きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2009.9.4 筑波山・ガマ石 |
2009.10.31(土)
日本ペンクラブの電子文藝館に、私が高村光太郎の戦争中の詩を載せたことでちょっとした波紋が広がっていますが、今日は詩友から届いた手紙を紹介してみます。私と同年代の男性詩人のものです。
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「ごまめのはぎしり」の日記のページで、村山さんが高村光太郎について書いていたのを以前に読みました。またそれに関連する記事も読みました。
ぼくは光太郎の知恵子抄が好きで、光太郎に興味がありましたが、戦後、なぜ光太郎が岩手県太田村山口の山中で農耕自炊の生活に入ったのか、その真意を知りませんでした。村山さんの記事でその真意を知ることができたのです。戦時中に書いた、光太郎の詩を知らなかったのです。
村山さんの、今、なぜ光太郎なのかという問いかけに、ぼくは賛同します。それは戦後の山小屋生活の中で書かれた詩が智恵子抄の中にいくつかあって、それらは光太郎の真実を語っているからです。「案内」[あの頃]「吹雪の夜の独白」などです。
ぼくの手元にある「智恵子抄」は昭和40年に発行されたもので、智恵子の紙絵がたくさん載っていたので買いました。著者は伊藤信吉・北川太一・高村規の共編となっています。社会思想社刊です。この智恵子抄には戦中の光太郎の詩についてはほとんど語られていません。それは今に思えば光太郎ファンを欺くことになってはいないかと感じます。
しかし、問題は歴史上の普遍的な人の罪についてです。また、詩人といえどもその罪から逃れられない時もあるということです。ですから、村山さんが光太郎の戦中の詩を今の時代に掲示した意味はよく理解できるのです。ぼくの乏しい知識でもってこんなことを言うのも恥ずかしいのですが、村山さんの記事を読んでそう思ったのです。
今、戦時中の光太郎の詩を読んでも、ぼく自身の光太郎は少しも色あせることはありません。村山さんはそれも承知の上でなさったことだと思うのです。光太郎はやはりすばらしい詩人であったと思います。戦後の山小屋生活が光太郎の足跡に与えた光は大きいと思います。
戦争によって光太郎自身がなくした彫像等の作品について、光太郎はひとことも悔やんでいません。それは詩人としてあるべき姿なのだと思います。戦争を知らない詩人として、今をどう描くべきか。それは、やはり忘れてはいけない課題だと思います。
ぼくが二十歳の頃に買い求めた智恵子抄が、この歳になってその本質を伝えようとしています。村山さんの記事に出会えなかったらそれもなかったでしょう。村山さんにはご迷惑かもしれませんが、そんなわけで感謝しております。
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一部の明らかな誤字・脱字は訂正させていただきましたが、私が光太郎の戦中の詩を提示した意図を正確にくみ取っていただいて、私の方こそ感謝しています。何度も書いていることですが、光太郎を貶めるつもりなどまったくありません。もっと大きく光太郎を捉えて、〈光太郎はやはりすばらしい詩人であったと思い〉たいのです。戦中の詩を読んでもらったからといって〈光太郎は少しも色あせることは〉ないはずなのです。そして、そこから〈歴史上の普遍的な人の罪について〉考えられればいいなと思っていました。そのためには〈光太郎ファンを欺く〉ようなことをやってはダメなのです。あるがままを出来るだけ正確に見ること、それが文学にも求められる態度だと私は思っています。Kさん、ありがとうございました。
○清ア進一氏詩集『蝉の啼く木』 |
2009.11.2
東京都杉並区 本の森刊・星雲社発売 880円+税 |
<目次>
心の包帯…6 蝉の啼く木…8 クララ…12
平泉…16 痛み…18 季節と出会うたびに…20
午後…24 通夜…26 すずめ…28
雪の追憶…30 ひよこ…32 蟻…34
うそつき…36 陽だまりの犬…38 雨と、風と…40
空のストロボ…42 あやふやな季節…44 千年後…46
パンを買う…48 この国で…50 入院の夏…52
いつも見ていた…56 夏のひかり…58 差し伸べられた手…62
雪の童話…64 戦火の中の少女のために…66
右手…68 海鳴り…70 星の輝き…72
いびつな円…74 ひとやすみ…78 平和な日々…80
野良犬…82 美しい夜…84 雨…86
晩夏…88 声…90
蝉の啼く木
母の介護用品を
近くのスーパーで買った
その帰り道に
不意に聞く 蝉の声
そうか
夏なのかと思う
母の介護のことで 心はいつも
いっぱいだったから
気づかずにいた
蝉が啼く おおきな桜の木を
見上げて
蝉を探してみる
どこにいるのだろう
あんなにも たくさん
あんなにも 激しく
啼いているというのに
木をぐるりと一周してみるが
一匹も
見当たらない
横断歩道の信号が
青になった
ぼくは 蝉の声を
背中で聞きながら
家路を急ぐ
母が
ぼくの帰りを
首を長くして
待っている
3年ぶりの第3詩集です。第1詩集は新川和江さん、第2詩集は菊地貞三さん、そして今回はやなせたかしさんが帯文を寄せるという、恵まれた環境です。ここではタイトルポエムを紹介してみました。〈母の介護のことで 心はいつも/いっぱいだったから/気づかずにいた〉というのは実感でしょう。似たような経験は誰にでもあって、そこに共感を覚えるのではないかと思います。〈一匹も/見当たらない〉というのは、現実に引き戻されても、その現実はなかなか把握できるものではない、と深読みしてみました。平易な言葉は、読者の想像力をより刺激するのではないかと思った作品です。
○詩誌『海嶺』33号 |
2009.10.30
さいたま市南区 海嶺の会・杜みち子氏発行 非売品 |
<目次>
扉詩 河村靖子 置物 1
詩
桜井さざえ 海の祝祭・渚に 4 植村秋江 萩・あんみつの味 8
河村靖子 ハッピーバースデー・子供電話相談室 12 杜みち子 メインディッシュ・風が吹いていた 16
散歩道〈台所〉
河村靖子 女の背中 22 植村秋江 台所−私の前にある鍋とお釜と燃える火と− 23
桜井さざえ 私の城 25 杜みち子 勝手口 27
雑記帳 29
編集後記 31 表紙絵・カット 杜みち子
風が吹いていた/杜
みち子
朝食後
食卓を拭いていると
退いてゆくものの気配がした
トーストを乗せた皿の上
紺青のバラのティーカップの底
銀色のティースプーンに
サリサリ と
洗濯機から取り出した
男のシャツのポケットの底に
ジャリッ と軋るもの
底をひっくり返して
丁寧に拭いながら
昨日のこと
五年前のこと
二十年前 三十年前のこと
壊れた椅子のこと
数が減ってゆく食卓ナイフのことなど
白紙の答案用紙を前にして
時間だけが過ぎてゆく夢を
見続けた時代があった
読み止しのまま積み上がった
本本本 本
削っても削っても 折れ続ける
鉛筆の芯
壊れた留守番電話が
聞き覚えのある人々の声を
繰り返し
再生する家で
両親は老いていた
机と椅子を積み上げたバリケードで
封鎖された文学部の入口
白いタオルの覆面をしてスピーカーを抱え
アジっていた男たち
今 何処にいるのだろうか
何か を捜して走り回った
喫茶店 学生会館 昼定屋
図書館 0講堂
いつも
風が吹いていた
夕陽が射し込む三畳間
開いたままの日記帳の上に
降り積むもの
サリサリ サリサリ
サリ サリ
サリ
あっ、この感覚、判る! というのが一読しての思いです。〈退いてゆくものの気配〉は、自分から退いていった過去と採ってよいでしょう。その過去には様々なものがありますが、なかでも〈アジっていた男たち/今 何処にいるのだろうか〉というフレーズに共感しています。オレは今でも進歩なく、似たようなことをやっているよ、でも君たちは何処へ行った? この感覚が私を常に捉えていて、それは〈いつも/風が吹いてい〉る感覚なのです。俗に言えば青春の喪失なのかもしれませんが、〈削っても削っても 折れ続ける/鉛筆の芯〉のように、私たちの人生は誰かにへし折られ続けてきたとも言えるでしょう。見事な作品だと思いました。
○文芸誌『獣神』33号 |
2009.10.26
埼玉県所沢市 伊藤雄一郎氏編集責任 1000円 |
<目次>
エッセイ
蛇の思い出 澤田よし子 4 隠し田 阿部 克則 9
碧水まさる 野田 悦基 16 銀次郎の日記 青江由紀夫 27
詩
野菜畑で 大重 徳洋 45 夜の雨 安倍 慶悦 46
隣人]ファイル 永野 健二 47
小説
かくも永き秘そかな愉楽 第一話 ナポリの夕陽 伊藤 雄一郎 49
後書き 85
表紙●油彩画『夢のふち』より 大重徳洋 カット●白石陽子
野菜畑で/大重徳洋
トンボはさぞ驚いたことだろう
休んでいた支柱から飛び立とうとしたら
後羽を何者かがつかんで離さないのだから
ニガウリの蔓に巻きつかれたのだ
ひと巻きされて羽はひしゃげている
羽をひろげて止まっていたトンボに
そっと触れていたほそくしなやかな蔓が
ゆっくりと渦を巻いてからみついた
気づいたときにはすでに遅かった
ばたつけば蔓はさらに締めつける
トンボにとっては不覚であったが
ニガウリにとっては拍子抜けであったのだろう
ばたつくトンボを持て余して
揺れているしかない
現実に〈羽をひろげて止まっていたトンボ〉に〈ほそくしなやかな蔓が/ゆっくりと渦を巻いてからみついた〉なんてことがあるかどうか分かりません。しかし、その詮索をする必要はないでしょう。ここでは〈不覚〉をとったトンボと〈拍子抜け〉した〈ニガウリ〉の関係を考えればよいのだと思います。思いもしないことで不覚をとり、からみつく気がなかったのにからみついてしまった…。そして両者とも呆然として、正す術もない…。そんなことは人間社会でもあることでしょう。あるいはそれを不条理と呼ぶのかもしれません。抽象を具体に戻すとこうなる、という読み方をしてみた作品です。