きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2009.11.3 足柄峠より箱根・大涌谷を臨んで




2009.11.7(土)


 3年ぶりで歯医者に行ってきました。下手な歯医者で、被せ物が1年ほどのうちに2ヵ所外れてしまいました。でも、お酒を呑むのには支障がないので(^^; そのまま放っておきました。しかし、1週間前に3本目が抜けたのです。これは差し歯ですから、観念して行ったという次第。歯医者を変えようかなと思いましたけど、結局、同じ処に行きました。新たに探すのも面倒くさいし、まだ若い歯科医なので、この3年間で技量も上がっているかもしれないという期待です。治療期間は半年ぐらいかなと思っています。中年男の切ない期待に応えてほしいですね。




星野由美子氏詩集『海の訪れ』
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2009.11.18 東京都千代田区 砂子屋書房刊 2500円+税

<目次>
T
かわたれどき 10    翁草 14        海の訪れ 16
川かもしれない 20   潮だまり 24      ツルボの花 28
北限の蝶 32      朝顔幻想 36      森の刻 40
白蛾 44
U
なぎさにて 48     砂の上 52       樹海にて 56
金瘡小草
(キランソウ) 60 松 64         海の雪に 68
道よ 72
V
たまごの海 76     波について 80     窓がみえる 84
かくれ魚 88      むかご 92       山繭 96
野いばら遺文 100
.   からすうり 106
あとがき 110
装本・倉本 修




 
海の訪れ

野生の竜胆は花の真下に根があるものは稀で
撓やかな茎は周りの小草に支えられているが
伏したままのそれを辿ると
思いもよらぬ辺りまで届いている
土深く伸びた根の先は
短い鶴の足先を思わせて極めてか細い
花は日暮れには巻きあげるように閉じる
そこに咲いている風情ではなく
ひとり見開いている蒼い眼差し

赤松の多い丘を背にした家で育った私は
遠くからの潮鳴りにも聞こえる松籟の韻きに
見えない海をもとめて丘の向こうをみつめた

松の木陰で母と当薬を摘んでいると
可憐な白い小花を持つ指先がすぐ苦くなる
竜胆に出遇ったときの母の素直な喜びが
いつのまにか私にも格別の花となっていった
花には丘の彼方に在る筈のない海の
ときめく色合いを映しているのを感じた

その母がついに逝った
ほんの僅かなうすい骨の重なりだけを残して

喉元までおしよせていたことばは消えて
私を乗り越える勢いで迫ってきたものは
見も知らぬ昏い激流のたかまりであった

どうしても母の骨を拾うことができない
急かされながらようやくその軽いものを持つ
これが母などでは有り得ない
こうしている私も私であろう筈がないのだと
けれど それは遠い海辺で白い貝殻を採る
あの仕草に何と似ていることであろうか

そのときからかつて聞こえていた丘の潮騒が
再び私を訪れはじめていた
懐かしいあの丘の連なりのひとつの霊園に
母はいま永い眠りについている

殊に水嵩を増しているのではないだろうか
濡れるひかりに水音のする月明のこんな夜は
銀鼠色に浮かびあがる母の墓標は
小さな舟のかたちのまま
その海で音も無く揺らぎつづけているだろう

 16年ぶりの第2詩集です。ここではタイトルポエムを紹介してみました。〈野生の竜胆は花の真下に根があるものは稀〉というフレーズは、〈竜胆に出遇ったときの母の素直な喜び〉と呼応して、この詩のポイントのように思います。その背景として〈遠くからの潮鳴りにも聞こえる松籟の韻き〉があるのではないでしょうか。〈ついに逝った〉〈母〉を抑制されたタッチで追悼した佳品だと思いました。
 本詩集中の
「ツルボの花」「むかご」はすでに拙HPで紹介しています。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて星野由美子詩の世界をご鑑賞ください。




詩誌『掌』139号
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2009.11.1 横浜市青葉区  非売品
志崎純氏編集・掌詩人グループ発行

<目次>
エッセイ
パウル・ツェラン以後 −『パウル・ツェラン新論』を上梓して−…今井美恵…10

新語…………………………堀井 勉…2      ブリヤート…………………中村雅勇…4
誕生月に……………………国広 剛…6      光りは………………………福原恒雄…8
権力は必ず腐敗堕落する…半澤 昇…10      名画…………………………石川 敦…14
雲(他一編)………………志崎 純…17
編集後記                    表紙題字 長谷川幸子




 
光りは/福原恒雄

遠い雷鳴に
おびえながら
待ちつづけていたように
室温を保った店で
硝子窓は
雨をぐしょぐしょに塗りこめる

もっと遠くで
炸裂があったたて続けにあったと
きれめのない報道を聞いたばかりだ
マンガみたいに並ぶ家を屑にされたそのすき間で
小さく隠れていた人も斃れ
濃い雨が浸みて
腐食する肉塊からあおい光りがとんだと

きみだってぼくだって
見たように
読めると言いつつ
曖昧な舌で
ニワトリに食らいつき
ひん曲がった笑いをよごして

旗振りに忠実だった骨組みに絡む
雨はしぶく
いま美食という名と狎れたあとに
逃げ場のないソースが皿にへばりつく
懐の脂質が逆流する
その臭いこと光ること
掠めとられる視界に なおも
斃れた人のかたちは
まがいもののようにうつくしく濡れている
と瞑目する乾いた嘘に
背も尻も頭も
立ち上がれなくて

 2連目は紛争中のアフガニスタンやイラクの民衆のことを云っているのではないかと思います。それを転の部分と見、全体で起承転結になっていると読みました。〈硝子窓は/雨をぐしょぐしょに塗りこめる〉、〈背も尻も頭も/立ち上がれなくて〉などの福原恒雄詩の独特の言い回しにも魅了されますが、その底には鋭い社会批判があると思っています。〈光りは〉、〈腐食する肉塊から〉〈とんだ〉〈あおい光り〉であり、〈逆流〉して〈光る〉〈懐の脂質〉であることを見据えなければいけないことを教えている詩だと思いました。




詩誌『櫻尺』36號
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2009.11.10 埼玉県川越市
鈴木東海子氏発行 500円

<目次>

八木 忠栄 鎌倉や…… 2           和合 亮一 無花果の戦火に 6
筏丸けいこ i was not born yesterday 10    相沢正一郎 ふたつの声 14
浜江 順子 自転車をコグ少年たち 24      瀬崎  祐  触れようとする指のかたち 28
鈴木東海子 緑布 31
評論
中村不二夫 辻井喬論 −「自伝詩のためのエスキース」を読むT 34
岡野絵里子 新川和江論 5−誰が見ている夢 44
櫻発 54
後記 56
表紙・鈴木英明




 
緑布/鈴木東海子

草に散る鮮血は小さな花のように広がっているのだが草
の切り傷かとも思う雫れのようであった。濡れいろのむ
らさきのふくらみが敷物のように咲き詰めてから深い池
の底に沈むような花になる。
真夏の虫の葉を食む音が規則的に葉ゆれのようにすりあ
わされて実は細くなり細くなりといちまいが一茎になる
のである。ひとはなにひとまわりのかこみによってむら
さきの点描画になるのだった。葉のかずだけ茎があり花
のかずだけ茎があり食む音がやむ頃には茎だけが立って
いる。そうして赤と黒の縞模様の虫は菫の枯野を渡って
いくのだが。まだ夏の風がたまって湿っている急斜面を
のぼってゆくと休息するのにいいへこみに前足をかけて
眠りにはいるのだった。雨にぬれることもなくおだやか
な眠りをすごすのである。
それは仮りの眠りでもあったのだろうか。
育つ眠りとでもいうように内部が変ってゆく眠りのなか
でむらさきが結実するかのように目覚めるのであるが羽
が花びらのように開くのであった。薄黄色の花びらに黄
土色の斑点のついている羽がある。あの毛ばだつ赤は地
にしみて吐血のようであった。鐘型のふちどりの金銀が
わずかに繊毛のように粉ふいている。
菫だけを食みあのむらさきを体内に詰めこみ菫色に染ま
り蛹はむらさき蝶に羽を広げることを疑わなかっただろ
う。望むこともなかっただろうか。わたしはむらさきの
羽を待ちたかったのだろうか。あのあさにわたしはむら
さきを吐いたのだが。それで望むことを忘れるだろう。
望むことがなかったかのように言葉を吐きだしたかった。
はずだ。
赤と黒とが混り合うことは言葉が混り合うようには作用
しなかった。黒い言葉のように赤い言葉のように叫ぶ言
葉が内部に詰っていて候もとまでも詰っており時おり吐
くのだが鮮血のはなびらの形をしてひろがるだけであっ
た。もうわたしのなかには混り合った言葉はなく赤い色
も黒い色も変色して薄い羽のように低く飛びたつだけに
なる。
静まる言葉たちよ。
虫のように夏を食みかたい内側にこもればいいのだ。言
葉たちは時のなかで羽化するであろう。言葉たちとして。
言葉の布になる。

 〈菫だけを食〉む〈むらさき蝶〉から〈言葉の布〉への展開が見事な作品だと思います。〈言葉たちは時のなかで羽化するであろう〉というフレーズにも魅了されています。〈言葉が混り合うように〉〈作用〉する、〈混り合った言葉〉というのは言葉の本質なのかもしれません。それ単独で存在する言葉ももちろんありますが、他と混り合うことによって初めて言葉としての意義があると思われます。〈菫〉から広がる言葉の世界を夢想した作品です。






   
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