きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2009.11.3 足柄峠より箱根・大涌谷を臨んで




2009.11.12(木)


  その1

 午後から西さがみ文芸愛好会の事務局会議が小田原の喫茶店で開かれました。今日の議題は、来年3月3日(水)から8日(月)まで小田原・伊勢治書店3F「ギャラリー新九郎」で開催される、<第14回西さがみ文芸展覧会>の詳細を決めることが主でした。特別展の内容や担当者、作品応募の期限などを決めましたが、正式には、近く開催される運営委員会で決定されてからとなります。従って、今の段階で拙HPで公表することはできませんけど、日程と場所は確定しています。今のうちから、また来年もやるんだなと記憶しておいてくださるとありがたいです。その上でお近くの方はもちろん、遠くの方でも、この日なら行けるよ、ということを予めお知らせいただけると、その日を私の当番日にすることも可能です。えっ、お前に会いに行くわけではない!? 失礼しました(^^;




佐久間隆史氏著『三島由紀夫論−その詩人性と死をめぐって
新・現代詩人論叢書3
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2009.11.1 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2500円+税

<目次>
序章
危機をめぐる一省察 ――アウシュヴィッツは終わらない
(一)何ものでもないものであろうとすること 13
(二)仮面をかぶることと恐怖 15
(三)抽象化ということと知性 19
(四)生の躍動の喪失と抽象芸術 22
影と芸術
(一)私たちはいつも影を所持しているのか? 25
(二)影をなくしたからだ 30
(三)影のない「行為」 34
(四)芸術作品と影 39
(五)影と妙有 43
(六)存在の喪失と狂気 46
T
詩人としての三島由紀夫と抽象芸術
(一)「詩を書く少年」について 51
(二)詩人としての三島由紀夫と抽象芸術 56
(三)『金閣寺』と抽象芸術 60
(四)三島由紀夫の詩人性とその死 70
(五)その死とナルシシズム 75
三島由紀夫の作家性について ――初期詩篇をめぐって
(一)初期詩篇に見られるこの世におけるあり方 80
(二)この世におけるあり方とリアリズム 85
(三)初期詩篇の根源性について 91
三島由紀夫における「愛」のかたち ――『豊饒の海』第一巻「春の雪」をめぐって
(一)「恋愛」をめぐる、主人公の「行為」の不思議さについて 99
(二)その不思議さの原因について 103
(三)非人間的な冷たさを本質とする「恋愛」小説 105
(四)「恋愛」の非現実性と幼児性 108
(五)暗さと純粋ということ 10
(六)「春の雪」の、三島文学の中で占める位置について 115
(七)「春の雪」と三島由紀夫 119
U
道化と仮面 ――太宰治と三島由紀夫
(一)『人間失格』と『仮面の告白』 127
(二)太宰治と三島由紀夫 134
(三)その優しさと冷たさについて 140
(四)その年齢について 148
(五)その故郷性について 152
日本的テロリズムと疎外 ――三島由紀夫と保田與重郎
(一)演技と美的「行為」としての「テロル」 158
(二)観念的「テロル」の基盤――演技と存在の喪失 164
(三)飯沼勲と三島由紀夫――三島の死の、美的観念性について 170
(四)無力の別名称としての「純粋な行為」――日本的テロリズムの一源流としての神風連 178
(五)観念的「テロル」の普遍性の根拠――三島の死の突飛性について 183
V
意識による、生と存在の回復の試み
(一)「ある」の脆弱性について 189
(二)「ある」の不安定と生への恐れ 196
(三)居場所の喪失と演技・スタア性 198
(四)演技・スタア性とその死 203
(五)三島由紀夫にとっての身体と行為 207
(六)意識性と演技性との関係について 209
(七)意識性とおびえ 214
(八)その美と美的感性について 218
知性と他国者 ――三島由紀夫の知性性をめぐって
(一)三島由紀夫とヴァレリー222
(二)知性とナルシシズム 225
(三)近代的な知性の死としての、三島の死 229
あとがき 234




 
危機をめぐる一省察
  ――アウシュヴィッツは終わらない

(一)何ものでもないものであろうとすること

 私たちはたとえば理由もなくなぐられれば痛みを感じ、そしてそれなりの行為を起こす。
 それは至極当然なことのように思われもするが、必ずしもそうではない。理不尽であることを充分承知していながら、なおそれの撤去の不可能性を徹底的という形で思い知らされるような場合、私たちは痛みを感じていては自分を維持出来ないので、自分を守るために逆に自分の身体から自分をひきはなして――ということは、自分の身体を、自分のものではない一個の物体・客体にかえて、ということにもなってくるが――無感覚の中へ沈もうとするからである。つまり、感じていては生きえないが故に、生きるためにあえて自分の身体や感性を棄てるに至るということ、そこにある生き方は、そのような逆説的な生き方のように思われる。
       、、、
 あまりよいたとえではないが、あるいはここで、危機的な状況に遭遇した折、自分のしっぽを切り棄てて本体の維持をはかろうとするトカゲの姿を考えてもよいかもしれない。
 あれが自分の身体や感情、感性をもとにして交流していた世界なのだろうか?
 トカゲがそう呟くかどうかわからないが、その呟きこそは、外見的には、それまでと同じ世界の中で同じ身体・感情らを所持して生きていながら、それらを一個の客体にかえた時の――ということは、それを脱ぎ棄てた時の、ということにもなってくるが――私たちの劇的ともいえる告白にほかならないのだから。つまり、外から見て、同じ身体や感情を所持しつつ、同じ世界の中に生きているように見えても、その時にはそれらと自分との間には決定的とも言える分離が生じていて、そこにおいては私のものと言えるような身体や感情、世界は一切存在しないということ、それらは、その時の自分にとっては、代替可能な一個のつまらぬ物体、だから自分にとって意味・必然性のないもの、とるにたりない偶然的なものにさえ見えてくるのである。

 逆から言えば、それらに意味や価値を認めていては生きえないということ、それ故それらを棄てて身軽になろうとするのである。
 そしてその事態は、身体や感情らにとどまらず、自分の存在そのものにさえ及んでゆくのである。それに意味や価値を認めること、だから自分を何ものかであると思い込むことほど、そういう場においては危険で苦悩を増すことはないのだから。
 要するに、危機的な限界状況にあっては、私たちはその世界の中で何ものでもない存在、一切をかなぐりすてた非現実的で抽象的な存在、一言でいえば、無になろうとするのである。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 あとがきによれば、
<折にふれて三島を論じ、そしてそれらを、これまで出してきた評論集に収めもしてきたが、このたび新たに三つの論、「詩人としての三島由紀夫と抽象芸術」と「三島由紀夫の作家性について」、「三島由紀夫における『愛』のかたち」を書くにおよんで、それらを統合、一冊にまとめることを思い立った。>
 ものだそうです。
 ここでは冒頭の部分のみを紹介してみましたが、〈外から見て、同じ身体や感情を所持しつつ、同じ世界の中に生きているように見えても、その時にはそれらと自分との間には決定的とも言える分離が生じていて、そこにおいては私のものと言えるような身体や感情、世界は一切存在しない〉という観点で三島由紀夫を捉えた評論集だと思います。私は残念ながら三島由紀夫について、ほとんど何も知らないと言ってよいほどの知識しか持ち合わせていませんが、それでも昔読んだ『金閣寺』や『潮騒』を思い出しながら拝読しました。三島由紀夫については多くの評論が出ていると思いますけれど、上述のような観点は画期的なものではないかと想像します。三島好き、三島由紀夫研究者にはお薦めの1冊と云えましょう。




詩誌『詩区 かつしか』124号
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2009.11.20 東京都葛飾区 池澤秀和氏連絡先 非売品

<目次>
おにぎり/堀越睦子               不忍池の蓮/青山晴江
人間158 死ぬときは/まつだひでお        人間159 アイチャンと幽霊柳/まつだひでお
分水嶺/小川哲史                ピアノコンチェルト/小林徳明
音楽が無ければ/小林徳明            境目はないのに/しま・ようこ
さよならの 色あい/池沢京子          羽二重/みゆき杏子
罪作り/工藤憲治                悪い夢/工藤憲治
もっこく/内藤セツコ              ある祖母の手紙−三重野祐里「三重野杜夫の最期」より/石川逸子
筆先/池澤秀和




 
おにぎり/堀越睦子

戦後間もない遠足
小学一年生
歩きつかれて
空腹で
草の上で
広げた昼食
三個の焼きおむすび
皆と一緒がうれしくて
はしゃいで食べた

あれ?
Mちゃん達が
真っ黒い
たどんみたいなものをたべている
あれはなんだ?

 「ああ それはアサクサノリが巻いてあるんだよ」
母は大笑いして
次の遠足には
アサクサノリ三枚だけ買って
真っ黒いおにぎりを持たせてくれた
行ったことの無い
海の匂いがした

 昨日
郷里の弟から新米が届いた
あつあつおにぎりを握りながら
山里の
深い秋を想った

 〈真っ黒い/たどんみたいなものをたべている〉というフレーズで意表を突かれましたが、〈アサクサノリが巻いてある〉おむすびだったのですね。知らなければたしかに炭団に見えるかもしれません。〈戦後間もない〉頃の、歴史の証言としても読める作品だと思います。最終連の〈山里の/深い秋〉も、上手い締めだと思いました。




POETRY NIPPON10号
poetry nippon 10.JPG
2009.10 神戸市垂水区
大池満氏事務局・日本英詩協会発行 350円

<目次>
Haikn & Tank:
Mint Herbal Tea         Iknmi Yoshimura 4
Haiku               Teruko Maruyama 5
Budding             Yasuhiko Shigemoto 6
On Hiroshima           Noriko Mizusaki 7
Translations:
Otsuta              (Toson Shimazaki) 9
                 Trans. by Ruriko Suzuki
Poems:
The Precarious Cliff       Aya Yuhki ll
A Portrait of the Old Antist   Kiyoko Ogawa 12
The Universe in the Light
 of White Lilies         Marron Hoshino 14
Singing a Love Song Over 50   Shinko Fushimi 16
Snowflakes            Tadao Noguchi 17
Outside              Tatsuya Onai 18
Gaza 2009             Tatsuya Onai 19
Democracy             Mokuo Nagayama 20
The Word of God -Proverb 25:21- Yorifumi Yaguchi 21
Fate               Mitsuru Ohike 22
At a Poet's Grave         James Kirkup 23
My Father Was a Megalomaniac   Stephen Toskar 25
PN Book Reviews:
(I) Everlasting River trans. by AyaYuhki      Naoshi Koriyama 27
(2) A Symphony of Words and Images by L.Kannenburg Noriko Mizusaki 30
Obituary:James Kirkup               YorifumiYaguchi 32
Cover drawing  Mitsuru Ohike




 A PORTRAIT OF THE OLD ARTIST

An Argentine guitarist appearing at a reception accompanied
by a sexy vocalist may have been in his late sixties or early
seventies. There was a festering open spot near on his left
earlobe. Diluting sweet wine with cider, the artist gulped it.
He threw one olive after another into his mouth using his right
hand with long dirty fingernails.

Later on, flamenco was performed to the guitar and the singing
at a conference room. The dancing and the guitar fiercely
stood against each other. From among ardent tappings by
the dancer was heard the sound of hitting wood. It soon turned
out the maestro was rapping the body of his instrument during
performance. No sooner had he flipped the strings vigorously
than he pressed under his right palm all the six strings against
the fingerboard, suppressing reverberation. That moment was
awesome, as if your own breath were forcibly stopped.

During an excursion to Antequera, I chanced to have a look into
his guitar case. Some pieces of penciled manuscripts were
nonchalantly thrown in. The poetry reading had been announced
at the municipal library in the ancient town. It didn't take
long before the small hall was filled with local people in
semi-formal dress. Some were even standing.

After a clumsy opening performance of a recorder by an oriental
girl, the maestro and the diva played flamenco while the dancer
tapped the library floor vehemetly. After that came his solo.
lmprovising a tune for his own poem he may have been writing
under a tree during the day's exeursion, he recited it to his
own guitar accompaniment. That evening the festering spot
beside his ear was covered with a Band-Aid.

The chairlady told us the guitarist and the singer firmly
promised to take part in the farewell poetry evening in Malaga.
But actually they didn't show up.

Toward the end of that year she sent a digital greeting card
to every participant, informing us that the artist had suffered
from cardiac infarction and passed away shortly after coming
back to Argentina in September.


 REMNISCENCE

pomade scent
from an elderly man
i walked past-
a virile air of the time
when my dad used to live.


 ELLIE

the last new year card
by my friend who died at 59
shows her beloved chihuahua
with a smooth coat of fur.


 FOR JULIA OF HANOVER

decades ago as a farewell gift
you gave me a thimble, a token of good luck;
why then did you have to die a violent death
 Suffering from ALS?

              Kiyoko Ogawa

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 全て英文という短歌・俳句・詩の雑誌です。無謀にも久しぶりに全訳を試みました。今はインターネットの翻訳エンジンを使えますので、私でもなんとか訳せるという見本です。一部、高校生以来の辞書を使いましたけど、詩の言葉まで噛み砕くのは無理でした。でも、どうにか意味は通じるかなと愚考しています。ご笑覧ください。


 年老いた芸術家の肖像

セクシーな歌手に伴われて招待会に現れるアルゼンチンのギタリストは、60年代後半か70年代前半にいたかもしれません。彼の左の耳たぶの近くには膿んで開いている部分がありました。サイダーで甘いワインを薄めて、芸術家はそれをぐい飲みしました。
彼は、長く汚い爪の右手でオリーブを口に相次いで投げました。

それから、フラメンコが会議室でギターと歌とで演じられました。ダンスとギターとはお互いを反発し合いました。ダンサーは床を打つ激しい音で情熱的なタップを響かせました。 マエストロは自分の身体をラッピングするというパフォーマンスを行いました。 激しいストリングをはじき出すとすぐに、彼は、右の手のひらで6個のストリングすべてで、リバーブを抑えこんで指板に押しつけました。 まるであなたの息が強制的に止められるかのように。その瞬間はすごかったです。

アンテケラへの演奏旅行中、私はたまたま彼のギターケースの中を見ました。数片の鉛筆で書かれた原稿が無頓着に投げ入れられました。 詩の朗読は古い町の図書館で行われました。小ホールが準礼装の地元の人で満たされるのに時間はかかりませんでした。何人かは立ち見でした。

東洋の少女によるレコーダーの不器用なオープニングの後に、ダンサーは激しく床を叩き、マエストロとディーバはフラメンコを演じました。 その後に、彼の独奏になりました。彼が演奏の合い間に木の下に書いていたかもしれない彼自身の詩のために、旋律を即興して、彼は彼自身のギター伴奏にそれを使いました。その晩、彼の耳の横の膿んでいる部分は応急措置に追われました。

招待した女主人は、ギタリストと歌手が、マラガの送別詩の晩に参加する約束をしたと私たちに言いました。しかし、彼らは現れませんでした。

その年の終わり近くになって、彼女はすべての関係者への電子グリーティングカードを送りました。その芸術家が9月にアルゼンチンに戻ったすぐ後に心筋梗塞に苦しんで、亡くなったと私たちにお知らせくださいました。


 思い出

すれ違う年配の男性のポマードのにおい
私の父が生きていたころの男らしいにおい


 エリー

59歳で死んだ私の友人からの最後の新年のカードは
毛皮の滑らかなコートで包まれた、彼女のいとしいチワワの姿だった。


 ハノーバーのジュリアのために

あなたは何十年も前に、餞別として、幸運の印の指貫を私にくださいました。
あなたはなぜALSの苦しみで死ななければならなかったのでしょうか?

                        小川聖子






   
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