きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2009.11.3 足柄峠より箱根・大涌谷を臨んで |
2009.11.8(日)
午前中は恒例の網戸洗い。
拙宅にはエアコンがありません。夏はヨシズの日影と網戸から入る風だけが頼りの、原始的な生活です。ようやく網戸を使う必要がなくなって、13枚の網戸を全て洗いました。1年間で結構汚れるものです。洗剤をつけてブラシで擦ると、茶色い汚れが出てきます。2時間も掛かってしまいました。日光で乾かして、倉庫に仕舞ってオシマイ。私の夏はようやく、完全に終わりました。
○個人誌『軌跡』51号 |
2009.10.1
三重県鈴鹿市 稽古舎・津坂治男氏発行 非売品 |
<目次>
詩 アオスジアゲハ・カミナリチョウ
評伝 やまと魂・谷川士清(その五、倭訓栞)
エッセイ 喩の重み(中正敏の場合)
artist?・近ごろ言わないこと−あとがき
カミナリチョウ/津坂治男
もっと大きかった
と思う
子どもの時つきあっていた
黒・黄
モザイク模様の…
ザクロの実の下だったか
のび上がって
タモで取ったが
怖くて掴めなかった
一人きりの午後
姉が腸チフスで死に
家と槙垣に白い消毒液を撒かれた夏休み
なんか逢うとほっとした 学校へも行ってはいけなくて…
七十年近く過ぎて 乾いた団地の中
たまに誘うようにふらふら舞うけど
ついて行けない君の安住の地までは――
〈カミナリチョウ〉とはどういう蝶か知らなかったので調べてみましたら、この前の作品「アオスジアゲハ」のことだそうです。たしかに〈子どもの時つきあっていた〉頃は〈もっと大きかった〉かもしれません。その蝶と〈姉が腸チフスで死〉んだこととが重なって、作中人物にとっては思い入れが深い蝶なのでしょう。最終連の〈ついて行けない君の安住の地までは――〉というフレーズは、蝶とともに姉にも掛かっているように感じました。
○個人誌『軌跡』52号 |
2009.11.3
三重県鈴鹿市 稽古舎・津坂治男氏発行 非売品 |
<目次>
詩 押すな押すな・改行
評伝 やまと魂・谷川士清(その六、藤堂藩)
エッセイ 美しい詩(石川逸子の願い)
「放浪兄弟」・志摩半島はダメ!?
改行/津坂治男
志摩半島に上陸したのも知多半島に着いたのも同じ経路なのに公的
発表が正しいのだと悶着を見せ、池のそばの直方体の物置は歪んで
平行六面体扉もとんだが、大根や人参の葉が吹き千切れなかったの
はマシ、サツマイモも台風をこらえて無事生き残った(水に漬からな
かったのが幸いでして…)。庭の花水木も順調に枯葉を落とし、赤い
実を未練がましく光らせてはいるが、変則体育の日も過ぎ、ぼくも
何とか生まれて78.4年−ぼつぼつ改行が必要なのかと、まわりを見
渡す。けど飛び石のあいだのニホントカゲやカナへビ息づくリュウ
ノヒゲの繁み概ねあおあお、その縁では千両万両が早くも実を垂れ
はじめ、ツゲ君のごま塩頭の下では夏死にかかったいや葉の斑を茶
色に焦してからだを支えたツワブキがいつの間にか(今頃)若葉を増
やして、中からいつもの花芽を抱えたしなやかな茎が寄るな触るな
と鎌首もたげて、生きとし生くるもの秋晴れ存分にいのちの引継ぎ
に暇も無くって、人間ぼくのことなど皆知らぬ顔。先週居た紋白蝶
も今は畑のキャベツの苗に卵を産んで、その傍でしずかにいのちの
改行をしている。門の下で二匹くっついて寝ていた太った蜂たちは
台風でどこかへ流されている。ぼく一人ではないが、孫の帰り待ち
ながらここで人生の行改めることもならずに、ハブケにされた思い
で一秒一分ずつ語尾を付け加えていく。――あの世は理解の外にあ
ると言ったあなた、だから、小刻みにでも生きていかなくては……。
〈いのちの改行〉、〈人生の行改め〉という詩語に惹かれます。それは死を意味するのではなく、〈先週居た紋白蝶も今は畑のキャベツの苗に卵を産んで、その傍でしずかにいのちの改行をしている〉というフレーズから考えると、生物として子孫を残したあとは自分の時間、と捉えられそうです。それは最後の〈小刻みにでも生きていかなくては……〉という詩語にもあると思いました。どこかで遣いたくなる言葉です。
○月刊・詩と評論『操車場』30号 |
2009.12.1 川崎市川崎区 田川紀久雄氏発行 500円 |
<目次>
■詩作品
イタダの末裔 −7 坂井信夫 1 同窓 長谷川 忍 2
悲しみは心の宝石 田川紀久雄 4
■俳句 秋の川 井原 修 6
■エッセイ
浜川崎博物誌・4 坂井のぶこ 7 自我と主体を超えて −つれづれベルクソン草(17)− 高橋 馨 8
削り屋は見た−ドクターのお仕事(上) 野間明子 10 末期癌日記・十月 田川紀久雄 12
■後記・住所録 24
タダイの末裔 ――7/坂井信夫
山谷地域につくられた文化センターの施設
で、Zは働いていた。報酬はごくわずかであ
ったが、かれは寄せ場において住民たちが少
しでも人間らしい暮しをと願ってきた。それ
ゆえボランティアの講師をさがしだしては話
をしてもらっていた。なにもない日は会館の
掃除をしたり机や椅子をつくろったりしてい
た。ある日、路上ですれちがったQに眼をと
め、センターの講師をと頼みこんだ。Qは快
くひきうけた。日曜日の夕方、Qは出かけて
いくと、そこには十人ほどの女や男が待って
いた。かれは〈王の国〉と題して、幻のコミ
ューンについて語りはじめた。しばらくする
と外に、Qの母と弟妹たちがきていると報さ
れた。かれの家族はずっと生活保護をうけて
いたが、それでも暮しはきびしかった。受付
にいたZはそのことを紙にかいてQに渡した。
そこには、みんな朝からなにも食べていない
ので近くのファミレスに連れていってくれ、
と。かれは窓のむこうに母たちをみながら、
こういった――この世における家族の絆より
も、ぼくの話をきいて共感するみなさんのほ
うが大切だ、と。そして家族の欲望はひろが
り、ついには民族という異様なものへとゆき
つく。かつては〈ふるさと〉を守れという呪
文みたいな〈国家のことば〉によって戦地へ
と赴いた兵士たちをうみだした。ほんとうは
見知らぬ者どうしが、ひとつの教えによって
幻のコミューンを創ってゆくことこそ〈王の
国〉が出現するのだ。だから、みなさんこそ
兄弟なのです。……そういい終えたのちQは、
わずかな講演料をひそかにZに托した。窓の
むこうで弟妹たちが手をふった。
シリーズ物ですが、単独の作品としても読めると思って紹介してみました。「この世における家族の絆よりも、ぼくの話をきいて共感するみなさんのほうが大切だ」という言葉の真意は、続く「家族の欲望はひろがり、ついには民族という異様なものへとゆきつく」というフレーズにあるわけですが、たしかに「かつては〈ふるさと〉を守れという呪文みたいな〈国家のことば〉によって戦地へと赴いた兵士たちをうみだした」時代がありました。しかし「Q」が「わずかな講演料をひそかにZに托した」ことによって、決して家族をないがしろにしているわけでもないことも判ります。国家と個人をテーマにしていると思われるこの作品、次号ではどうなるか楽しみです。