きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2009.11.3 足柄峠より箱根・大涌谷を臨んで




2009.11.9(月)


  その2




詩誌Void23号
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2009.10.30 東京都八王子市
松方俊氏ほか発行 500円

<目次>
『詩』
一毫の笑みに……………原田 道子 2      二〇〇九年八月…………酒田フミ子 4
初秋………………………森田タカ子 6      レベッカ…………………松方  俊 9
八甲田山…………………松方  俊 10
『小論』寄贈詩誌から…中田昭太郎 12
『詩』
訝ることもせず 平和…中田昭太郎 13      トリック・スター………小島 昭男 16
昧爽の微光………………飯島 研一 20
後記………森田タカ子・中田昭太郎
     小島 昭男・松方  俊 22




 (我が旅より)
 
八甲田山/松方 俊

八つの岳の連峰を称して八甲田山と呼ぶという
田茂范岳の頂に登る一筋のロープウェイより俯瞰すれば
いきを呑む壮麗さ
錦繍と呼ぶ紅葉
(もみじ)に染まる広大な樹海が果てもなく広がり
首を回らせば連峰を越え蒼く日本海が霧のなか片鱗を見せている

百九十九名の無辜の兵士達を雪像にしたという
~憑った軍人精神の蒙昧さが生んだ
八甲田山遭難の悲劇に
爾来反省も無く亡国に迄至った赤く縁取られた~の系譜を見る

人は「己が死すべき時に死す」と言い
軍人としての死に価したのだと語る人も今はいないが
雪像の兵士達に
愚直なまでの一筋の精神の強靭
(つよさ)を覚えるのを
妨げる理由もない

遠く雪の遭難の語り草は今もなだらかな山嶺にひそみ
ふもとには殉難の兵士の立像が山毛欅林のなか
禍々しき山の物語を背負い立っている
彼は今もなにを訴えているのか双眸は遠く彼方をみつめているが

兵士達の魂の眠りには安かれと祈るよりほか私はすべを知らない
連峰の秋は とめどなく流れ去る雲の下
大岳 前岳 田茂范岳 赤倉岳 井戸岳 硫黄岳 石倉岳 高田大岳と
八つの岳嶺はなだらかに波うち
烈風の乱吹くなか
今は静かに鎮まってみえた

 (我が旅より)とありますから〈八甲田山〉に旅行したときの作品と思われます。八甲田山と云えば、やはり真っ先に新田次郎の『八甲田山 死の彷徨』を思い出します。作品は、その〈八甲田山遭難の悲劇〉を下敷きにして、〈人は「己が死すべき時に死す」と言い〉というフレーズには懐かしさを覚えました。小説の中にも出てきたように思いますけど、そんな言い回しを云い、〈語る人も今はいない〉のかもしれません。最終連の〈兵士達の魂の眠りには安かれと祈るよりほか私はすべを知らない〉というフレーズも実感なのでしょう。旅の詩としては硬派で、そこに魅了されました。




詩誌『るなりあ』23号
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2009.10.15 神奈川県相模原市
荻悦子氏ほか発行 300円

<目次>
氏家篤子 午後の林 1  * 根岸線 3
荻 悦子 クリスタル 5 * 凝ったもの 7
鈴木正枝 月下 9    * 共有 11
あとがき




 
クリスタル/荻 悦子

桔梗の花がしおれた
膨らみを失くし
ぴたりと閉じてしまった
茎が堅い草の
米粒のような白い花は密に連なり
乾きながらもぴんと上向きに反って
咲いた花のままであることを主張している

日が傾く

クリスタルの花瓶の底の水が
気づかないうちに消える

何が
どうだったのか
追いかけて
わかることだろうか

花瓶の
下部から底の方は
緻密なカットがこまごまと煌めき
胴に彫られた葡萄の
実と葉と蔓は
砂色に不透明に曇っている

桔梗の花びらが変色し
米粒のような花の堅い茎に
薄い紙のような膜が生じる

日が傾く

日にちを数えるのを忘れたような
ぬるい光が
花瓶の口の辺りに留まっている

 〈クリスタルの花瓶〉の中で〈桔梗の花がしおれた〉ことと作中人物の気持ちが第4連で重なっていると思います。〈何が/どうだったのか/追いかけて/わかることだろうか〉というフレーズが〈気づかないうちに消え〉た〈花瓶の底の水〉と作中人物の心境とに重ねて、巧いですね。〈日が傾く〉という1行1連の出し方も効果的です。最終連の〈日にちを数えるのを忘れたような/ぬるい光が/花瓶の口の辺りに留まっている〉という詩語も、この作品のまとめとして佳い味を出していると思います。特に〈ぬるい光〉が〈クリスタル〉と対称的で成功していると思いました。






   
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