろ問いを、やさしく包みこむのだ〉という観点は見事だと思います。〈この世にあることの不思議とは、生まれたことではない。問いが持続しながら、生命が問いそのものであることだ〉という言葉には万里小路譲詩の原理があるようにも思いました。お薦めの1冊です。
○季刊詩誌『新怪魚』113号 |
2009.10.1 和歌山県和歌山市 くりすたきじ氏代表・深海魚の会発行 500円 |
<目次>
今 猿人(2)女と男のエチュード 佐々木佳容子(4)母の春
岡本光明(6)続 空白の時間 細川治男(8)LH(ルフトハンザ)機の機内にて
細川治男(9)旅の仲間たち 桃谷延子(11)いじめ
五十嵐節子(12)能人形 花がたみ 上田 清(14)秋日(二)
為平 澪(16)ノドボトケ 北山りら(18)八重山吹・抜け殻
北山りら(19)蜩・ながれ星・抱擁 前河正子(20)七月の視線
中川たつ子(22)鳥の鳥 くりすたきじ(24)雨の日の猫は眠りたい
桜鬼弓女(27)砂の城 岩城万里子(28)骨もしくはわたしの愛
エッセイ(30)山田博
編集後記 装丁/くりすたきじ
雨の日の猫は眠りたい/くりすたきじ
葉月の昼下がりのどうしようもなくもてあました窓のしたで
たったいま、わたしにできることをすべて思い浮かべてみても
ただ、雨の日の猫のように四つ足を投げだして眠ることしかできなかった
そうして浅い夢をいくつも、いくつもわたり歩いては
エノコログサの生いしげる夢の戸口に立ち尽くして濡れていた
長い雨だった
いつまでも犬のまま雨に濡れて生きるのはやめようと思った
いないはずの恋人、もしくはあり得ないわがままをどこまでも、どこまでも
追いかけていたいわたしはきっと雨の日の犬にちがいなかった
もう、いいと思った
芯まで濡れたこのからだを乾かさなければやさしく老いることもできない
だからもう、浅い夢をわたり歩くのはやめようと思った
雨の日の猫のように
明るい窓のしたや、乾いた木の階段の上から二段目あたりで涼しい顔をして
たったひとつでいい、やわらかい猫の手のとどく夢を見ていたい
まぁるい顔した雄猫のようなわたしがいつもの食卓に頬杖ついてあつい紅茶を
すすりながら朝のパイプを銜えていたとしても妻さえ気付かないはず
それでいいと思った
目覚めた午後はほどよく冷えた西瓜をたべる
汗にまみれたTシャツもブリーフも脱ぎすてて居間の椅子に腰かけて
真新しいタオルを日やけしたほそい首にかけて肋骨の浮きでたうすい胸を隠し
すこしでてきた下腹とちじれた陰毛の影に
だらしなくぶらさがった部品の位置を気にしながら張りのないおしりは
色あせた合成皮革に吸いついている
午後の日差しはわずかに粗い粒子をともなって白いカーテンをゆらしている
窓の外には大きなケヤキの木があってその梢の上には乾いた宇宙があった
この地上にたったひとり分の木陰さえあればわたしはこうして裸でいたかった
ときには犬でもなく、猫でもなく、ヒトでもない
まるで西瓜のような生きものでしかないわたしをたしかめてみたかった
階段のしたに眠るちいさな犬をまたいで二階にあがる
廊下をかねた二畳ほどの板間の小窓から蒼い稲穂の波打つ海が見えた
ささやかな営みをのせて季節をわたる箱舟がたどりつく港はまだ遠くても
いま、この海になにを捨てればいいのだろうか
洗いざらしの生あたたかい衣服を身につけてちいさな犬と散歩にでかけた
日にやけたアスファルトの雑多な小径はいく日も降らない雨を
思い出そうとしては遠ざかる意識をつなぎとめようとしていた
よく手入れされた畑の心地よい表情や
人の手をはなれた田畑の夏草に埋めつくされた投げやりな視線のなかを
ちいさな犬と歩く
老いることは忙しいか
ちいさくても犬のかたちをしたおまえは犬のしあわせを手に入れたか
恋はしたか
もうすぐ、わたしの年齢に追いつくことを知っているか
過ぎ去った日々の晴れた日と雨の日をかぞえてみても
それは昼と夜の等しい数をかぞえるように無意味なことだと思わないか
季節だけがたしかな暮らしを運んでくる
晴れた日は犬のように生きて、雨の日は猫のように眠ればいい
それでも追いつける夢はあるはず
老いることはどうしようもなく忙しいことだと知っていても
雨の日の猫は眠りたい
浅くても、ふかくても、この地上にひとつとして無駄な眠りはなかった
〈いつまでも犬のまま雨に濡れて生きるのはやめようと思った〉ことと〈雨の日の猫のように/明るい窓のしたや、乾いた木の階段の上から二段目あたりで涼しい顔をして〉いたいという対比がおもしろい作品です。その根底にあるのが〈この地上にたったひとり分の木陰さえあればわたしはこうして裸でいたかった〉というフレーズかなと思います。人間の何倍も早く老いる〈ちいさな犬〉にとって〈老いることは忙しい〉ことかもしれませんが、それはそのまま人間にも当て嵌まることでしょう。最終連の〈この地上にひとつとして無駄な眠りはなかった〉というフレーズも佳い詩語だと思いました。
なお、今号も全作品を http://blog.goo.ne.jp/shinkaigyo-417 で読むことができます。よろしかったらご覧になってください。